うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第五幕・14~ 地獄・前途

 

「……ぅぅ、ぐぅ……」

「アルルゥ……

 こんな所にいたのか」

「……トラ……」

 わだかまる闇の奥深く、転がる大きな岩の陰で、アルルゥは嗚咽(おえつ)に背を震わせていた。

 小さな拳を硬く握り、感情を抑えこむように立ちつくしていた。

 後姿に、先までの迫力など欠片もない。

 あるのは、今にも壊れてしまいそうな危うさだけ。

 それでも某(それがし)の声を聞くと、懸命に涙を拭(ぬぐ)おうとした。

 鼻をすするその様に、どうしようもなく胸が痛む。

 それとて、彼女の心が負った傷の万分の一にもなりはしないのだろう。

「アルルゥ……」

「……ムックル、

 たすけてあげられなかった……」

 悔恨の声は涙と共に。

 独白は、傷を広げるように続く。

「アルルゥ、約束したのに。

 おかーさんになるって、

 守ってあげるって、

 いったのに……」

 頬を濡らす涙が、赤い血の色に見えた。

 そのまま流し続ければ死にすら至る、絶望の雫。

 胸の痛みがまた増した。

 未熟な自分が、情けないを越して、憎らしい。

 共に月を見上げたあの夜から、なにも変わっていないではないか。

 ……いや、悔いているだけではいられない。

 いかに未熟であろうとも、某(それがし)は誓ったのだから。

 及ばぬとは知りながらも手を伸ばし、涙の流れる頬に触れた。

「ぅ……?」

「……ずるいじゃないか。

 一人で、悲しまないでくれ」

「……トラ?」

 見上げてくる濡れた視線が痛い。

 思わずそらしたくなるが、逃げることはできなかった。

 罰と呼ぶにはヌルすぎる。

「約束を守れなかったのは某(それがし)も同じ。

 いや、目の前で苦しむ様を見ていながら、

 なにもしてやれなかった。

 友だなどと、よくも口にできたものだ……」

 ムックルの最期を思い出し、どうしようもなく歯噛みする。

 怨嗟のこもった苦痛の響きは、今でも耳に残っていた。

 赤い瞳が色を失っていく様も。

 いかに逃れえぬ運命(さだめ)であったとはいえ、いや、ならばこそ、せめてその最期は某(それがし)が担うべきであったのに……。

 一度だけ目を閉じ、開ける。

 再び合わせたアルルゥの目は、涙をたたえながらも大きく開かれていた。

「トラ……」

「本来なら腹でも切って詫びねばならぬ所だが、

 そういうわけにはいかないからな。

 まだ、やるべきことが残っている」

「え?」

「エルルゥ殿を助けなければ。

 アルルゥが悲しむようなことを

 姉上殿がするわけがない。

 そうだろう?」

「あ……」

 小さく息を飲んだアルルゥの目に、ゆっくりと生気が戻ってきた。

 映る色が無明の闇から、星の瞬く夜空のものに変わる。

 奥には小さな光が見えた。

 某(それがし)のよく知っている、強い意思を宿した光だ。

 もう、涙は流れていない。

「なにか理由があるはずだ」

「……ん。

 おねーちゃんたすける」

「ああ。

 ……ムックルには、

 しばらくはこれで勘弁してもらおう」

 そう告げ、某(それがし)は脇差を抜いた。

 逆手で握り、後ろに回し、左手で掴んだ尾髪に沿え、躊躇いなく刃を引く。

「トラ、それ……」

 解放されるような感覚は、どこか新鮮だった。

 少しだけ軽くなった頭を振り、小刀を収め左手を見る。

 長年伸ばした髪の束は、それなりに見事なものだった。

「……エヴェンクルガなりの

 戦友(とも)への手向けだ。

 まあ、某(それがし)ごときのものでは

 とても足りぬだろうが」

「……ううん」

 髪の房を一撫でしたアルルゥの声は、途中から少しだけくぐもっていた。

 顔を某(それがし)の胸に埋め、手を背に回し、力をこめてくる。

「アル、ルゥ?」

「……ムックル、きっとよろこぶ。

 ぜんぶ終わったら、おいしいものいっぱいあげる。

 そうすれば……

 きっと、もっとよろこぶ……」

「アルルゥ……」

「ぅ……ぅぅ……

 ムックル、ムックルぅ……」

 見つけたときと同じように、アルルゥは泣いていた。

 強がりも虚勢もなく、ただ素直に涙を流す。

 子を悼(いた)む母の姿が、某(それがし)にはとても愛おしく、

 代わりなどない、とても大切なものに感じられて、

 伝わりくる痛みを分かつように、その身を優しく抱きしめた。

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