うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
世の騒乱はゆっくりと、だが確実に収まっていた。
それは、活気を取り戻していく街の様からも見てとれる。
にぎわう喧騒の只中に語られる話題は種々雑多であったが、最も多く聞こえるものは、やはり、各地の鬼人魔獣を駆逐していく白き巨人の風説であった。
今や『ウィツァルネミテアの使い』は、その真実の姿とは無関係に、多くの祈りを集める存在となっていた。
説明を求められ困窮する城の方々には申し訳なくも思ったが、某(それがし)たちにはありがたい状況ではあった。
エルルゥ殿の行方を追うためにも、手がかりは多いに越したことはない。
だが、集まる多くの噂をまとめても、白き巨人の足跡を辿ることはできなかった。
いや、むしろ聞けば聞くほどに分からなくなっている。
現れる場所は各国各地、鬼人魔獣が居る場であれば見境なく、忽然と姿を消すその後を知る者もいなかったからだ。
考えてみれば、相手は転移を使えるのだから、当然の結果であろう。
エルルゥ殿が関わっている証左にこそなれど、その居場所はますます霧の中。
気を焦らせても出来ることは多くなく、『ティティカルオゥル』はオンカミヤムカイの指揮下で動きながら、もどかしくも平穏な日々を過ごしていた。
もちろん、そうでない者もいたが。
「カミュ」
「……なに」
前にいる皇女様はその筆頭だ。
城に戻ったその日から、カミュは某(それがし)たちはおろか、ウルトリィ様の叱責からも逃げ回る日々を過ごしていた。
今もまた、見つけた天守の上で不貞腐れたまま、城下の様を眺めている。
まぁ、不機嫌の理由はわかっているのだが。
「いい加減機嫌を直せ。
ウルトリィ様もムティ殿も
心配しているんだぞ」
「ふんだ。
裏切り者の言うことなんか聞かないもん」
「裏切り者って……」
「あの人は、
ティティカ姉様を殺した人なんだよっ?」
振り返った青い瞳には某(それがし)ではなく、混乱の原因であるハクビが映っているように見えた。
「それは……」
「それだけじゃないよ。
ムックルやトラちゃんの兄様だって、
エルルゥ姉様だって、
あんな風になっちゃったのは……。
それを、全部おじ様のせいにして……。
そんな人と仲良くしてるようなトラちゃんは
裏切り者だよ」
「…………」
涙まじりの非難に、答える言葉を見いだせなかった。
そんなものなどあるわけがない。
カミュの抱く想いはすべて、某(それがし)の内にも強く根づいているのだから。
穏やかな日々の中、某(それがし))はハクビの監視を続けている。
ふと思い出に駆られた時など、すべてを終わらせてしまいたい衝動に襲われることも、稀ではない。
ハクビの態度も、そんな想いに拍車をかけた。
いまだ罪の意識もなく、平然と過ごす様を見せられて、機嫌よくいろという方が無理だ。
顔のしかみを自覚しながら、それでも、言葉を返さぬわけにはいかなかった。
「確かに、そうだ。
彼女の、ハクビの罪は許されるようなものではないし、
カミュが怒るのも無理はない」
「そうだよ……
カミュは、絶対に許さないんだから……」
「それでも、
某(それがし)は守らなければならないんだ。
彼女と、兄上との約束を」
それが、某(それがし)の選んだ道なのだから。
驚きを浮かべるカミュに、真直ぐなまなざしを返す。
伝える想いに偽りはない。
「裏切り者の誹(そし)りも免れぬだろう。
カミュからだけではない。
『ティティカルオゥル』の皆からもだ。
無論、覚悟はできている」
「トラ、ちゃん……?」
「カミュがそうと望むのなら、
某(それがし)は団を抜けよう。
必要とあらば、二度と見(まみ)えもしないと誓う」
「え?」
某(それがし)の本気を、カミュは正しく理解してくれたらしい。
慌てた挙動からは、先までの不機嫌一切が消えていた。
「あ、あの、ね、トラちゃん。
別に、そこまで……」
「足りなければ、この腹を捌いても構わない。
だから……お願いだ」
「な、なに?」
「過去を忘れてくれとは言えない。
だが、悲しい想いに捉われないで欲しい。
ハクビも……
彼女も、古き血と力を継いできた者なんだ」
「ぅ……」
ハクビの言葉を信じるのなら、彼女の一族はウィツァルネミテアの純血に連なるものだという。
大神(オンカミ)の真なる願い。
完全なる死を与える術を求め、千年の智を磨いてきたのだと。
大きな力を持ちながら、それを揮うこともない。
人の営みを顧(かえり)みず、神への奉仕だけに没頭した一族。
他からの信仰を失うのは、無理からぬことだったのだろう。
妬まれ、疎まれ、蔑まれ、ついには忘れさられたのだという。
それでも、ただ一つの誓いのために、彼女の一族は生きてきた。
世界のすべてから忘却され、誰に知られることもないまま、孤独の中で、ひっそりと。
千年の孤独を語りながら、眉一つ動かさなかったハクビの様に、某(それがし)はなぜか、小さな怒りを覚えていた。
秘められた想いは深すぎて、正直なところ理解しきれずにいる。
だが、カミュならばハクビの立場を理解できるのではないかと、勝手な期待を抱いていた。
オンカミヤリューの始祖の力を継ぐというカミュだから。
その悲しみを知るものだから。
少なからぬ打算もあった。
某(それがし)の告げた言葉は思いの通り、カミュに我らが姉の最期の笑みを思い出させたらしい。
「……そういうこと言うのは、
ずるいと思う」
唇をとがらせた恨めしげなまなざしは、ことのほか胸に鋭く刺さった。
「……すまない。
某(それがし)を嫌うのは構わない。
ハクビのことも、無理に好いてくれとは言わぬ。
だが、カミュには、その……」
「ん?」
「あー、うん、その、
綺麗なままでいてほしい、というか、
なんだ……」
言いながら、伝える言葉が微妙に違う意味を含んでいるようで、目を合わせているのが恥ずかしくなった。
顔が熱い。
意識しなければいいとはわかっていても、ほんのりと頬を染めたカミュは、言葉にする必要もなく美しかった。
「……いつものままでいてくれたほうが、嬉しい」
「……だーかーらー、
そういうのがずるいっ」
「のわっ?」
我ながら情けないが、よほど気を取られていたらしい。
嬉しそうに飛びついてきたカミュに反応できず、あえなく背をとられていた。
「こ、こら、しがみつくなっ。
背中に、胸がっ」
「団を抜けるなんて言わなくていいからさ、
カミュのお願いも聞いてくれる?」
「わ、わかったから、離れろっ」
余裕をなくした某(それがし)の声に、カミュは大人しく従った。
直前までの不機嫌など完全に忘れた、どこまでも楽しそうな笑みは、こちらの不安を否応もなく掻き立てる。
「ぬっふっふ~」
「そ、それで、なにをすればいいんだ?
菓子でも作るか?
それともなにか欲しいのか?」
「えー、そんなのつまんないー。
もっとこう、
とり返しのつかないようなことの方がいいなー」
「な、なにさせる気だ?」
「なんにしようかなー。
アルちゃんにも相談しないといけないなー」
「なぜっ?」
交わす言葉はどこまでも軽く、過ぎた日々を思い起こさせる。
羽のように軽やかな足取りこそ、この姫君には相応しい。
最後には悲鳴となった某(それがし)の言葉にも、カミュはただ楽しげに笑っていた。