うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「リネリォ殿。
酒の代わりと肴をお持ちしました」
「ああ、タイガか。
すまぬな」
日も暮れつくした夜空の下、リネリォ殿は城の中庭にある、花を散らした桜を眺めていた。
腕に、眠る赤子を抱きながら。
初めこそ泣きじゃくってばかりいた幼子だが、今ではすっかりリネリォ殿に懐(なつ)いていた。
安らかな寝顔を見ていると、少しだけ報われたような気持ちになれる。
あの理のなき戦いの中にも、多少は意味があったのだろう。
「それにしても、
怨石(オゥ・カゥン)と化していた赤子が
本当に蘇ったのですね。
最初は他の骸人(むくろびと)同様、
他者を喰らうだけの存在になるかと
危惧しましたが」
「ああ。
……ラクシャインの骸を食い漁っている様を見た時には、
その場で斬るべきかとも迷ったのだがな……」
そんなことを語りながらも、リネリォ殿の表情は穏やかだった。
小さな手に指を握らせ安堵を与えている様には、母性すら見える。
日中、ウルトリィ様が羨ましげな目を向けていたようにも感じたが、おそらく気のせいだろう。
放された手で幼子の頭を撫でると、リネリォ殿は置いていた盃を傾けた。
「ふむ、よい酒だ。
どうだタイガ、
お前も一献(いっこん)」
「い、いえ、
某(それがし)は下戸ですので……」
「ああ、そうだったな。
そういう奴に飲ませるのも
また一興というものだが」
語る口調はいつものままだが、その言い分は別の人物を思わせた。
盃に酒を足しながら、リネリォ殿は静かに語りを続ける。
「ようやく怨敵を討つことができた。
一族の皆にも胸を張れるというものだ。
真実をそのまま伝えるわけにはいかぬが、
少しは積年の恨みも晴れるだろう。
……なのに、なぜだろうな。
祝いのはずの酒が、
こうも味気ないのは」
細いまなざしが桜を見やる。
花を落とした大樹には青い葉が揺れていたが、リネリォ殿が見ているものはもっと別の何かなのだろう。
「一人で飲む酒とは、
こうも虚しいものだったかな……」
静かに盃を傾けるその様は、ティティカ姉と重なって見えた。
花を、月を、星を、雪を。
夜の闇の中に浮かぶものすべてを愛(め)でながら飲むことを、あの人も好んでいた。
脳裏を過ぎるのは日々の光景。
皆で囲む食事の座を、肩を並べて戦う場を、勝利を祝う宴の席を、死者を悼む式の中を、
世にあるすべてを、我らが姉上は愛しげに眺めていた……。
不意に、胸が締めつけられた。
心臓を内から破らんばかりの寂しさに、どうしようもなく目頭が熱くなる。
だが、残されたものは痛みばかりではない。
傷を癒す方法も、ティティカ姉は残してくれたではないか。
懐かしい笑顔を思い出せば、心にはぬくもりが蘇る。
「……やはり、
某(それがし)も一献(いっこん)
いただいてよろしいですか」
「ああ」
それが作法だとでもいうように、リネリォ殿の返事は楽しげだった。
座り、差し出した盃に、透明の酒が満たされる。
揺れる酒面に映るのは、若葉の緑と夜の闇。
そして、忘れえぬ笑顔。
心の痛みや、ぬくもりや、他すべての想いをこめた小さな盃を、某(それがし)は一息で飲み干した。