うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「人々が活力を取り戻したのはよいのですが、
下の町の混然たる様には
より拍車がかかっております。
よからぬ考えを抱く者が悪しき慣習を持ちこみ、
オンカミヤムカイに相応しからぬ行いを
横行させているとも。
やはり、入都の制限を
もう少し厳しくしなければなりますまい」
「いや、秩序の回復が先でしょう。
今のまま放置しておけば、
いずれは上の街にも悪習が及びましょう。
そのようなことになれば、
我らの調停者としての威厳も
地に落ちかねませんぞ」
「そうは言われますがな、堅護将(オルサナル)。
それを行う兵がおらぬでしょう。
落ちつきはじめたとはいえ、
世にはいまだ骸人(むくろびと)や
鬼人魔獣による被害が絶えておりません。
我らが法術士を用いなければ
かろうじての防衛もままならぬ有様なのでしょう?」
「そ、それは、
その通りですが……」
「例え今から入る者を制限しても、
すでに居る者を取り締まるのは難しいでしょう。
むしろ、戸籍の整備を優先させるべきです」
侃々諤々(かんかんがくがく)たる議の中で、ハクビの意見は一際の冷静により、場の関心を惹いていた。
合議の間に集まった高官の中にありながら、背筋を伸ばして座する姿に、臆する様子は欠片もない。
優れた政客然とした様は見ていても清々しく、某(それがし)は彼女の後ろに控えながら、少し誇らしげな気分を味わっていた。
「戸籍を、下の町にもですか?
しかしそれは、莫大な費用を要しますぞ?」
「返る利益を考えれば、微々たるものでしょう。
効果は人民の整理のみに留まりません。
税の徴収から所在の把握、
犯罪の抑止や捕縛の手段としても有効です」
「な、なるほど」
「国が発する復旧業務への参加に
戸籍の登録を義務とすれば、
労力もそれほど多くはならないでしょう。
条項を簡潔に整えれば
形式は早急に定まると思います」
「ふむ……」
「なかなか、悪くはないのでは?」
「我々には思いつかぬ着想ですな。
流石は大神(オンカミ)の血に連なる者と、
あ、いや……」
「現実的に可能かどうかは
吟味せねばなりませんな。
しかし……」
交わされる意見は賛否両論。
ハクビの言葉をきっかけに、議論はますます熱を高めていく。
佇(たたず)まいが過去の行いを感じさせないためか、あるいはその出自が故か。
ハクビは、オンカミヤムカイの長老連や高僧の方々に、思いのほか好意的に受け入れられていた。
はじめは出頭を命じられていたものが、いつの間にか政(まつりごと)への意見を求められる立場になっている。
歴史を裏から見つめてきたという知識や手腕は、確かに効率のよいものであるようだ。
特にムント殿はお気に召したようで、事実上の後見役すら務めて下さっている。
「一考の余地はありますな。
戸籍が確立されれば、
新たに流れ来る民に対しても、
より的確な対応も取れるでしょうし。
いかがですかな、賢大僧正(オルヤンクル)」
「え、ええ。
そうですね……」
そんな熱の入った議の場の中でただ一人、ウルトリィ様だけは一連のやりとりに、表情をわずかながら曇らせていた。
決して不快というわけではない。
その不安げなまなざしは、むしろハクビを案じているように見える。
「ハクビさん。
その後、お加減はいかがですか?」
「はい。
特に問題はありません。
タイガさんにもよくして頂いておりますし、
『ティティカルオゥル』の皆様からも、特には」
「そう、ですか……」
ハクビの返す言葉に澱みはない。
いや、静かにすぎる返事からは、感情自体が感じられなかった。
ウルトリィ様の表情がさらに翳る。
いまだ起伏の感じられぬハクビの心を憂いているのだろう。
世の様を目にでもすれば少しは違ってくるのかも知れぬのだが、存在自体を秘しているハクビは、城から出ることを禁じられている。
当人もその立場に納得していた。
「ハクビ様も、ここでの生活が気に入られたご様子。
いかがでしょう賢大僧正(オルヤンクル)。
このままオンカミヤムカイのため、
ひいては世のために尽力していただき、
過去の過ちを償っていただくというのは」
ムント殿の言葉は、裏表のない素直な気持ちの表れなのだろう。
過去を清算するだけならば、それは確かに最良の道なのかもしれない。
このまま生涯封じられたとしても、ハクビは文句の一つも言いはしないはずだ。
だがそれでは、罪の贖(あがな)いにはならないのではなかろうか。
同じ想いを、ウルトリィ様も抱いたらしい。
「いえ。
彼女にはもっと必要な罰があります。
タイガ様」
「はい」
「『ティティカルオゥル』の皆さんにお願い致します。
ハクビさんを、
トゥスクルへお送りしてください」
その決断は潔く、厳しく、そして、慈しみに満ちたものだった。