うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
オンカミヤムカイとトゥスクルを結ぶ街道には、初夏の日差しに相応しい穏やかさが満ちていた。
行きかう人々の表情に、かつての剣呑は見受けられない。
すれ違う際などには、気さくな笑みを交しあうような旅路が続いていた。
それは、世の平安を映す鏡のようであり、温かな日和は自然と心を和(なご)やかにもしてくれた。
馬車の内は、まったく逆の心地であったが。
某(それがし)は、ウォプタル二頭の手綱を握り、鋭い視線に背を刺され続けたまま、御者台の隣にいるハクビと言葉を交わしていた。
「皆、穏やかな顔をしていますね」
「あ、ああ。
それだけ騒乱の影が引いたということだろう。
誰もが平穏を望んでいるんだ」
「不思議なものですね。
争いは、その彼等の内から生まれるというのに」
感心にも似たまなざしを道へと向けているハクビは、針の筵(むしろ)めいた雰囲気に気がついていない。
当然といえば当然か。
アルルゥたちの冷たい目は、某(それがし)にばかり向けられているのだから。
しかし、理由が今一わからない。
ハクビが白眼視されるのでは、と気を揉んではいたのだが、なぜ某(それがし)に矛先が向くのだろう。
確かにここ数日は彼女の監視、というか、護衛に従事していたが。
「世が平安になると
婚礼や祝儀が増えるのでしょうか」
「なんだ、急に?」
「いえ、先程すれ違った行商の方が、
私をタイガ様の奥方と間違われていましたので」
「うん、まあ、そういう事もあるのだろうな。
めでたい事は重なるというし」
適当な答えを返した途端、ますます背が痛くなった。
近づいた気配は躊躇いもなく実力の行使に及ぶ。
「痛っ。
な、なんだアルルゥ、脇をつねるなっ。
カミュも、ひっかくんじゃないっ」
「……うー」
「……むー」
某(それがし)の叱声を聞きながら、二人はますます指に力をこめてくる。
手綱を握る身としては、甘んじて耐えるより他にない。
情けない日常の光景に、ハクビは小さく首を傾げていた。
「なにをなさっておられるのですか?」
「なにって……」
「べつに……」
半眼にバツの悪そうな色を滲(にじ)ませるアルルゥとカミュに、ハクビは含みのない声で問いかける。
「タイガ様は痛がっています。
なぜそのような事を?」
「それは……」
「えーっと、ねえ……」
あまりにもまっすぐな言い分に、二人の手が止まった。
介入すると話がこじれそうなので黙っていたが、非の打ち所がない正論を心の中で援護する。
と、右から頬を引かれた。
「にゃ、きゃリン?」
万力じみた力を行使しながら、ギリヤギナの少女は得意げに語る。
「わかっていませんわね。
これは、好意の裏返し、というやつですわ」
「好意の、裏返し?」
頬引く力を強めながら、カリンはわけの分からぬことを語りだした。
いつものように自信に満ちた態度と表情を崩さないから、タチが悪い。
「ええ。
嫌よ嫌よも好きのうち、というでしょう」
「それはなにか違っ」
つぶやこうとした言葉は、形を成す前に潰された。
グイ、と引かれた右からの力と、再び走った両脇からの痛みによって。
「そうそう。
好意だよ、好意。
犬とか猫とか撫でたりするのと同じ」
「も、武士(もののふ)を畜生と一緒にする、
なっ?」
「トラ、こういうのもすき」
「そうなのですか?」
「違う!」
全力で否定したが、ハクビは首の傾(かし)げる向きを逆にしただけだった。
説得しようと左を向くも、すぐに右へと引き戻される。
恐るべきはギリヤギナの膂力か。
千切られそうな頬の痛みに、従わざるをえない。
「あなたもやります?」
「え?
でも、よいのでしょうか」
「いいわけ、
がぁぁっ」
「トラもいいって言ってる」
「お、おまえら……」
「ほらほらトラちゃん、
ちゃんと前見てないと危ないよ」
好き勝手なことをほざきながら、四人は某(それがし)を囲んでいた。
逃げ場のない御者台の上、その挙動はやけに息のあったもので、
「では……」
「っ!
みぎゃあああああ!」
ハクビは右に負けない力をもって某(それがし)の左頬をつねり上げ、情けない悲鳴を搾りとったのだった。