うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
湯気を揺らしていた上等な茶は、流れる時にすっかり冷やされてしまった。
出した茶菓子もまったく手がつけられていない。
心を和(なご)ませるはずの持てなしも、こうなってしまうと逆に寒々しいだけだ。
場を満たす空気は陰鬱で、呼吸のたびに胸の内が重くなっていく。
座を辞したい衝動を覚えたが、だからと逃げだすわけにもいかない。
座り向きあうアルルゥとハクビを見守ったまま、某(それがし)はただ固まっていた。
ベナウィ殿との謁見以来、ハクビは与えられた自室に引きこもっていた。
それだけの衝撃があったのだろう。
食事にも手をつけず、近づこうとするクーヤをも遠ざけて、一人物思いに耽(ふけ)っていた。
今まで見せたことのない悲痛に暮れた面持ちは、もう人形のようだなどとは云えなかった。
気を揉んだのは某(それがし)だけではない。
ごねるクーヤをなだめるのは一苦労であったし、カミュやカリンも気のないふりをしながら部屋の近くをうろついていた。
時にはアルルゥも一緒にだ。
そして出てきたのが数刻前。
ハクビが張りつめた表情で某(それがし)に願い出たのが、この対面だったという次第である。
アルルゥのまなざしは、いまだ険悪の色を失っていない。
刃を思わせる目の色を前に、ハクビは顔を上げることすら出来ずにいた。
茶から湯気が消えた後も、傾いた日が茜色を広げても、俯(うつむ)いた姿勢は変わらぬまま。
それでも、長い沈黙の間、アルルゥはじっとハクビを見つめ続けていた。
一言も語らず、ただじっと。
刃のまなざしは、使い慣れないものの心も傷つける。
挑みながら、耐えながら、アルルゥは怒りと憎しみを燃やし続けた。
罵倒よりも無言こそが罰になると、正しく理解しているからだ。
例え自分が傷つくとわかっていても、決して収めはしないだろう。
それは残酷で、気高く、厳しくも慈(いつく)しみに満ちた覚悟だった。
見えざる血と涙を流しながら断罪する姿を前にして、止めることなどできるわけがない。
エヴェンクルガの端くれとして、某(それがし)は歯を喰いしばり、ただ耐えた。
せめて、その痛みを分かち合いたかったから。
アルルゥの想いを汲み、斬られ、ようやく覚悟を決めたのだろう。
互いの苦痛を和(やわ)らげんと、ハクビは長き沈黙を打ち破った。
「……ごめんなさい」
内に秘め続けていた痛みを、余すことなく吐き出すことで。
「私はこれまで一族の使命のため、
そのためだけに生きてきました。
他のことなど省みず、
他の者など目にもかけず、
お父様の願いを叶えるためだけに……。
私はただ、お父様を永遠の苦悩から
救って差し上げたかった。
それが正しいことだと、信じていたからです。
でも……」
振り返る想いは淑(しと)やかに。
澱みのなかった静かな声は、次第に重く霞んでいく。
「……私は、
間違っていたのですね」
「……ん。
おとーさん、そんなことして欲しいなんて言わない。
アルルゥたちが悲しむようなこと、
ぜったいしない」
「はい。
お父様の、ハクオロ様の生きてきた道を知り、
ようやくそれがわかりました。
もう手遅れだというのに、
今更ですね……」
街を、城を、人を、心を。
彼の所業を目にして、触れて、想いのほどを深めたのだろう。
語られる言葉には、切ない痛みが込もっていた。
胸を抉(えぐ)られるような声は、聞いているだけで辛くなる。
ハクビは懸命に涙を堪えながら、辛うじての冷静をとり戻していた。
「……ムックルさんに対する所業は、
すべてが私の責任です。
謝って済むとも、
許していただけるとも考えてはおりません。
可能であるならば、
私の命を代わりとしてでも――」
「ダメ」
だが、すがるような必死の想いを、アルルゥは真っ向から斬り捨てた。
「命は、そんなふうに扱っちゃダメ。
ティティカおねーちゃんが、いってた」
「あぁ……
そう、ですね。
その通りです……」
反省の声はより静かに。
消沈する意気は果てしない深さまで。
目に空ろを宿したまま、ハクビの意識はどこまでも堕ちていく。
「……私は、
どうすればよいのでしょう?
この罪を、許されぬ罪を背負ったまま、
それでも生きていなければなりませんか……?」
対するアルルゥに容赦はない。
「……ん。
死んじゃダメ」
「苦しみの中を生きろ、と」
「生きることは苦しいこと。
みんなおんなじ。
アルルゥも、トラも、ハクビも、
みんな辛いし、苦しいし、悲しい」
語る言葉にはアルルゥの、生きてきた想いがこめられていた。
誇張も偽りの欠片もない、心からの想いだ。
「でも、楽しいこともいっぱいある。
嬉しいことも、びっくりすることも、
あったかいことも、いっぱい」
それは生の醜さも、美しさをも等しく抱いた、アルルゥの生き方そのもので。
「アルルゥはムックルのことわすれない。
ハクビのこと、ぜったい許せない」
「はい……」
「……でも、
それも、きっと同じ」
最後には、いつもの彼女に戻っていた。
口数少なく、無愛想で、非情狡猾でありながら、優しく素直なアルルゥに。
「辛くても、苦しくても、悲しくても、
生きていかなきゃダメ。
嬉しいことも楽しいこともぜんぶ」
「アルルゥ、さん……」
「……アルルゥもがんばるから、
ハクビもがんばる」
「……はい、
はぃ……」
涙するハクビを前に、アルルゥは小さな笑みを浮かべていた。
顔のこわばりは残したままであったが、それでも偽りのない笑みだ。
まったく、某(それがし)の出る幕などまるでない。
出来ることといえば、せいぜいが場をとりなす用意だけ。
後は、少し気を利かせることぐらいか。
「さて、茶を淹れ直そうか。
アルルゥ」
「ん?」
「お茶請けは、蜂の巣でいいか?」
「……ん」
某(それがし)の提案に、アルルゥは久しぶりの穏やかさを戻していた。