うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
蒼い蒼い夜空の下、城の裏に置かれた森の中。
聞こえてくるのは虫の声と、遠くに流れる川のせせらぎ。
他には熱のない微風(そよかぜ)と、揺れる梢の囁(ささや)きだけ。
人の声は聞こえてこない。
営みも、ざわめきも、自然に囲まれたこの場所では、遠く離れたものでしかない。
世界から隔絶された闇に抱かれ、ガチャタラの温もりだけを腕の中に感じながら、アルルゥはじっと上を見上げていた。
空に浮かぶ白い月を、ただじっと見つめていた。
「おとーさん……」
丸く、悠然と構えるその様に、アルルゥは父の面影を思いだす。
姿を、声を、まなざしを。
そして、もはや返らぬ遠き日々を。
温もりを思いだすほどに、今の寒さが身に沁みる。
アルルゥは、ガチャタラを抱く腕の力を強めた。
自然と、己の半身たる存在を求めてしまう。
「……おねーちゃん」
「なに、アルルゥ?」
聞こえてきたのは、望んだ声。
背後に感じる、懐かしい匂い。
ありえないはずのその気配に、思わず振り返る。
「おねー……ちゃん?」
そこに、求めた者が立っていた。
最愛の姉エルルゥが、白き鬼面に顔を覆った姿で。
「元気だった?
大きくなったね。
もう、お姉ちゃんと変わらないな」
声も、仕草も、まなざしも、確かによく知る姉のもの。
母のような優しさが、ひだまりのような温もりが、手を伸ばせば届く距離にある。
こみあげてくる懐かしさに、その胸に跳びこみたい衝動に駆られ、
しかし、アルルゥは踏みとどまった。
ここに至るまでの道程と、自身を支えている存在(モノ)の遺志が、幼かった自分を止めさせた。
「……ちがう、
おねーちゃんじゃ、ない」
「どうしたの?
わたしはエルルゥよ。
アルルゥの、たった一人のお姉ちゃんじゃない」
アルルゥが不審を露(あらわ)にしても、エルルゥは笑みを崩さなかった。
鬼面ごしでありながらもその表情は柔らかく、湛(たた)えた温もりは昔のまま、変わらぬ優しさでそこに居る。
「アルルゥも、
ハクオロさんに会いたいでしょう?
一緒に来て欲しいの。
ね?」
「……ちがう」
それでも、アルルゥは気づいていた。
あの日、共に父を見送った姉とは違う、
どうしても違う、その心に。
「ちがう、ちがうっ。
おねーちゃんじゃないっ」
「アルルゥ?」
「あんなの、おとーさんじゃないっ。
みんなに迷惑かけて、
ひどいこといっぱいして、
そんなこと、おとーさんしないっ。
おねーちゃんだって……
おまえなんか、おねーちゃんじゃないっ」
「アルルゥ……」
「おねーちゃん、しっかりする。
その顔にヘンにされてるだけ。
だから……」
「ううん、そんなことないわ。
わたしはわたしよ、アルルゥ」
感情のまま激昂するアルルゥに、エルルゥは優しくほほ笑んだ。
顔を覆う白い鬼面が、添えられた手によって、ゆっくりと剥がれていく。
現れたのはよく知る姉の顔。
少し頼りなさそうな表情も、憂いを含んだ黒い瞳も、痛みを知る小さな心も、なにも変わってはいない。
父を見送ったあの時と、まったく同じ姿だ。
「え……」
認めざるを得なかった。
今までの、そしてこの場にいる姉の想いが、彼女自身の決断なのだと。
「お、ねー、ちゃん……」
鉄の塊で殴られたような衝撃に、知らず一歩を踏み出していた。
「来て、アルルゥ」
懐かしい声に誘われるがまま、さらに一歩。
また一歩。
「一緒に、ハクオロさんを救いましょう」
差しだされた手の温もりと、優しい笑みに触れた瞬間、
――アルルゥの意識は、闇に堕ちた。