うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
圧しかかりくる緑の重圧。
体中に絡みついてくる、満ち満ちた生の気配。
不規則に隆起した古木の根は硬い大地を波打たせ、連なる太すぎる幹の群れは向かうべき先を覆い隠している。
雰囲気自体はカルラゥアトゥレイの深き森に酷似していたが、感じる拒絶の意思は比べものにならない。
祈りを忘れた報いなのだろうが、今ばかりは止むを得ない。
某(それがし)は『ティティカルオゥル』の皆と共に、ひたすらカカエラユラの森を駆けていた。
「ええい、クソ、
ウマ(ウォプタル)が怯えて……
本当にここにいるんだろうな、
アルルゥ殿はっ」
「間違いないよ。みんないる。
アルちゃんも、エルルゥ姉様も」
「……お父様、
大神(オンカミ)様も、おられます。
確かに、この先に」
テルテォの問いに答えるカミュとハクビからは、強い確信が感じられた。
各々がもつ特別ななにかが、それを報せているのだろう。
いや、そんなものなどない某(それがし)でも、確かに信じられた。
重ねてきた想いのすべてが頭の中で囁き続けていた。
アルルゥが、この先で泣いている。
すべてを振り切るように走る。
緑の重さも、生の戒(いまし)めも、木々の妨げすら気にならなかった。
今はただ、目的に向かってひたすらに足を動かすだけ。
邪魔などさせない。
遮るモノがあるのなら、すべて斬り砕くのみだ。
単純な意思はそれゆえ強く、森の呪縛も受けつけず。
某(それがし)はほどなく目的の場に、カカエラユラの森の最奥に辿りついた。
そこには、絶壁と見紛うほどの大樹があった。
森の王と呼ぶに相応しい、空を埋め尽くす巨大な古木だ。
その前に、力なくたたずむ白き大神(オンカミ)の姿があった。
白面を備えたエルルゥ殿と共に、巨岩の祭壇を見下ろしている。
そこに横たわるアルルゥを。
「アルルゥ!」
思わず、我を忘れ叫んでいた。
短い谺(こだま)をともなった響きは、当然、場の主にも届く。
振り返ったエルルゥ殿は、仮面越しにもわかるほどに動揺していた。
「あなたは……
どうして、ここが?」
「エルルゥ姉様っ」
足を止めた某(それがし)の隣に、カミュが降り立つ。
次いでテルテォ、リネリォ殿と、『ティティカルオゥル』の面々が。
増えていく敵意を前に、エルルゥ殿は冷静をとり戻していた。
改められた態度には、絶対の余裕が見てとれる。
当然だろう。
彼女の背に控える存在に、抗(あらが)える者などなにもないのだから。
「そう、カミュちゃんがなにかしたのね。
それとも、ハクビさんが?」
「私はなにもしていません。
すべてはタイガさんたちが求めたことです。
それよりも」
冷たい呼びかけに応えたハクビが、より鋭い問いを突き返す。
「アルルゥさんを、
どうなさるおつもりですか」
「え?」
示した驚きは、ほんの一瞬。
わずかに首を傾(かし)げた後、エルルゥ殿は心底嬉しそうな、満面の笑みを浮かべていた。
「もちろん、ハクオロさんを起こしてもらうんです。
どうしたんですか、ハクビさん。
あなたが教えてくれたことじゃないですか」
そのあまりに無邪気な様に、思わず言葉を失っていた。
糾(ただ)すべき問いも忘れ、ただ息を飲むばかり。
エルルゥ殿は笑みのまま、鉄扇を開き、横に薙いだ。
「邪魔はさせません。
たとえ、相手が誰であろうとも」
生まれた風は渦を巻き、瞬時に力を広げていた。
うねる大地が光を放ち、ねじれた木の根が割れ爆ぜる。
噴き上がる樹液の色は、赤。
腐った鉄のような匂いは、もはや嗅ぎ慣れた地獄(ディネボクシリ)の断片か。
地より生まれた赤黒い肉塊は、臓物のヌメりを滴(したた)らせながら、瞬く間に見渡す限りを埋め尽くした。
「くっ」
「ええい、またこいつらか」
「めんどうですわねぇ」
一つ一つは脆くとも、肉の壁は分厚く、深い。
まともに切り結んでいては、大樹に近づくことなど永劫に叶わないだろう。
「彼らの力は森の力そのもの。
あなたたちに抗(あらが)いきれるものではありませんよ。
邪魔さえしなければ、命までは奪いません。
事が成るまで、静かにしていてくれれば――」
「そうは、いかない」
某(それがし)はエルルゥ殿の言葉を斬るように、自然と剣を抜いていた。
腰の愛刀ではなく、背に負っていた黒い剣を。
握れば血を吸われる様な感覚も、今はまるで気にならない。
ただアルルゥへの道を拓く為、そのためだけに刃を振る。
風を斬る一刀はかつてない威力をもち、肉塊の海を断ち割っていた。
「ぬおっ?」「こ、この力は――」
驚きの声を後に置き、某(それがし)はすでに駆けていた。
自ら拓いた道の通ずる先、大神(オンカミ)の前に立つエルルゥ殿へと迫る。
「っ、その剣は……」
驚きは某(それがし)ではなく、握る剣にこそ向けられていた。
神をも殺す黒き剣、エヴェンクルガの宝剣『冥獄』に。
その一瞬の隙に肉薄する。
刃を返した峰の一撃は、翻された鉄扇に受け止められた。
交わり飛び散る力の飛沫。
火花にも似たその塵は、神々しい光と禍々しい闇。
エルルゥ殿の揮った力に抗(あらが)いきれず、某(それがし)は後ろに跳ね飛ばされた。
だが、それも予想の内。
返された力に逆らわず、一度転じて着地を果たす。
掲げて見せるは、死の刃。
涼しげだったエルルゥ殿の表情が、恐れと慄(おのの)きに歪んでいた。
「……わかっているんですか?
その剣の力を揮えば、
あなたもリュウガさんと同じように」
「無論、覚悟の上のこと」
応える声に迷いはなかった。
ムックルの命を喰らい、兄上の命を散らした忌まわしき剣を、強く握る。
必要とあらばこの命、いくらでも喰わせてやろう。
「今の貴女に、
アルルゥを渡すわけにはいかない」
彼女との誓いを守るためならば。
必死の覚悟は剣気となって、踏みしめる大地に伝わり広がる。
恐れを知らぬはずの赤き肉塊たちが、某(それがし)の周囲で怯えるように震えた。
切り拓いた道が塞がることはない。
「そう……
わたしたちの幸せを、
壊そうというんですね……」
邪魔の入らぬ対峙の中で、エルルゥ殿がつぶやいていた。
広げて振るう鉄扇に再びの光が宿り、某(それがし)の眼前には今一度の輝きが浮かぶ。
地を割り噴き上がる鮮血は、先より高く、濃密に。
「邪魔をするなら容赦はしません。
あなたの求める剣にかかって、死になさい」
その裂け目から、肉塊が迸(ほとばし)った。
刃を構える某(それがし)の前で、しかし、それは襲ってはこない。
広がろうとした肉の群れは、現れた場所で収束していった。
肉の筋を練るように、血をその内に蓄えて。
生まれゆく形は、人のそれ。
全身を鮮血に染め抜いた、引き締まった武人の体躯。
さらに形作られていくのは頭。
細い顎に厳(いか)つい目は、鳥の羽めいた耳と長い髪に整えられていく。
それは正に某(それがし)のよく知る、そして目指す、高みの剣。
「リュ、リュウガ兄……?」
「ヴ、グ、オオオォ……!」
放つ剣気もそのままに、いや、むしろ鬼気を増して、
リュウガ兄の形を得たモノは、某(それがし)の前に立ち塞がった。
「こ、これは……?」
「それは生前の完全なる複製。
あなたでは決して勝てませんよ。
他の皆さんには――」
エルルゥ殿はさらに舞う。
広げた鉄扇が後ろに振られると、応じるように地が揺れた。
頭(こうべ)を上げた大神(オンカミ)の、その踏み足に耐えかねて。
血をも凌ぐ赤い瞳が、地に並ぶ自らに逆らう者たちを、遥かな高みから睨み落とす。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「む、ぐ……」
「この、圧力が、大神(オンカミ)の……」
「ウィ、ウィツァルネミテア……
あ、ああ、お許し下さい。
僕は、僕は――」
「おじ様……」
「お父様……」
轟く大神(オンカミ)の雄叫びの前に、『ティティカルオゥル』の声は響かない。
動きをとり戻した赤い血肉の群れに囲まれた世界で、聞こえてくるのはただ一人の声だけ。
「ふふ、ふフフ、
アハハはははははははは!
あなたたちが悪いんですよ。
わたしの邪魔をするから!
さあ、ハクオロさん。
わたしたちを守ってくださいっ」
狂気を孕んだ叫びに応じ、白き大神(オンカミ)は動きだした。