うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第六幕・17~ 夢路・到達

 

 圧しかかりくる緑の重圧。

 体中に絡みついてくる、満ち満ちた生の気配。

 不規則に隆起した古木の根は硬い大地を波打たせ、連なる太すぎる幹の群れは向かうべき先を覆い隠している。

 雰囲気自体はカルラゥアトゥレイの深き森に酷似していたが、感じる拒絶の意思は比べものにならない。

 祈りを忘れた報いなのだろうが、今ばかりは止むを得ない。

 某(それがし)は『ティティカルオゥル』の皆と共に、ひたすらカカエラユラの森を駆けていた。        

「ええい、クソ、

 ウマ(ウォプタル)が怯えて……

 本当にここにいるんだろうな、

 アルルゥ殿はっ」

「間違いないよ。みんないる。

 アルちゃんも、エルルゥ姉様も」

「……お父様、

 大神(オンカミ)様も、おられます。

 確かに、この先に」

 テルテォの問いに答えるカミュとハクビからは、強い確信が感じられた。

 各々がもつ特別ななにかが、それを報せているのだろう。

 いや、そんなものなどない某(それがし)でも、確かに信じられた。

 重ねてきた想いのすべてが頭の中で囁き続けていた。

 

 アルルゥが、この先で泣いている。

 

 すべてを振り切るように走る。

 緑の重さも、生の戒(いまし)めも、木々の妨げすら気にならなかった。

 今はただ、目的に向かってひたすらに足を動かすだけ。

 邪魔などさせない。

 遮るモノがあるのなら、すべて斬り砕くのみだ。

 単純な意思はそれゆえ強く、森の呪縛も受けつけず。

 某(それがし)はほどなく目的の場に、カカエラユラの森の最奥に辿りついた。

 

 そこには、絶壁と見紛うほどの大樹があった。

 森の王と呼ぶに相応しい、空を埋め尽くす巨大な古木だ。

 その前に、力なくたたずむ白き大神(オンカミ)の姿があった。

 白面を備えたエルルゥ殿と共に、巨岩の祭壇を見下ろしている。

 

 そこに横たわるアルルゥを。

 

「アルルゥ!」

 思わず、我を忘れ叫んでいた。

 短い谺(こだま)をともなった響きは、当然、場の主にも届く。

 振り返ったエルルゥ殿は、仮面越しにもわかるほどに動揺していた。

「あなたは……

 どうして、ここが?」

「エルルゥ姉様っ」

 足を止めた某(それがし)の隣に、カミュが降り立つ。

 次いでテルテォ、リネリォ殿と、『ティティカルオゥル』の面々が。

 増えていく敵意を前に、エルルゥ殿は冷静をとり戻していた。

 改められた態度には、絶対の余裕が見てとれる。

 当然だろう。

 彼女の背に控える存在に、抗(あらが)える者などなにもないのだから。

「そう、カミュちゃんがなにかしたのね。

 それとも、ハクビさんが?」

「私はなにもしていません。

 すべてはタイガさんたちが求めたことです。

 それよりも」

 冷たい呼びかけに応えたハクビが、より鋭い問いを突き返す。

「アルルゥさんを、

 どうなさるおつもりですか」

「え?」

 示した驚きは、ほんの一瞬。

 わずかに首を傾(かし)げた後、エルルゥ殿は心底嬉しそうな、満面の笑みを浮かべていた。

「もちろん、ハクオロさんを起こしてもらうんです。

 どうしたんですか、ハクビさん。

 あなたが教えてくれたことじゃないですか」

 そのあまりに無邪気な様に、思わず言葉を失っていた。

 糾(ただ)すべき問いも忘れ、ただ息を飲むばかり。

 エルルゥ殿は笑みのまま、鉄扇を開き、横に薙いだ。

「邪魔はさせません。

 たとえ、相手が誰であろうとも」

 

 生まれた風は渦を巻き、瞬時に力を広げていた。

 うねる大地が光を放ち、ねじれた木の根が割れ爆ぜる。

 噴き上がる樹液の色は、赤。

 腐った鉄のような匂いは、もはや嗅ぎ慣れた地獄(ディネボクシリ)の断片か。

 地より生まれた赤黒い肉塊は、臓物のヌメりを滴(したた)らせながら、瞬く間に見渡す限りを埋め尽くした。

 

「くっ」

「ええい、またこいつらか」

「めんどうですわねぇ」

 一つ一つは脆くとも、肉の壁は分厚く、深い。

 まともに切り結んでいては、大樹に近づくことなど永劫に叶わないだろう。

「彼らの力は森の力そのもの。

 あなたたちに抗(あらが)いきれるものではありませんよ。

 邪魔さえしなければ、命までは奪いません。

 事が成るまで、静かにしていてくれれば――」

「そうは、いかない」

 某(それがし)はエルルゥ殿の言葉を斬るように、自然と剣を抜いていた。

 腰の愛刀ではなく、背に負っていた黒い剣を。

 握れば血を吸われる様な感覚も、今はまるで気にならない。

 ただアルルゥへの道を拓く為、そのためだけに刃を振る。

 

 風を斬る一刀はかつてない威力をもち、肉塊の海を断ち割っていた。

 

「ぬおっ?」「こ、この力は――」

 驚きの声を後に置き、某(それがし)はすでに駆けていた。

 自ら拓いた道の通ずる先、大神(オンカミ)の前に立つエルルゥ殿へと迫る。

「っ、その剣は……」

 驚きは某(それがし)ではなく、握る剣にこそ向けられていた。

 神をも殺す黒き剣、エヴェンクルガの宝剣『冥獄』に。

 その一瞬の隙に肉薄する。

 刃を返した峰の一撃は、翻された鉄扇に受け止められた。

 交わり飛び散る力の飛沫。

 火花にも似たその塵は、神々しい光と禍々しい闇。

 エルルゥ殿の揮った力に抗(あらが)いきれず、某(それがし)は後ろに跳ね飛ばされた。

 だが、それも予想の内。

 返された力に逆らわず、一度転じて着地を果たす。

 掲げて見せるは、死の刃。

 涼しげだったエルルゥ殿の表情が、恐れと慄(おのの)きに歪んでいた。

「……わかっているんですか?

 その剣の力を揮えば、

 あなたもリュウガさんと同じように」

「無論、覚悟の上のこと」

 応える声に迷いはなかった。

 ムックルの命を喰らい、兄上の命を散らした忌まわしき剣を、強く握る。

 必要とあらばこの命、いくらでも喰わせてやろう。

「今の貴女に、

 アルルゥを渡すわけにはいかない」

 彼女との誓いを守るためならば。

 必死の覚悟は剣気となって、踏みしめる大地に伝わり広がる。

 恐れを知らぬはずの赤き肉塊たちが、某(それがし)の周囲で怯えるように震えた。

 切り拓いた道が塞がることはない。

「そう……

 わたしたちの幸せを、

 壊そうというんですね……」

 邪魔の入らぬ対峙の中で、エルルゥ殿がつぶやいていた。

 広げて振るう鉄扇に再びの光が宿り、某(それがし)の眼前には今一度の輝きが浮かぶ。

 地を割り噴き上がる鮮血は、先より高く、濃密に。

「邪魔をするなら容赦はしません。

 あなたの求める剣にかかって、死になさい」

 その裂け目から、肉塊が迸(ほとばし)った。

 刃を構える某(それがし)の前で、しかし、それは襲ってはこない。

 

 広がろうとした肉の群れは、現れた場所で収束していった。

 肉の筋を練るように、血をその内に蓄えて。

 生まれゆく形は、人のそれ。

 全身を鮮血に染め抜いた、引き締まった武人の体躯。

 さらに形作られていくのは頭。

 細い顎に厳(いか)つい目は、鳥の羽めいた耳と長い髪に整えられていく。

 それは正に某(それがし)のよく知る、そして目指す、高みの剣。

 

「リュ、リュウガ兄……?」

「ヴ、グ、オオオォ……!」

 放つ剣気もそのままに、いや、むしろ鬼気を増して、

 リュウガ兄の形を得たモノは、某(それがし)の前に立ち塞がった。

「こ、これは……?」

「それは生前の完全なる複製。

 あなたでは決して勝てませんよ。

 他の皆さんには――」

 エルルゥ殿はさらに舞う。

 広げた鉄扇が後ろに振られると、応じるように地が揺れた。

 

 頭(こうべ)を上げた大神(オンカミ)の、その踏み足に耐えかねて。

 

 血をも凌ぐ赤い瞳が、地に並ぶ自らに逆らう者たちを、遥かな高みから睨み落とす。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「む、ぐ……」

「この、圧力が、大神(オンカミ)の……」

「ウィ、ウィツァルネミテア……

 あ、ああ、お許し下さい。

 僕は、僕は――」

「おじ様……」

「お父様……」

 轟く大神(オンカミ)の雄叫びの前に、『ティティカルオゥル』の声は響かない。

 動きをとり戻した赤い血肉の群れに囲まれた世界で、聞こえてくるのはただ一人の声だけ。

「ふふ、ふフフ、

 アハハはははははははは!

 あなたたちが悪いんですよ。

 わたしの邪魔をするから!

 さあ、ハクオロさん。

 わたしたちを守ってくださいっ」

 狂気を孕んだ叫びに応じ、白き大神(オンカミ)は動きだした。

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