うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第六幕・18~ 夢路・三戦

 

 腐肉を練り固めた刃が、構えられた『冥獄』を打ち弾く。

「グアアアア!」

「ッ、ク……!」

 それは一度のみならず、断ち砕くように、二度、三度。

 万雷にも似た連撃は、荒々しくも正確に。

 殺意で捉えた獲物に対し、退くことすら許さない。

 周囲の肉塊を余波だけで砕きながら、『リュウガ』は構わず刃を振るう。

 ただ、自らの弟を喰らわんと。

「兄、上……っ」

 黒き刀身の慣れない重さに振り回されそうになりながらも、タイガはその猛攻を凌ぎ続けていた。

 一合ごとに筋を千切り、骨を盛大に軋ませ、

 鍔根で受ける必殺の意思を、黒い刃で滑らせ、流す。

 血に濡れた、怨嗟を浮かべた兄の顔を前に、

 動揺より先に怒りと無念を練り上げて。

「兄上ぇぇぇ!」

「グオアアアア!」

 撃ち放った一刀は、万雷にすら負けぬ威をもって、『リュウガ』の身を一歩退かせた。

 

 

 戦いの場は、今ひとつ。

 虚ろな神の怒りが、咆哮となって敵を襲う。

「ウオオオオオオオオオオオ!!」

「っクゥ!」「どごわっ?」「ひいいっ」

 振り薙がれた甲殻の腕に、蠢き連なっていた血肉の群れもろとも、大地が抉(えぐ)り飛ばされた。

 樹齢にして千を越えるであろう大樹すら、その威に難も無く打ち砕かれる。

 山と見紛(みまご)う大神(オンカミ)にとってはささやかな行為なのだろうが、地に這う者たちにとっては、天の災いにも匹敵する所業(しょぎょう)だ。

 逃げ、避け、躱すのが精一杯で、とても対処を考えている余裕はない。

『ティティカルオゥル』の面々は広く散り、我が身に振りかかる猛威を、辛うじて捌(さば)くことしか出来ずにいた。

「ぬおああああぁ!?」

「テルテォさんっ」

「だ、大丈夫ですか、ハイ」

「お、おおう……」

「大丈夫に、きまってます、わっ!」

 だが、くり返し揮われる天からの怒りに対しても、諦めの念は生まれない。

 振り落とされた甲殻の腕が撒き散らす土砂に打たれながら、それでもカリンは身の丈を越える剛剣を振るう。

 幼くもギリヤギナの渾身(こんしん)で打ちこまれた鉄塊は、大神(オンカミ)の上腕にささやかな傷を刻んでいた。

「おおっ」「やった……」

「大神(オンカミ)だかなんだか知りませんけど、

 形があるのなら壊せない道理はありませんわ。

 大きいだけが自慢では

 ギリヤギナの女を満足させることなんて――」

「グォオオオオオオオオオオ!!」

「カリン!」

「っ?」

 全力が生んだ一瞬の隙に、怒れる神は次の一撃を放つ。

 無造作に振り上げられた脚は、唸りを上げてカリンに迫った。

 その機、避ける躱すの動きはおろか、防ぐ間すら与えぬ刹那。

 交錯の寸前、カリンは飛びこみ駆け抜けたリネリォに抱えられ、その場から辛うじて脱していた。

 粉砕される轟音を後ろに、少女は驚き、一つ瞬く。

「リネリォさん……」

「気を抜くな。

 我らの役割は、奴の注意を引きつけておくことだ。

 無謀な突撃など必要ない」

 カリンを地に下ろす間も、リネリォは鋭いまなざしを大神(オンカミ)に向け続けていた。

 畏怖や恐怖を抱きながら、それすら凌ぐ強い意思を叩きつける。

 彼女の想いは、動きだした大神(オンカミ)の座していた場、

 大樹の下に置かれた石舞台を捉えたまま、離れていない。

 今その場には、命を託した二人が向かっている。

 自身の命を、ではない。

 彼女が槍を捧げるに足ると信じた、清冽なる精神を持つ者の命だ。

 

 かつてなら、他者にそのような大役を委(ゆだ)ねることなど、考えもしなかっただろう。

 頼れるものは己のみ、信じられるものは力だけと、ただ暗い心のまま、敵に向かいさえすればよいのだと信じて。

 だが、今は違う。

 リネリォは親友と宿敵の死を越えて、守るべきものの意味を、頼るべき仲間の存在を知った。

 アルルゥの下へと向かう彼女たちを信じているからこそ、恐れる必要など、ない。

 今はただ、成せることを成すだけだ。

 振り返る大神(オンカミ)の、赤い赤い瞳を見ても、もはや心は動かない。

「行くぞっ。

『ティティカルオゥル』の力の真髄、

 今こそ発揮してみせろ!」

「「「応!」」」

 かくて、天の災いを思わせる力に対し、『ティティカルオゥル』の戦いは始まった。

 

 

 そして最後の戦いは、深淵の核たる大樹の前で。

「アルちゃんっ。

 だいじょうぶ?

 しっかりして」

「ん……むぅ……」

 アルルゥを抱き起こすカミュを見ながら、エルルゥは一歩も動こうとはしない。

 ただ深く、静かに、悲しげな声をかけるだけ。

「……カミュちゃん。

 カミュちゃんまで、

 わたしの邪魔をするの?」

 それは本当に辛そうな、苦しそうなつぶやきで。

 答えるカミュの声もまた、にじむ涙に濡れていた。

「邪魔って……

 どうしたの、エルルゥ姉様。

 なにをしようとしているのか、

 わかってるの?」

「わかっているわ。

 わかっているから、わたしはここにいるの。

 ここまで来たの。

 もう、待っているだけなんて嫌。

 わたしは、わたしの手でハクオロさんを迎えるの……」

「そんな、そんなの、おかしいよっ。

 いくらおじ様のためだからって、

 アルちゃんを犠牲にするなんてっ」

「犠牲?」

 涙ながらの訴えに、返されたのは心からの困惑。

 やがて合点したエルルゥは、儚くも確かな笑みを浮かべた。

「それは違うわ、カミュちゃん。

 アルルゥはね、ハクオロさんと一緒になるの。

 もちろん、わたしも。

 そう、わたしたちはいつまでも一緒。

 例えこの世が滅びても、

 なにもかもなくなっても……」

「エルルゥ、姉様……」

 夢想に酔う幼子のような笑みを前に、カミュは息を詰まらせた。

 浮かぶ困惑の原因は、恐怖か、あるいは不安のためか。

 揺れるまなざしはエルルゥではなく、別の誰かを見ているよう。

「……変、変だよ。

 そんなの、絶対に変。

 エルルゥ姉様、きっと、その仮面に操られてるんだよっ。

 お願い、正気に戻って」

「……ううん」

 すがるようなカミュのつぶやきを、抱えられた人物が否定する。

 かすかに開いた黒い瞳は、悲しみでいっぱいに満たされていた。

「アルちゃん?」

「おねーちゃん、本当のおねーちゃん。

 おとーさんと、一緒にいたいだけ……」

 答えはエルルゥを庇うように。

 それは、姉から与えられた自らの運命に納得したような声で、聞く者にすら覚悟を伝えた。

 カミュには、困惑を返すことしかできない。

「で、でも、

 だからって……」

「だからと言って、

 アルルゥさんを犠牲にはさせられません」

 対し、ハクビは確かな決意を固め、アルルゥの前に立っていた。

 彼女に向けられ続けている、エルルゥの視線を遮るように。

 鬼面が宿す瞳の光は、形に相応しい、怒りの色。

「ハクビさん……

 あなたに、なにがわかるんですか。

 父親と慕いながら、殺そうとしかしなかったあなたに……

 人としての喜びも、悲しみも、

 その辛さも知らないあなたなんかにっ」

 叩きつけられる罵倒には、苦しみを解さぬ者への憤(いきどお)りがこめられていた。

 千言万語を要したとて伝わるはずがないという、望み無き悲鳴と叫び。

 傷つかぬはずのハクビは、しかし、それを受け止め、表情を歪めていた。

「……はい。

 確かに私は、人ではありませんでした。

 お父様の言葉に従い、

 その死だけを求めていた間、

 ただの空ろな人形だった……」

 言葉の端々から血の滲みがうかがえる独白。

 重い一言を吐き出すほどに、心の内を傷つけているかのような痛々しさが、

 しかし、次には温もりを宿す。

「でも、今は違います。

 こんな私でも、少しだけ心の、

 命の大切さを知ることができました」

「え?」

 湛(たた)えているのは人の喜びと、悲しみと、尽きることのない辛さと、切なさ。

 あふれだすハクビの想いは、目を見張ったエルルゥへと向かう。

「貴女が、教えてくれたんです」

「わたし、が……?」

 示された小さな驚きをそのままに、ハクビは言葉を続けていった。

 決して短くない旅の、その記憶をなぞるように。

「大神(オンカミ)を蘇らせて真なる死を与える……

 その真意を伝えた後の貴女は、

 とても辛く、悲しそうでした。

 あの時はわかりませんでしたが、

 今ならよくわかります。

 それでも、料理をしているときや

 昔の思い出を語るとき。

 貴女は少しだけですが

 笑みを浮かべていましたね。

 その時の話を、私はよく覚えています。

 貴女も、忘れてはいないでしょう?」

「それ、は……」

 友へと語りかけるように、それは優しい温もりに満ちた声。

 心を知らなかったハクビは、もういない。

「ええ。

 お父様とアルルゥさんの話をしているときだけ、

 貴女は本当に幸せそうでした」

 彼女は、幸福という言葉の意味も、正しく理解し始めている。

「今なら私にもわかります。

 その思い出があったから、

 その温もりを取り戻したかったから、

 貴女は痛みにも辛さにも、

 切なさにも耐えてこれたのでしょう?」

「……そう、そうです。

 そのために、わたしは……

 あと、もう少しで!」

 

「もう少しで、その温もりを失おうとしている」

 

 だからこそ、非を責める言葉も、これほどに強い。

「な、にを……」

「アルルゥさんを捧げれば、

 確かにお父様は蘇るでしょう。

 でもそれを、本当にお父様が望んでいますか?

 自分の大切な人の、

 自分が守りたい人の犠牲によって蘇ったとして、

 その後になにが残るのですか?」

 確かな声は、痛みを知る者の想い。

 自らが負った傷の醜さを知らしめ、それをくり返す愚を解く、慈愛。

「私にはわかります。

 そこにあるのは悔いと呪い。

 自らの魂を砕いてもまだ足りぬ、

 過去に勝る未来の苦悩」

 親愛なる者を想い、切に願う問いの声は、

 

「貴女はお父様に、

 そんな罪を負わせるために、

 最愛の妹をも殺すのですか?」

 

「そん、な……」

 エルルゥの心を、確かな衝撃で貫いていた。

「そんなの、違う……

 わたしは、ただ、

 ハクオロさんと一緒にいたいだけ。

 ただ、それだけなの……」

 崩れかけた身を一歩引き、よろめきながら立て直す。

 右の手で仮面に触れ、次いで左を添えながら。

「なんで、なんで誰もわかってくれないの?

 やっと、やっと一緒になれるって、

 そう思ったのに……

 ずっと、ずっと待っていたのに……

 でも、辛くて、苦しくて、切なくて……っ」

 吐きだす言葉は涙のように、押さえても止め処なく流れてゆく。

 今まで秘めていたものが、爆ぜて噴き上がるように。

「だから、だから迎えにきただけなのにっ。

 なんでみんな、わたしを責めるの!」

「おねーちゃん……」

 もう、声は届かない。

 手も、想いも、なにもかも。

 昂ぶる心は、ただ、すべてを投げ出すように。

「イヤ、イヤよ、もうイヤ!

 こんなの、違う!」

「っ、だめっ、エルルゥ姉様……」

「エルルゥさんっ」

「おねーちゃん!」

「いやあああああああ!」

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 大神(オンカミ)は、鬼面の主の叫びを追うように、

 極大なる破壊の光を吐き出していた。

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