うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第六幕・19~ 夢路・降臨

 

 剣気を散らす鍔迫(つばぜ)り合いの末、某(それがし)はあえなく弾き飛ばされた。

 受身をとる暇すらなく、隆起した木の根に叩きつけられる。

 悠長に痛みを感じている暇はない。

 眼前には『リュウガ』の刃が迫っている。

 落ちてくる血肉の剣を、横に構えた『冥獄』で受け止めた。

「ぐぅぅ!」

「グオアアアア!」

 火花と共に闇が散る。

 巨岩を思わせる重圧を束の間だけ両腕で支え、浮いた脚で全力の蹴りを放った。

 胸板を貫かんばかりの勢いに、『リュウガ』の力がわずかに緩む。

 その隙をつき、辛うじて横へと転がり抜けた。

 打ち砕かれる巨木の音を聞きながら、忘れていた呼吸を再開する。

「ハア、ハア、ハア、ハア――」

 肺が割れるような痛みを覚え、まだ戦えると自らに言い聞かせた。

 あんなモノが、リュウガ兄の生き写しであるはずがない。

 そうでなければ、某(それがし)如きがここまでもつものか。

 肉塊の中から『リュウガ』が立ち上がる。

 対じ、踏み出そうとした瞬間、

 

 逆光に思わず振り返っていた。

 

 見えたのは、光の咆哮を吐き出さんとする、白き大神(オンカミ)の姿。

「なっ?」

 驚きを示すことすらできぬ間に、それは解き放たれていた。

 地に臨む『ティティカルオゥル』を飲みこまんと、広がりゆく。「やめ――」

 伸ばす手よりも、声よりも速く、光は大地を覆っていた。

 

 すべてのものが白へと変わる。

 土も、木々も、血肉も、人も。

 眼前の世界は、瞬きの間に白へ染まっていった。

 

 なにが起きたのか、心が理解を拒絶する。

 それが無駄だと知りながら、変わった世界を認めたくなくて。

 だから、光が消えた後、そこに現れた光景も、信じることができなかった。

 

 清らかな青光の天蓋に包まれた、『ティティカルオゥル』の姿を見てもだ。

 

「皆、無事、か……?」

 安堵と同時に、疑問が湧いた。

 驚きは、その場にいるカリンやテルテォも同じらしい。

 リネリォ殿ですら目を丸くしている。

 視線が集まる先は、青い光のその中心。

 両手を掲げ祈りを捧げる麗しき賢大僧正(オルヤンクル)だった。

「ウルトリィ様!?」

「はい。

 間に合いましたね」

「な、なぜ、貴女様が……」

「私(わたくし)だけではありませんよ」

 言いながら穏やかな表情が見やるのは、白き大神(オンカミ)の、さらに上。

 遥かな高みから降りかかる、雄叫(おたけ)びを上げた人の姿。

 それは、地に落ちる勢いのまま、手にした剣を振るっていた。

 

 身の丈の三倍はありそうな、鉄塊じみた長大な剣を。

 

「ハアアアアアアアア!」

 獣じみた咆哮が、その刀身を赤熱させる。

 触れたすべてを砕きかねない一撃は、文字通りの爆発と共に。

 甲殻の腕に落ちたソレは、かつて見たことのない衝撃を撒き散らし、

「ギオオオオオオオオオオオ!!」

 大神(オンカミ)に苦痛の叫びと赤い血潮を爆ぜさせ、彼の腕を断ち落としていた。

「な……」

 どうしようもなく息を飲む。

 我が目で見たにも関わらず、その現実が信じられない。

 紛(まご)うことなき神を相手に、一歩も退かずに渡り合える者が存在するとは……

 地に降り立った力の主は、鉄塊を片手だけで担いだまま、自らの成果を見上げていた。

 口調はどこまでも平然と、天気の話でもするような気楽さだ。

「まだまだですわね。

 大きいだけでは、わたしを満足させることはできませんわよ、

 あるじ様」

 身を竦(すく)めさせる神々しさ、背を粟立(あわだ)たせる禍々しさを前にしても、まったく緊張を感じさせない振る舞いは、よく知る誰かを彷彿とさせる。

 それは、共に旅を越えてきた、小さくも頼もしいギリヤギナの少女。

 見れば、カリンも驚愕に目を見開いていた。

「お母、さま……?」

 母の、突然の登場に。

 驚きの視線とつぶやきに、気がついたのだろう。

 美しく成長したカリンを思わせるギリヤギナの女戦士は、変わらぬ気さくさで話しかけていた。

「あら、カリン。

 久しぶりですわね。

 元気にしていました?」

「……元気にしていました? ではありませんわ。

 まったく、娘をほったらかしにして

 どこで遊んでいましたの?」

「遊んでいたなんて人聞きの悪い。

 ちょっと南の方においしいお酒を探しに

 行っていただけじゃありませんか。

 まあ、そこでまた面白そうな話を聞いて、

 帰る前に寄り道しましたけど」

「そういうことでしたら、

 わたしも連れて行ってくれれば……

 まあいいですわ。

 それよりもおもしろいことがありましたから」

「あら?」

 交わされる会話の中から、唐突に視線を向けられた。

 思わず身構えてしまったが、浮かべられた笑みを見てしまうと、警戒より先に理由のない焦りに襲われてしまう。

 カリンが母と呼ぶ人の笑みは、某(それがし)が見てきた誰のものより、妖艶で淫靡な色香を宿していた。

 驚きは、咆える大神(オンカミ)の後ろからも聞こえてきた。

「お姉様。それに……」

「カルラ、おねーちゃん?」

「そんな……」

 それは、カミュやアルルゥはもちろん、エルルゥ殿の口からも。

 けたたましい場の中で、カミュの姉とカリンの母だけが涼やかに構えている。

「無事ですか、カミュ。

 よくがんばりましたね」

「お姉様……」

「アルルゥも。

 元気にしていました?」

「おー、カルラおねーちゃん」

 短くも明るいやりとりに、こんな時だというのに空気が弾む。

 ウルトリィ様とカルラ殿は、二人にそれほどの信頼を与える存在なのだろう。

 絶対の窮地にありながら、某(それがし)の胸にも少しだけ希望が灯っていた。

 エルルゥ殿の動揺は明らかだ。

「な、なんで……

 なんでみなさんが、

 この場所を……?」

 見上げくるまなざしに押されるように、その身は少しずつ後ろへと下がっていた。

 恐らくは力ではなく、その思考。

 強き信念に耐えかねて。

「エルルゥ様……

 すべては大神(オンカミ)ウィツァルネミテアのお導きです」

「ウィツァルネミテアの?

 でも……」

「もっとわかりやすく言ってあげた方が

 よさそうですわね」

 手を組み祈るウルトリィ様に代わり、言葉の続きをカルラ殿が語る。

 精一杯のエルルゥ殿に対し、態度はどこまでも平然としたまま。

「なんてことはありませんわ。

 わたしたちはただ、

 あるじ様に呼ばれて来ただけですのよ」

「ハクオロさんに……?」

「ええ。

 もちろん、他のみなさんも」

「他、の……」

 言葉の真意は確かめる暇も、その必要もありはしなかった。

 

 会話を遮り落ちてきたもう一本の甲殻の腕が、

 飛びこんできた双剣に勢いのまま弾き飛ばされていたから。

 

「ジャアアッ!」

 閃光じみた剣は相変わらず、瞬きすらも許さない。

「オボロ、殿。

 それに……」

「タイガ様っ」

 懐かしい声に重なって、鏃(やじり)の群れが降り落ちる。

 矢は、雨のような勢いで大神(オンカミ)の顔前を埋め尽くした。

 反射のようなものなのだろうが、それは確かに、巨躯を一歩退かせた。

 振り向き確かめてみれば、そこには思った通りの人々。

 ドリィ殿にグラァ殿、笑みを浮かべたユズカ殿と、

 そして、

「ハァァ――」

 疾駆から跳躍するトウカ姉までも。

 エヴェンクルガの武士(もののふ)は、大神(オンカミ)の膝を、腕を踏み台に、駆ける勢いをそのまま乗せ、

「ハッ!」

 抜き放った一刀で、彼の首筋に確かな一閃を刻んだ。

「グオオオオオオオオオオオ!!」

 吹き上がる血潮が霧となって消える。

 大気を砕くような咆哮と、それに伴う暴挙にさらされながら、それでも二人に焦りはなかった。

 むしろ、振り回される手足に対し、交錯しながらさらなる傷を刻んでいく。

 天災じみた猛威を前に、彼等はそれすら圧倒していた。

「……凄い。

 これほどとは」

「当然でしょう。

 あれは、聖上であって聖上ではない。

 彼等は骸ごときに

 遅れを取るような方々ではありません」

「あの時に比べりゃ、

 まだヌルいぐらいですかね」

 振り返ればさらに二人。

 この驚愕すべき光景を前に、さも当然というような佇(たたず)まいは、

「ベナウィ殿に、クロウ殿まで……

 みなさん、どうして……」

「ウィツァルネミテアのお導きです、タイガ様。

 いえ、ハクオロ様の呼びかけですね」

「ハクオロ皇の……?」

 ウルトリィ様の語りかけに、改めて暴れる巨人を見上げた。

 アルルゥの父にして、大国トゥスクル開国の皇(オゥルォ)。

 その真は、歴史の始まりより人々を導いてきた、大神(オンカミ)ウィツァルネミテアだと聞いた。

 

 どこか疑う心もあったのだが、想い、触れ、ようやく悟った。

 なるほど、確かに、これは違う。

 見聞きし、知らされた面影など、この存在からは感じない。

 たとえ器が同じでも、中身が無いのでは、意味がない。

 

 某(それがし)ですら悟れる境地に、最も近しい人だけが、いまだに気づいていない。

 いや、気づこうとしていないのか。

「嘘……嘘です……

 ハクオロさんが、呼んだなんて……」

 いつの間にか、場の乱れは鎮まっていた。

 大神(オンカミ)は、白き巨躯を止めていた。

 周囲の赤い肉塊と共に、『リュウガ』も佇(たたず)んだまま、動かずにいる。

 責めるでも、非難するでもなく、自然と皆が集まっていた。

 頭を抱え、首を振り、恐れ怯えているエルルゥ殿を、囲むように。

 鉄塊の剣を担いだまま、カルラ殿が呆れたように息を吐く。

「あなたには聞こえませんの?

 あるじ様の声が」

「そんな、声なんて……

 わたしには、一度も……」

「そんなはずはないだろう。

 兄者の、これほどまでに苦しむ声など、

 俺は今までに聞いたことがないぞ」

「はい」「僕たちもです」

 オボロ殿に、双子の弓使いが同意を示す。

 聞こえるという苦悶のほどは、彼らの辛そうな様からも容易に知れた。

 エルルゥ殿にもわかっているはずだ。

「苦しむ?

 ハクオロさんが?

 なぜ……」

「エルルゥ様。

 その理由は、貴女が一番よくご存知のはず。

 ハクオロ様は、過ちを続ける自らを嘆いておられるのです。

 それが、貴女を不幸にしていることを」

「不幸……?

 わたしが?

 なんで……。

 もう少しで、もう少しで一緒になれるのにっ……」

 相手を想うウルトリィ様の憂いが、今はひどく痛々しい。

 嫌々と首を振るエルルゥ殿は、言葉も知らぬ幼子のように弱々しく見えた。

「姐さん……

 一途なところはかわりやせんね」

「本当に。

 その一途さが聖上の声を遠ざけているのでしょう」

「な、なにが、

 なにがいけないっていうんですかっ。

 わたしは、ハクオロさんを幸せにしてあげたいんですっ。

 ずっと一緒にいてほしいんですっ。

 それの、なにが――」

「もう一度、よくお考え下さい。

 聖上が、他のすべてを犠牲にしてまで

 その幸福を望んでいると、

 貴女は本当に思っているのですか?」

「っ……」

 冷静ながらも熱を秘めたベナウィ殿の言葉が、エルルゥ殿から声を奪った。

 もはや、吐き出される想いもない。

 自らの行いが過ちであることなど、はじめから知っていたはずだ。

 潤んだ瞳が歪む様から、彼女を支えていた狂気が壊れていくのが、ありありとわかる。

 

 それでも、後戻りはできないと、まだ思っているのか。

 揺れ続けている黒い瞳に、再び破壊の衝動が浮かぶ。

「そんな、そんなこと、

 そんなこと……!」

 だが、振り上げられた鉄扇は、結局下ろされはしなかった。

 代わりに、あふれ出した心の欠片が、頬を伝い顎から落ちる。

 体は力を失ったが、地に崩れはしなかった。

「おねーちゃん……」

「アルルゥ……」

 姉を想う妹の腕が、しっかりと支えていたから。

 涙に濡れたエルルゥ殿の頬を、アルルゥは優しく拭う。

「アルルゥにも聞こえる。

 おとーさんの声」

「アルルゥ……

 わたしは、わたしには……」

「おねーちゃんにも、聞こえる」

「え……」

「おねーちゃんにも聞こえる。

 おとーさん、一番、おねーちゃんと話したがってるから」

「アルルゥ……

 ハクオロ、さん……」

 姉妹は、横に目を向けた。

 某(それがし)もつられて、皆もまた同様に。

 視線の先には、佇(たたず)んでいる大神(オンカミ)がいた。

 白き巨躯は膝をついたまま、今はピクリとも動かない。

 ただ、うなだれた頭の真下が、わずかに違う。

 

 そこには、一人の男がいた。

 痩身長躯に蒼白の衣をまとい、静かに佇(たたず)んでいる。

 年の頃は三十に届くかどうか。

 穏やかなまなざしは温かく、しかし、どこか冷たさを秘めて見える。

 正しくは憂いの色だろうか。

 深すぎる闇と確かな光明は、あの日見上げた月のよう。

 

 ただ、詳しい顔の造詣も、浮かべている表情も、正確にはわからなかった。

 いつの間に移したものか、その顔は、エルルゥ殿の面(おもて)を隠していた、白き鬼面に覆われていたから。

 ……いや、違う。そうではない。

 彼こそがその正しき主で、だからこそ自然だと思えるのだろう。

 初めて見(まみ)えた某(それがし)にも、あまりにも正しく知れた。

 

 それがアルルゥたちの父、ハクオロ皇その人であるのだと。

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