うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「……疲れた……」
宿に帰ってきた途端、知らず口をついていた。
いや、肉体的な疲労など、エヴェンクルガは苦としない。
そう、名に相応しい仕事であれば。
ここ数日、鍛錬以外では剣を握っていなかった。
……今日は使ったか。
ガマの油を売るため、自らの腕を斬るために、だが。
一度あのチキナロとかいう商人と、エヴェンクルガの在り方について話しあう必要がありそうだ。
「……まあいい。
メシでも食ってゆっくりと――」
「おー、トラ」
部屋へと戻る途中、先に帰っていたアルルゥと鉢合わせた。
ガチャタラを頭に載せたまま、いつもの口調で語りかけてくる。
「ゴハン、お風呂おわってから」
「ああ、そうだな。その方が――」
答える前には姿を消していた。
言いたいことだけ言って、いなくなるのもいつものことだ。
心持ち足早な気もしたが……
どうでもいいか。考えるのも面倒だ。
用意を整えて風呂へと向かう。
ウペキエは小国ながらも新進の強国だ。
都では入浴などという、雅な文化も浸透していた。
労働の汗を湯で流すのは、水浴びなどとはまた違った心地のよさがある。
男側の暖簾(のれん)を確かめ、中へと進んだ。
わずかに湿った温かい空気と仄かな香に、一瞬の不快と期待が高まる。
服を脱ぎ戸を開くと、白い湯気に襲われた。
霧の中にも似た状況、桶と湯の音が反響する先に、気配を感じる。
どうやら先客がいるらしい。
豪快に湯船から上がった人影が、湯気の向こうから近づいてきた。
次第に姿がはっきりしてくる。
長身で細身ながらもたおやかな膨らみを誇る、その美しい女性は……
「ティ、ティティカ殿!?」
「おや、タイガ」
我が団長殿であった。
姿形の女らしさをまるで自覚していないのか、薄れていく湯気の中でも、堂々たる仁王立ちである。
「なっ、な、なぁ!?」
理性が呆然とするより先に、辛うじて背を向けた。
そんな某(それがし)の懸命なる努力を楽しむように、ティティカ殿は日頃と変わらぬ調子で語りかけてくる。
「なに、覗きじゃ物足りなくて
忍びこんできたのかい?
けっこう大胆だねぇ」
「そ、そんなわけが!
こちらは男湯でしょうっ。
なぜティティカ殿がおられるのか――」
「ん?
こっちは女湯のハズだけど?」
「そんなバカなっ。
某(それがし)はしかと
確かめてから……
はっ?」
思わず反論を口にしかけ、今更になって思いだした。
この場に至る前、道を示したのが誰だったか。
「ア、アルルゥの奴!
またつまらん悪戯を……!」
「まぁまぁ、いいじゃない。
せっかくだから、さ」
「ぬあ!?」
噴き上がりかけた怒りが、一瞬で混乱に飲まれた。
背中に柔らかな、いや、柔らかすぎる感触が押し当てられている。
しかも、生でだ。
「団員として裸の付き合いってのも
悪くないだろう?
背中でも流してやるよ」
「そそそそんなこと、できるわけが!」
「んー? それとも流してくれるのかい?
なんなら背中だけじゃなくてもいいんだよ?」
「なななななななにを言っているのですかっ。
そ、某(それがし)わ――」
スパーン!
反響するどもり声が、小気味よい音に切り裂かれた。
勢いよく開かれた戸板の後ろに、開けた人物の影が映る。
湯気が薄れたその場所にいたのは、目を平めたアルルゥだった。
「ア、アルルゥ。お、お前な、
一体なに、を……?」
どういうわけか、すこぶる機嫌が悪い。
「……ガチャタラ」
『キュイイイイイイイ』
「くあああああああ!?」
問答の一つもなく、ガチャタラの奇声を浴びせかけられた。
疲労と混乱に満たされていた某(それがし)に、頭の中を掻き混ぜるような衝撃が耐えられるはずもなく、あえなく意識を手放してしまう。
ケタケタと響くティティカ殿の笑い声と、
「……エロンガー」
アルルゥのつぶやいた、色欲の禍日神(ヌグィソムカミ)の名を聞きながら……