うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「シャアアアアアアアア!」
鋭い気勢が走り抜け、腐肉の海に道が刻まれた。
大気すらをも灼き裂きながら、双剣は宙に燐光を残す。
振るう腕すら霞ませる剣閃で、飛沫(しぶ)く酸すら斬り散らし、押し寄せる肉の波を真っ向から断ち割る勢いで、オボロは剣を振るっていた。
神の力を前にして、口元には不敵な笑みを浮かべている。
「ハッ、この程度かっ。
所詮は紛(まが)い物だな。
兄者の強さには足元にも及ば――」
「おじさまっ、勝手につっこまないでくださいっ」
だが、戦の神(スサヌ・カミ)ですら斬り伏せかねないその意気も、少女の放った不機嫌な一声で止められていた。
「ユ、ユズカ。
いや、しかしだな、
叩けるうちに叩いておかねば……」
「おじさまが一人で暴れたところで
どうにかなる状況ではありません。
いいかげん協調するということを
覚えてください」
「う、うむ……」
囲む異常な状況や、迫る危険に対しても、ユズカは平静を乱すことなく、確かな言葉を告げていた。
戦の場にて指揮を執る姿は、小さくも皇(オゥルォ)の威厳をまとって見える。
「ユズカ様、
だんだん兄者様に似てきたね」
「ずいぶん張りきってるよね」
背を合わせて弓を引きながら、双子の顔に笑みが浮く。
過ぎ去った時を思うように、これからの未来(さき)を楽しむように。
「ドリさんグラさんっ。
来ますよ。射撃の用意を」
「「はいっ」」
「ユ、ユズカ?
俺は、なにを――」
「ご自分で考えてくださいっ」
威勢に困惑、非難に高揚。
戦で生まれるあらゆる思いを懸命に御しながら、小さな軍を率いる小さな皇(オゥルォ)は小さな領を死守していた。
戦いはその隣でも。
「オオオオオオオ!」
「ハアアアアアア!」
二つ重なる咆哮に、二つの力が放たれる。
迫りくる赤い血肉の群れを、舞うような剣は微塵に刻み、重い一撃は腐臭ごと爆散させた。
拓かれたわずかな空白に、しかし、踏みこむ余裕はない。
生まれ続ける肉塊は、瞬きの間でその隙間を埋めてしまうからだ。
対する二人に苛立ちと疲弊が浮かぶ。
「ええい、手応えのないっ」
「ホントに。
飽きてきましたわ」
文句と不満を吐きながら、トウカとカルラは刃を振るい続けていた。
焦りを滲ませたその姿に、軽口ほどの余裕はない。
果ての見えぬ消耗戦、続ければどちらが先に力尽きるかは明らかだ。
その大元を断たぬことには。
「まったく、
いつまで遊んでいるのかしら、
あなたの弟さんは」
「やはり無謀であったか……
ここは、某(それがし)が」
「大丈夫ですよ、タイガ様ならば」
交わされた小さなぼやきに答えたものは、包みこむような優しい声と、
赤い世界を二分する白き清浄の光であった。
「ぬっ」
「これは……」
左右に分かれた二人の視線が、放たれた光の帯の、消えていくその跡を見る。
血肉の海は焼き薙がれ、剥き出しの大地を覗かせていた。
「光の法術か。
しかし、これほどとは……」
「あいかわらず、
おいしいところばかりもっていきますわね」
「貴女がたが時を作ってくれたおかげです。
それに、終わったわけではありません」
カルラの小さな軽口にも、ウルトリィは油断を返さない。
穏やかさの中にも強い意思を宿したまなざしは、焼けた地を埋めていく肉塊を悲しげに眺めている。
「タイガ様なら、
きっと役目を果たしてくださいます。
私たちは私たちの役割を果たしましょう」
「ううむ、
ウルトリィ様がそうおっしゃられるのであれば……
某(それがし)は、どうにも不安でならぬのですが」
「随分と買っていますのね。
ああいう子が好みですの?」
「そうかもしれないわ。
少し頼りないところがよいのかも」
三者三様の態度のまま、力は再び紡がれていく。
大いなる神の力を前にしても、その在り方は変わらなかった。
くり広げられる惨状は、そのやりとりの後ろからも。
「ウラあ!」
馬上から振るわれたクロウの剣が、血肉の塊を両断した。
なおも蠢くその肉片をウマ(ウォプタル)の脚で蹴り飛ばし、刃はさらなる敵へと迫る。
だが、尽きることのない猛威が相手では、トゥスクルの侍大将(オムツィケル)も自身の動くわずかな場を保ち続けることしかできない。
「っ、ええい、
キリがありやせんぜ、大将」
「そうですね……」
その背で槍を振るうベナウィの声も、常より暗い。
果ての見えぬ戦いでは、彼の知略も意味をなくしていた。
いや、そのまなざしは、冷静に事の枢要を見定めようとしている。
大神(オンカミ)の源たる白き鬼面と、それをまとった腐肉の人型を。
自分たちが総力を結すれば、決着は早々につくだろう。
強行は幾許(いくばく)かの被害を生むかも知れないが、大局を見るならば最小の傷で済む。
民を統べる者として当然至る選択を思いながら、しかし、ベナウィは動かない。
見やる先、骸の武人に立ち向かう若き侍のまなざしに、果たすべき願いを見てしまったから。
彼に、自らが抱くような悔いを残して欲しくはない。
「……もう少しだけ待ってあげましょう。
クロウ、ふんばりなさい」
「しかたありやせんね。
ハァっ!」
思いの丈は刃となり、掛かる火の粉を振り払う。
世に名を馳せるトゥスクルの守り手たちは、称されるに相応しい力を揮い続けた。
押し寄せる赤い血肉の攻めを、タイガもまた受け捌いていた。
「つ、くっ、のっ!」
『リュウガ』への道を塞いだ群れを断ち、突き、払い、打ち砕いて一歩を進む。
だが、踏み止まるには至らない。
さらなる猛威に押し返され、後退を余儀なくされる。
討つべき兄の幻影すら、今は目にも捉えていない。
心の焦りは剣を鈍らせ、その足をますます後退させる。
「く、そっ……」
「なにを、しているんだ、貴様はっ!」
だが、心を侵していた焦燥は、
眼前を埋めていた赤い血肉の壁もろとも、横からの一喝に吹き飛ばされた。
「なっ……」
「いつまでもグズグズダラダラと。
貴様、この旅でなにをしていたっ」
「テル、テォがっ?」
呆然と立つタイガの背を、双刃の槍の柄が弾く。
容赦のない一撃に、返す言葉は日々の勢いをとり戻していた。
「っ、なにをっ」
「やる気がないならひっこんでいろ。
貴様などにアルルゥ殿は任せられん」
「ふ、ふざけるなっ!」
返す言葉は鋭く速く、風をも断つ一刀と共に。
道を塞ごうとしていた腐肉の群れが、さらに深く分かたれる。
「この程度、足止めにもなるものかっ」
「まあ、当然ですわね」
それは、落ちてきた剛剣の一撃と、
天をも焦がす火柱にもよって。
「カリン」
「なんたって、
壊すことは『ティティカルオゥル』の十八番だもん」
「姫さま、それはあまり自慢になりません」
砕かれた肉の欠片たちを、法力の炎が焼き払う。
「カミュ、ムティ殿も」
気がつけば、あれほど厚かった『リュウガ』への道は、壁一枚にまで削がれていた。
それも影から貫く静かな剣と、旋風めいた刃の舞により、閃きの間に崩れ落ちる。
「この程度ならばワタクシも、
お手伝いさせていただけます、ハイ」
「露払いは終わったぞ」
「ニコルコ、リネリォ殿……」
示された道こそが、『ティティカルオゥル』の旅の終点。
彼等の歩いてきた軌跡の果て。
先に立つアルルゥの声に導かれ、タイガは自然と一歩を進んだ。
「アルルゥ……」
「ん。
決着、つけてくる」
「……ああ」
答えは短く、力強く、もはや振り返ることもない。
アルルゥの横を通り抜け、タイガは再び対峙した。
怨嗟を振り撒く、兄の姿を模したモノと。
「グウウギャウガアアアァァァァァァ……
ギヒャヒルグォォォォ……」
「リュウガ兄……」
のたうち叫んでいた腐肉の塊は、次第にその姿勢を正し、呪いの声をより明瞭に発しながら、人の型を整え立っていた。
「グググ……ガガガ……
ギヒヒヒヒ……ヒヒャハハハハハ!」
禍々しい音は笑いの声。
哄笑と呼ぶに相応しい響きは、数多の憎悪の裏返しか。
やがて、それは一つの意思を持ち、タイガに嘲りの言葉を向けた。
「……ソンナ、モノデ……」
「ぬ?」
「ソンナモノデ、
ヤツガレニハムカウツモリカ。
ソンナ、タダノテツノボウキレデ」
彼我の、明らかな力の差を誇示するように、手にした剣が振り落とされた。
響く轟音、
爆ぜる大地。
舞い上がる土煙が消えたとき、血肉の牙は地を砕き、墓穴めいた闇を穿(うが)っていた。
その威力は、かつて味わった兄の一撃より、さらに強く、悪しく見える。
「……貴様はやはり、
兄上などではない」
だが、タイガに恐れは生まれない。
むしろその言動に、抱いた確信をさらに深め、一度正眼に構えた剣を改めて引いた。
「確かに銘もなき一振りなれど、
この刀は某(それがし)の分身だ。
剣の匠が心血を注いで鍛え、
日々の修練を越えてきた、
友の想いの宿る武士(もののふ)の魂そのもの……」
己の道を確かめながら、一言一句を刻んでいく。
血と脂に汚れてはいても、掲げた刃に曇りはない。
それは、研ぎ澄まされたまなざしも同じ。
「某(それがし)がいかに未熟であろうと、
兄上がその想いを笑うはずがない……
返してもらうぞ、貴様が愚弄したものを、すべて!」
「ヒハア!」
響いた一際の嘲笑に、交わされる言葉はもはやなく。
兄弟の、最後の戦いが始まった。