うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
大神(オンカミ)の復活も、亡滅も、人に知られねば世を乱すことはなく、
トゥスクルの城は今日もまた、変わらぬ喧騒に沸いていた。
「大老(タゥロ)、
どこへおいでになられていたのですか」
「政務が滞(とどこお)っております。
早くこちらの書簡に目を通して頂きたい」
「いや、先というならばこちらから。
まずは官の体制を整えなおさねば」
「なにを言う。
軍の建て直しからに決まっていましょう。
世の騒乱はひとまずの落ちつきを見たとはいえ、
いまだ楽観はできぬのですぞ」
「なればこそ、
政(まつりごと)の根幹を整えなければ。
軍が動くのにも金が必要なのです」
「糧もでしょう。
大老(タゥロ)、流民の問題を解決するためにも、
早急に新たな農地を開拓しなければ。
被害のあった集落を優先的に保護せねば、
来期の収支も計画が立てられませぬ」
「いやいや、まずは――」
「そうではないだろう――」
侃々諤々(かんかんがくがく)たる武官文官の言い分は活気に溢れてはいるのだが、一向にまとまる気配はない。
論議の中心に座らされたまま、ベナウィは深い溜息を吐いた。
そこに、湯気たてる湯飲みが近づいていく。
「べなー。おちゃー」
「おや」
「ク、クーヤさまっ。
いけません。
ベナウィ様はお仕事の最中なんですよ」
「サクヤまで。
クロウ?」
「いやあ。
大将がちっとも部屋に戻ってこないと
奥方にごねられましてね」
「わ、わわわわたしはそんな!
クーヤ様です、わがまま言ったのはっ」
「そうでしたか?
まあどっちでもいいじゃないですか。
ご迷惑でしたかね?」
「……いえ、少し息抜きも必要でしょう」
議論の様を眺めながら、ベナウィはそう答えた。
大老(タゥロ)の許可を求める場にあって、誰もその言動を見てはいない。
「……新しく集めた臣が熱心なのはよいのですが」
「浮き足立っていやがるんでしょう。
なに、そのうち落ちつきますって」
「聖上を見送るべきではなかったかもしれません」
「はは。
あの戦の方が気が楽でしたか?」
「そう、ですね……」
熱い茶を啜りながら、ベナウィはカカエラユラの森に思いを馳せた。
タイガが大神(オンカミ)の面を断ち割ったことで、森の変異は終息した。
木々も、大地も、巨人の骸も。
血肉は全てが力を失い、ただの土へと還っていった。
後に残ったのは多大な虚しさと、大きな流れの確かな終わり。
すべてを古き森に残し、彼等はトゥスクルへ戻ってきた。
人の営みを続けていくために。
覗きこんでくるまなざしを感じとり、ベナウィは意識を今に戻す。
目だけで返したほほ笑みに、クーヤは満面の笑顔を表した。
なにものにも代え難い宝を前に、つまらぬ思いを振り落とす。
「……いえ。
私たちは世の平穏のために働いているのです。
この程度の務めに音を上げている暇は――」
「大老(タゥロ)、
ですからまずはこちらに印を」
「なにを聞いていたのだ貴公。
こちらが先だとなぜ分からぬ」
「それは貴殿の独断が達した結論であろう。
民のことを考えるなら――」
「違う、まずは国の事を先にせねば――」
「……ないのですね」
それでも、押しよせてくる現実に、ベナウィは少しだけ今捨てたものを探していた。
トゥスクルの都にほど近い、小さくも豊かな山の奥。
穏やかに揺れる梢(こずえ)の音に混ざり、聞こえてくるのは小鳥たちの歌声。
風と大地の恵みに満ちた、常春の世を思わせるその場所で、ユズカは静かに祈りを捧げていた。
母の墓標を前にして。
手を合わせ目を閉ざし、どれほどの時が経っただろう。
いや、生まれてきてから今日までの思い出を語るのに、時間がかかるのは止むをえなかった。
楽しく鮮やかな思い出は、特に言葉が多くなる。
それでも、ユズカは出来うるかぎりの想いをこめて、その時を短くまとめあげた。
顔をあげて振り返った先では、いつも通りのオボロが見守っていた。
「もう、いいのか?」
「はい」
答える声は晴れ晴れと、明るい期待に満ちたもの。
悲しむ必要などなにもない。
母は常に共にあり、先にはまだまだ楽しい出来事が待っているのだから。
「そうか。
なにを話したんだ?」
「色々です。
私が生まれてからのこと。
おじ様たちとの旅のこと。
たくさんの楽しかったことに、
同じぐらいの辛かったことも……」
語る声は淡々と、揺れる感情はそれでも弾む。
喜びも、悲しみも、生きている証だと教わったから。
「でも、いっぱい話したのは最近のことばかりです。
アルちゃんカミュちゃんと遊んだことや、
ティティカ姉様やリネリォ姉様に教えていただいたこと。
それに、タイガ様のことも」
「あ、あいつのこともか?
それは、まあ、うぅむ……」
「でもやっぱり、
お父様のことが一番多かったです」
「そ、そうだろうっ。
兄者は、お前の父は素晴らしい男だ」
「はい。
強くて、優しくて、大きくて……
おじ様やドリさんグラさんに
聞いていた通りの方でした」
「そうだろう、そうだろう」
うなずくオボロの様は、ハクオロを語っていた時と同じように嬉しそうだった。
今ではその誇らしさが、ユズカの内にも確かにある。
敬いと、憧れが。
「それに、
とても愛の多い方だったのですね」
「うむうむ、そうだ……ろう?」
「あんなにたくさんの方に深く愛されているなんて、
とても羨ましいです」
「あ、ああ。
うん、まあ……そう、だな。
兄者は、愛の多い人だった、が……」
「ユズカもお父様のように、
愛の多い人になりたいです」
「い、いや、待てユズカ!
それはだな、その……!」
新たな目標を得て、ユズカの心は弾んでいた。
母に別れを告げた後も、再びの訪問を約束した後も、その想いは変わらない。
「そろそろ戻りましょう」
「そうですね」「帰りに街に寄って行きましょう」
「はい。
お土産に、お見舞いも探さないと」
「お、さっそくですね?」「応援しますよ、ユズカ様」
「はいっ。
ありがとうございます」
「ユズカー!」
ドリィとグラァを脇に従え、吼えるオボロを置いたまま、ユズカは賑わう街へと向かっていった。
トゥスクルの城の廊下でもまた、にぎやかなやりとりがくり広げられていた。
客分として歩くウルトリィが、二人に後を追われている。
「お、お姉様。落ち着いて、ね?」
「あら、どうしたのカミュ?
私(わたくし)はとっても落ちついてますよ?」
「だって、輪っか、頭の上に輪っか出てるしっ。
もう、ムティっ」
「は、はいっ。
その、賢大僧正(オルヤンクル)。
ここは他国でもありますし、
どうかあまり騒ぎになるようなことは――」
「騒ぎだなんて。
おかしなことを言うのね、ムティ。
私(わたくし)が暴れたりすると思っているの?」
「そ、そういうわけでは……」
「……暴れたりするじゃない。
おしおきの時とか容赦ないよ、お姉様……」
「なにか言いましたか、カミュ?」
「いいいいいえええええ!」
「どうしましたの?
ずいぶんとにぎやかですけど」
「あら、カリンさん。
ちょうどよかった」
見かけ、言葉を掛けたカリンへと、ウルトリィは近づいていった。
たたえられたほほ笑みは、背に負った燃え立つ力によって、妙な影を孕んでいる。
「貴女のお母上を探しているのです。
どこに隠れたか……
いえ、どこにいるか、ご存知ありませんか?」
「お母様を?
なにかご用で?」
「ええ。
私(わたくし)の評価について、少し」
「……ああ」
どこか尋常ではないその様子に、カリンは小さくうなずいた。
確かに以前、そんなことを話したような。
だからと、なにかを気にする風ではなかったが。
「残念ですけれど、わかりませんわ。
気ままな人ですから」
「そうですか……」
「カリリンは、それでいいの?
せっかくカルラ姉さまと会えたのに」
「いいも悪いも。
どこに行くかなんて個人の自由ですもの。
お母さまが決めたお母さまの行き先に、
わたしが口を挟む理由なんてありませんわ」
ごく自然に、しかし、誇りをもってカリンは答えていた。
まるでその生き方こそが、自身と母の絆であると言わんばかりに。
ウルトリィとカミュは開いた目を少しだけ交えると、すぐに笑みを戻した。
「そう、ですか。
貴女たちらしいですね」
「ホント、そっくりだよね、二人って」
「ええ。
親としては失格ですけれど、
人としては尊敬できなくもない方で――」
「カルラっ、
どこにいる、カルラ!」
悠々と言葉を交わしていると、横手からけたたましい声が聞こえてきた。
いや、けたたましいというよりは、禍々しい。
まるで、森で祓いきれなかった『怨(オン)』が再び燃え上がったかのようだ。
念の主は駆ける勢いで向かってくると、血走った目で驚く一同を見回した。
「おお、
ウルトリィ様にカリン殿っ。
カミュ様とムティ殿まで。
ちょうどよいところに。
カルラを見かけませんでしたか、
あの馬鹿をっ」
「トウカ姉様……?」
「どう、しましたの?」
「どうもこうも、あの女……
街中の酒屋からありったけの酒をかっくらい、
あげくその払いを某(それがし)の名にツケおいて……」
語るうちに思い出したのか、怒りは問いの答えを待たせない。
「カルラっ!
どおおおこおおおだああああ……!」
大神(オンカミ)が宿していた『怨(オン)』以上の負を振りまきながら、トウカは大股でその場を去っていった。
残された一同は、ただただ呆然とするばかり。
「……尊敬する方は、
見極めた方がよいと思いますよ?」
「そう、ですわね……」
「あは、あはははは……」
殺伐とした城の通路には、怒れるエヴェンクルガの咆哮に混ざり、酔いを含んだ艶やかな笑みの声が、聞こえぬ響きとなって谺(こだま)していた。
日々は城下でも営まれている。
「どうだ、商売は順調か」
「オヤオヤ、これはリネリォ様。
テルテォ様も、いつもの通り」
「ふん」
煩雑なトゥスクル大路の一角で、ニコルコはいつもの露店を開いていた。
入れ替わりに訪れ続ける客の波を見れば、答えは聞くまでもない。
忙しげなその様に遠慮し、リネリォは少し周囲を見回した。
並ぶ家屋は廃材の組み合わせ。
風すら凌げぬ小屋なれど、通りはそんなことなど意に介さぬ喧騒と賑わいに満ちている。
先の大火の跡も生々しい場にあって、復旧の様子は着々とその暗い影を払い去っていた。
日々成長していく街の様を目にするたびに、リネリォは口元のゆるみを自覚する。
気がつけば、最後の客を見送ったニコルコが細い目を向けていた。
「この街はよい街ですねぇ」
「そうか?」
「ハイ。
ここの方々を見ているとよくわかります。
街とは、人がその土地に根付いてできるもの。
愛着と執着なくしては生まれません。
この街と民には、流れついた人々にも
それを抱かせる活力があります、ハイ」
語る口調は偽りを感じさせない、とても嬉しそうなものだった。
浮かべている表情も、過去に見せていた作り物ではない、素直な感情から生まれる笑み。
どこか眩しげなまなざしは、これまで見てきた暗いものの反動だろう。
今のニコルコの言葉にならば、リネリォも穏やかに応じられた。
「なるほど、確かにな。
人を育むにもよい場所だろう」
「そうですね。
お子様は健やかに?」
「ああ、今のところ息災だ。
少し元気すぎて手に負えぬぐらいだな」
それでも、根は変わっていないらしい。
リネリォの見せたささやかな憂鬱に、ニコルコはにわかに目を光らせた。
「そういうことでしたら、
こちらなどはいかがでしょう?
幼子の体調管理に万能の効果を誇る生薬で、
一服盛れば夜泣きもせずに朝までグッタリ。
多少白目を剥いて泡をふいたりもいたしますが、
気にしなければどうということは――」
「……ニーコールーコー……」
「ハヒっ……?」
商魂を燃やしかけた表情が、横からの声に凍てついた。
テルテォの低い声が、禍日神(ヌグィソムカミ)を思わせる。
「貴様、
アルルゥ殿だけでは飽き足らず姉上にまでも……」
「イ、イエイエイエっ、テルテォ様!
ワタクシ、ただ純粋にリネリォ様のことを案じて――」
「余計な世話だっ。
俺はまだ貴様を認めたわけではないのだからな!」
「ヒイイイイ!?」
「待てえぇぇぇい!」
慌てて逃げだすその前に、手際よく露店をまとめあげたのは、流石というべきなのだろう。
「確かに、活力を与える街だ」
リネリォは変わらぬ笑みのまま、遠ざかる土煙を眺めていた。