うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
ニギレギの砦に辿りつき、直後、戦いは始まった。
丸太で組まれた関を前に、雇兵(アンクアム)たちが押し寄せていく。
降りそそぐ鏃(やじり)の雨を、打ち払い、すり抜け、あるいは貫かれながら、閉ざされた門を破るために。
肉薄する軍勢に対して敵も兵を投入し、門前は乱戦の様相を呈(てい)していた。
煌(きらめ)く刃。振り下ろされる槍。
戦場にはヒトやウマ(ウォプタル)の声が木霊(こだま)し、噴き上がった血の飛沫が大地を赤く染めていく。
圧倒的な地の利、数の利を抑えられながら、ウペキエの雇兵(アンクアム)たちは善戦していた。
個々の実力においては、従軍の兵たちよりも明らかに秀でている。
中でも目を引いたのは、双刃の槍を振るうテルテォの姿だった。
「ぬぅぅん!」
気合と共に刃が奔(はし)り、触れた敵が両断された。
槍は止まることなく旋回し、逆端の刃をもって、さらに一人を粉砕する。
駆けるウマ(ウォプタル)の勢いとも相まって、さながら小さな嵐のようだ。
絶対の勝利を豪語するだけのことはある。
目にする圧倒的な破壊力を止められる自信を、今の某(それがし)はもちえなかった。
だが、それ以上に目を奪われたのは、もう一人の騎兵の姿だ。
波打つ髪をなびかせて、リネリォは風より速い疾駆を見せていた。
「シャッ――ハッ!」
テルテォの凶刃から逃れた敵のことごとくを、回り込んで切り刻んでいく。
標的は、六つに割られた事にすら気づいていないだろう。
それほどまでに、速い。
先のテルテォを暴風と例えるなら、リネリォのそれは鎌鼬(かまいたち)だ。
それも、大斧の刃を携えた魔性。
剣閃は血に曇ることすらなく、変わらぬ速度で戦場を駆け巡る。
エヴェンクルガの目をもってしても、その動きは捉えきれない。
知らず、息を飲んでいた。
己の未熟は承知していたが、改めて世は広いと思い知る。
だが、自省の念に駆られている暇など、戦の場にはない。
「タイガ!」
「っ!?」
ティティカ殿の声を聞き、平素の感覚が蘇る。
途端、襲いくる殺意に対し、剣を振り上げていた。
重なる刃。
弾ける火花。
耳障りに鬩(せめ)ぐ鋼の音の向こうに、敵兵が剥いた鬼の形相がある。
だが、今さら臆することではない。
わずかに刃を傾け、力を流し、
迷いなく、返す刀を叩きこんだ。
「ゴあっ!?」
「フっ――フぅ、フ……」
割れる頭蓋、あふれる血潮。
濃密な鉄の匂いを感じながら、短く息を整える。
動揺も慙愧も、今は必要ない。
まずは、この場を生き延びなければ。
無情な世を叩きつけるように、骸をさらなる肉片が飾る。
食い散らかされた、ヒトだったものだ。
慌てて見上げた視界の右方で、白い獣が唸りを上げていた。
「ムックル……お前……」
『ヴォウゥゥ……』
青い瞳を爛々(らんらん)と輝かせ、顎(あぎと)からは鮮血を滴(したた)らせた、森の主(ムティカパ)がそこにいた。
平素の穏やかさなど欠片もなく、迸(ほとばし)るほどの野生だけが溢れている。
生臭い息を吐く様は、歓喜しているようにも見えた。
――久しく味わうヒトの味に。
思わず剣を向けかけ、気づく。
その背に、森の母(ヤーナマゥナ)の姿はなかった。
「お前、アルルゥはどうしたんだ?」
『ヴォウ?』
途端、ムックルは瞳をいつもの青に戻し、辺りをきょろきょろと見回しはじめた。
久しぶりの衝動に我を忘れていたらしい。
若干の疲労を感じながら、某(それがし)も周囲を見る。
アルルゥは、さしたる苦もなく見つかった。
戦場の只中(ただなか)で、しゃがみこみ怪我人を診ている姿が。
「あいつは、なにをやって……
っ、アルルゥ!」
「お……!?」
その背に、敵兵が飛びかかる。
声は届いたが、剣は間に合わない。
気づいたアルルゥが振り返るが、それもまた遅く――
「死ねぇ!」
「!」
無情にも刃は振り下ろされた。
雷光にも似た、双刃の一端が。
「……あ?」
断末魔を残すこともなく、首から離れた敵兵の頭は、さらに左右へ分けられていた。
ウマ(ウォプタル)の脚を止めたリネリォの前で。
一拍おいて、後ろに数歩だけ下がる。
氷像めいたその姿は、返り血の一滴も浴びはしなかった。
「……おー」
ようやく事態を理解したのか、アルルゥが短くつぶやく。
その声に、リネリォが振り返った。
氷の目に浮かんでいるのは、苛立ちにも似た咎(とが)めの色。
「え。
あ、の、ありがと……」
「邪魔だ小娘、失せろ!
戦場は子供の遊び場ではない!」
「ひぅ……?」
向けられた叱責に、感謝の声が怯えに変わる。
唸るガチャタラやムックルの睨みを浴びてなお、リネリォの鋭いまなざしは変わらなかった。
「あ、姉上。
そこまで言わなくとも……」
「次だ。
行くぞ、テルテォ!」
「ハ、ハッ」
そんな停止も束の間のこと。
騎兵の姉弟は息をつくこともせず、新たな敵へと向かっていた。
震えるアルルゥをその場に置いて。
刹那の安堵と緊張に、某(それがし)もまた動けずにいた。
あの鬼神めいた女も、雇兵(アンクアム)。
今は同じ側にいるが、いつ敵に回るかもしれないのだ。
あの刃が某(それがし)や、アルルゥに向けられることも、ありえない話ではない。
……意味のない妄想だ。
少なくとも、今はまだ。
「キリがないね。
タイガ、あの門開けてきな」
向けられた声に意識が戻る。
戦場にあってもいつもと変わらぬティティカ殿は、強弓に三本の黒い矢を番(つが)えていた。
向けている先は、関が誇る広い門。
「あ、開けてこいと言われましても。
某(それがし)の腕でアレを打ち壊すには、
その、少々時間が……」
「誰が壊せって言ったの、さっ」
ならば? と訊ねる必要はない。
放たれた三本の矢、鋼鉄の箆(の)をもつそれは、折れることなく巨大な門へ突き刺さった。
斜に、段を刻むように。
「……なるほど」
理解し、脚に力を溜めた。
少しだけ横を、ムックルに護られたアルルゥを見る。
怯えは残っているが、少なくとも身を守ることは思い出しただろう。
まずは、今を切り抜けなければ。
想い、駆けた。
疾駆の中で慙愧を消し、くり出される刃を一重で躱し、門前で跳躍し、
撃ちこまれた一本目の矢を、しかと踏んだ。
そのまま二本目、三本目と駆け上る。
辿りついた門上に、待ち受けていたのは敵の群れ。
「な、なんだ?」
「こいつ、どっから現れた?」
「て、敵だ、迎え討、でぁ!?」
混乱している一瞬にしか勝機はない。
門を内より開放すべく、閂(かんぬき)を断たんと刃を振るう。
浴びた血に視界を赤く染め、錆びの味に不快を覚える暇もなく、
気づいたときには、関を開けていた。
そうなれば、勢いに乗る雇兵(アンクアム)の集団に、情容赦(なさけようしゃ)の念はない。
正規の兵を待つこともなく、ウペキエの軍はニギレギの関の奪還を果たしていた。