うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
地に突き立てられた巻藁(まきわら)を前に、一つ呼吸を整える。
人に見立てたその数は五。
近すぎず、遠すぎず、迫る集団を想定して立ててある。
これから先、遭遇するであろう状況を考えて。
瞬間で精神を研ぎ澄まし、一歩を大きく踏みだした。
迫る巻藁に剣を走らせ、
その横を駆け抜ける。
向かう先は次の標的。
脚は地を這うように、
軸を揺らすことなく動き、
振るう刃に重さを移す。
わずかな手応えに心を残し、しかし決して振り返らず。
足を止め、刀を鞘へと納めた瞬間、五つの巻藁は順に滑り落ちていった。
「ふむ」「やるな……」
息を吐くように周囲がざわめく。
ニギレギの砦の一角は、戦に臨む雇兵(アンクアム)たちの鍛錬の場として解放されていた。
某(それがし)もまた、日々の修練に利用した次第だ。
感心の声を聞きながら、呼吸と心を整える。
見せるための技ではないが、称える声は気分の悪いものではない。
だが、せっかくの朗(ほが)らか気分も、近くから聞こえてきた轟音に撃ち破られた。
文字通り、雷が轟くがごとき音だ。
「おお」「やはり、凄まじい」
賞賛の先に顔を向ける。
粉砕された丸太の前には、胸を張る頑健な男がいた。
「……テルテォ」
「お前は、タイガとか言ったか」
双刃の槍を誇る騎兵の弟は、某(それがし)と鍛錬の場を見て、小さく鼻を鳴らした。
「チマチマした剣だ。
小物には相応しいか」
そのまま人を小馬鹿にするような表情で、見下す視線を投げてくる。
挑発に乗るのは武士(もののふ)に相応しい行為ではないが、エヴェンクルガの剣を愚弄されたままではいられない。
「ふん、見た目ばかりで力任せの槍が
なにを偉そうに語る」
「力こそが強さの本質だ。
俺ならば、小賢しい立ち回りなど要さずに門を貫けた。
より早く、確実にな」
「この腕力バカめ。
知略戦略も解せぬのか、阿呆が」
「……俺を愚弄するとは、いい度胸だ」
構える槍の動きに合わせ、テルテォの言葉が質を変えた。
放たれる殺気に、思わず腰の剣を探る。
「ぬ……」
「貴様のような奴には一度わからせてやらねばな。
安心しろ、腕の一本も落とせば嫌でも――」
「なにをしている、テルテォ」
「ひ?」
それらすべての緊張が、一瞬で霧散した。
横から現れたリネリォの一言で、戦いに備えたテルテォの背筋が、バネを仕込んだ人形のように、ピンと一直線に伸びる。
「あ、姉上。
い、いえ、特になにも」
よほどの想いがあるのだろう。
答える声はわずかに震え、額には汗まで浮いている。
リネリォはそんな弟の様とこちらを垣間見て、つまらなそうにつぶやいた。
「ふん、まあいい。
稽古がすんだのなら来い」
「は、はい」
テルテォは直立不動のままそう答え、去りゆくリネリォの背を見送った。
その後、こちらを向いた情けない表情に、某(それがし)の口端も自然と上がる。
「姉上の言うことには逆らえない、か?
従順な弟であることは美徳だな」
皮肉を込めた言葉に、苦渋に満ちた表情はさらに歪んだものとなった。
「ぐ……。貴、様……」
「己の意思も貫けぬようで
よくも武士(もののふ)などと語ったものだ。
お前は技や力よりも先に
学ぶべきことがあるのでは――」
「トラー」
さらに攻めようとした途端、遠くからの呼びかけに遮られた。
ムックルに乗ったアルルゥが、いつもの無表情で近づいてくる。
「おなかすいた。ゴハン」
「ちょっと待ってろ。すぐに行く」
「ムックルもおなかすいたって言ってる。
はやく」
「待ってろと言ってるだろっ」
「……むー」
膨らむアルルゥの頬を横に、テルテォへと向き直る。
「相手にならいつでもなってやる。
ケンカを売る気があるのなら、
せいぜい姉の機嫌をうかがってからにし、
いお!?」
途端、上から落ちてきた白い手に、巨大な肉球に潰された。
『ヴォウ』
「こ、ムックル! おま、踏むな、こら――」
『ヴォウゥ』
「ぐべっ」
「はやくする」
次いで、襟首を銜(くわ)えられていた。
そのまま無様に引きずられる。
喉を締めつけられ、抵抗も抗議もできはしない。
遠ざかるテルテォは呆気の表情を浮かべていた。
……まぁ、今日の所は引き分けにしておいてやろう。