うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「死ねェ!」
「っ!」
咆哮と共に落ちてきた斬撃を、かろうじて右へと受け流す。
そのまま剣を転じようとし、叶わず、後ろへと退いた。
今までいた場を、刃の雨が流れて落ちる。
「っええい!」
苛立つ心を鎮めようと、荒い息を一度止めた。
前に見据える敵は五人。
だが、周囲にはそれに倍する数が迫っている。
止むをえまい。
自軍の十倍には達する敵陣に突っこんだのだから。
ドルノ・ウィへの侵攻も今や佳境を向かえ、皇都もいまや遠くない。
敵とて必死、これぐらいの守りを集めているのは当然だ。
指揮の無能を嘆(なげ)くより、今はやるべき事がある。
まずは、この場を生き延びなければ。
呼気を集め、気を満たす。
張り詰めた神経が時を止めた。
前傾の姿勢をさらに低く、踏みこむ脚は地を這うように、
走り、斬る。
向かってくる殺意に向けて、弧を描く銀の線は、一つ、二つ、三つ、四つ。
血が飛沫くより速く、肉と骨の重みを引きながら、
五つ目の首を落とすまで、一拍の間で駆け抜けた。
「ギっ――」「グぁ……!」
「っだ、ハァ、ハァ、ハァ……」
断末魔を聞き、足を止めた途端、心臓と肺が悲鳴を上げた。
滝のように流れる汗を不快に思う暇も、五つの骸を確かめる余裕もない。
横には、次の敵が迫っているのだから。
数を確かめるより早く、新たな刃が伸びてくる。
「ヤロウっ!」
「っ……!?」
奇声に剣を上げかけ、止めた。
迎え討つべき刃が、唐突に消えていたからだ。
「な……?」
「タイガっ、
ボンヤリしてんじゃないよ!」
某(それがし)に向かっていた敵は、ティティカ殿の放った無数の矢により、一瞬で地に縫いつけられていた。
「……凄い」
声を目で追い、思わず見惚れてしまった。
戦場を駆ける艶姿は、それほどまでに流麗だった。
駆けながら敵との距離を巧みに保ち、矢を番(つが)える間も止まらない。
放つ鏃(やじり)は一度に五。
撃つだけでも困難だろうに、ティティカ殿はその一矢たりとて、標的を外しはしなかった。
身近に迫る刃は鋼の弓で打ち払いながら、確実に敵を撃ち抜いていく。
死に満たされた場にありながら、それは、完成された舞の様だった。
負けじと某(それがし)も刃を振るう。
遠近の術を合わせた我らの技は、押しよせる敵の波すら止め、逆に押し返していた。
「タイガ、こっちはいいから、
向こうに手ぇ貸してやんな」
「む、向こう……?」
束の間に息を整え、言葉の示す方を見る。
某(それがし)たちが討ち果たした倍にも達する兵の群れが、十重二十重(とえはたえ)となって味方の騎兵を囲んでいた。
「あれはテルテォと、リネリォか?」
武装の定まらぬ雇兵(アンクアム)にあって、騎兵の数は特に少ない。
双刃槍を振り回す姿はさらに稀だ。
非凡な才を持つ二人、自然と戦の場では目立ち、それ故に敵を引きつけたのだろう。
俊足を誇るウマ(ウォプタル)も、今は踏みだす余地すら与えられず、脚を止めての斬りあいを余儀なくされている。
あれは、まずい。
テルテォの力もリネリォの技も、騎兵の速度があってこそ最大の威力を発揮するもの。
いかに実力で勝っているとはいえ、脚を止められ四方を囲まれては、あの二人とて無事では済むまい。
「ティティカ殿っ」
「いくよ、つっこみな!」
放たれた矢を追い、走る。
向かう先は群れる敵の塊。
気づき、剣を構えた一人、二人、三人が、先行く鏃(やじり)に撃たれ、崩れていく。
倒れるその体を踏み、跳んだ。
見上げる無数の顔を越えながら、降りる位置を見定める。
テルテォの背に刃を向けた敵の一人に。
「ぐおぁ!?」
「な、貴様、タイガ?」
その背を踏み潰すと同時に、驚く周囲へと刃を走らせた。
三人を一息で斬り散らし、次の相手を定めながら、背にした騎兵に言葉を飛ばす。
「後ろは任せろ。蹴散らすぞ」
「……ふん。偉そうに、抜かすな!」
気合一閃。
振り回された槍の双刃が、周囲に血の旋風を生んだ。
間近で見ると恐ろしいまでの威力だ。
死角さえなくなれば、その力を発揮するのに、なんの憂いもないという事か。
某(それがし)とテルテォの振るう、合わせて三つの刃が周囲の敵を払うのに、さほどの時は要しなかった。
かつてない高揚に、思わず軽口がこぼれる。
「口先程度の実力はあるようだな。
だが、騎兵の弱みを克服しきれて
いないのではまだまだ――」
「姉上!」
だが、テルテォにはそんな余裕など生まれなかったようだ。
息をつく暇もなくもう一方の包囲へ踏み出し、人垣を切り拓いていく。
その先にいる、リネリォの下へと向かって。
「姉上!」
光の弧を描く双刃。
狭い足場をそれでも巧みに活用し、リネリォは敵を斬り捌(さば)いていた。
少しさがって前と左右を。
わずかに脚を引き、後方を。
剣閃を無数の光条としてしか認めさせぬ槍をもって、動きの間を少しずつ広げていく。
だが、それとて圧倒的な多勢には抗(あらが)いきれない。
槍の捌(さば)きは肉と骨を断つごとに鈍くなり、敵兵は亡者にも似た執念で、リネリォからその足場すら奪っていった。
ついには三者を刻んだ瞬間、その刃は動きを止め、
背後から伸ばされた槍に、左の肩を貫かれた。
「ヅっ……!」
「姉上っ!!」
姿勢を崩すリネリォを目にしながら、テルテォの槍は届かない。
某(それがし)の剣もまた、彼女への道を拓くには至っていなかった。
リネリォは片腕を封じられながらも槍を振るい続けたが、その技もすでに死んでいる。
傷つきゆくウマ(ウォプタル)が脚を折るのも時間の問題だろう。
無力感に歯噛みした、その時、
頭上を、影が通り過ぎた。
「……え?」
巨大な、白い影が。
それは某(それがし)のみならず、テルテォと敵の群れをも跳び越え、
リネリォの眼前を血の海に変えた。
「お前、は……」
アルルゥを背に乗せた、慈悲も容赦もない森の主(ムティカパ)が、そこにいた。
響く獰猛な唸りの声に、周囲の何者も動かない。
ムックルは構うことなく腕を振るった。
一撃で三人が肉塊と化す。
恐怖が広がるより先に、もう一撃でさらに二人。
「な、なんだ?
今のは、アルルゥ殿の……?」
「ボケっとするなっ。
今が勝機だ、蹴散らせ!」
見知っている分、驚愕から一足早く立ち直った某(それがし)は、テルテォを促し、剣を走らせた。
いまだ立ち直らぬ敵兵どもの並んだ首を、屠殺するように刈り落とす。
「っ、俺に、指図するな!」
正気を取り戻したテルテォもまた槍を繰り、某(それがし)に倍する威力を見せつけた。
次第に味方の兵も加わり、ようやく劣勢が覆(くつがえ)る。
赤い飛沫は落ちる前に切り裂かれ、血煙となって周囲を覆った。
ようやくついた一息の間に、その中心へ目を向ける。
「貴、様は――」
「動いちゃダメ」
ウマ(ウォプタル)から降りたリネリォが、貫かれた肩をアルルゥに診られていた。
戦場の只中にありながら、小さな薬師は血に汚れるのも気にせず、真剣に傷へ視線を落としている。
そんなアルルゥの様を見て、ようやく落ち着いたのだろう。
リネリォは冷たいまなざしと不機嫌な表情を取り戻し、
「やめろ、恩でも売るつもりか。
この程度で貴様の世話になりたくは――」
「めっ」
鋭く睨み返されていた。
言葉を失ったリネリォに、アルルゥは手を止めぬまま、語る。
「アルルゥにできること、する」
それは短くも確かな言葉で、決して折れることのない鋼の強さを感じさせた。
声には確執の欠片もなく、己の役割を果たすという純粋さだけがある。
同じ想いを抱いたのだろう。
リネリォのまなざしは小さな驚きを見せた後、弱々しい穏やかさを浮かべていた。
手当てが終わるまで、ただ、静かに。
「ん、おわり」
「……すまない。手間をかけた」
「姉上!」
敵を払い終えたのか、テルテォが全力で戻ってきた。
地を抉(えぐ)らんばかりの勢いでウマ(ウォプタル)止め、かぶさるようにリネリォの身を確かめる。
「ご無事ですか? 肩は?」
「かすり傷だ、支障はない。
戦況はどうなっている。
すぐに残りを討ち払って――」
「ダメ」
立ち上がり、再び手綱を握ろうとしたリネリォを、アルルゥが引き止めた。
とられた手よりはそのまなざしに、リネリォが小さくない動揺を見せる。
「アルルゥ、殿……。
いや、しかし、
戦うことこそが我が役割なれば――」
「ダメ。
テルテォ、連れて帰る」
「い、いや、しかし……
姉上がこう言いだされると……」
「残りはトラがなんとかするから」
「お、俺っ?
あ、いや、某(それがし)が?」
いきなりな話に動揺してしまったが、言いたいことは理解できた。
リネリォの傷は十分に深く、心はそれ以上に疲弊している。
テルテォも同様だ。
二人をこのまま戦場に置いてはおけないだろう。
それに、少しだけ嬉しくもあった。
流れの上であるとはいえ、アルルゥが某(それがし)の腕を認めてくれたのだから。
「その、通りだ。
後のことは某(それがし)たちに任せ、
貴殿等は陣に戻られよ」
「お、お前などに任せていられるか。
俺も――」
「他にも怪我してる人、いっぱいいる。
運ぶ人つれてきて」
「アルルゥ殿?
で、ですが……」
「テルテォ。お言葉に従え」
「姉上?」
食い下がる弟をリネリォが諭(さと)した。
強い驚きを示しながら、姉に逆らえないのは変わらないのか、テルテォはそれ言葉を継ごうとはしない。
リネリォは再びアルルゥを見ていた。
「アルルゥ殿の言葉に従いましょう。
怪我人の運搬は我々に任せ、どうぞお先へ」
「ん」
「お気をつけて」
向けられるのは従順と配慮の言葉。
一変したリネリォの態度を、しかし、アルルゥはさほど気にもしていないらしい。
「ありがと。
トラ、いく」
「え? あ、おう」
ムックルに跨(またが)り進んでいくアルルゥの後を追う。
一度だけ振り返った視線の先に、佇む二人の騎兵を見る。
困惑を隠さぬ弟の横で、姉は妙に穏やかなまなざしを浮かべていた。