うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「ふぅ」
息をつき、額に浮いた汗を拭う。
時おり吹き抜ける涼風も、心を涼める梢の音も、初夏の日差しに対してはあまり効果がなかった。
山の中、木陰の続く道中でこの様だ。
街ではさらに暑くなるのだろう。
少しばかり気が滅入る。だが、某(それがし)も武士(もののふ)の端くれ。
暑いの寒いので文句は言えない。
心の中で小さく気合を入れ、起伏ゆるやかな道を踏み直した。
ヒットコの村で請負った山賊退治をつつがなく終えて早五日。
今日もまた、ウペキエの国へと続く道をひたすらに歩いている。
溜まる疲れは体よりも心にこそ重い。
こんなことならば見栄など張らず、ありがたくウマ(ウォプタル)を貰っておくのだった。
いや、それはできないか。あの程度の仕事でウマ(ウォプタル)一頭という報酬を受け取ってはエヴェンクルガの名折れとなる。
ましてや、敵に残党を残していては。
結局、炎の中に消えた二人を見つけることはできなかった。
包囲していた村の民にしても、燃え落ちる砦から出てきた者は某(それがし)たちの他にはいなかったと言うし、痕跡を調べようにもすべては灰と帰した後。
村人たちは目前の脅威が去ったことにただ喜び、瑣末な事と取り上げようともしなかった。
もっとも、その判断は正しいだろう。
あの二人が何者だとて、今もまだ村の近辺に潜んでいるということはあるまい。
ほとんど確信に近い想いが胸の内にわだかまっている。
もっと大きな、より壊滅的な謀(はかりごと)を企てているであろう確信が――
「……いかんいかん。
なにを妄想しているんだ、某(それがし)は」
足を止め、首を振る。
今まで、直感に頼ってどれほど悲惨な目にあってきたことか。
己に天運がないことは嫌というほど思い知っている。
日々の地道な鍛錬と精進だけが、確実な結果に結びつくのだ。
今はただ、前に伸びる道を歩くだけ。
気がつけば、ずいぶん進んでいたらしい。
聞こえてくる森の音には、いつの間にか冷たい水の響きが含まれていた。
誘われるがままその源へ。山道をわずかに逸れた行く手には、清らかな水が流れ伸びていた。
ようやく気づいた喉の渇きに、迷うことなく手をひたした。
痺れるような冷たさを掬い上げ、口へと運んで胃に落とす。
鮮烈な刺激に驚いたのか、腹の虫が盛大に存在を主張してきた。
飛び跳ねた魚が川面から現れ、そしてまた消えるのを見たからかもしれない。
「……ちょうどいい。
昼餉にするか」
空を見上げれば、日も中天にかかろうとしている。
空腹を満たすには頃合だ。
足元の石塊を脇によけ、背負っていた荷を静かに置く。
ひっかけていた鍋が石に触れ、軽いうつろな音を立てた。
荷の前で膝を折り、胸元で軽く両手を組む。
「大いなる山の神(ニノトゥ・カミ)よ、
我にわずかばかりの糧を授けたもう」
短く祈りを捧げてから、再び元の道へと戻る。
武士(もののふ)たるもの、日々の食事をおろそかにするわけにはいかない。
旅の途中だからといって、保存食で済ませるような横着はもっての他だ。
規則正しく、二度の食事をきちんと摂ってこそ、心身の健やかさは保たれるのだから。
……そのために日々の歩みが遅れても、だ。
涼しげになる梢の奥、並び立つ木々の中へと踏み入り、まずは薪を集める。
細く乾いたものを選びながら、木漏れ日に茂る葉の元へと足を向けた。
固く大きな葉に太く短い茎を確かめ、土をほぐして引っこ抜けば、根と共に小さな芋が現れる。
固く形は歪だが、これも立派なイモ(モロロ)だ。
ただ、普通は煮ても焼いても固いままで、食用には向かないが。
他にもいくつかの山菜を集めてから、河原へ戻る。
さっそく調理にとりかかるとしよう。
取り出したザルにモロロを入れ、流れに浸して土を落とし、それを一枚の葉でくるむ。
蔓で縛って土に埋め、拾い集めた小枝をその上で円形に組んだ。
慣れた火付けに時間はかからない。
乾燥した細い枝は、すぐに種火を炎に変えた。
中央に水を張った鍋を置き、これで準備は完了だ。
次は主菜を調達しよう。
一つ長い枝をとり、その先に取り出した糸を結ぶ。
先端には針と、餌は川辺の小石に張りついていた小さな虫。
魚籠(びく)をもち、一つ大きな岩の上へ飛び乗る。
わずかな手首の動きだけで、針は狙いに違わず、水面の中心へ飛んでいった。
兄上のように剣で獲れれば楽なのだろうが、戦い以外で技を振るうのも、武士(もののふ)としていかがなものかとも思う。
それに、たかが魚を釣り上げるのに、それほどの苦労はない。
火に掛けた鍋が煮立つまでの間で、魚籠(びく)には一〇に近い魚が収まっていた。
火の元へ戻り、串に刺した魚をその周囲へと並べる。
味付けは塩だけ。
脂が尾から落ちてくる頃に、砕いた香草を一振り、火に投げ入れる。
鍋には洗った山菜を。
煮上がるまでのわずかな間に、取り出した盆に器を並べ、コロホの漬物を三切れほど切り分ける。
焼き魚を主菜に、副菜は水で締めた山菜のお浸し。
汁物は、今は諦めよう。出汁から取るには時間が掛かりすぎる。
配膳を整えてから、最後の品を取り出すために水を打った。
火は一瞬で掻き消え、薪から白い蒸気が上がる。
いつもならここで風向きが変わったりするところだが、今日はすぐに持ち運べる盆で、対策は完璧だ。
幸いというかやはりというか、風が気分を損ねることはなかったが。
幸運を山の神(ニノトゥ・カミ)に感謝しながら、燃え残った炭を薪でのける。
黒ずんだ土の下から掘り起こした葉の包みは、ほんのりと甘い匂いを漂わせていた。
蔓をほどけば、さらに強い香りが広がる。
木の根のような硬さだった山モロロは、小さく歪なままではあったが、木匙で押せば崩れるほどに、柔らかくなっていた。
調味料にもなるニモホの香草の優れた効果だ。
蒸し上がった山モロロを、少しほぐして椀に盛る。
少々見栄えは寂しいが、急ぐ旅の最中では止むを得ないだろう。
最後に手前に箸を置き、再び胸元で両手を組む。
「大いなる山の神(ニノトゥ・カミ)よ、
今日の糧に大いなる感謝を……?」
そして祈りを終えようとしたとき、ふと、異質な気配に耳が震えた。
人里離れた山中にあって、それは懐かしくすらある賑やかな気配。
いや、立てた羽耳が感じるのは、そんな和やかなものではない。
今の世では珍しくもない、慣れ親しんだ戦いの気配だ。
横に置いていた剣をとり、重みを確かめた次の瞬間には、駆けだしていた。