うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
沈黙はごく一瞬。
いや、言葉のない間を沈黙と解したのは、某(それがし)だけだったのかもしれない。
敵の皇(オゥルォ)は場の雰囲気に気づくことなく騒ぎ続けていた。
「は、はやくなんとかしろ!
門どころか、城の内にまで
入りこまれているのだぞ。
敵を、敵を殺せ!」
それに対し、仮面の女は変わることなく無言を貫き続けている。
応える気がないというより、はじめから聞いてもいないのだろう。
態度がそれを裏付けていた。
女は一度も皇(オゥルォ)を視界に入れてすらいない。
代わり、リュウガ兄が動いた。
ゆっくりと、なめらかに、腰の剣を抜き、掲げる。
それはあまりに自然な動作で、含まれた意思を微塵も感じさせなかった。
刃を振り下ろされた後でさえ、皇(オゥルォ)は気づかなかっただろう。
「……あ?」
己が、脳天から両断されたことに。
如何なる技を持ってすればそのような事が可能なのか。
皇(オゥルォ)の体は仰向けに崩れ落ち、二つの肉塊と化した後にまで、一滴の血すら飛沫(しぶ)かせはしなかった。
刀にも曇り一つない。
リュウガ兄は広がる血溜まりを見下ろしながら納刀し、女に言葉を向けた。
「ハクビ、もう十分だろう。
次へ向かうとしよう」
「そうですね。
外の『怨(オン)』を集めて終わりとしましょう」
交わされた会話はそれだけ。
迫る状況を顧(かえり)みる事もなく、ハクビと呼ばれた女は部屋の奥へと向かう。
いや、一度だけ振り返った。
気負いのないまなざしが、わずかにこちらを向いた。
「いずれ、また」
それが誰に語られたものだったのか、正しくはわからない。
意味を問いただす間もなく、女は姿を消していた。
後を追い、リュウガ兄も進む。
某(それがし)を見ようともしない。
……弟である、自分を。
「――兄上!」
怒りにも似た感情に、ようやく口が動いた。
リュウガ兄の足が止まる。
だが、振り返りはしない。
苛立ちが、ますます募る。
「なぜ無断で里を下りたっ。
一族の宝剣まで盗みだして……
こんな所で一体なにをしているんだ!」
一息で告げた問いかけにも応えはない。
返ってきたのは、命じる声と鋭いまなざしだけ。
「帰れ。
お前には兄などいなかった」
「な……
それが、血の繋がった
ただ一人の弟に対していう言葉か!」
「里で聞かされたはずだ。
禁を犯した者に対する罰を。
エヴェンクルガの血は捨てた。
もはや僕(やつがれ)に弟などいない」
声は自らの罪を認め、迷いなく受け入れていた。
その潔さは、確かによく知る兄上のもの。
……だからこそ、認められない。
血を分けた実の兄が、目標とする存在が、自分を裏切ったなどと。
思わず、腰の剣に手が伸びる。
「リュウガ、兄……!」
「抜くのか?」
その動きに、リュウガ兄の放つ気が変わった。
ようやく振り返ったまなざしに宿るのは、敵を討つ絶対の殺意。
「っ……」
「僕(やつがれ)に刃を向けるというのなら、
覚悟はできているのだろうな」
剣を構える型は同じ。
だが、前にした完璧な静を見ると、自身がその真似事でしかないのだと、否応もなく思い知らされる。
それほどまでに、リュウガ兄のまとう殺気は純粋なものだった。
一歩でも踏みこめば刹那で首が落ちる。
感情のない眼光は、どうしようもなくそんな確信を抱かせる。
脚が張りついたように動かない。
恐怖ではなく、これは、絶望からか。
なにをしても勝てないという現実が、抵抗の意思を根こそぎ殺していた。
しばし流れる、心臓も鼓動を忘れたような沈黙の時。
誰も、なにも語らなかった。
ティティカ殿も、アルルゥも、ムックルでさえ、呼吸すら殺して凍りついている。
某(それがし)たちがそれ以上動けないと確信したのだろう。
リュウガ兄は息をするように構えを解いた。
あまりにも自然な動作に、それでも某(それがし)は身じろぎすらできない。
討つべき敵を前にして――
「里に帰れ。
お前に武士(もののふ)は務まらぬ」
「っ……」
なにも、言い返せなかった。
制止の声すら言葉にならない。
リュウガ兄が立ち去っていく姿を、ただ見送ることしかできなかった……。
――それから、どれほど経った後だろう。
「敵の皇(オゥルォ)はここかっ――ぁ?
お前ら、いつの間、に……?」
飛びこんできたテルテォの声に、ようやく我を取り戻した。
さらに何人かが部屋に雪崩れこんでくる。
敵兵の姿はない。
どうやら勝敗は決したようだ。
「これは……
一体、なにがあった」
「……あぁ、リネリォ。
なにが、ね。
うん、まぁ、色々と、かな……」
血溜まりと化した部屋の中、両断された皇(オゥルォ)の骸を前に、ティティカ殿の声にもいつもの張りはない。
アルルゥもまた深刻だ。
視線を遮るガチャタラにすら反応せず、ただ無言で虚空を見続けているばかり。
鬼面の女が消えた部屋の奥を。
見据える影は違えども、それは某(それがし)も同じことで、
増えていく騒ぎの声が、やたら遠くにしか聞こえなかった。