うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
ある日、宿の廊下を歩いていると、庭の木陰から視線を感じた。
「ん?」
黒い翼を揺らすカミュ様の視線。
柔らかな表情はいつもの通りだが、どこか様子がおかしい。
「カミュ様。どうかしましたか?」
「……うん。
ちょっと、こっちに来て」
心なしか頬が赤く、瞳が微かに潤んでいるような。
声に従い近づいていくと、さらに木々の奥へと進む。
「カミュ様?」
「ん……。
もっと、近くに……」
言いながらも歩みを止めようとはせず、影が深まるさらに奥へ。
すっかり人気も遠ざかった所で、カミュ様はようやく足を止めた。
一際大きな木の下で、背を幹に預けるように。
「カミュ様。いったい――」
思わず、息を飲んでいた。
細んだまなざし、
上気した頬、
柔らかなしなりを見せる、女の姿に。
「カ、カミュ様?」
「ふふ……」
微笑みは某(それがし)の動揺を楽しむように。
柔らかな唇に、人差し指を一本添える。
その仕草は愛らしさより、肌が粟立(あわだ)つほどの妖しさを感じさせた。
「あのね、熱いの……」
「は、はい?」
「とっても、喉が渇くの……」
言いながら、両の腕で己を抱く。
横から押された豊かな胸が、ますます大きく膨らんだ。
わずかに苦しげな表情の、額に浮かぶ薄い汗。
集い流れる無色の雫が、白い喉を降りていく。
なぜか、某(それがし)は唾を飲んでいた。
「カミュ、様……」
「ねえ、
こっちに、きて……」
誘う青い瞳は揺れ、浮かべる笑みは妖艶に。
さしだされた右手の指が、導くように波打ち、閉じる。
その妖しさが知れるのに、いや、知れるからなのか、気づかぬうちに、歩み寄っていた。
仄かな甘さに誘われて、ふらり、ふらりと、一歩、また一歩……
頭上の影にも気づかなかった。
「はっ?」
察したときにはもう遅い。
『ヴォウ』
「おー」
「おごあ!?」
上から落ちてきた塊に、某(それがし)はあえなく押し潰された。
樹上に控えていたのであろう、ムックルと、アルルゥに。
つっぷした頭の上から、楽しげな声が聞こえてくる。
「やったやったー。
ひっかかったー」
カミュ様の声はいつもと同じ、底なしに無邪気なものだった。
「はー、ドキドキしたー。
バレちゃわないか心配だったよー」
「だいじょうぶ。
トラ、すけべだから」
「だ、誰が、スケベだ……」
我ながら情けない抗議の声も、二人はまるで聞いていない。
「よーし、次はテルテルだー」
「おー」
『ヴォウ』
小さな拳を振り上げて、次なる標的へと向かっていく。
その様の、なんと生き生きしていることか。
アレのどの辺が皇族の姫なのだろう。
認識を改めた方がよいかもしれない。
動かぬ身で益体(やくたい)もないことを考えながら、遠くからの断末魔をしみじみと聞いた。