うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
大樹の前で胡坐(あぐら)をかいた某(それがし)の前で、少女は骸を漁っていた。
首なし、血みどろ、臓物まみれの遺体に、さしたる嫌悪を示すこともなく、ただ汚れることだけには気をつけて。
懐や荷を探っては、「おー」だの「きゃっほう」だのと妙な歓声を上げている。
知らず、溜息をこぼしていた。
「山賊に襲われているのかと思ったら、
まさか助けた方が追剥(おいはぎ)だとは……
エヴェンクルガの名折れだ」
「むー、アルルゥ」
「……は?」
「追剥じゃない。アルルゥ。
こっちはムックル」
つぶやきが聞こえたらしい。
少女は自分と白虎を指差しながら、小さく頬を膨らませていた。
言葉遣いや顔立ちこそ幼いが、歳は某(それがし)とさほど変わらなさそうだ。
なぜか油断できない気がするのは、先の行動を目の当たりにしているせいだろう。
どこか静けさを感じさせる円(つぶ)らな瞳は、懐から飛びだしてきたリスのようなものを追っていた。
「この子はガチャタラ。
アルルゥはふたりのおかーさん」
「おかーさん?
いや、名を聞いたわけでは……」
言いたいことを言い終えたのか、アルルゥはそれ以上を語ろうとしない。
代わりに、まなざしが告げていた。
自分は名乗ったのだからお前も名乗れ、と。
確かに道理ではある。
抵抗はあるが、名乗らぬ不名誉には変えられない。
「……某(それがし)はタイガ。
エヴェンクルガの武士(もののふ)だ」
「たいがー?」
「タイガ、だ」
「むー。ヘンな名前」
「余計なお世話だ。
追剥にとやかく言われる筋合はないっ」
荒くなる語気もそのまま、思わず本音で怒鳴っていた。
冷静な態度と連携の巧みさを見ても、行為の常連であることは確かだ。
子供といえど見逃せるものではない。
某(それがし)の的を射た言い分のなにが気に入らなかったのか、アルルゥはただでさえ丸い頬をさらに膨らませていた。
「アルルゥ、悪いヒトにしかしない。
それに、脅すだけだったのにジャマした」
「なに?」
「ヘタっぴのクセにジャマした」
指さしているのは某(それがし)の腰。
より正確には、佩(は)いている刀だ。
なにが下手かは質(ただ)すまでもない。
「な、なんだと、この――」
思わず腰を上げかけるも、アルルゥは白虎(ムックル)の後ろに隠れていた。
唸りを上げるその様に、先の恐怖を思い出す。
少女の頭上では、ご丁寧にも小栗鼠(ガチャタラ)までが尾を逆立て、威嚇の声で大気を揺らしていた。
一つ、深く息をつく。
落ち着け。このような些細で心を乱されるから、某(それがし)は未熟なままなのだ。
一呼吸で感情を鎮めてから、努めてゆっくりと立ち上がった。
「……そうか、それは悪かったな。
今度からは某(それがし)のようなお人好しの
いないところでやってくれ」
そして踵(きびす)を返す。
捨てゼリフめいた皮肉に少しだけ自己嫌悪を覚えたが、この場限りだと飲みこんだ。
「うー……」
返事を待たず、来た道を戻る。
苛立ちに自問自答をくり返した。
某(それがし)は間違っていない。
危機に襲われた弱者を助けるのは、武士(もののふ)として当然の行為だ。
その末に騙されたのだとしても、なんら後悔する必要などない。
あのような輩(やから)がいると知れただけでも、よい経験だと思おう。
世がいかに広かろうと、斯様(かよう)に非常識な存在と、そうそう出会うこともあるまい。
……と安心したいのに。
なぜ背後から、その気配が消えないのだろう?
振り返り確認するまでもなく、ムックルが某(それがし)の後ろをついてきていた。
恐らくは、背上のアルルゥに言われるがままに。
いや、道が同じだけということもありうる、と自分をごまかす。
だが、気づかないふりをしたまま道を外れ、元いた川原へ向かう間も、威圧的な獣の気配は後ろに張りついたままだった。
あえて気にせず、支度した昼餉の前へと戻る。
盆の上に整えた品々は、熱を失ってはいたが、まだ十分によい匂いを漂わせていた。
「おー」
感心する声元は盆の向こう。
アルルゥはムックルの頭上から、熱い視線を注いでいた。
「……なにか用か」
「べつに」
不機嫌を隠さずに問いかけても、そう言うばかりで目を合わせようとはしない。
構うことなく、祈りを終えて箸をとった。
ほぐした山モロロは柔らかく、ほのかな苦味と豊かな甘味が口の中に広がる。
魚は絶妙の火加減と塩加減。ほどよく脂の落ちた身には、いつまでも後を引く旨味があった。
山菜の煮付けは清々しく、漬物は後味さっぱりと。
あまり誇りたくはないが、我ながらなかなかの出来だ。
出来、なのだが……
残念ながら、あまり堪能はできずにいる。
当然だろう。
巨大な虎に周りを巡られながら箸を進められるほど、某(それがし)の胆は据わっていない。
兄上ならば、周囲の状況など何一つ気にはしないのだろうが……
心休まる昼餉のため、某(それがし)は心の膝を折った。
荷から盆と食器をもう一組とりだし、同じ膳を改めて配した。
揃えられていく食事を前に、ムックルはうろつくのをやめた。
母と称する少女を前に置いて。
「手を洗ってこい」
「ん」
食前の作法に関しては妙に素直で、アルルゥは小走りに河へと向かうと、そそくさと手を洗って急いで戻ってきた。
そんな些細が妙にほほえましく、心の澱が少しだけ晴れたような気がする。
整えた膳を差し出してやると、アルルゥは静かに目を閉じ、祈りの言葉を口にした。
「森の神さま(ヤーナゥン・カミ)、いつも恵みをありがとうございます。
大神(オンカミ)ウィツァルネミテアに感謝を」
……某(それがし)への感謝はなかったが。
アルルゥはおもむろに、木匙ですくった山モロロを口へと運んだ。
「……おおー」
発した言葉はそれ一つだけ。
後は飢えた獣のように、ひたすらに食を進めていった。
椀が空になればズイと差し出し、皿があけば催促して。
もう文句を言う気力もない。
某(それがし)は促されるままにモロロを盛り、魚を供じてやるばかりで。
多めに作ったつもりの食事はあっという間に、きれいさっぱり消えていた。
「んふー。ごちそうさま」
「はいはい、おそまつさま」
思わず憮然たる声を返していたが、満足げなアルルゥの声は、決して不快なものではなかった。
「ごはん、じょうず」
「そりゃどうも」
「剣よりじょうず」
「うるさいっ」
無論、語る内容にもよるが。
食後の腹ごなしに二人分の食器を洗う。
剣の腕は一向に上がらないのに、こんな手際だけはよくなった。
小さな溜息がもれるが、汚れが落ちてきれいになる様は見ていて心地よい。
水気を落とし、荷をまとめる最中。
一人と二匹の視線に気づいた。
目的は果たしただろうに、アルルゥはまだその場でくつろいでいる。
某(それがし)が気にかけることではないか。
「それじゃあな。
あまり他人様に迷惑をかけるなよ」
別れを告げ、川原から道へと戻る。
思いがけず余計な時間を使ってしまった。
少し急がなければならない。
――のだが。
「……まだなにか用か」
後ろには、まだムックルがついてきていた。
当然、頭にはアルルゥが貼りついている。
あまり期待はしていなかったのだが、問いかけにはちゃんと返事が返ってきた。
「アルルゥ、女の子の一人旅。
きっと危ない」
「……どこが」
どうしようもなく目が平む。
視線の先ではムックルが「こっちを見るな」とでも言いたげに唸っていた。
しばしの睨みあいを不毛に思ったのか、頭上からアルルゥが言葉を足してきた。
「街まで遠い。
おいしいゴハン、たべたい」
それが本音なのだろう。
なおさら腹立たしい。
「某(それがし)はエヴェンクルガの武士(もののふ)だぞ。
それを、給仕の代わりに使うつもりかっ」
「エヴェンクルガの人、優しい。
弱いヒトの味方」
思わず剥いた怒りに、しかしアルルゥは動じない。
「あ……?」
「武の才に恵まれ、孤高な精神をもち、
たとえ自らの命を失おうとも
決して義に反することはしない」
「そ、その通りだ。わかってるじゃないか」
「エヴェンクルガの武士(もののふ)だったら、
女の子を一人で行かせたりしない」
「む、う……」
アルルゥは立て続けに痛いところをついてきた。
抑揚の少ない棒読みの口調ではあったが、某(それがし)の心を揺さぶるには十分で――
だから、だろう。
「……アルルゥといっしょ。や?」
上目遣いのアルルゥを、一瞬、かわいいなどと思ってしまい、
「つ、次の街までだぞ」
頭の中は真っ白のまま、知らず言葉を返していた。
「きゃっほう」
初めて見るアルルゥの笑顔は、名である花に似た愛らしいもので、弾んだ喜びの声も、耳を心地よくくすぐった。
もっとも、そんな心地もごく束の間。
「それじゃ、いく」
それまでのやり取りなどすべて忘れたような潔さで、アルルゥはムックルに歩を進ませていた。
こちらを顧みることもなく、己の道に迷いもない。
「お、おい?」
「たいがー、はやくくる」
「某(それがし)はタイガだっ」
掛けてくる声はやたらとぞんざいに聞こえた。
恐らく、気のせいではあるまい。
「言っとくが、食事番はやらないぞ」
「ん」
「追剥めいた悪事も認めないからな。
某(それがし)まで加担しているなどと思われたら迷惑だ」
「わかった」
「ちゃんと聞け。
いいか、エヴェンクルガと共に歩く者として、
もっと名誉と品格というものを自覚してもらうぞ」
「むー、うるさい」
「う、うるさいとはなんだ。
おい、こら。人の話を――」
「ムックル」
『ヴォ』
「ぐあ!?
き、貴様っ、武士(もののふ)を足蹴にするとは――」
「ガチャタラ」
『キュ』
「し、しびびびびびび!?」
かくして、某(それがし)はアルルゥと出会った。