うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
卓に置かれた大鍋一つ。
とろみのある乳白色の汁がコトコトと音を立て、肉や野菜を優しく温め続けていた。
湯気と共に広がるよい匂いは心地よく鼻腔をくすぐり、いやがうえにも空腹を刺激する。
香りたつ晩餐を前に、『ティティカルオゥル』の面々は、皆一様に唾を飲み下していた。
「今日の晩飯は
ユズカが作ったんだって?」
「はい。久しぶりに
楽をさせていただきました」
「お口に合えばよいのですが」
ユズカ殿は微笑みながら謙遜したが、それは杞憂に過ぎるというもの。
某(それがし)は手伝おうと思っていたのだが、テキパキと調理を進めていく様に、心配の念は欠片ほども浮かばなかった。
「まったく感服いたしました。
まだお若いというのに素晴らしい手際。
いや、鍋一つで足りるかどうか」
「そんな、もちあげないでください。
おじ様たちにはあまり料理を
させていただけないのです。
だから、はりきってしまいました」
「いやいや。やはり女性たるもの
料理の一つもできなければ」
「トラちゃん、なにが言いたいのー?」
「アルルゥ、料理できる」
「アルルゥのは調理じゃなくて調合だろう。
せめて毒ではなく食えるものを作ってくれ」
見るからに食欲をそそられる食卓に、某(それがし)は妙に上機嫌になっていた。
カミュたちの膨れた顔も気にならない。
日々このように穏やかな心でいられれば、無用なゴタゴタに巻きこまれても速やかに回避できるだろうに。
ユズカ殿はにこやかに、皆の膳まで整え終えていた。
「どうぞ、召し上がれ」
「「「いただきます」」」
深い木匙いっぱいにすくいとり、あますことなく口へと入れる。
途端、雷のような激震が走り、全員の動きが止まっていた。
いや、ユズカ殿だけはただ一人、おいしそうに食を進めている。
抵抗もなく、パクパクと。
「ユ、ズカ、殿。
この、味は……?」
「久しぶりでしたが上手にできました。
とっても苦くておいしいです」
思わず掛けた言葉にも、幸せそうな笑みが返ってくるだけだった。
「……そういえばユズっち、
苦いもの好きだったっけ」
「……おー」
アルルゥとカミュが声をひそめて何事か囁きあっていたが、現状が打開できるような話ではなさそうだ。
広がる薄い沈黙に、ユズカ殿が怪訝な表情を覗かせる。
「あの、みなさん?」
「あ、な、なんでもないよ。
うん。ちょっと、珍しい味だから
びっくりしちゃっただけ」
「……ん。おいしい」
不振な挙動を見せながらも、二人は食を再開させていた。
忙しなく手を動かして、しかし椀の中身はほとんど減らさずに。
同様の無理を押しながら、他の面々も談笑を混ぜつつ、厳しい戦いへと身を投じていく。
しかし、これは……
「タイガ様……
お口に、合いませんか?」
食に関わる者としての躊躇が敏感に伝わってしまったらしい。
ユズカ殿は某(それがし)を見ながら、不安の表情を浮かべていた。
儚げな面立ちとも相まって、見ているこちらまで悲しくなってくる。
「い、いえ、そのような事は……」
「そんなことない。
トラ、苦いの好き」
「な、アルルゥ?」
「そ、そうそうそう、そうだよ!
トラちゃんてばもう、某(それがし)は
苦いところしか食わないんだー、
とかいって、お魚のワタしか食べないぐらい
苦党なんだから」
「ん。まっくろにして食べるの大好き」
「お、おいっ?」
「もう、しょうがないなぁ。
カミュの分も分けてあげるよ」
「アルルゥのも」
無責任に煽りながら、二人は自分の残りを某(それがし)の椀へと流しこんでいた。
湯気をたてる乳白色の汁物が、なぜか今は深い緑色に見える。
救いを求めるように見た隣では。
「そうなんですか?
わたしと同じです」
ユズカ殿が嬉しそうに目を輝かせていた。
このように無垢な笑顔を見せられて、その期待を裏切る事などできようか。
「は、はは、はい。
それはもう、あの苦味がなんともいえず……」
「お代わり、たくさんありますから。
遠慮なさらないでくださいね」
そしてドンと差し出される、大鍋いっぱいの苦鍋。
知らず、額からはぬめった汗が流れ落ち、喉は無駄に唾を飲み下す。
……ええい、こうなったら、覚悟を決めるしかあるまい。
「っ、いただきます!」
大神(オンカミ)と自らに合掌し、高らかな宣言で気勢を上げる。
某(それがし)は木匙一つを武器に、生涯最大の敵へと挑むよりなかった――