うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第二幕・23~ ユズハの願い・月夜

 

 星空の下、剣を振る。

 夜を照らす月の光を斬るように。

 闇の中、刃の煌(きら)めきが流れて消える。

 一心不乱の剣閃ならば見えざるものも斬れると信じ、すべての雑念を忘却して、ただ剣を振り続けた。

 ……無論、そんな妄想が具現することはなかったが。

「……ふぅ」

「タイガ様?」

 疲労の息を吐いた途端、後ろから呼びかけられた。

 もはや驚く気力もない。

「……あぁ、ユズカ殿……」

「鍛錬ですか?

 このような夜更けまで。

 ご熱心なのですね」

「はい……いえ。

 これは、鍛錬と呼べるようなものではなく……

 ただの八つ当たりです」

「八つ当たり、ですか?」

 幼くも優しげな面立ちに、困惑の色が広がっていく。

 疲れていたのだろう。

 誰かに話したかったのかもしれない。

 罪悪感にも似た、自分でもよくわからぬ感情のまま、知らぬ間に心を晒していた。

「里を下り、諸国を巡り、

 ずいぶん長くなりますが……

 某(それがし)はまるで成長しておりませぬ」

「そのようなことは……」

「少しは強くなったと思っても、

 新たな境地の前ではまるで無力。

 敗北を許されぬエヴェンクルガの末席にありながら、

 何度無様な姿を晒したことか……

 時おり、己の無能が許せなくなります」

 そして、今も泣き言を連ねている。

 あろうことか、年端もいかぬ少女を相手に。

 いつの間にか目の端が潤みかけていた。

 まったく、いっそこの腹を裂いた方がよいかもしれぬ。

 某(それがし)の、武士(もののふ)とは思えぬ醜態を前にして、ユズカ殿は表情を変えていた。

 いつもの優しげな表情に。

「それでもタイガ様は、

 剣をお捨てにはならないのでしょう?

 なぜですか?」

「それは、某(それがし)がエヴェンクルガの――」

「エヴェンクルガに生まれた者とて、

 必ず武士(もののふ)になるわけではないと聞きます。

 他にも道はあるはずなのに、

 なぜ?」

「それは――」

 ……なぜだろう。

 幾度となく壁に当たり、砕けながら、それでも無様に剣を振り続けているのは……

「それは……この先に光明があると、

 諦めきれないから、でしょうか」

 思い至った情けない答えに、ユズカ殿は笑みを浮かべていた。

「それならば大丈夫。

 タイガ様は、きっと立派な武士(もののふ)になれます」

 心からの、晴れ晴れとした笑みを。

「ユズカ、殿?」

「タイガ様には見えますか?

 あの星が」

 言いながら、ユズカ殿が指差したのは天の月。

 いや、正しくその後を追えば、月よりわずかばかり右にずれた位置。

「……あの、月の横に瞬く星、ですか?」

「はい。

 あれは、私のお母様です」

「母上?」

 語尾を上げた某(それがし)の声に、ユズカ殿は無言で頷(うなず)いた。

 瞬く星を見上げたまま、ゆるやかに言葉を紡いでいく。

「お母様は生来お体が弱く、

 重い病に侵されていました。

 体中の神様(オンカミ)が争いあう

 不治の病だったそうです。

 一人で歩くこともままならず、

 ついには光すら奪われてしまいました」

 一人の女性の生涯と、心の内を。

「お母様にとって、

 生きる事はそれだけで

 罪だと感じることでした。

 大切な人たちに迷惑をかけ、

 苦しみを与え、

 それでも何一つ報いる事もできない悪行だと」

「そのようなことは……」

「それでも、お母様は生きてくれました。

 自分を支えてくれる人たちの優しさに応える、

 それが唯一の方法だと信じて。

 そして、自分の生きた証を諦めないために」

「生きた、証?」

 淡々と紡がれていた言葉の中に、確かな強さが生まれていた。

「はい。

 それが私です」

 それは、決して折れる事のない誇り。

 彼女を支えている力。

 何一つ飾ることのない、ユズカ殿の存在そのものだった。

「私はお母様のお顔も、声も、

 ぬくもりも知りません。

 ですが、想いは知っています。

 気高く、強く、己の信じたことを諦めない生き方を」

 語る声ははっきりと、表情は輝いてすら見える。

 それは、己の道を進む者の、確かな自信に満ちた笑み。

「初めて夜空を見上げた時にわかりました。

 お母様はあの星になって

 私を見守ってくださっているのだと。

 お母様のように、私が決して自分を諦めないように」

「ユズカ殿……」

 それは、幼さゆえの無垢なのかもしれない。

 挫折や絶望を知らぬ、美しいものだけを見ている者の夢かもしれない。

 ――現実はそれほど容易いものではない。

 人の心は折れやすく、苦難は嵐のように押し寄せる。

 諦めないということは、常に真剣を握り続けているようなものだ。

 わずかにでも気を抜けば、刃は自らを深く断ち落とす……

 そんな現実を知っていながら、それでも、

 ユズカ殿の生き方はあまりにも眩(まぶ)しいもので、

「……母上殿はその誇りを、

 某(それがし)にも分けてくださるでしょうか?」

 ……さらなる恥を重ねていた。

「え?」

「見ず知らずの未熟者が、

 厚かましいと承知はしているのですが……」

「そのようなこと。

 きっと、お母様はお喜びになります」

「そう、でしょうか?」

「はいっ」

 跳ねるような返事は、心からの笑みと共に。

 地の底にまで堕ちかけていた某(それがし)を、いとも容易く引き上げる。

 それはきっと、某(それがし)が追い求めているもので、だからこそ、己の未熟が腹立たしい。

 明日からのさらなる修練を誓いつつ、しかし、今この時だけは忘れる事にした。

 この時に、もう少しだけ浸(ひた)っていたかった。

 

 

 

 一方、少し離れた叢(くさむら)にて。

「あんの、ガァァキィィ! よくも、ユズカを!」

「わああ、ダメだってば、オボロ兄様!

 いい雰囲気なんだから邪魔しちゃダメ!

 アルちゃんも、ムックルけしかけるの禁止!」

「う~」

「そのおもしろそうな薬玉もダメー!」

 繰り広げられているやりとりに、タイガたちが気づく事はなかった。

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