うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
千刃を思わせる殺意を前に、それでも男は動かない。
憎しみをこめて呼ばれた名に、ただ、深いまなざしを返すばかり。
「……そうか、お前は、
クッチャ・ケッチャの生き残りか」
それは、悲しみと覚悟に満ちたもの。
糾弾の言葉を浴びせられながらも動じぬのは、その事実を認めているからか。
高潔にして孤高な佇(たたず)まいを、しかし、リネリォ殿は見ようともしていない。
その目はただ、討つべき敵だけを見据えていた。
「テルテォ!」
「オウ!」
雄叫(おたけ)びと共に、姉弟はラクシャインへと飛びかかっていた。
渾身の槍が振るわれる。
唸りを上げる剛槍の嵐と、風を裂く瞬槍の閃(ひらめき)。
気を合わせ重ねられた四つの刃が、触れるものすべてを斬り砕いていく。
大気も、念も、なにもかも。
それは、相手が人とて同じこと。
刃の嵐は瞬きの間もなくラクシャインの姿を飲みこみ、
鋼を砕く響きと共に、あえなく弾き散らされていた。
「のぁ!?」
「グっ?」
姉弟はウマ(ウォプタル)もろとも、右左の床へと叩きつけられていた。
衝撃は転倒によるものだけではないのか、そのままピクリとも動かない。
いや、苦痛に苛(さいな)まれながらも、リネリォ殿は顔を上げていた。
「……おのれ、
ラク、シャイン……」
ただ、尽きぬ憎悪の念に駆られて。
一瞬の、しかし壮絶な攻防に、某(それがし)は一歩も動けなかった。
敵の、あまりにも理不尽な強さに飲まれて。
垣間見せられた実力は、以前対峙した時よりも、はるかに鮮明な恐怖を心に刻んでいた。
あの威圧、リュウガ兄をも凌駕するやもしれぬ……
時の止まった場の中で、ラクシャイン一人だけが自由に動く。
隻眼は、唸るリネリォ殿を見下ろしていた。
「……貴様を、殺す……」
「貴殿には無理だな」
「なに、を……」
「貴殿には無理だ。
過去に捉われている間はな」
諭すような言葉とまなざしは、まるで子に語る親のよう。
ラクシャインは、直前の猛威を忘れさせるほどの穏やかさを、リネリォ殿に向けていた。
重ねてきた年月の重さを感じさせる佇(たたず)まいに、聞いていたような殺戮者の面影はない。
その姿は、某(それがし)が理想とする武士(もののふ)のものとも重なって見えた。
だがその挙動も、リネリォ殿の目には映らないのか。
床に這い伏せたまま、変わらぬ憎悪を滾(たぎ)らせているばかり。
「忘れろと言うのかっ。
同胞の恨みを、皇(オゥルォ)の無念を、
妻子を殺した貴様の罪を!」
「罰は必要だ。
そのために、我は生き恥を晒している。
だが、それは戦いによって成るものではない」
「貴様の戯言など聞かぬ!
罪を認めているのなら、
潔く死をもって果てろ!」
そこに日頃の冷静は微塵もない。
ただ感情の猛るがまま、非難の声を浴びせ続けるだけ。
いつしか、ラクシャインからの言葉は尽きていた。
代わり、リネリォ殿の頭上に鉄の棍がかざされる。
「……これ以上は言っても無駄か。
残念だが、この場で……っ?」
だが、それが落とされる事はなかった。
鉄棍は、部屋に飛びこんできた黒い影、なびく外套(アペリュ)の下から伸びる、ニ刀の威力を流すために振るわれていた。
「オボロ殿?」
「シャアアアアア!」
「ヌぅぅ!」
雨のように降り注ぐ剣閃。
それを長大な鉄棍が凌ぐ。
打ち合う鋼は響くことなく、弾け散る無数の火花の中で、鈴のような音を鳴らしていた。
「シャっ!」
「フっ!」
裂帛の気合を残し、激しい打ち合いが一度止む。
オボロ殿の鋭いまなざしを受け止め、ラクシャインの表情が初めての緊張を見せた。
呆けている場合ではない。
「オボロ殿、今、加勢に――」
「余計な世話だっ。
お前はお前の仕事をしていろ!」
いつも通りの言葉を残し、オボロ殿は再びラクシャインへと向かっていった。
姉弟を圧倒した敵を相手に一歩も引かず、完全にその動きを止めてみせる。
悔しいが、確かに某(それがし)が手を出せる戦いではない。
それよりも、今出来ることは――
激しい戦いを横に見ながら、別の緊張を身にまとい、部屋の中心へ目を向ける。
鬼面の女は、身じろぎ一つしていなかった。
「……答えろ。幾多の戦を裏から操り、
貴様は一体なにを企んでいる」
問いかけにも答えはない。
佇(たたず)まいはいつものまま、ハクビは泰然と世を見ているばかり。
それは、アルルゥの問いかけにも同様に。
「その顔はどうしたの?
おねーちゃんは、どこ?」
「リュウガ兄もだ。今どこにいるっ」
「彼らは私の呼びかけに応じ、
行動を共にしてくれている仲間。
今は異なる場で、それぞれの使命を
果たしてくれています」
初めて答えが返ってきた。
声に含まれているのは、わずかな感謝か?
まるで、この状況を作り出した某(それがし)たちが、仲間だとでも言いたげだ。
冗談ではない。
「使命とはなんだ。
世を混乱に落としいれ、人の悪しき心を利用し、
そのいかがわしげな石でなにをする!」
「それは、いずれ知れるでしょう。
貴方がたのような人たちがいるのなら、
そう遠くはない内に」
「なに……?」
「この地での試みも終わりました。
戦も終わり、この国にもまた
一時の平和が訪れるでしょう。
お話はまたいずれ、別の地で」
「ふ、ふざけ――」
詰め寄ろうとした瞬間、轟音と共に天が落ちてきた。
いや、正確には部屋の天井が、前触れもなく崩落してきたのだ。
砕けた木片が降り注ぎ、大量の塵が宙を舞う。
羽ばたきの音と動きに合わせて。
現れた夜の空。
照らす月の明かりを遮る姿は、翼を広げた巨大な大鷲のものだった。
「な、なんだ、こいつは?」
驚き慌てる某(それがし)たちを尻目に、ハクビは軽やかにその背へと飛び乗った。
よく似た光景を思いだし、思わず隣のアルルゥを見やる。
その間にも、状況は止まらない。
「トラちゃん!」
「タイガ、伏せなっ」
呼びかけの声に押されて従う。
闇の法弾と無数の矢が、伏せた某(それがし)の頭上を通り過ぎた。
現れた大鷲にとっては、避ける事も躱(かわ)す事も出来ぬ攻撃。
関わらず、そのことごとくは一つとして、当たりも掠(かす)りもしなかった。
ただ一度の羽ばたきに、生み出された轟風に散らされたのだ。
それは流れ消えもせず、続けて某(それがし)たちの動きをも封じた。
「くっ?」
「これは、風を操っている?」
斬りこもうにも脚が動かせない。
それは、戦いを繰り広げていたオボロ殿ですら同様だった。
「チっ」
「フっ」
距離をとったラクシャインは、羽ばたき飛び立つ大鷲の脚を掴み、その身を宙に浮かべていた。
「貴様、戦いの途中で逃げる気か!」
「すまぬな。
我には戦いよりも大事なものがある」
未練なく言い残し、ラクシャインは夜の空へと昇っていく。
ハクビにいたっては、もはや下を見てもいない。
叩きつけるような突風が吹き荒れる中、某(それがし)たちはただ無力で、
月の中へと消えゆく姿を、見ている事しかできなかった。
遠くから、戦の終わる音が聞こえてくる。
「……待、て……
ラク、シャイン……」
その中で、リネリォ殿のつぶやきだけが、低く、静かに、わだかまり続けていた。