うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第二幕・39~ ウルトの溜息・脱出

 

 常に張り詰めた空気に満ちるオンカミヤムカイの城の中で、『ティティカルオゥル』にあてがわれた一室だけが、どこか気の抜けた雰囲気を宿している。

 日々勉学に追われる事となった身にとって、今や唯一の憩いの場なのだろう。

 一日の務めを終え、カミュは部屋の真ん中で垂れていた。

「うう~。

 頭から煙がでそうだよ~」

「カミュちー、

 かわいそう」

「けっこうな事だ。

 その調子で礼節もしっかりと

 学んでおいた方がいい」

 アルルゥは同情的だったが、某(それがし)としてはまったく願ったりな状況である。

 いっそアルルゥも教育し直してくれまいか。

 今度、ムント殿に相談してみよう。

 などと考えていたら、突然カミュが体を起こした。

 目に妖しげな光を湛(たた)えて。

「こうなったら抜け出してやる」

「なに?」

「協力してくれるよねっ」

「お前な、なにを言って――」

「ん、やる」

「おい、アルルゥ」

「よーし、作戦はねえ……」

「待て待て待て。

 なにを考えてるんだ、お前たちは」

 盛り上がる二人の会話を無理やり遮る。

 放っておいたらどこまで暴走するか、わかったものではない。

「オンカミヤムカイの姫として

 勉学に励むのがカミュの務めだろう。

 それを放棄してどうする。

 ウルトリィ様だって、かつては同じ道を通り、

 あれほどの高みにまで達したのだ。

 目指す所は遠くとも、日々の一歩一歩を

 着実に歩むからこそ、いつかは――」

「もー、

 トラちゃん、ノリ悪い」

「ノリって、あのな」

「ムックル」

『ヴォウ』

「ごべっ?」

 呆れて気を取られた瞬間、横からムックルに殴り倒された。

 顔を踏まれ、もはや文句も発せない。

 それを、肯定の沈黙とでも受け取ったのか。

「よし、静かになったね。

 それじゃ、まずはムントからだけど――」

 某(それがし)を横に置いたまま、カミュは策とやらを語り始めた。

 

 

 

 そしてあくる日の午後。

 某(それがし)はアルルゥに付き従い、カミュの私室の前にいた。

「……クンネカムンの大乱以降、

 世は戦国の時代となりました。

 いくつもの国は生まれては、

 いくつもの国が滅んでいったのです。

 貴重な文化、文献、学問が、どれほど失われた事か、

 嘆かわしい事です。

 可能な限りはこのオンカミヤムカイが保護致しましたが、

 それとて全体から見れば微々たるもの。

 失われたものは二度とは戻ってきますまい……。

 コホン。話が逸れましたな。

 数知れぬ戦を経て、情勢は未だ悪化の一途を辿っております。

 今の強国は東西南北にそれぞれ一つずつ。

 南のイ。北のバンジジェジュ。

 西のノ・ル・ボドに、東のトゥスクルです。

 国力と影響力という点で、いずれも未だ

 周辺をまとめられるほどではありません。

 まだまだ戦乱の世は続くでしょう――」

 扉越しにムント殿の声が聞こえてくる。

 生真面目な声を聞いていると、にわかに心苦しくなるが、やむをえまい。

 膝をつき、声を張った。

「失礼します」

「んむ?

 これはこれは、タイガ殿」

「茶をお持ちしました」

「カミュちー。おちゃ」

「ありがとー、アルちゃん」

 カミュは心からの安堵を吐きながら、アルルゥにすがりついた。

 まったく情けない姿だが、今はこれに従わなければならぬのが、我が身の悲しさか。

 向けられたまなざしに促され、引きつった笑いを浮かべたまま、ムント殿に茶を勧めた。

「さ、さあ。

 ムント殿も、一息お入れください」

「そうですな。

 では失礼して」

 疑う素振り一つなく、ムント殿は茶を啜った。

 そして吐かれたのは、ぬくもりに心を弛緩させた長い息。

「いや、けっこうなお手前で――」

 口にした言葉は、しかし、最後まで紡がれず、

 老文官の意識は体ごと、横にパタリと倒れていた。

「……ムントー」

「ぐご~、すぴ~、

 ずごごごご~」

「おー、すごーい。

 さすがアルちゃんのお薬。

 イチコロだね」

「ん。三日はさめない」

「ああ、

 すみません、ムント殿……」

 鼻提灯を膨らませる寝顔に向けて、平謝りを繰り返す。

 これもすべてはウルトリィ様のため。

 御側付とまではいかずとも、その身辺を守らせていただけるよう、カミュに口添えを願うためだ。

 ……冷静に考え直すと、アルルゥに上手く乗せられただけなのではないか、という気がしてくるのだが。

 某(それがし)の葛藤など気にもせず、カミュは楽しげに腕を上げる。

「さ、それじゃ行こー」

「どこへ行かれるのですか、

 姫さま」

 だが、その行く手には新たなる敵、小さな体を精一杯広げたムティ殿が待ち受けていた。

 仁王立ちするその姿に、カミュは締まりのない笑みを向ける。

「いやー、ちょっとその辺で

 息抜きしようかなーって」

「行かせませんよ。

 せっかく戻ってきたんです。

 姫さまにはきちんと勉学に

 励んでいただきますからね。

 お爺様の意思はぼくが継ぎます!」

「いや、ムティ殿。

 ムント殿は寝ているだけで、

 そんな、故人のように扱うのはどうかと――」

「ふふ、そう。

 いい覚悟だね、ムティ」

 なぜだか妙に盛り上がるムティ殿を煽るように、カミュは笑みを含む声で言い放った。

 黒い翼をバサリと広げた姿は、まるで悪の大幹部だ。

「ならば、この私を倒してみせなさい!」

「望むところです!」

「……えーっと……」

 もはや完全に置いてけぼり。

 余人には知る由(よし)もないオンカミヤリューの儀式なのだろうか?

 高まる緊張感を前に、とりあえず見守る事にする。

 先に動いたのはカミュだった。

「いっくぞぉ。

 必殺、影・分・身・の術!」

 裂帛の気合と共に、蓄えられた力が開放される。

 組み合わせられた掌の内から、広がる黒く深い、霧。

 それは、一瞬でカミュの姿を覆い隠し、しばし不気味な脈動を見せた後、無数の影を吐き出した。

 

 ちんまりとしたカミュの大群を。

 

「なっ?」

「おー、

 カミュちー、かわいー」

 それはきゃっきゃと騒ぎながら、四方八方へと散っていった。

 次から次へと沸いてくる様は、微笑ましくも戦慄を覚えさせられる。

 日頃のカミュを知っているからこそ、特に。

 頭を過ぎった不安に、ムティ殿へと目を向ける。

 この光景に誰よりも苦しみを覚えそうな少年僧は、しかし、冷静さを失っていなかった。

 じっと状況を見据えていた目に、やおら不敵な光が浮く。

「ふふふ、見切りましたよ、姫さま。

 本物は、そこですっ!」

 ピタリと指を向けた先は、最初に広がった黒い霧。

 指摘の声に反応し、靄から飛び出した人影が、勢いよく逃げ出していく。

 それは、見知った等身大のカミュの姿だった。

 ムティ殿の口元に、小さな勝利の笑みが浮く。

「往生際が悪いですよっ。

 おとなしく止まりなさい、姫さま!」

 呼びかけの声も高らかに、ちびカミュの幻影を蹴り散らしながら、ムティ殿は黒翼の後姿を追っていった。

 その速さ、まさに鳥が飛ぶが如き。

 残された場には、いまだ黒い霧がわだかまっている。

 聞こえてくるのは、小さな含み笑いの声。

 ムティ殿もさすがに気づかなかったか。

 小さな影たちが消えると同時に、黒い霧も薄れていく。

 

 散りゆく影の中から現れたのは、逃げだしたはずのカミュだった。

 

「ぬっふっふ。

 まだまだ子供だね、ムティ」

「お前が一番子供だ……」

 そう、ムティ殿が追っていったモノもまた、幻影だったわけだ。

 まったく、たかが悪戯に手の込んだことを。

 この術を習得するのに、どれほどの修練を積んだのやら。

 明らかに努力の方向を間違えている。

 当人は大いにご満悦のようだが。

「ともあれ、これで障害はすべて消えたわけだよ。

 さー、これで心置きなく遊びに――」

「遊びに、なんですか?

 カミュ」

 その表情が、瞬時に凍りついた。

 掛けられた涼やかな声と、柔らかな笑みを見て。

「お、お姉様?

 なんで……」

「ウィツァルネミテアのお導きです」

「……うー、

 おじさまの裏切り者~」

 ウルトリィ様の言い分に、カミュはよくわからない納得をしていたが、あれだけ騒いでいれば誰でも気づくだろう。

「まだ勉強の時間は終わっていませんよ?」

「ほら、もう諦めろ。

 ウルトリィ様が相手じゃ

 術でも太刀打ちできないだろ」

「……まだまだ。

 こんなこともあろうかとっ」

 なにを思ったのか、追いつめられたカミュは、某(それがし)の後ろに回りこんできた。

 そんな事で逃れられるわけもあるまいに。

「やれやれ。

 悪あがきもいい加減に、ぃい?」

 だが、背中に手を触れられた途端、某(それがし)は全身の動きを奪われていた。

 手や指はもちろんの事、首はおろか目も動かせない。

「な、なん、だ……?」

「いっけぇ!

 必殺、トラちゃん固めの術ぅ!」

 なにが起きているのか理解できぬまま、驚きに目を開いたウルトリィ様へと向けて、背中を蹴り飛ばされていた。

「うどわわわ!?」

「きゃっ?」

 硬直した身では避けようもない。

 あえなく床へと倒れこんでいた。

 よりにもよって、ウルトリィ様を巻きこんで、だ。

 思いのほか柔らかい衝撃に、すぐさま顔を上げる。

「あたた……

 ウ、ウルトリィ様、大丈夫、でっ?」

「ん、んん……」

 そして、自分が顔を押しつけている場所が、豊満な胸の間と知って、一瞬声を失った。

 いや、失っている場合ではない。

「ももも申し訳ありません!

 た、ただちにどき……?」

 慌てて身を起こそうとして、自身の異変に気づく。

 束の間の自由は失われ、腕が勝手にウルトリィ様を抱き締めていた。

「か、体が、動か、なっ。

 く、こ、のっ」

「ああっ、タイガ様、

 そんなところで、暴れられては、

 んんっ……」

「す、すみません!

 こ、こらカミュ!

 早く、この術を解け――」

「アルちゃん、今のうちっ」

「ん」

「って、おおい!」

 張り上げた悲鳴も、もはや遅い。

 混乱する某(それがし)を場に置いたまま、カミュはアルルゥと共に走り去っていた。

「あ、あいつらああああ!」

「落ち着いてください、

 タイガ様」

「お、おおお落ち着けと言われましてもっ、

 こんな、ウルトリィ様と、み、密着……!」

 気が焦るほどますます谷間に埋もれていく。

 感じる柔らかさといったら、もう。

 恥ずかしさと情けなさで死ねそうだ。

 だが、某(それがし)の動転とは逆に、ウルトリィ様は妙に楽しげだった。

「ふふ。私(わたくし)は構いませんよ?」

「な、な、な?」

 ますます頭が茹で上がっていく。

 状況はもう、なにがどうなっているのやら。

 気がつけば人が集まっていた。

「騒がしいねぇ。

 なにやって……んだい、タイガぁ」

 混乱した頭でも聞き分けられるニヤけた声は、よく知るティティカ姉のもの。

 そして、他の面々の声も聞こえてくる。

「き、き、き、貴っ様ぁ!

 ウ、ウルトリィ様に、なにをおお!」

「破廉恥な」

「ち、違う! 誤解だ!

 これは、カミュの奴に……!」

「あっ、そんなに動かれては、

 いけません……あん」

「だああああああ!

 違うんですうううう!!」

 カミュの術が力を失うまでの短くない間、

 常世(コトゥアハムル)と地獄(ディネボクシリ)が決して隔たりのある場ではない事を、

 某(それがし)は嫌というほど思い知らされた……。

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