うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第二幕・44~ ウルトの溜息・執務

 

 清廉な気に満ちたオンカミヤムカイの城にあり、執務の部屋は一際の清浄さを秘めている。

 賢大僧正(オルヤンクル)の存在がそうさせるのだろう。

 ウルトリィ様は静かに政務をこなしていた。

 無駄口など開かず、脇目も振らず、一心不乱に書簡を流し、定められた判を押していく。

 迅速ながらも優美さを備えたその挙動は、簡潔でありながらも美しい。

 この雰囲気を守る事こそが某(それがし)の務めだ。

 見惚れそうになる意識に喝を入れ、一際の緊張を身にまとう。

 罰として与えられたとはいえ、賢大僧正(オルヤンクル)の警護という重要な任務だ。

 任された以上、ウルトリィ様には薮蚊(やぶか)の一匹とて近づけさせはしない。

 大気に浮かぶ塵まで捉える細心の注意を払い、刃のような緊張を研ぎ澄ませ続ける。

「……あの、タイガ様」

「はっ、何用でしょう、ウルトリィ様?

 茶でもお持ち致しますか?

 それともなにか不審なものでも?」

「いえ、その、

 あまり根を詰められない方が……」

「は?

 いや、しかし」

 緊迫の理由を口にしかけて、ウルトリィ様の困惑に気づいた。

 どこか居心地悪そうな表情にも覚えがある。

 それは、平穏な営みを望む者が剣気に当てられた時のものによく似ていた。

「も、申し訳ございません。

 某(それがし)の存在が執務の邪魔を――」

「いえ。

 そういうわけではないのですが」

「しかし、未熟な某(それがし)には

 このようなやり方しか思い浮かばず……

 ウルトリィ様をお守りするためにも

 気を抜くわけにはいかぬのです」

 恐縮しながらも姿勢は崩せない。

 それが、己に課したエヴェンクルガの生き方であるからだ。

 そんな某(それがし)を見上げながら、ウルトリィ様は小さな笑みをこぼしていた。

「ふふ。

 やっぱりエヴェンクルガの方々は

 頑固者なのですね」

「は、はあ。

 面目ございません」

「お気を悪くなさらないでください。

 少し、昔の事を思い出しただけですので」

「昔の?」

「はい。私の友人であるエヴェンクルガの方々を。

 そう、彼等も今のタイガ様のように、

 自らの務めに誇りをもってあたっておりました」

 語るまなざしが遠くを見ていた。

 今ではない、過ぎ去った時の先を。

「自らを高め、驕ることなく、

 信じた道を貫き、命を賭けて主を守る。

 あの高潔な在り方は、我らオンカミヤリューとは別の、

 ですが、とても貴き道です。

 信念のためならば、自らを悪に堕としても構わない……

 少しだけ、羨ましくもありました」

 語る声には羨望と、わずかばかりの後悔が込められていた。

 ウルトリィ様にしてそう思わせる道。

「……それこそがエヴェンクルガの生き様。

 真の武士(もののふ)の在り方だと思います」

 誉れと、そして憧れに、いつの間にか拳を固めていた。

「某(それがし)も、いつかは……」

「なれますよ、

 タイガ様なら」

 思わずこぼしたつぶやきに、優しい言葉が返される。

 根拠などなにもないはずなのに、その声は自信と慈愛に満ちていて、自然と心に染みていた。

「そう、でしょうか?」

「はい」

 いや、根拠ならばある。

 その穏やかな笑みだけで、信ずるには十分だった。

「ウルトリィ様、某(それがし)は――」

「賢大僧正(オルヤンクル)、次の処務が参りましたぞ」

「うどわ?」

 なごみかけた雰囲気に、新たな報告が割りこんできた。

 声の主は、隣の間から現れたムント殿。

 某(それがし)とした事が、気配を視ることまで忘れきっていた。

 情けなさと恥ずかしさに顔が熱くなっていく。

「いかがなされた、タイガ殿?」

「い、いえ、なんでも。

 そ、某(それがし)、茶を用意してまいりますっ」

 たまらず逃げだした部屋からは、

「なにかあったのですかな?」

「いいえ、なにも。

 ふふ、タイガ様はかわいらしい方ですね」

「オ、賢大僧正(オルヤンクル)?

 ふしだらな行いはいけませんぞ?」

 ますます戻りにくくなる会話が聞こえていた。

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