うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
日も傾き茜色に染まり始めた空の下、某(それがし)は混然雑多たるオンカミヤムカイの下町を歩いていた。
何故か、リネリォ殿と共に。
いや、理由ははっきりとしている。
リネリォ殿との訓練で昏倒したテルテォが、いつまでもこの世(ツァタリィル)に戻ってこなかったからだ。
結果、街での情報収集の任が、某(それがし)に回ってきたという次第である。
まったく、情けない奴だ。
この借りはいずれ返してもらわねばなるまい。
ともあれ、あてられた務めを果たそうと、雑然とした町を奔走している。
――のだが。
正直な所、今の今まで気づかなかった。
リネリォ殿の胸中に渦巻き続けている執念の深さに。
「どこだ、奴等はどこにいるっ」
「ひっ? し、知りませんよ」
場末の酒場の片隅で、今日何度目かになる光景が繰り広げられている。
情報を商う男に詰め寄るリネリォ殿の言動だ。
壁に押しつけ首を圧迫しながらの問いかけは、まるきり恫喝でしかない。
確かに、無法の中で生きる者たちに対しては、有効な手段であるのだろうが。
「貴様が情報を握っているという話を聞いて来たのだ。
隠してもためにはならんぞ」
「ど、どこのどいつがそんなでまかせ
言いやがったんですかっ。
本当にそんなネタは仕入れてないんですよ」
「でまかせだとっ?」
「ひぃ?」
リネリォ殿のやり方は、ほとんど手当たり次第だった。
これでは確かな情報を耳にする事すらできまい。
無法には無法なりの禁もあるだろうに、よくこれまで問題にならなかったものだ。
その程度がわからないリネリォ殿ではないはずだが。
「そのぐらいでよいでしょう」
「なにをする」
掛けた制止に返されたのは、殺意に満ちたまなざし。
わずかな戦慄を受け流しながら、捉われていた男を解放してやる。
その間、某(それがし)に向けられた冷たい視線は、結局変わることはなかった。
「どういうつもりだ」
「どうもこうも、ご自分でもお分かりでしょう。
少し冷静になって下さい」
「私は冷静だ」
そう語る言葉には、収まりきらない熱さが残されていた。
本人も気づいてはいるのだろう。
視線を交えたのは一瞬、リネリォ殿は踵(きびす)を返し、大股で場から去っていった。
溜息を一つ吐き、その背中を追いかける。
怒りを振りまく佇(たたず)まいは、多少離されても見失う事はない。
「焦っても結果はでません。
落ち着いて行動してください」
「余計な世話だ。
私は十分に落ち着いている」
「そこまで気を急かさずとも、
オンカミヤムカイも調査を行ってくれています。
町での話よりよほど確かでしょう」
「その調査にまるで進展がないから、
こうして多少強引な手をとっているのだろうがっ」
「慎重に進めているのでしょう。
事は個人の企(くわだ)てではなく、
国をも巻きこむ陰謀なのです。
某(それがし)たちが無軌道な行いをしていては、
逆に進展を阻むばかりではありませんか」
「……なるほど、反吐が出るような正論だな。
貴様に私の想いはわかるまいよ。
義だけで動いていればよいエヴェンクルガにはな」
「な、に?」
返されたのは、嘲(あざけ)るような笑みだった。
日頃の冷静さからはかけ離れた表情は、美貌であるが故に腹立たしさを掻き立てるもので。
思わず、常から抱いていた問いを、少しだけ感情的に吐き出していた。
「ええ、わかりませんね。
某(それがし)には彼の武士(もののふ)が
リネリォ殿の語るような悪逆非道な輩(やから)には
見えませんでした。
如何なる過去があるのかは存じませんが、
一度話し合いの機会を求めてみても
よいのではありませんか?」
「話し合い?
話し合いだと?
ハッ!」
だが、その言葉がもたらしたものは、さらなる嗤笑でしかなかった。
いや、声を殺して悶える様は、どこか狂気すら感じさせる。
不意に、その笑みが止んだ。
冷たいまなざしが向けられるのと同時に。
それは、常の冷静さが見せるものではなく、心を凍てつかせる負の情念から。
語られる声もまた、氷刃の冷気に毒されたものだった。
「タイガ。
お前は、地獄(ディネボクシリ)を見た事があるか?」
「地獄(ディネボクシリ)?
凄惨な戦の場ならば某(それがし)とて――」
「それは自ら赴(おもむ)いたものだろう。
教えてやる。地獄(ディネボクシリ)という場所はな、
行くのではない。
堕とされるのだ」
「堕とされる……?」
「そうだ。
昨日まで、たった今まで目の前にあった日常が、
一瞬で血の色に変わるのだ」
低く重い言葉に戦慄が走る。
向けられた瞳に、いつの間にか見入っていた。
語られる、リネリォ殿が見たという光景に。
「クッチャケッチャの騎兵となるべく
研鑽を積んでいた未熟の時。
夜駆けの修練の最中に認めた集落の火の手。
それが事の始まりよ。
駆け戻った我が家で、
私とテルテォが最初に見たものは、
父上の顔の半分だった。
もう半分は母上が抱いていたよ。
頭のない母上がな。
逃げ出した道は見慣れた者たちが、
見慣れぬ形で飾っていた。
隣人が、友人が、兄が、妹が、幼子が、
斬り刻まれて転がっている光景を、
お前は見た事があるか?」
「っ……」
語りに誘われこみ上げた吐き気を、某(それがし)は辛うじて飲み込んだ。
だが、一度思い浮かべた血の海の光景は、容易く消え去るものではない。
それでもまだ続くのが、地獄(ディネボクシリ)。
「知らず、音を求めて駆けていた。
新鮮な血の香り漂う中で、
聞こえてくるものは一つだけ。
赤子の泣き叫ぶ声だけだった。
奴の、ラクシャインの手の内からな。
手を、顔を、体のすべてを朱に染めて、
己の子を射殺さんばかりのまなざしで見据えて、
奴はじっと立ち尽くしていた。
その姿は正に鬼よ。
情けない事に、身じろぎ一つできなかったな。
その子が縊(くび)られた瞬間も、その後も」
最後に小さな笑みを浮かべ、リネリォ殿は語りを終えた。
それは、後悔と自虐の笑み。
許せないのだろう。
惨劇の主と、それを見ている事しかできなかった自分が。
伝わってくる無念の想いたるや、飲みこむ息を水のような重さに変えるほどで。
「そんな地獄(ディネボクシリ)の鬼を相手に、
話し合いをしろと言うわけだな、
お前は」
憎悪に燃えるまなざしに、唾を飲んだ口は開かなかった。
沈黙の想いを、リネリォ殿は正しく理解したのだろう。
湛(たた)えた憎悪はそのままに、離れた視線は宙を向く。
「私は今日まで、
一日たりとてその光景を忘れた事はない。
一族を、国を、誇りを裏切られた怒りもな。
ようやくその怨敵を前にしながら、
おめおめと、逃しておいて……」
その瞳には、討つべき仇が確かに見えているのだろう。
氷の彫像めいた姿を前に、返す言葉は、ついに見つからなかった。
語られた地獄(ディネボクシリ)の光景を叩きつけられた今となっては。
心を乱す某(それがし)の様に、少しは気を晴らしたのか。
リネリォ殿はようやく、いつもの冷静を戻したようだ。
「義をかざすのは結構。
だが、他者にまでそれを強要するな。
世の中、お前のように偽善で動いている者ばかりでは
ないのだからな」
口調だけは変わらなかったが。
刃を含んだ言葉を残し、リネリォ殿は歩き出していた。
某(それがし)を待つ事もなく、一度として振り返りもせずに。
「っ、ク……」
わかっていたのだろう。
遠ざかっていくその後姿を、某(それがし)は追う事が出来なかった。