深夜。
東京湾岸。
黒い海を照らす月明かりの下、一台の高級セダンが静かに倉庫街へ滑り込んだ。
運転席から降りた椎名は周囲を一瞥し、人気がないことを確認すると、後部座席のドアを開けた。
「到着しました、先生」
「ああ」
小西はいつもの黒いスーツ姿のまま車を降りる。
海風がスーツの裾を静かに揺らした。
倉庫の奥では、黒ずくめの男が一人待っていた。
片目を隠した大柄な老人。
黒の組織ナンバー2――ラムである。
「来たか、コニャック」
低く落ち着いた声が響く。
「お久しぶりです、ラム」
小西は軽く会釈するだけだった。
椎名は一歩後ろへ下がり、静かに周囲を警戒する。
「急な呼び出しだ」
ラムは一枚の封筒を差し出した。
「新たな依頼ですか」
「そうだ」
小西は中身へ目を通す。
そこには海外の犯罪組織同士による抗争の資料が綴じられていた。
武器密売。
麻薬ルート。
資金洗浄。
三つの巨大組織が互いに争い、組織の利益にも影響が出始めている。
ラムは腕を組んだ。
「組織としては、この抗争を一週間以内に終わらせたい」
「なるほど」
小西は淡々とページをめくる。
「現地へ行く必要はありません」
「電話一本で終わります」
ラムは静かに笑った。
「だからお前を呼んだ」
「ジンなら全員撃ち殺す」
「ベルモットなら潜入する」
「だが、お前は違う」
「誰一人撃たずに戦争を終わらせる」
小西は資料を閉じた。
「簡単です」
「人は利益ではなく、損失を恐れる生き物です」
「その恐怖を利用します」
ラムは満足そうに頷く。
「必要なものは?」
「各組織の資金の流れ、幹部同士の人間関係、それと通信記録、それだけで十分です」
「既に用意してある」
ラムがUSBメモリを差し出す。
小西は左手で受け取った。
「三日ください。一週間ではありませんよ。三日です」
ラムは笑う。
「相変わらず自信家だな」
「自信ではありません。計算です」
短い沈黙。
波の音だけが倉庫へ響く。
やがてラムは静かに言った。
「組織には優秀な人間が多い。だが、世界の均衡そのものを設計できる頭脳は、お前しかいない」
小西は何も答えなかった。
その評価にも興味がないようだった。
「シードル、帰ろう」
「はい。承知しました」
二人はそのまま車へ戻る。
ラムは走り去るテールランプを見送り、小さく独り言を漏らした。
「暴力だけでは世界は動かん」
「だからこそ、コニャックは必要なのだ」
その頃。
帝丹高校近く。
喫茶ポアロでは安室透が閉店作業を終えようとしていた。
ふと携帯電話が小さく震える。
組織からの暗号通信。
内容は一行だけだった。
『ラム、コニャックと接触』
安室の表情が変わる。
(動いた……)
(組織が、コニャックを)
彼は静かに画面を閉じる。
組織最大の頭脳が再び動き始めたことを、本能的に悟っていた。