証拠保管室に重苦しい沈黙が流れた。
「先生……」
目暮警部が口を開く。
「『存在しなかったように見せられた』とは、どういう意味でしょうか」
小西は電子ロックの操作盤へ近づいた。
「まず確認します」
「この保管室へ最後に入室したのは」
高木が手帳を確認する。
「昨夜二十二時四十分」
「鑑識員二名です」
「その後は」
「誰も入室していません」
小西は小さく頷いた。
「監視カメラの映像を見せてください」
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映像は昨夜から今朝まで途切れることなく記録されていた。
誰一人として部屋へ入っていない。
「異常ありません」
鑑識員が言う。
しかし、小西は画面を止めた。
「今、巻き戻してください」
「ここです」
映像が数秒戻る。
小西は画面の隅を指差した。
「この時計」
「はい?」
「一秒だけ遅れています。」
全員が画面を見る。
確かに。
一瞬だけ壁掛け時計の秒針が止まっていた。
「これは……」
佐藤刑事が息を呑む。
「停電ではありません」
小西は淡々と言う。
「録画データを編集した痕跡です」
「監視映像そのものが細工されています」
「つまり、犯人は証拠を盗む前ではなく、盗んだ後に映像を書き換えた」
高木は思わず声を上げた。
「そんなことが!」
「できます」
小西は短く答える。
「ですが、それだけでは終わりません」
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再び証拠保管室。
小西は保管棚の一角で立ち止まる。
「ここです」
棚の奥へ手を差し入れる。
カチッ。
小さな音が響いた。
棚板が数センチだけ動く。
目暮たちは目を見開いた。
「隠し収納……!」
棚板の裏側から、一丁の拳銃が姿を現した。
高木が叫ぶ。
「ありました!」
「証拠品です!」
鑑識員が震える声で言う。
「そんな……」
「昨日は確かに確認したはず……」
小西は拳銃を見つめた。
「盗まれていません」
「最初から、この中に隠されていました。犯人の目的は拳銃ではない。警察内部へ混乱を起こすことです」
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目暮は驚きを隠せなかった。
「しかし」
「どうして、こんな細工を……」
小西は静かに答える。
「人間は」
「『失われた』と思い込むと、それしか探さなくなる」
「盗難事件になれば、警察は内部犯ばかり疑う」
「目の前にある物を見落とす」
誰も反論できなかった。
まさにその通りだったからだ。
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その後。
鑑識の調査により、棚板へ細工を施した警備会社の元職員が浮上する。
内部犯ではなかった。
警察への恨みから、混乱を起こすことだけが目的だったのである。
目暮は深く息を吐いた。
「今回も助かりました。先生」
小西は首を横に振る。
「事件は理解しました」
「後は警察の仕事ですので、僕は帰ります」
それだけ言うと、踵を返した。
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警察署の玄関。
椎名が静かに待っていた。
「お疲れさまでした、先生」
「ああ」
二人は夕暮れの街を歩き始める。
しばらく沈黙が続いた後、椎名が口を開く。
「先生は最初から、証拠が盗まれていないことにお気付きだったのですか?」
「新聞を読んだ時点で違和感はあった」
「記事には、『証拠が消えた』としか書かれていなかった。盗難なら『盗まれた』と書く」
「言葉の選び方一つで、人間の思い込みは誘導できる」
椎名は優しく微笑んだ。
「先生らしい着眼点ですね」
小西は眼鏡の位置を静かに直した。
「数学も事件も同じだ」
「前提を疑わなければ、正解には辿り着けない」
夕日が二人の背中を長く伸ばす。
黒いスーツの数学教師。
黒い服の国語教師。
誰も知らない。
この二人が、昼は教師として教壇に立ち、夜は世界の裏側で巨大な犯罪組織を支えていることを。
そして小西は、静かに空を見上げた。
(人は『消えた』と思い込めば、それ以上探さない)
(だからこそ、僕という存在もまた、誰にも見つからない)
令和のモリアーティは、今日も誰にも正体を知られることなく、日常の中へ溶け込んでいくのだった。