潮風が静かに吹き抜ける東京湾岸。
人気のないコンテナ街は、白熱灯の頼りない光だけが闇を照らしていた。
その一角で、小西は黒いスーツ姿のままタブレットを操作していた。
左手で画面を滑るようにスクロールし、時折、何かを確認するように視線を止める。
そのすぐ後ろでは、椎名が黒いドレス姿で静かに立っていた。
いつもの穏やかな笑顔はなく、周囲へ注意を払い続けている。
やがて、重いエンジン音が静寂を破った。
一台の黒い車がゆっくりと止まり、二人の男が姿を現す。
銀髪の男と、その後ろに控える大柄な男。
「……相変わらずだな、コニャック」
銀髪の男は薄く笑う。
「そんな画面ばかり眺めていて飽きないのか」
小西は顔を上げない。
「数字は裏切らない」
淡々と答える。
「人間より、よほど信用できる」
その言葉に、大柄な男がわずかに表情を変えた。
だが銀髪の男は静かに制し、一枚の記録媒体を机へ置く。
「預かってきた」
小西は無言で受け取る。
画面を開き、内容を一通り確認すると、小さく息を吐いた。
「問題ない」
短い返事だけだった。
銀髪の男は煙草へ火をつける。
「最近のお前は教師の仕事がお気に入りらしいな」
「生活には表と裏、両方が必要だ」
小西は視線を上げることなく答えた。
「学校は静かだ」
「それに比べれば、君たちは騒がしすぎる」
皮肉とも取れる一言に、空気がわずかに張り詰めた。
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「ところで」
銀髪の男が煙を吐きながら口を開く。
「日本で何を探している」
小西の指先が止まる。
「ずいぶん長く居座っているじゃないか」
返事はない。
「教師まで演じている理由があるんだろう」
静かな沈黙。
やがて小西はゆっくりと眼鏡の位置を直した。
「私的な用件だ」
「組織とは関係ない」
その瞬間だった。
コンテナの空気が一変する。
銀髪の男の視線が鋭く細まり、互いの間に張りつめた沈黙が落ちた。
しかし、そのわずかな間に、椎名が一歩前へ出る。
小西を庇うような位置。
穏やかな教師ではなく、護衛としての立ち姿だった。
「これ以上はお控えください」
敬語のまま。
だが、その一言には揺るぎない意思が宿っていた。
銀髪の男は椎名を見つめ、小さく鼻で笑う。
「相変わらず忠実だな」
椎名は答えない。
ただ静かに、小西の前へ立ち続ける。
やがて銀髪の男は肩をすくめた。
「今日はここまでにしておこう」
「こちらも時間が惜しい」
小西はそう言うと、再びタブレットへ視線を戻す。
それ以上、誰も言葉を交わさなかった。
やがて二人の男は車へ乗り込み、夜の埠頭を後にする。
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静けさが戻る。
椎名は小西のスーツについた埃を丁寧に払い、小さく微笑んだ。
「お疲れさまでした、小西先生」
「ありがとう」
小西は短く答える。
椎名は保温ボトルからグラスへ飲み物を注いだ。
「少し休まれますか」
「いや」
小西は首を横に振る。
「明日の授業を確認しておきたい」
そう言ってタブレットを切り替える。
画面には帝丹高校の座席表が表示された。
その中にある、一つの空席。
工藤新一の席。
小西はその名前をしばらく見つめていた。
(まだ終わっていない)
未来の記憶。
獄中で迎えた最期。
そのすべてが脳裏をよぎる。
一方で現在、工藤新一は存在しない。
代わりに現れた一人の少年。
江戸川コナン。
小西は静かに眼鏡を掛け直した。
「……君はまだ、そこにいる」
誰にも聞こえない独り言だった。
椎名は何も尋ねない。
その沈黙こそが、小西への信頼だった。
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翌朝。
帝丹高校。
チャイムとともに、小西は教壇へ立つ。
黒板へ数式を書きながら、生徒たちを見渡す。
隣の教室からは、椎名の穏やかな朗読が聞こえてくる。
校門の外では、一人の小学生が静かに校舎を見上げていた。
その視線に気づいた小西は、窓の外へ一瞬だけ目を向ける。
ほんの一瞬だけ、口元に小さな笑みが浮かんだ。
誰にも気づかれないほど、小さな笑みだった。
教室では何事もなく授業が続く。
しかしその裏では、互いの正体を見抜こうとする静かな駆け引きが、今日もまた続いていた。