転生チャンプは鈴蘭で笑う 作:全てを生成AIにゆだねる者也
1
鼓膜を破らんばかりの大歓声が、四方八方から降り注いでいた。
天を突くような巨大なアリーナ。眩いばかりの白いライトが、血と汗の染みついた金網の檻――「オクタゴン」を照らし出している。
「アンド・ニュー……! レンジィィィ・ハスミィィィ!!」
リングアナウンサーの地響きのようなコールが響き渡った。
蓮見蓮は、己の右腕がレフェリーによって高く掲げられるのを、どこか現実味のない心地で眺めていた。
腰には、鈍い鈍色の輝きを放つ、重厚なUFC世界バンタム級のチャンピオンベルト。
総合格闘技(MMA)の最高峰。世界中の化け物たちが集まるアメリカのリングで、日本人が、いやアジア人がこのベルトを巻いたことは、歴史上ただの一度もなかった。それを蓮は成し遂げたのだ。
対戦相手だったブラジルの絶対王者は、蓮の放った完璧なカウンターの左フックによって今もキャンバスに大の字になって眠っている。
(やったぞ……。本当に、世界の頂点に立ったんだ)
湧き上がるアドレナリン。全身の骨が軋み、スネや拳は他人のもののように腫れ上がっているが、その痛みすらも愛おしかった。
観客席からは「ハスミ!」の連呼。日の丸の国旗が揺れている。
蓮はマイクを向けられ、息を荒くしながら不敵に笑ってみせた。
「日本のファンのみんな、待たせたな! 世界最強は、今ここにいる!」
だが、その栄光の絶頂は、あまりにも唐突に、そして呆気なく幕を閉じることになった。
インタビューを終え、熱気の残る花道を歩き、バックステージへと引き上げる。
長い通路。冷房の効いたコンクリートの廊下を進み、ドクターチェックのために個室の控室へ向かおうとした、その時だった。
いつもなら大勢いるはずの警備員やスタッフの姿が、その通路にだけは一人もいなかった。
(……おかしいな)
格闘家としての野生の勘が、蓮の背筋を凍らせた。
異変を察知し、足を止めた瞬間。前方の暗がりから、高級なスーツに身を包んだ大柄な外国人の男たちが三人、音もなく現れた。その手には、およそスポーツの会場には似つかわしくない、冷たい鉄の塊が握られている。
サイレンサーのついた拳銃。
「おいおい……冗談だろ?」
蓮は両手を軽く上げた。だが、ステップを踏むようにいつでも動けるよう、無意識に体重を親指の付け根に乗せる。
男たちの一人が、感情の失せた目で蓮を見下ろしながら、低く呟いた。
「ハスミ。お前の勝ちのせいで、我々のボスは十億ドル以上の裏金を失った。絶対王者が負けるはずがなかったんだ。……お前が強すぎたのが悪い」
「そいつはビジネスの選定ミスってやつだ。俺のファイトマネーから補填してやりたいが、あいにく全額は足りそうにないな」
命の危機に瀕してもなお、蓮の口からは軽いジョークが飛び出した。世界の頂点に立つ男の肝の据わり方は、並の人間とは違う。
だが、裏社会の住人にそのユーモアは通じなかった。
プツン、プツン。
奇妙にこもった短い音が二回響いた。
直後、蓮の胸と腹に焼け付くような熱い衝撃が走る。
「がはっ……!」
視界がぐらりと歪んだ。膝の力が抜け、コンクリートの冷たい床に崩れ落ちる。
胸から溢れ出る鮮血が、ついさっき手に入れたばかりの黄金のベルトを赤く染めていく。
遠のいていく意識の中で、蓮は心底、呆れたような、悔しいような感情を抱いていた。
(クソッタレが……。せめて次の防衛戦のギャラを貰ってからにしてくれよ……。マフィアの野郎ども、絶対に呪ってやる……)
視界が完全に黒く塗り潰され、世界の歓声が、深い静寂へと沈んでいった。
2
「……う、ん」
どれほどの時間が経ったのだろうか。
蓮は、奇妙な感覚と共に目を覚ました。
胸の焼け付くような痛みがない。それどころか肺いっぱいに吸い込んだ空気は、コンクリートや消毒液の匂いではなく、どこか泥臭い、草の青っぽさと川の湿り気を含んだ風の匂いだった。
「……生き、てる?」
ゆっくりと、鉛のように重い瞼を開ける。
目に飛び込んできたのは、眩しい太陽の光と、どこまでも広がる青い空。そして視界を遮るように生い茂る、緑色の雑草だった。
蓮は勢いよく身体を起こした。
「ここは……どこだ?」
周囲を見回す。
そこは、大きな川の河川敷だった。遠くには古びた鉄橋が見え、ガタゴトと電車が通り過ぎていく音が聞こえる。アメリカの近代的なアリーナの面影は、どこにもない。
さらに奇妙なのは、自分の服装だった。
UFCのファイトショーツを穿いていたはずの自分の身体は、なぜか漆黒の、目の詰まった分厚い生地の服に包まれている。
「学ラン……? なんで俺が高校生の制服を?」
蓮は慌てて自分の両手を見た。
バンテージは巻かれていない。しかし拳の皮膚は厚く、関節の骨は硬く盛り上がっている。間違いなく、何万発、何十万発とパンチを打ち込んできた人間の拳だ。
だが、腕の太さが心なしか細くなっている。
立ち上がり近くにあった泥水溜まりに駆け寄って、その水面を覗き込んだ。
「マジかよ……」
水面に映っていたのは、二十代後半だったはずの自分ではなく、まだ少年のあどけなさが僅かに残る、しかし眼光だけは世界王者時代の鋭さを失っていない、十七、八歳頃の自分の姿だった。
髪は短く刈り込まれ、仕立ての悪い学ランを雑に着崩している。
蓮は自分の胸に手を当てた。銃で撃たれた痕は、傷跡すら残っていない。
試しに、その場で軽くステップを踏んでみた。
トントン、トントン。
「……ッ!」
蓮の目が輝いた。
身体は一回り小さくなっている。バンタム級(約61キロ)から、おそらく今はフェザー級かライト級、およそ65キロから70キロといったところか。だが、筋肉の質が異常だった。
前世の自分が「この年齢の時にこうであれば理想だった」という、極限まで無駄を削ぎ落とした、しなやかで爆発的なインナーマッスルが全身に張り巡らされている。
体幹の軸が、地球の重心と直結しているかのように微動だにしない。
「若返った……いや、それだけじゃないな」
蓮は頭を抱えた。前世で過酷な減量中の気晴らしに読んでいた、日本の漫画の知識が脳裏をよぎる。
「まさか、これが噂に聞く『転生』ってやつか? 格闘家がマフィアに撃たれて、日本のヤンキー高校生に? どんなお笑い草だよ」
自嘲気味に笑いながら、蓮は学ランのポケットに手を入れた。
中から出てきたのは、くしゃくしゃになった学生証だ。
『戸亜留市立 鈴蘭高等学校 2年・蓮見蓮』
その文字を見た瞬間、蓮の全身に電流が走った。
鈴蘭高校。戸亜留市。
前世の日本で、映画化もされ、不良漫画の金字塔として知らない者はいないあの伝説の作品――『クローズ』の舞台そのものではないか。
「鈴蘭って……あの『カラスの学校』かよ。おいおい、冗談きついぜ」
鈴蘭高校。別名、カラスの学校。
超不良校であり、街中の血気盛んなヤンキーが集まり、日々不毛なテッペン争いを繰り広げている暴力の魔窟。
プロの格闘家として、ルールとスポーツマンシップの中で生きてきた蓮にとって、最も対極にあるような世界だった。
「勘弁してくれよ。俺は世界の頂点を極めたんだぞ? なんで今さら高校生の喧嘩ごっこに付き合わなきゃならないんだ。ファイトマネーも出ないってのに……」
深くため息をつき、頭を掻きむしった、その時だった。
「あ? なんだお前。見慣れねえ顔だな」
背後から、低く、だが妙に脳天気な響きを持った声が降ってきた。
3
蓮は反射的に、一切の予備動作なく身体を半身に開き、顎を引いて構えの姿勢をとった。相手に背中を見せた状態から、わずか0.1秒での完璧なディフェンスシフト。
その動きの滑らかさに、声をかけてきた男が「ほう」と目を見張った。
河川敷の堤防の上に、その男は立っていた。
ひときわ目を引く、見事な金髪のポンパドール。
背中には派手な龍の刺繍が施された、緑色のスカジャン。
太いズボンに手を突っ込み、口にはなぜかポッキーを咥えている。
(嘘だろ……。いきなり本物が現れやがった)
蓮はその男の容姿を、一瞬で見間違えるはずがなかった。『クローズ』の絶対的な主人公であり、作中最強の怪物。
――坊屋春道。
春道は、堤防からトトントンと軽い足取りで河川敷に降りてくると、蓮の目の前で足を止めた。
身長は蓮より少し高い。だが、それ以上に男の身体から放たれる「存在感」が異常だった。
プロのヘビー級ファイターでも、これほどのプレッシャーを放つ奴はそうそういない。天性の骨格の太さ、暴力に対する絶対的な自信が、その佇まいだけで伝わってくる。
「お前、鈴蘭の学ラン着てんじゃねーか。新入生か? それともどこかの学校からの編入生か?」
春道はポッキーをガリガリと噛み砕きながら、蓮の顔をじろじろと覗き込んできた。
「……蓮見蓮だ。今日からそこに編入することになってるらしい」
「蓮見ぃ? 聞いたことねえ名前だな。ま、いいや。それよりお前さっきの動き、なかなかキレてたじゃねえか。どこぞのジムでボクシングでも習ってたのか?」
春道の目は鋭かった。蓮がほんの一瞬見せた構えの移行だけで、ただの不良ではないことを見抜いている。
「ボクシング、ね。まぁ、殴るのも蹴るのも、寝技で首を絞めるのも、一通りはプロのレベルで出来るつもりだけどな」
蓮はフッと笑い、ノーガードの姿勢に戻した。ここで虚勢を張っても意味がない。目の前の男は、理屈抜きのバケモノなのだから。
「ハハッ! 言うねえ、兄さん! 殴る蹴るはともかく、首を絞めるだ? 喧嘩ってのはなぁ、こう、拳と拳のぶつかり合いよ! チマチマした寝技なんてのは、男の喧嘩じゃねえんだよ」
春道は鼻を鳴らし、自慢げに自分の拳を突き出してみせた。
典型的な「ヤンキーの喧嘩観」だ。蓮は苦笑した。前世のアメリカでも総合格闘技を「寝技ばかりで退屈なスポーツ」と揶揄するボクシングファンやストリートファイターは大勢いた。
だが、そんな連中がケージに入れば、一分と経たずに床に転がされ、タップ(降伏)することになるのを、蓮は身をもって知っている。
「まぁ、ルールがなけりゃ立ってようが寝てようが、相手を動かなくした奴が勝ちだけどな」
「へえー、お前、見た目の割に生意気な口叩くじゃねえか。ちょっと俺が試して――」
春道が不敵な笑みを浮かべ、スカジャンの袖をまくろうとした、その瞬間だった。
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ~~~~~~~ッ!!!
静かな河川敷に、文字通り地響きのような音が鳴り響いた。
あまりにも盛大な、そして情けない音。
春道がピタリと動きを止めた。
「……あ」
「いや……」
蓮が口を開きかけた、まさにその瞬間。
グルルルルルル、ドゴォォォォンッ!!!
今度は、蓮の腹の中から、それと同等か、あるいはそれ以上に凄まじい爆発音が鳴り響いた。
二人の間に奇妙な沈黙が流れる。
春道は咥えていたポッキーの燃え殻(のようなクズ)をポロリと落とし、蓮は自分の腹をさすった。
前世での過酷な減量生活の記憶。そして、この新しい身体が、限界までエネルギーを欲しているという現実。
そして春道は、言うまでもなく常に腹を空かせている男。
二人は、じっとお互いの腹を見つめ合い……。
「……腹、減ったな」
春道がポツリと言った。
「……ああ、死ぬほど減った。美味い白米と、肉が食いたい」
蓮が深く同意した。
「ぷっ……ハハハハハハハハ!」
次の瞬間、春道が大爆笑しながら蓮の肩をバシバシと叩いた。その手の平の衝撃だけで、普通の人間なら脱臼しかねないほどのパワーだ。だが、蓮は体幹を柔軟にしならせ、その衝撃を綺麗に逃がしてみせる。
「お前、最高におもしれー奴だな! 蓮見って言ったか? よし、喧嘩は後回しだ! 飯行くぞ、飯!」
「乗った。……と言いたいところだが、俺は今、文字通り一文無しだ。財布に一円も入ってない」
蓮はポケットを裏返してみせた。
「あ? なんだお前もかよ! 俺もパチンコでスッてよ、今ポケットに五十円しかねえんだわ!」
春道が堂々と胸を張る。
「じゃあどうするんだよ。泥水でもすするか?」
「バカ言え! この街にゃあな、俺たちみたいな可哀想な学生に、タダで美味い飯を恵んでくれる『親切な奴ら』がそこら中に転がってんだよ!」
春道はギラリと目を輝かせ、街の方角を指差した。
親切な奴ら。不良漫画の文脈において、それが何を意味するか、蓮はすぐに察した。
「なるほどな。ストリートの公認会計士(カツアゲ専門の不良)どもから、逆に監査を入れてやるわけか」
「小難しいことは分かんねえが、とにかく街へゴーだ!」
こうして、UFC初の日本人王者と鈴蘭最強の男という、前代未聞の「飢えた怪物コンビ」が、戸亜留市の街へと繰り出すことになった。
4
戸亜留市の商店街の裏路地。
夕暮れ時の薄暗い街灯の下で、紫色の特攻服を着た、見るからに質の悪そうな不良たちが数人、地面に座り込んでタバコをふかしていた。
「あーあ、どっかに手頃なカモ、歩いてねえかなぁ」
「最近、鈴蘭の奴らが生意気でよ。見つけたら一人残らずボコって、財布の中身全部巻き上げてやろうぜ」
そんな会話を交わしていた彼らの前に、二人の影が立ちはだかった。
一人は金髪ポンパドールのスカジャン男。もう一人は、どこか気怠げに学ランを羽織った細身の少年。
「よお、お前ら。いいところにいるじゃねえか」
春道がヘラヘラと笑いながら話しかける。
「あ? なんだテメエら。……あ、その金髪、もしかして鈴蘭の坊屋か!?」
不良の一人が、春道の顔を見てガタガタと震え出した。どうやら少しは名前の売れた不良のようだ。
「へえ、俺を知ってんのか。話が早くて助かるぜ。なぁ、俺のダチがよ、腹が減って今にも死にそうなんだわ。お前ら、可哀想だと思ったら、ちょっとばかし『カンパ』してくんねえか?」
「ふ、ふざけるな! 坊屋春道が何ぼのもんじゃい! 数の暴力ってやつを教えてやるよ、お前ら、やっちまえ!」
先頭の男の号令と共に、五人の不良が一斉に飛びかかってきた。
春道が「よし、蓮! どっちが多く倒せるか競争――」と言いかけるより早く、蓮の身体が弾亡のように前に出た。
「おいおい、気が早いねえ!」
春道が楽しそうに叫ぶ。
蓮の前に、まず大柄な不良が一人、右ストレートを大振りで放ってきた。
前世の蓮から見れば、そのパンチはまるでスローモーションのようだった。
顎は上がり、反対の手のガードは完全に下がり、体重の移動すらめちゃくちゃ。ストリートの喧嘩なんて、プロの技術から見れば「隙のバーゲンセール」でしかない。
蓮は、相手のパンチの内側をすり抜けるようにして、最短距離で左ジャブを放った。
パシィィィンッ!
乾いた音が響く。
力は全く入れていない。ただ、相手の顎の先端に、正確に拳を「置いた」だけだ。
人間の脳は、顎への軽い衝撃で容易に揺れる。大柄な不良は、自分が何を実行されたのかすら理解できないまま、白目を剥いて地面に垂直に崩れ落ちた。
「ぶ、ブルック!? 一撃で!?」
仲間が倒されたことに驚愕した二人生目が、木刀を振りかざして蓮の横っ腹を狙ってきた。
蓮は一歩下がり、木刀の間合い(レンジ)を外す。
(凶器の軌道が素直すぎる。これじゃ、ただの棒振りだ)
木刀が空を切った瞬間、蓮は鋭く踏み込み、相手の軸足である左足の膝裏へ、正確無休なカーフキック(低空ローキック)を叩き込んだ。
バチンッ!!!
肉と肉が激突する、尋常ではない破裂音が路地に響く。
前世で数々のファイターの戦意を喪失させてきた、蓮の最大の武器。
「ぎゃああああああああっ!!?」
木刀を持っていた不良は、まるで車に撥ねられたかのような悲鳴を上げ、自分の足を抱えて地面をのたうち回った。人間の急所である腓骨神経を完璧に打ち抜かれたのだ。立ち上がるどころか、まともに歩くことすら数週間は不可能だろう。
「な、なんだあいつの蹴り……! 喧嘩じゃねえ、足が……足が折れた!」
残った三人が、蓮の「異次元の強さ」に完全に恐怖し、後ずさりする。
蓮は学ランの襟を少し正し、ふぅと息を吐いた。
「よし、身体のキレは問題ないな。全盛期の八割ってところか。おい、そこの三人。格闘技(MMA)の真髄、もう一つ教えてやるよ」
蓮が低く身構えた。その構えは、ヤンキーのそれではなく、完全にケージの中で相手を仕留めるための、飢えた狼の姿勢。
一人が恐怖に耐えかねて殴りかかってきた瞬間、蓮は頭を下げてその懐へと潜り込んだ。
完璧なタイミングのダブルレッグ・テイクダウン(両足タックル)。
ドスゥゥゥンッ!
不良の身体が綺麗に宙を舞い、背中からコンクリートの地面に叩きつけられる。衝撃で息が止まった不良のバックを、蓮は流れるような動きで奪い取った。
そのまま、相手の首元に己の右腕を深く滑り込ませる。
リアネイキッドチョーク(裸絞め)。
「ぐ、が……あ……」
抵抗する間すらなかった。蓮が腕を軽く締め上げると、わずか三秒で不良の身体から力が抜け、ストンと意識を失った。無傷で、しかし確実に相手を戦闘不能にするプロの技術。
「ヒューッ! お前、マジでヤバいな! 喧嘩の仕方が冷徹っていうか、お供え物みたいに綺麗に人が倒れていくじゃねえか!」
後ろで見物していた春道が、パチパチと拍手をしながら近づいてきた。その目は、恐怖ではなく、純粋な興奮に満ちている。
「だから言ったろ。俺は殴る蹴るだけじゃなく、首を絞めるのもプロだって」
蓮は意識を失った不良を静かに地面に寝かせ、立ち上がった。
最後に残った一人の不良は、すでに戦意を完全に喪失し、ガタガタと震えながら地面にへたり込んでいた。
「ひ、ひえぇぇ……! 助けてくれ……!」
「助けて欲しけりゃ、財布を出しな。俺たちは今、お前ら以上の『怪物(腹の虫)』と戦ってるんだ」
蓮が静かに微笑むと、不良は泣きながらポケットから財布を取り出し、中身の札を全て差し出した。
「これ、これだけで勘弁してください……!」
「よし、監査終了だ。ご協力感謝する」
蓮は札を受け取り、春道に向かってひらひらと振ってみせた。
「合計で二万円ってところか。おい春道、これで美味いラーメンが食えるぞ」
「おう! 最高だぜ蓮! お前、鈴蘭に来て正解だったな! こんなに楽しくて美味い飯が食える街、他にはねえぞ!」
春道はガハハと笑いながら、蓮の首を腕で抱え込み、ヘッドロックのような体勢でぐりぐりと頭を撫で回した。普通の人間なら悲鳴を上げるところだが、蓮はその体勢からでも、いつでも春道の関節を極められる位置に自分の手足を配置しつつ、苦笑いを浮かべた。
「おい、苦しいって。……まぁ、悪くないな。前世のオクタゴンより、こっちの泥臭い路地裏の方が、案外俺には合ってるかもしれない」
5
夜の戸亜留市。
赤提灯が揺れる古びたラーメン屋のカウンターに、二人の少年が並んで座っていた。
「親父! チャーシュー麺大盛り、麺固めで! あとライス大盛り追加な!」
「俺も同じので。それと、餃子を二皿」
二人が注文を終えると、店内に香ばしいスープの匂いが立ち込める。
運ばれてきた山盛りのラーメンと白米を前に、二人は言葉を交わすことなく、猛然と箸を動かし始めた。
「……美味い」
蓮は、口いっぱいに広がるとんこつスープの旨味と、暴力的なまでの白米の甘みに本気で涙が出そうになっていた。
前世では、試合前の一ヶ月間は、塩分も炭水化物も極限まで制限され、味のない鶏胸肉とブロッコリーばかりを口にしていた。
今、目の前にあるのは健康とは程遠い、だが人間の本能を極限まで満たしてくれる「ジャンクの至高」。
「だろ!? ここのラーメンは世界一なんだよ!」
春道は口の周りをスープだらけにしながら、幸せそうに笑っている。
蓮はウーロン茶をゴクリと飲み干し、ラーメン屋の開いた窓から、夜の街を見上げた。
ネオンが不夜城のように輝く、不良たちの巣窟。
これから先、この『クローズ』の世界で、どんな猛者たちが自分を待ち受けているのか、蓮には大体の予想がついていた。
四代目武装戦線の九能龍信。鳳仙学園の美藤竜也。そして、いずれ現れる日本最強の男、九頭神竜男。
前世のマフィアによる暗殺という理不尽な結末から、なぜかこの世界に放り出された。
だが、隣でバカみたいに笑いながらラーメンを啜っているこの男――坊屋春道がいれば、退屈することだけは絶対になさそうだった。
「なぁ、蓮」
春道が、器を完全に空にして満足げに息を吐きながら言った。
「あ?」
「お前、本当に強いな。俺、お前といつかマジでタイマン張ってみたくなったわ」
その言葉には、先ほどの不良たちに向けられたものとは違う、純粋な「強者への敬意」が込められていた。
蓮は、箸を置き不敵に笑ってみせた。
「いいぜ。いつでも受けて立つよ。……ただし、俺のタイマン(MMA)は、お前が思ってるより、ずっと泥臭くて、ずっと痛いぞ?」
「ハハッ! 望むところだ、世界王者!」
戸亜留市の夜風が、二人の怪物の髪を揺らす。
UFC初の日本人王者が、カラスの学校で手に入れたのは、前世のベルトよりも熱く、そして何よりも愉快な、最強の相棒だった。
二人の喧嘩街道は、まだ始まったばかりだ。
不定期です。