転生チャンプは鈴蘭で笑う   作:全てを生成AIにゆだねる者也

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旧 第3話:カラスの戦術

1

 

「――い、痛てて! 勘弁してくださいよ、あんたら! オレ、本当に一銭も持ってないんだって!」

 

五月の放課後、鈴蘭高校から少し離れたうらぶれた公園の裏手で情けない悲鳴が響いていた。

 

他校――焚八商業のバカ面をした不良三人組に囲まれ、地面にペたりとへたり込んでいるのは、鈴蘭の2年生、安田泰男(やすだ やすお)――通称「ヤス」だった。

小柄で、お世辞にも強そうには見えない典型的な「カツアゲされやすい」佇まいの男だ。春道やヒロミたちと同じ学年でありながら、その気弱な性格ゆえに、いつもこうして他校の不良や学内の不良に目を付けられては酷い目に遭っていた。

 

「うるせえよ、鈴蘭のクソチビがよぉ! 俺等に挨拶代わりのつり銭も持ってねえのかって言ってんだろ!」

 

焚八の不良が、ヤスの胸ぐらを強引に掴み上げ拳を振り上げた、その時だった。

 

「おい。そこの大きい兄さんたち」

 

背後からの、あまりにも緊張感のない、しかしどこか芯の通った声に、不良たちが振り返る。

 

そこに立っていたのは黒い学ランのボタンを外した、細身の少年――蓮見蓮だった。

片手には、近くの八百屋で買ったと思われるキャベツとネギの詰まったビニール袋を提げている。昨日、この街の鈴蘭高校に編入してきたばかりの新顔の2年生だ。

 

「あ? なんだテメエ、同じ鈴蘭のクソか? すましてんじゃねえぞコノヤロー!」

 

焚八のリーダー格が、ヤスを放り出して蓮に向かって突進してきた。大振りで、完全に頭が下がった、素人の右フック。

 

蓮は眉ひとつ動かさず、ほんの一歩だけ斜め前に踏み込んだ。

パンチの軌道の内側、相手の懐(デッドスペース)へと滑り込むステップ。そのまま、ビニール袋を持っていない方の右手で、男の伸びてきた右腕の手首をパチンと叩くようにして軌道を逸らす。

パリィ(受け流し)。

 

「え、ぶ!?」

 

空振りした勢いで前のめりになった男の顎の下へ、蓮は自らの右肘を下からカチ上げるようにして軽く滑り込ませた。力は入れていない。ただ、相手の突進するスピードを、そのまま相手の顎にぶつけるだけの合理的な迎撃。

 

ガカッ!

 

短い骨の音がして、焚八の男は糸の切れた人形のように、その場に顔面から崩れ落ちた。

 

「ひ、ひえっ!?」

 

残された二人が、仲間が一瞬で白目を剥いたことに恐怖し後ずさりをした。蓮が静かに一歩進むと、二人は気絶した仲間を引きずりながら脱兎のごとく逃げ去っていった。

 

「大丈夫か、同輩」

 

蓮はビニール袋を持ち直し、地面に這いつくばっていたヤスに手を差し伸べた。

 

「あ……あ、あの……!」

 

ヤスは、目の前で起きた「手品」のような光景に完全に目を丸くしていた。

 

「あ、ありがとう! 僕、2年の安田です! 君、もしかして、噂の……昨日屋上で亜久津たちを秒殺したっていう、転校生の蓮見くんだよね!?」

 

「噂か。本当にこの学校は耳が早いな。俺はただ、夕飯の買い出しの途中だっただけだ」

 

「か、買い出し!? すげえ……格好よすぎる。蓮見くん! 僕、感動しちゃった。よければ僕、君たちの仲間に加わらせてよ!」

 

「おい、勝手に決めるな。俺は群れるのは好きじゃない」

 

「そんなこと言わずにさ! 僕、この街の安いスーパーとか美味い定食屋の情報なら、誰よりも詳しいからさ! 同級生として絶対に役に立つから!」

 

ヤスは立ち上がると制服の泥を払いながら、忠犬のように蓮の後ろをトコトコと付いてき始めた。

蓮はため息をつきつつも、その真っ直ぐで少し調子のいい同級生の存在を、それほど悪くないと感じていた。ストリートには、こういう「要領は悪いが憎めない奴」が必ず一人はいるものだ。

 

 

 

2

 

その日の夜、坊屋春道の居候先である六畳一間は、異様な熱気に包まれていた。

 

「う、美味い……! 美味すぎる。蓮見くん! なんなの、この鍋! 鶏の出汁が信じられないくらい出てるよ!」

 

ヤスが、ハフハフと湯気を立てる鍋を突きながら、涙目で叫んでいた。

 

「だろ!? 蓮の作る飯はよ、そこらの定食屋よりよっぽど美味いんだわ! ほらヤス、その肉は俺のだから取るんじゃねえよ!」

 

春道が、自分の箸でヤスの箸をパシパシと叩きながら、凄まじい勢いで白米を口に放り込んでいく。

 

狭い部屋の真ん中に置かれた古いカセットコンロ。その上では、蓮が安い鶏ガラと、ヤスが持ってきた安売りのキャベツや豆腐を煮込んだ、特製のちゃんこ鍋がグツグツと音を立てていた。

 

「ただの塩ちゃんこだ。ニンニクと生姜を少し多めに入れて、体幹の疲労が取れやすくしてある。……春道、お前は少し野菜を食え。さっきから肉しか触ってないぞ」

 

蓮は自分の分の器にスープを注ぎながら、淡々と二人を窘めた。

 

かつての過酷な戦いの日々の中で、蓮は「いかに少ない食材で、効率よく筋肉を回復させ、かつ美味い飯を食うか」を徹底的に研究していた。その洗練された栄養学と調理技術が、まさかこのカラスの学校の居候先で同級生たちの胃袋を満たすために役に立つとは、人生とは分からないものだと蓮は一人で可笑しくなった。

 

「ふぅ……食った食った。マジで生き返るわ」

 

春道がパンパンになった腹を叩きながら、畳の上にゴロリと横になった。

 

「おいヤス、食うもん食ったなら、なんか面白い話でもしろよ。お前、情報だけは一丁前に持ってる男なんだろ?」

 

ヤスは箸を置くと、それまでのコミカルな表情を少し引き締め、正座し直した。

 

「……実は、笑い事じゃない話が一つあるんだよ。春道くん、蓮見くん」

 

「あ?」

 

春道が片目を開ける。

 

「昼間、僕が焚八の奴らに絡まれてた時もそうだったんだけど、今、学校の中が異常な空気になってるんだ。……亜久津が屋上でやられた件、あの『阪東一派』の耳に完全に届いてる」

 

阪東秀人

海老塚三人衆ををおさえ、実質的に今の鈴蘭高校の最大勢力を誇る男。

ヤスの言葉に、蓮はスープを飲む手を止めずに、静かに耳を傾けた。

 

「阪東一派の幹部……千田と山崎って奴らが、マジになって動いてる。昨日から、俺たち2年の教室をしらみ潰しに探して、蓮見くんと春道くんの行方を追ってるらしいんだ。

 『新顔の分際で、阪東さんの顔に泥を塗りやがった。五体満足じゃ帰さねえ』って、そこら中で吹聴して回ってるよ」

 

「へっ、阪東だか寸胴だか知らねえが、相変わらず群れなきゃ何もできねえクソ虫どもだわ」

 

春道はつまらなそうに鼻をほじり、天井を見上げた。

 

「ほっとけほっとけ。向こうから来たら、まとめてぶっ飛ばすだけだ」

 

「春道くん、相手は数十人の大所帯だよ!? 鉄パイプや木刀を持って襲ってくる奴らなんだ! いくら二人が強くても、数で押し潰されたら……!」

 

ヤスは本当に心配そうに身を乗り出す。

 

蓮は器を静かに床に置くと、窓の外の暗闇を見つめた。

 

(数十人の集団戦か。ストリートの抗争としては珍しくない規模だな。……だが、個々の技術が低い集団は、どれだけ数が集まろうと戦術次第でいくらでも切り崩せる)

 

「心配するな、ヤス。彼らがどれだけ群れようと、人間の身体の構造は変わらない。……それに、せっかく見つけた『美味い飯が食える場所』を、その阪東とかいう奴に邪魔されるのは、俺も少し腹が立つからな」

 

蓮の怒りも恐怖もなく、ただ淡々と事実を述べるような冷徹な言葉に、ヤスはゾクリと背筋が寒くなるのを感じた。この同級生は、春道のような「圧倒的な暴力」とはまた違う、何か底の知れない「戦いの専門家」としての凄みを纏っている。

 

「よし、明日は明日の風が吹く。ヤス、片付けを手伝え。明日の朝飯の仕込みをするぞ」

 

「あ、うん! 喜んで!」

 

小さな部屋の灯りの下で、カラスたちの夜は静かに更けていった。だが、その裏では、鈴蘭の闇が確実に二人を飲み込もうと、巨大な顎(あぎと)を開き始めていた。

 

 

 

3

 

翌日の放課後。

蓮は、ヤスを連れて再び商店街の裏手にある寂れた路地を歩いていた。

 

春道は「昼寝のノルマが足りねえ」とか言って、教室の机で爆睡したまま動こうとしなかったため、今日の買い出しは同級生二人きりだ。

 

「蓮見くん、今日の晩飯は何にするんだい?」

 

ヤスが、メモ帳を片手に嬉しそうに尋ねる。

 

「今日は肉豆腐にしようと思ってる。あの角の肉屋の親父が、夕方になると筋張った端肉を安く分けてくれるんだ。あれをじっくり煮込めば、いいタンパク質になる」

 

「うわぁ、最高だね! 僕、ネギの刻み方なら自信あるからさ――」

 

ヤスがそこまで言いかけた時、路地の先、そして背後の曲がり角から、ガタガタと無数の足音が響いてきた。

 

「――おいおい、やっと見つけたぜ。噂の『お人形さん』と、その腰巾着のウジ虫がよぉ」

 

路地の前後を塞ぐように現れたのは、総勢十五人を超える、全員が鈴蘭の学ランを着た不良たちだった。その手には、ヤスが言っていた通り、使い古された鉄パイプや木刀、あるいはチェーンが鈍い光を放っている。

 

中央から歩み出てきたのは、髪を後ろに激しくオールバックに固め、鋭い三白眼で蓮を睨みつける男――阪東一派の幹部、千田直樹だった。彼もまた、蓮やヤスと同じ2年生の不良だ。

 

「ひ、ひえぇぇぇ……! 千田……!」

 

ヤスが一瞬で顔面を蒼白にし、蓮の背中に隠れるようにしてガタガタと震え出した。

 

「安田ァ……テメエ、新顔の腰巾着になって調子乗ってんじゃねえぞ。阪東さんへの裏切りは、どういう扱いになるか分かってんだろうな?」

 

千田が、右手に持った鉄パイプをカン、カンとアスファルトに打ち付けながら、冷酷な笑みを浮かべた。

 

「千田さん、こいつです! 亜久津たちを入院させたのは、この細身の蓮見って奴です!」

 

後ろの手下が、蓮を指差して叫ぶ。

 

蓮は、右手に持った買い物袋(中には豆腐とネギが入っている)を、背後のヤスへと静かに手渡した。

 

「ヤス。これを。豆腐が崩れると今日の飯が台無しになる」

 

「えっ? あ、うん! わかったけど……! 蓮見くん、相手は十五人だよ! 武器持ってるんだよ!?」

 

「問題ない。……ヤス、そこから一歩も動くなよ」

 

蓮はそう言うと、学ランの袖を二回、カチ、カチと正確に捲り上げ、千田たちの方へと向き直った。

その佇まいは、十五人の武器持ちに囲まれている人間のそれとは到底思えないほど、静かで冷徹だった。

 

「新顔。テメエのせいで、俺たち阪東一派の面子は丸潰れなんだわ。……ここで大人しく両手両足を折らせるか、それとも泥泥になるまで殴られてから病院に行くか、どっちか選べや」

 

蓮見はヤレヤレというように手を振って見つめている。

 

千田が鉄パイプを大上段に構え、手下どもに合図を送った。

 

「やっちまえッ!!」

 

「オラァァァッ!!」

 

前方の四人が、木刀と鉄パイプを振り回しながら一斉に蓮へと襲いかかってきた。

 

(狭い路地。前衛は四人。だが横幅が足りないせいで、お互いの武器の振り幅が干渉している。同時に攻撃が届くのは、せいぜい二人だ)

 

蓮の脳内の戦術眼が、一瞬で状況を弾き出す。

 

最初の男が、頭部を狙って木刀を横一線に振り抜いてきた。蓮は、その木刀が自分の髪をかすめるほどの最小限の動きで、上半身を後ろに引いた(スウェーバック)。

ブン、と虚しく空を切る木刀。

 

「しまっ――」

 

男が体勢を崩した瞬間、蓮は一歩前に踏み込み、その男の顎(チン)に向けて、正確無比な「右のストレート」を突き刺した。

拳を引く予備動作は一切ない。肩の入れ替えと、腰の回転だけで放たれる、銃弾のような打撃。

 

パコォンッ!!!

 

乾いた音が響き、木刀の男は脳震盪を起こして一歩も進めずに真後ろへと倒れ込んだ。

 

「次」

 

蓮は呟くと、右側から迫っていた鉄パイプの男の懐へと自ら滑り込んだ。

 

男が鉄パイプを振り下ろすよりも早く、蓮は男の右腕の手首を左手でカチリと掴んで固定し、同時に右手の掌(手のひら)で、男の肘の関節を、下から上へと強く突き上げた。

関節の可動域を奪う、無駄のない制圧術。

 

ギチィッ!!

 

「あ、ぎゃあああああああッ! 腕が、腕がああぁぁッ!!」

 

不自然な方向に肘が曲がり、男は鉄パイプを落として路地に転げ回った。

 

「な……なんだあいつ!? 喧嘩じゃねえ、何だあの動きは!」

 

残された不良たちが恐怖で足を止める。一瞬で二人が、それも見たこともない「技術」によって無力化されたのだ。

 

「怯むな! 数で押せ! 囲んで叩き潰せ!」

 

千田が後ろから怒鳴り散らす。

 

だが、蓮は囲まれることを最初から許さなかった。

 

ストリートにおける集団戦の鉄則――「常に一対一の状況を作り続ける」。

蓮は、倒れた男たちの身体を障害物として利用しながら、常に自分の正面に一人の敵しか来ないように、細かくステップを踏み変えた。

 

右からチェーンを振り回してきた男の顔面に目隠しの左ジャブを放ち、相手の視界を奪った瞬間に、軸足への鋭いローキック。

 

バキッ!

 

「あうっ!?」

 

バランスを崩した男の側頭部へ、完璧な軌道の右ハイキックが炸裂する。首が一瞬で横に折れ、男はコンクリートの壁に激突して気絶した。

 

左から木刀で殴りかかってきた男の突進を、体捌きでいなし男の背後に回り込むと、そのまま学ランの襟を掴んで、後方の地面へと脳天から引きずり下ろした。

 

「ひ……ひぃ、化け物だ……! こいつ、化け物だ!」

 

わずか一分足らずの間に、十人以上の精鋭たちが路地裏に魚の死骸のように転がっていた。

誰一人として、蓮の制服に触れることすらできていない。蓮の呼吸は未だに一枚の紙を揺らすほどにも乱れていなかった。

 

ヤスは、手渡された買い物袋を抱きしめたまま、完全に腰が抜けて地べたに座り込んでいた。

 

(す、すげえ……。これが、蓮見くんの強さ……。喧嘩なんてレベルじゃない。まるで、人間を壊すための精密機械だ……!)

 

「残るは、お前だけだな。オールバック」

 

蓮は、ゆっくりと千田直樹へと視線を向けた。

 

 

 

4

 

千田の額から、タラリと冷たい汗が流れ落ちた。

右手に握られた鉄パイプが、心なしか重く感じられる。

 

(嘘だろ……。うちの精鋭が、これっぽっちも触れねえなんて……。亜久津の野郎が言ってたことは、ハッタリじゃなかったのかよ!)

 

千田は同じ2年の中でも「武闘派」として鳴らし、数々の修羅場をくぐり抜けてきた自負があった。だが、目の前に立つ蓮見蓮という男から放たれる「気配」は、これまで戦ってきたどんな不良とも違っていた。

感情がない。怒りも、ハッタリも、虚栄心もない。ただ、「そこに落ちているゴミを片付ける」かのような、冷徹なまでの合理性。

 

「テ、テメエ……舐めんじゃねえぞコノヤロー!!」

 

千田は恐怖を打ち消すように雄叫びを上げると、鉄パイプを両手で構え渾身の力で蓮の脳天目掛けて振り下ろした。

 

ガリガリのヤンキーの、命懸けの一撃 Maxのパワー。スピードもパワーも、これまでの手下どもとは桁が違った。

だが蓮にとっては、それも想定の範囲内の軌道でしかなかった。

 

蓮は半身(はんみ)になり、鉄パイプの軌道からわずか数センチだけ顔をずらした。

 

ビュンッ!

 

耳元を風切り音が通り過ぎる。

 

「終わりだ」

 

蓮は、空振りして下へと流れた鉄パイプの金属部分を自らの左手でガッチリと掴んで固定した。

 

「なっ……!? 鉄パイプを素手で――」

 

千田が驚愕して手を引こうとしたが、ビクともしない。蓮の握力と体幹は、常人の想像を遥かに超えるレベルに達していた。

 

蓮は右手で千田の胸ぐらを掴むと、そのまま自らの身体を引き寄せるようにして、強烈な「カウンターの膝蹴り」を、千田のみぞおちへと突き刺した。

 

ドスゥッ!!!!!

 

鈍く、重い音が路地裏に響き渡る。

 

千田の身体が、一瞬だけ宙に浮いたように見えた。肺の中の空気がすべて弾け飛び、顔面が土気色に変わる。

 

「か……は、っ……」

 

千田は鉄パイプから手を離し、両手で腹を押さえながらボロ雑巾のように地面に崩れ落ちた。激痛のあまり、声すら出ない。視界がグニャグニャと歪み、そのまま地面に這いつくばる。

 

蓮は手に入れた鉄パイプを軽く放り投げると、千田の前にゆっくりとしゃがみ込んだ。

 

「おい、オールバック。お前たちのボスの『阪東』とやらに、一つ伝言を頼む」

 

千田は、激痛に耐えながら、血走った目で蓮を見上げた。

 

「俺は、この学校で誰かを支配する気もないし、テッペンとやらに興味もない。……だがな、俺の『美味い飯(日常)』を邪魔する奴は、誰であれ容赦しない。次、この買い物袋や俺のヤスに手を出してみろ。……その時は、怪我じゃ済まさない。全員の関節を元に戻らない形にしてやる」

 

蓮の瞳の奥にある、底なしの暗闇。それは、本物の過酷な世界を生きてきた者だけが持つ、絶対的な警告だった。

千田は、その圧倒的な恐怖に、ただコクコクと小さく首を振ることしかできなかった。

 

「行くぞ、ヤス。豆腐は無事か?」

 

蓮は立ち上がり、いつもの飄々とした声に戻ってヤスに声をかけた。

 

「あ、うん! 豆腐、一丁も崩れてないよ! 完璧だよ!」

 

ヤスは大慌てで立ち上がり、蓮の後ろを、今度は畏敬の念を100%に膨らしめて追いかけていった。

 

路地裏には、阪東一派の精鋭十五人と幹部の千田が、ただただ無惨に転がっていた。

 

 

 

5

 

その日の夕方。阪東一派の牙城である、古い廃ビルの屋上。

 

「――なんだと?」

 

低い、地を幾うような声が、コンクリートの空間に響いた。

 

声を放ったのは、パイプ椅子に深く腰掛け、タバコをくわえた男――阪東秀人だった。その鋭い顔立ちには、鈴蘭の最大勢力を率いる頭としての、圧倒的なカリスマと冷酷さが宿っている。

 

彼の目の前には、もう一人の幹部である山崎達也と、数人の手下に抱えられて戻ってきた、ボロボロの千田直樹たちの姿があった。

 

「す、すまん、阪東……。あの新顔……蓮見って奴、マジでバケモノだ……。俺の攻撃が、掠りもしなかった……」

 

千田は、未だに腹を押さえ、冷や汗を流しながら消え入るような声で報告した。

 

山崎が、千田たちの怪我の具合をチェックしながら、苦々しい顔で阪東を振り返る。

 

「阪東、これ普通の喧嘩の傷じゃねえぞ。千田の腹の打撲もそうだが、他の奴らの肘の関節や、足の神経をやられてる奴らは、全員一撃で正確に戦闘不能にされてる。……ただの素人の殴り合いじゃねえ。何か、専門的な訓練を受けた奴の仕業だ」

 

阪東はタバコの煙を長く吐き出し、空を見上げた。

 

「蓮見蓮……。それに、あの金髪の坊屋春道か」

 

亜久津に続き、幹部の千田までが一瞬で壊滅させられた。この事実が学校中に広まれば、阪東一派の鈴蘭における支配力は根底から揺らぐことになる。海老塚三人衆も、この隙を突いて動いてくるかもしれない。

 

「面白いじゃねえか。新顔の分際で、この俺の庭で随分とデカい口を叩いてくれたもんだ」

 

阪東は立ち上がり、くわえタバコを床に落とすると、それをブーツの底で激しく踏みにじった。

 

「山崎。全員集めろ。兵隊を何十人使おうが構わん。明日、あの二人を鈴蘭の校門前で、全校生徒の目の前で完膚なきまでに叩き潰す。……鈴蘭を仕切るのが誰なのか、あの新顔どもに身体で教えてやるわ」

 

「応!!」

 

山崎の野太い返声が廃ビルに響き渡った。

最大勢力である阪東一派の「本隊」が、ついにその重い腰を上げ本格的な駆除へと動き出した瞬間だった。

 

 

 

6

 

翌朝。戸亜留市の空は、皮肉なほどに抜けるような青空だった。

 

しかし鈴蘭高校の校門前は、まるで戦争が始まる直前のような異様な殺気と静寂に包まれていた。

 

コンクリートの校門を挟んで、ズラリと整列したのは、黒い学ランを着た阪東一派の「本隊」――総勢五十人を超える不良たちの軍勢だった。全員が鉄パイプ、木刀、バットを手にし、ギラついた目で周囲を威嚇している。

 

その中央には、白い特攻服のような長ランを羽織った阪東秀人と、その脇を固める山崎、そして腹に包帯を巻いた千田が立っていた。

 

他の生徒たちは、その圧倒的な軍勢の恐怖に怯え、校門を潜ることができずに遠くの道路の街路樹の陰からビクビクと様子を伺っている。

校舎の窓からは、ヒロミ、ポン、マコの三人衆もまた、腕を組んでその光景を静かに見下ろしていた。

 

「おいおい、阪東の野郎、マジで本隊を動かしやがったぞ」

 

ポンがマスクの下で小さく声を漏らす。

 

「あいつら二人を、本当に殺す気かよ……」

 

「それだけ、昨日の蓮見の動きが脅威だったってことさ」

 

ヒロミが鋭い目を細める。

 

「さぁて、あの二人が、この大軍勢を前にどう動くか……見ものだな」

 

その時、坂の下から、のんびりとした足音が三つ、響いてきた。

 

「ふわぁぁ……。おい蓮、だから言っただろ、朝の連ドラを見てから来ると遅刻するってよぉ」

 

緑のスカジャンを着た坊屋春道が、大きなアクビをしながら、ポケットに手を突っ込んで歩いてくる。

 

「お前がテレビの前から動かなかったんだろ、春道。……それより、今日の朝飯の味噌汁、少し薄かったか?」

 

その横を歩く蓮見蓮は、肩に地元の農家から安く分けてもらったという「ジャガイモの麻袋」を無造作に担ぎ、いつもと変わらない飄々とした佇まいで歩いていた。

 

「ひ、ひえぇぇ……! 蓮見くん、春道くん、本当に校門前が真っ黒だよ! 阪東一派が全員集合してる!」

 

そして二人の後ろには、足をガタガタと震えさせ今にも泣き出しそうな顔をしながらも、必死に付いてくる同級生――ヤスの姿があった。気弱な彼は、圧倒的な二人に対して少し畏まりつつも、しっかりと仲間として背中を追っていた。

 

「クソ虫が何匹集まろうと、クソ虫だわ」

 

春道が不敵にニヤリと笑い、髪をクッと上げた。

 

蓮は肩の麻袋を一度地面に下ろすと、校門前にズラリと並ぶ五十人の軍勢、そしてその中心にいる阪東秀人と、正面から視線を交錯させた。

 

(五十人か。なるほど、これだけの数が綺麗に並ぶと、それなりに壮観だな。……だが、戦術的には、先頭の『頭』を叩けば後ろの有象無象は一瞬で崩壊する)

 

蓮の瞳の中に、昨日千田たちを絶望させた、あの冷徹な「格闘家」のオーラが、静かに、しかし確実に灯り始めた。

 

阪東は、二人の男が自分たちの軍勢を前にしても、一歩も怯むことなく歩んでくる姿を見て、不敵な笑みを浮かべながら一歩前に出た。

 

「待たせたな、新顔。……ここが、テメエらの墓場だ」

 

「墓場にするには、少し天気が良すぎるな、阪東」

 

蓮が静かに答える。

 

「ハハッ! 面白い! 蓮、前座はお前に譲るって言ったが、これだけの数だ半分ずつ山分けといこうじゃねえか!」

 

春道が拳をポキポキと鳴らし、狂犬の笑顔を見せる。

 

「いいだろう、春道。……ヤス、そのジャガイモの袋を頼む。今日の夜は肉じゃがだから、絶対に傷つけるなよ」

 

「う、うんっ! 命に代えても守るよ!」

 

ヤスが麻袋をガッチリと抱きしめる。

 

鈴蘭の校門前。五月の青空の下で、最大勢力「阪東一派」と、最強の技術を持つ男「蓮見蓮」、 道を切り拓く怪物「坊屋春道」の、学校の歴史を塗り替える大抗争のゴングが今、静かに鳴り響こうとしていた。




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