静まり返った会議室の中でエヴァと少年の三人だけが動いていた。
タカミチから飾り気の無いパイプ椅子を受け取って広げるエヴァに倣い、少年も椅子に腰かける。
特筆すべき点など無いごく当たり前の行動にその場の全員が細心の注意を払い観察していた。
魔法を修めた者は少年の魔力から、気を修めた者は少年の気から、そしてより高みにあるものは少年の立ち振る舞いから実力を推し量っていた。
魔力と気から探っていた者はまるで気負うことなく垂れ流されるのを見て、「未熟だ」と安堵するものと「隠蔽だ」と過剰に警戒するものに分かれた。
そして、立ち振る舞いを確かめた者達は大人の視線に気が付きながら物怖じしない少年の態度に違和感を覚えていた。
つまるところ、会議室は安堵と警戒の違いこそあれど少年の値踏みを終えたものと、油断なく警戒を続けるもの、の二つに分かれたのだ。
エヴァンジェリンたちが席に着いた後も視線が飛び交い重苦しい沈黙で満ちる会議室。
誰もがこの先起こるであろう彼女らへ向けたアクションから少しでも情報を読み取ろうと観察、口さがなく言ってしまえば傍観者に堕する中。
そんな中でその言葉は、まるで生徒指導のような声色で何の気負いもなく発せられた。
「遅れたのならまずその理由を説明するのが筋ではないのか、マクダウェル?」
怒りに体をこわばらせた魔法界でも恐れられる吸血鬼の真祖を咎める言葉を受け、会議室の空気は一瞬で凍りついた。
傍に座る者が目を見開いて発言者である新田へ視線を向け、そして最後にゆっくりとエヴァンジェリンが底冷えのする雰囲気を放ちながら新田へと向き直る。
が、彼女はその発言者が新田だと気付くと顔をしかめ、ため息をつきながら言葉をつづけた。
「……コイツが麻帆良の道に不慣れなので遅れたのだ。むしろこの程度の遅れで済んだのが不思議なくらいだ」
エヴァンジェリンはうんざりしたような口調で、横に座る少年を指さし簡潔に事情を説明した。
「ホッホ、ディーノ君はまだ昨日来たばかりじゃから仕方なかろうて」
エヴァンジェリンの横に座る少年が居心地悪そうに頬を掻く姿を見て近衛近右衛門は目を細めて笑った。
「……あー、マクダウェル。少し強く言い過ぎた。だが子供のことだから……」
「……わかっている」
静かな会議室に響く新田の優しくフォローする声とエヴァンジェリンの『闇の福音』のイメージとはそぐわない所帯染みたため息が、その場の空気を弛緩させた。
警戒を続けていた者達の心に去来したのは疑念に満ちた困惑だった。
ばつの悪そうに頬を掻く少年からは魔力や気を感じるものの、その総量は決して多いとは言えず、その立ち振る舞いからも武道を極めたそぶりもうかがえない。
にもかかわらずエヴァンジェリンの手を煩わせた気後れは見せない少年への戸惑いは大きなものであった。
優れたものは情報の処理を、劣ったものは思考を停止する最中、近衛近右衛門だけが会議室内の大半が一種の思考停止に陥っている隙を見逃さずに状況の掌握へと先んじる。
「さて、この子が先ほど紹介したディーノ君じゃ。ワシの知る限りディーノ君は昨夜の黒竜から昨夜生まれ、その時に黒竜は消失、霧のように消えたとワシは聞いておる。ディーノ君、ここまでで何か訂正することはあるかな?」
流れるように簡潔に、質問を挟む隙を与えないまま近衛近右衛門は少年に確認を取る。
会議室を掌握しにかかった近衛近右衛門の問いに、少年は静かに首を振り間違いは無いと示した。
「で、じゃな……」
それを見た近衛近右衛門は話をつづけるが、先ほどまでの立て板に水といった様子が嘘のように言葉を詰まらせ、まごまごと口の中で言葉を転がしていた。
「……まず、彼が本当に昨夜の黒竜の息子だと示さないと話が進まないのでは?」
言葉に詰まるという見慣れない近衛近右衛門の姿に、葛葉が眉を顰めながら助け船を出す。
「あー、まぁその通りなんじゃが……」
が、その言葉を受けた近衛近右衛門はますます都合が悪そうな顔をするばかりだった。
ふと葛葉が近衛近右衛門の後ろに目をやれば、後ろに控えるタカミチもこれから起こることを覚悟する表情を浮かべていた。
「あーディーノ君? 出来るだけ穏便に証拠を示してもらえんじゃろうか?」
組織の上に立つものとして要求されるある種のずうずうしさを十分以上に持ち合わせる近衛近右衛門には珍しく、渋々と言った様子で少年に証拠の提示を頼む不自然さがはっきりとした形を持てばまだ状況はマシだったのだろう。
しかし、少年は近衛近右衛門の言葉を受けるとなんら逡巡することなく動き出していた。
少年は立ち上がると軽く息を吸った後ポツリと、だが室内に過不足なく響く声で呟く。
「証拠を見せる前に一つだけ。……敵意は無い」
その発言の真意を会議室に集まった面々が理解するより早く、その場の空気は一変した。
少年が軽く力むしぐさを見せると、額に紋章が浮かび上がり黒く力強く光り輝く。
会議室の中で昨夜の黒竜と同質の殺気が暴風のように吹き荒れた。
その瞬間、幾分か弛緩したはずの空気は会議開始前へと一瞬にして戻り、幾人か、その立ち振る舞いから少年の強さを推し量っていた者達が戦闘者としての反射行動を起こしていた。
その一群の中でも一歩抜きんでて反応したのが葛葉刀子であった。
彼女は椅子に腰かけ少年を注視していたはずであったが、場が殺気で満ちるや否や瞬きの間に彼我の間に横たわる机の上を駆け、少年を抜刀術の間合いに取り込んでいた。
反応できた一群が得物を取り出し終わる時にはすでに抜刀を終えていた葛葉は、生涯最速と確信できる圧縮された鈴の音のような抜刀音を聞きながらその眼を驚愕に見開いた。
子供相手に全力で技を振るってしまった自分に、ではない。
通常では知覚できないはずの速度で弧を描き喉元へと迫る剣先を、少年は冷静に見つめている光景を目にし、驚愕したのだ。
葛葉は極限まで引き延ばされた一瞬で今まさに鍛え上げた技が見切られつつある現実に目を見開いていた。
が、次の一瞬には、少年は葛葉と同じく目を見開く。
そして顎を引き、背をそらせ、果ては膝を折り自らの体を引く重力すら利用し転がるようにして葛葉の一刀を躱した。
攻撃を避けそこない、完全に体勢を崩した少年目がけて予備動作を終えたものから順に無詠唱魔法が放たれようとしたまさにその瞬間、
「やめんか!!!」
と、近衛近右衛門の鼓膜をつんざく静止の声が会議室の中に響き渡った。
先の新田による怒気を多分に孕んだ一喝とは違う、魔力を帯びた声はそれを聞いた者の精神ではなく肉体を縛り付け会議室を支配した。
一拍の間をおいて少年が額から紋章を消すと殺気も消え、反応した一群は大きく息を吐いた。
「その……、スミマセンでした……」
葛葉は野太刀を白木の鞘に納めると机から降り、尻餅をついたまま注意深く自らを見る少年へと手を伸ばし謝罪の言葉を口にする。
「いや、こちらこそ……」
「葛葉先生! あ、あなたは……!!」
葛葉の手を取り立ち上がった少年が、答えを返し終わるよりも早く新田が声を上げた。
新田は比較的冷静な対応をしていたはずの葛葉の気がふれたとしか思えない、文字通りの狂行に驚愕し、その相手がよりにもよって子供であったという事実に怒り、その声をワナワナと震わせていた。
新田から見れば目にもとまらぬ速さで振るわれた達人の一閃を、神の奇跡か仏の救いか、偶然少年が尻餅をつくことでようやく躱せたようにしか見えず、その声が怒りに震えるのは当然ことだった。
葛葉は悔恨にその端正な顔を歪めると、新田に、そしてその場にいた全員に頭を下げた。
「…軽率な行……」
「いや、今のは私が結果的に挑発したのが原因だ。目の前で剣を抜き、喉元に切っ先を突きつけたのだ。謝るべきは私のほうだ。もっと言葉を尽くすべきだった、すまなかった」
少年が紋章を見せた機会は少ない。
それも戦闘ではないうえに相手が初見であると言った条件を加味すれば、それにあてはまるのはアルビレオ・イマ相手に見せた一度だけだった。
少年はその経験を持って、この地に住まう実力者であれば前もって警告すれば問題は起こらないと誤解していた。
少年の誤算があるとすれば、あの図書館島の地下で出会った胡散臭い男は一度世界を救った実績のある平常の枠を飛び越えた大英雄であったことだろう。
しかし葛葉の言葉を遮り少年が謝罪の言葉を口にしたとしても、それは少年の誤算や紋章の異常性を未だ理解していない新田にとって到底納得できる話ではなかった。
「何をバカなことを……!! 君は今殺され……」
「ドラゴンの言うとおりだぞ、新田センセイ?」
今にも爆発しそうな新田の発言に割り込んだ冷ややかな声の主はエヴァンジェリンであった。
「マクダウェル、君まで何を……」
「もし今動いた、いや、動けた者たちに落ち度があるとすればそれは未熟であったこと以外に無い。貴様の言葉を借りるなら、殺されかけたのだ。ドラゴンが、ではなくうごけた者たちが、だ。……自分の額に手を当ててみろ」
エヴァンジェリンの言葉を受け新田が額に手を当てると、汗が指を伝って落ちるほどにじっとりと濡れていた。
季節は冬。いくら暖房を使用しているとはいえ、未だ雪がちらつくこともある時期に額が汗で滲むなど冷や汗以外あり得るはずがない。
「気や魔法を修めていない貴様には分かりづらいだろうが、この場は殺気で満ちていた。そして、それが先ほど放たれた殺気の証拠だ。……悪いことは言わん、後で今の部分だけ記憶を消してもらえ」
エヴァンジェリンの言葉を受け新田は汗に濡れた手を見つめ、到底納得できないといった表情を浮かべてこそいたが、やがて言葉を飲み込むと席に着いた。
新田が座るのを見届けたエヴァンジェリンは頭を下げ自席へと戻る葛葉を一瞥すらせずに押し黙っていた。
やがて、少年が再び隣に座ると少年にだけ聞こえる声で呟いた。
「気をつけろよ。
少年はエヴァンジェリンの唐突な言葉を受けるとその真意を測りかねながらも何かを考えている新田に視線を向け、
「わかった」
と、あいまいに頷いた。
それからしばらくしてようやく落ち着きを取り戻した会議室を見渡すと、近衛近右衛門は話を再び切り出した。
「さて、いささか過激ではあったが、ディーノ君が黒竜の息子であるという事実について異論はなくなったとワシは思う。あと報告することがあるとすればエヴァがディーノ君のマスターになっておることぐらいかの」
サラリと付け加えられた言葉に会議室が息をのむ。が、
「下らん邪推を向けられる前に言っておくが、麻帆良への復讐をするほど暇ではない。仮にするとしても他人の手を借りるつもりなど毛頭ない。それがたとえ我が従僕の手だとしても、だ。自らの不始末を人に任せるほどおちぶれた覚えはない」
「言うまでもないことじゃが、彼女が誰を従者にするかなどは口をはさむ余地は無いの」
と続けられたエヴァンジェリンと近衛近右衛門の言葉に、今まさに声を上げようとしていた面々は一様に渋面を浮かべつつも言葉を飲み込まざるを得なかった。
「話をつづけるぞい。ディーノ君は昨夜の黒竜襲撃時には、未だ産まれてはおらんかった。
よってディーノ君に昨夜の一件について咎は無い。
が、ディーノ君がこの地に住まうに当たって全くの一般人として扱うのが難しいのも事実じゃ。
魔法関係者としてはもちろんのこと、教育者としてもディーノ君をどうするかが難しいのは言うまでもないじゃろう。
実力云々もさることながら、見た目と実年齢に開きがありすぎるからの。
そこでまず魔法関係者としてじゃが、ディーノ君には夜間持ち回りでほかの関係者と同じように警備の任務に当たってもらうことになっておる。
もちろんほかの未成年者と同様に基本的には深夜を除く時間帯じゃがな。
その場において各々でディーノ君を信頼できるか判断してもらいたい、とワシは考えておる。
そして教育者としてじゃが……」
そういって近衛近右衛門は一度言葉を切り、少年へと体ごと向き直り優しく尋ねた。
「昨晩、ディーノ君は世界を見て回りたいと言っておったが、ディーノ君はどんなことを学びたいのかの?」
「学びたいというよりは、使命を果たすべき敵が誰なのか知りたい。そう言ったほうが正確だと思う」
「……敵とはどのようなものを指すのかの?」
「額に竜の紋章が浮かぶものを竜の騎士と呼ぶ。
竜の騎士は古来より三界の調停者として生を受け、そのバランスを崩すものあれば打倒すことを使命としている。
倒すべき相手は告げられるか、告げる必要もないほど分かりやすいかのどちらかだ。
しかし、私はその敵を告げられてはいないし、見知った範囲に限るがわかりやすい敵がいるとは思えないほど豊かだ。
まずはその敵を探さねばならんのが私の現状だと思う。そのために今の状況を理解したい」
幼い見た目の少年から飛び出した物騒な理由を受け会議室にどよめきが広がる中、近衛近右衛門や新田をはじめとする数人だけが眉根を寄せていた。
僅かな間を置いて表情を戻した近衛近右衛門が話を再開した。
「物騒ではあるが、ディーノ君の希望は分かった。ではディーノ君の受け入れ先をどうするかじゃが……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
近衛近右衛門の言葉を遮ったのは若い黒人の男性であった。
「どうかされましたかな? ガンドルフィーニ先生?」
近衛近右衛門は突然話を切られたが、先ほどのように不快な表情を見せることなく、むしろキョトンとした邪気のない顔つきでガンドルフィーニと呼んだ男性へと体を向けた。
その男性は若い黒人であった。彼は不意にした発言に場内の視線が集中したのに気付き少しだけ躊躇したように見えたが居住まいを正すと未だ若さを多分に感じさせる声で話を切り出した。
「受け入れるという学園長の方針に異論はありません。ですが、彼を今すぐ学校に編入させるというのは無理ではないでしょうか? まず常識と立ち振る舞いとこちら側の人間だと漏えいした場合の対処法などを学んでもらってからでないと……」
その言葉を受けた新田が手を上げ、近衛近右衛門が手で発言を促す。
「ディーノ君はマクダウェルのように常識はあると思っていたのですが違うのですか?」
「エヴァはある程度人として過ごした経験がある上に600歳じゃ。それは無理じゃろう」
近衛近右衛門からの質問の答えを受け、新田は確かめるような視線を少年へと向ける。
「自慢ではないが文字も読めない」
返ってきたのは新田の想像を斜め下に超えた答えだった。
「忘れがちじゃが、ディーノ君は生後2日目じゃよ」
その言葉を聞いて新田は再度腕組みをして深く考え込んだ。
「このまま入学させるのは悪目立ちが過ぎるし、四角四面に年月を待っても同じことじゃ。
皆の知恵を借りたいというのはそこじゃよ」
新田の沈黙を視界の端に確認した近衛近右衛門が、簡潔に新たな議題を投げかける。
その言葉を受け、会議室は再び沈黙に包まれた。
会議室が深く考え込むような唸り声が僅かに響くだけになると、エヴァンジェリンは頭を捻る面々を尻目に会議室をどこを見るともなく見渡していた。
彼女がこの場でするべきだった行動はたったの二つ。
一つは少年のマスターになったということを自ら宣言すること、もう一つはそれが招くであろう下らない邪推に釘を刺すことの二つだけであり、それらをすでに終えたエヴァンジェリンにとってこの場はすでに意味をなすものではなくなっていた。
「……ククク」
知らぬ間に彼女の口から漏れたその笑いは特に何らかの感情の籠ったものではない。
それでもあえて理由を探すのであれば、普段煩わしいだけの正義の魔法使いたちが雁首そろえて子供一人相手に頭を抱えている光景が滑稽なものに見えた。
ただそれだけの笑いだった。
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル! 貴方の従者の話だろう! 貴方も意見を述べるべきではないのか!?」
エヴァンジェリンだけにしか聞こえないほどの小さな笑い。
それを音ではなく、少し吊り上った口角に目ざとく気付き食ってかかったのは先ほどのガンドルフィーニと呼ばれた男だった。
エヴァンジェリンは入室の際に向けられた視線から、彼がどちらかと言えば頭の固い正義の魔法使い側の人間だと見抜いていた。
勝てないことを知ってはいるが、自らの価値観を疑わず他人にまでそれを当然と強要する愚か者。
退屈なこの場で降って湧いた敵とみなすには小物過ぎるオモチャ。
それがエヴァンジェリンの明日には忘れるだろうガンドルフィーニの印象だった。
「まぁ私の従者の話ではあるが、こと学業の話だ。まさか学生の身分であるこの私が、新田センセイに呼び捨てられるただの生徒でしかないこの私が、学校運営などと言った『先生方』の領分に口を出すわけにはいくまい?」
「グッ……! ま、まったくの無関係というわけではないだろう!」
「ホウ? どう関係するというのだ?」
ククク、と思いのほか生きの良かった彼目がけて、猫が手元で獲物をいたぶるように会話のボールを相手に渡す。
答えが返ってくるのであれば「一生徒には荷が勝ちすぎます」と抗弁するも良し、答えが返ってこないのであれば「『先生方』にお任せいたしますよ」とさらなる嫌味を付け加えても良し。
どう転んでも
だが、返ってきた答えはエヴァンジェリンの嗜虐心を彼方へと押しやるほど意外な答えであった。
「た、例えば……、保護者会とかだ!」
「……ハァ?」
ガンドルフィーニの予想をしていなかった斜め下の返答を受け、エヴァンジェリンは用意していた嫌味を言うことすら忘れて純粋に困惑の声を上げた。
しかし、ガンドルフィーニが苦し紛れに発したその言葉の意味に気が付いた人間が二人いた。
「確かに全くの無関係というわけではないのう」
近衛近右衛門はホッと感心したように息を漏らし、
「確かに無関係の話ではないな」
新田はアッと見落としていた何かに気づいたような表情を浮かべ声をあげた。
「何を言ってるジジイ? 貴様らがどうするかなど……」
「エヴァはディーノ君の衣食住を保証するマスター、つまり保護者、もしくは後見人じゃろ?」
「だとするならば、ディーノ君の生活に責任を持つのは当然だな?」
近衛近右衛門と新田の二人に当然の前提を繰り返され眉をひそめるエヴァンジェリン。
が、続く新田の言葉はそんな困惑を吹き飛ばす、予想をはるかに超えた一言だった。
「だとするなら授業参観や三者面談、もっと言えば運動会の応援も参加するのも当然だな?」
まさかそれらのイベント時にディーノ君一人で寂しい思いをさせるつもりではないだろうな?
と言わんばかりの新田の視線を浴びエヴァンジェリンは虚を突かれ目を見開いた。
「……ハァ!? 吸血鬼の私に炎天下の中レジャーシートの上でカメラを回せとでもいうのか!?」
音を立て立ち上がったエヴァンジェリンは、先ほどまでの余裕を無くし大声で新田と近衛近右衛門を詰問した。
「お主は太陽を克服した
「それに加えてディーノ君に友人ができた場合、家に遊びに来たその子たちを愛想良くもてなすのも、保護者の役割だぞ」
新田の言葉がとどめになったのか立ち上がったまま呆然自失とするエヴァンジェリンの耳には、
「吸血鬼の家に子供を連れて行けるわけないだろう……」と、隣でつぶやく少年の声は届かない。
さも当然と、まるで前もって打ち合わせでもしていたかのように互いを補い合う新田と近衛近右衛門の言葉を受けエヴァンジェリンは混乱の極地にいた。
私が、この私が学園のガキどもをさらに縮めたガキども相手にニコニコしながら紅茶とケーキを振る舞うのか?
この真祖たる私が? エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが、闇の福音が世の母親の真似事をするのか?
「そんなバカなことが……」と、言いかけたエヴァンジェリンが何かに気が付いたように少年へ視線を向けた。
「どうしたマスター?」
余裕を無くした表情を浮かべるマスターの横で、その従者はキョトンとしており、この状況に頓着している様子はない。
―――コイツはさっき富士山がどうとか、おにぎりがどうとか言ってなかったか……?
まさかそれはあの友達を百人作る童謡の話をしたんじゃないのか?
『嘘ヲ教エルト、必ズ引ッカカルシナ?』
不意に、ログハウスでのチャチャゼロの不穏な言葉が脳裏をよぎる。
こいつが嘘に引っかかったのがは騙されたからではなく、麻帆良についてだけでなく本当に何も知らないからだとすれば?
耳で聞いた情報すべてを真実だと取る、紙一重の純粋さが「嘘に引っかかる」理由だとすれば?
紙一重も何も疑うことを知れる齢ではないではないか。
もし学校で友達を大事にしましょう、友達と仲良く遊びましょう。などと言われればどうなる?
バタバタと我が家を駆け回るハナ垂れのガキどもに、ニコニコ笑いながらクッキーでも振る舞わねばならんのか?
この私が?
「ダ、ダメだ! ダメだ! ダメだ!」
「何がダメなんじゃ?」
「コイツが学校に通うことに決まっているだろう!」
新田の視線が鋭さを増すも、それに気づかすエヴァンジェリンは言葉を続けた。
「それに、コイツの学校行事など出られるはずがないだろう! 登校地獄の呪いは修学旅行すら認められんのだぞ!?」
「……そうなのですかな?」
新田は鋭さを増したままの視線を近衛近右衛門に向けた。
「……あー、事実じゃ。お恥ずかしい話ではあるが呪いの制御も完全ではない。弱め方もあることにはあるが現実的ではないのう。事実上不可能じゃの」
その言葉を受け新田は腕を組み、苦渋の決断を迫られたような表情を浮かべ天井を見上げる。
「ホラ、そこのお前! コイツが学校に通った場合の問題はまだあるだろう!? もっと言わんか!」
好機と見たエヴァンジェリンはガンドルフィーニを指さし、発言をするようまくし立てた。
「そ、そうです! 第一、友達の作り方も知らない子供を学校に入れたところですぐになじめるはずがないでしょう! 仮に関係者のみで構成されたクラスに編入させるとしても問題が多すぎます!」
「そうだ! よく言ったぞ! ドラゴンを学校に通わせるなど非常識極まりない! もっと言ってやれ!」
夕暮れの会議室で不意に組まれた奇妙なタッグは、不思議なことに息ぴったりと新田と近衛近右衛門コンビを追い詰めていった。
真面目に考えているものは解決の糸口を頭の中で探し、会議の成り行きを様子見ていたものは急造タッグの必死さにあっけにとられていた。
会議室がようやく静かになったのは沈黙する新田と近衛近右衛門に対し、矢継ぎ早に問題点を並べ立てていたエヴァンジェリンとガンドルフィーニが息を切らせ、ぜいぜいと息をついてからだった。
奇妙なタッグによって少年を学校に編入させた場合の問題点は列挙されたが、かといって少年に教育を受けさせないのは語るまでもなく論外である。
進むことも戻ることもできなくなった会議室に光明をもたらしたのは、今まで発言をしていなかったタカミチであった。
「あの~……」
そう申し訳なさそうな声で、タカミチがおずおずと手を上げる。
「なんじゃね? タカミチ君?」
「入院していた子供と同じ扱いとして、とりあえず常識を覚えるまで家庭学習というのではダメなんですかね?」
その声色は当たり前のことをあえて提案する気まずさに満ちたものだった。
「それだ!!! ジジイ! タカミチの言うとおりだ!」
「フーム……。落としどころとしてはそんなものかのぅ。新田先生はいかがかな?」
「情操教育上望ましいとは言いにくいが……、家庭で心を育む段階を経なければまずい……か。」
タカミチの提案は決してベストだ、とは言い難いものであった。
人間関係を円滑にする常識とは本来、社会の中で学ぶべきものであり、決して触れ合う人間を限定したなかで授業という形式をとって学ぶべきものではない。
しかし、少年の境遇と環境を考えれば、通常手段では対応できない面が多々あるのも事実であった。
答えを待つ近衛近右衛門に対して、新田は渋々といった様子で頷いた。
「では、エヴァよ。今後何人か常識、およびその対応の仕方を教える魔法先生方がお主の家に行きディーノ君への授業することになるが構わんな?」
蛇蝎のごとくとまではいかないが、決して友好関係とは言えない魔法先生が自宅の敷居をまたぐ未来を想像し、エヴァンジェリンは渋い表情こそ浮かべながらも最終的には肯首した。
「そうか、よかった。まぁ誰がディーノ君の教鞭をとるかは後程細微に詰めるとして、では次は図書館島の最終調査を行うメンバーと区画分けを決めるかの」
始まりは張りつめた緊張感を持って、最後は緊張の欠片もないグズグズに。
急に表れた黒竜の息子である少年を巡っての議題に、目途が立った会議室の中は誰彼の区別のないホッというため息でとりあえずの落としどころに収まった。
「おい、ジジイ。関係のない話題をするのなら私たちは帰るぞ」
「会議が終わった後にディーノ君に話があるんじゃがしばらく待ってもらえんかの?」
これ以上いても退屈なだけどころか、下手をすると面倒事が湧きかねないエヴァンジェリンがさっさと帰ろうと立ち上がるが、返ってきた答えはエヴァンジェリンだけが僅かに感じ取れる固さのあるものだった。
飄々としたいつもの態度とは違い、珍しく食い下がる近衛近右衛門にエヴァンジェリンは怪訝な顔を向けた。
その瞳から真意を推し量ろうとするが、その眼の奥は澄んでいるのかノッペリとした暗がりに包まれているのか不自然な行動の手掛かりになるものは何もない。
「……そういえば我々にも詰めねばならんことがあったな、ジジイ?」
「……そうだったの。スマンがちょっと待ってもらうぞ? では、暫定調査メンバーと割り振りを発表するぞい」
その後の会議はいくつか小さな議論や配置の組み換えはおこったが全体としてはスムーズに進行した。
会議が進行していくうちに、役割の決まったものから準備へと会議室を後にし始め、
続いて警備の時間が差し迫ってきたものが持ち場へと、櫛の歯が欠けるように会議室の人数は減っていき、最後まで残っていたのは、近衛近右衛門・タカミチ・葛葉・新田・エヴァ・ディーノの六人だけだった。
「あー、やっと肩の荷が下りたのぅ」
トントンと自らの肩を叩きながら近衛近右衛門が安堵のため息とともに言葉をこぼした。
「……申し訳ない」
「あぁ、ちょっと浅慮な発言じゃったな。」と、笑いながら手を振り近衛近右衛門は否定の意を示した。
少年もそれをわかっていたらしくばつの悪そうに笑っていた。
「ハッ。さっさと話せなかったことを話したらどうだ?」
そののんきなやり取りをエヴァンジェリンは鼻で笑って近衛近右衛門にさっさと話を切り出せと催促する。
「ウム。では、話せなかったことについて詰めようかの?」
近衛近右衛門は自らの白く豊かな髭を撫でつけながら息を吐いた。
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