真祖と竜の紋章   作:鉱脈

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割と頑張って時間を作った。
自分で自分をほめてあげたい。(二週間遅れ)


人の鎖を手繰るタヌキ

「正直我々から聞きたいことは山のようにある。例えば君の使うワシらが知らない魔法のことや、竜の騎士という存在などじゃな。だが、ワシが一番聞きたいのは君が敵と呼ぶものが何かじゃよ」

 近衛近右衛門は少年に向き直ると、前置きや話しやすくなる雰囲気づくりなど一切せずに少年の胸元へ言葉を短刀に変え斬り込んだ。

 正しく麻帆良の未来を左右する質問は、その内容の重さに似合わない軽やかな声だった。

 

 そして、その答えも、

「私の敵が、私の敵だ」

 気負いの無い静かな声だった。

 

 だが近衛近右衛門はその答えに深く、深く目を閉じた。

「ディーノ君。学園長はおそらくその内容を聞いているんだが……」

 新田は優しく諭すような声で少年に質問に答えるように促した。

 その答えに悪い予感を覚えた葛葉の横で、タカミチには昔感じた悪寒を思い出していた。

 

「ドラゴンはジジイの問いに正しく答えているぞ新田よ」

 エヴァンジェリンは答えを返さない少年に変わって新田の質問に答えた。

「……マクダウェル。学園では先生とつけるよう指導したはずだが?」

「固いことを言うな。とうに下校時刻など過ぎているではないか。この場に礼節の意味を知らんガキなどおらんよ」

「子供が見ている。年長者として正しい言葉を使うべきだろう」

 新田がそう言い終わると、エヴァンジェリンは心底楽しそうに笑った。

 

「これは失礼、新田センセイ。では改めて、我が従者は既にジジイの質問に答えている。今しがた答えた質問にもう一度答えろとはおかしな話ではないか?」

 学園長へのジジイと呼ぶエヴァンジェリンに新田は若干眉を顰めた。

 しかし、新田は彼女が常日頃から学園長をそう呼んでいることも、そして学園長がそれを咎める気がないも知っていた。

 念のために学園長のほうへ視線を向けたが、相変わらず気にした様子はない。

 それを見て新田は不満げな表情を浮かべながらもエヴァンジェリンに向き直った。

 

「学園長の質問は何を敵と呼ぶのか、というものだ。だがそれに対してディーノ君は私の敵だとしか答えていない。これではただのオウム返しではないか」

「答えているではないか」

 細い指を軽く組み机の上に投げ出し絹糸よりもなお細い髪を夕日に透かせ、身じろぎひとつせず答えるエヴァンジェリンに新田は怪訝な顔を浮かべ、彼女の横に座る少年へ視線をスライドさせた。

 床へと視線を落とすその子からは、それが退屈によるものなのか、周りの大人に気後れしているのか、それとも何か特別な理由があるのかはわからない。

 

 自分に向いた視線に気が付いた少年が顔を上げ、少年と新田の視線が交差する。

 新田の脳裏に思い出されるのは先ほどの葛葉の凶行。

 なぜか被害者なはずの少年を見つめられているだけで新田の額から冷や汗が滲みだす。

 だが新田は少年が視線を切るわずかな間、全身を覆う悪寒を感じながらも自ら視線を切ろうとはしなかった。

 それを見て短く笑うエヴァンジェリンに嘲る様子は無い。

 むしろ意思を曲げぬ頑固者を見る爽快さに口元を緩ませてさえいた。

 

「コイツはな、自らが定めたものを敵とする。そう言っているのだ」

「……? それは答えになっていないのではないですか……? 彼の言葉を借りるのであれば三界のバランスを崩す『魔』や『悪』を探し出してそれを討つ。その敵の規模や基準を学園長は聞いていると思うのですが?」

 葛葉刀子が新田への返答を受け紡いだ言葉は新田の抱く疑問を正確に代弁していた。

 

 しかし、その疑問は葛葉および新田両名のみが共有するものでしかなかった。

 タカミチは自らの悪い予感を払しょくできずに普段の柔和な笑みを消し、近衛近右衛門はその眼の奥に組織の長としての冷酷さを宿し、共に『既に答えを見出し』少年を見据えていた。

 そして、エヴァンジェリンは葛葉刀子を睥睨していた。

 

「ドラゴンが『魔』を、『悪』を。『世界を害す敵』だから討つとは、ずいぶんと図々しい話だな」

「違うのですか? 彼の言う三界や、そのバランスは分かりません。しかしそれでも彼はそれらを乱す者相手に戦う。それだけは間違っていないはずですが…?」

『闇の福音』と謳われたエヴァンジェリンの冷たく射抜くような睥睨を、葛葉は臆することなく迎え撃った。

「あぁ、間違っていないぞ?」

 エヴァンジェリンは牙を見せ、健気に立つ葛葉を獰猛に笑う。

 吸血鬼の、人の上位種である象徴を見せられた葛葉の返答に僅かな間が生まれてしまった。

「なら、何故…」

「何故」

 エヴァンジェリンはその言葉を遮った。

 

「何故ドラゴンが『魔』を、『悪』を討つと考える?」

 タカミチの疑念は確信へ至り、近衛近右衛門は動かない。

 

「何故ドラゴンが『人』を討つ。そう考えないのだ?」

 ようやく葛葉もエヴァンジェリンが何を睥睨したのか思い至った。

 エヴァンジェリンすら知る由もないが、確かに人を滅ぼそうとした竜の騎士は実在した。

 彼は人を最後の一人まで滅ぼさんと、竜の騎士最大の敵である大魔王にすら膝を折った最後の竜の騎士であった。

 

「そ、れは……」

「代わりに答えてやろうか? 貴様らは常に自らを正義と疑わないのだ。故に、自らが討たれるとは考えもしていない。」

 葛葉の頭蓋に先ほどのエヴァンジェリンの「図々しい」という言葉が反響する。

「貴様はドラゴンの答えが答えになっていないと勘違いをしていたな。では、あえてわかりやすく貴様ら風に言ってやろう」

 エヴァンジェリンの表情には愉悦の色は無い。ただ事実を簡潔に述べる空寒さがその言葉に宿っていた。

「竜の騎士は悪だから討ち滅ぼすのではない。

 竜の騎士に討ち滅ぼされたものが悪となる。ドラゴンの答えはそういう意味だ。」

 

 タカミチはエヴァンジェリンの言葉にかつての敵を思い出していた。

 自らの決定を世界にまで押し付けるその『絶対者』としての在り方がその言葉には宿っていた。

 

 竜の騎士が敵を定め、竜の騎士がそれを討ち滅ぼし、竜の騎士が倒したものが悪となる。

 それは最悪の宣告であった。

 竜の騎士が人を滅ぼす選択肢を取り得る事実もさることながら、その決定が完全にディーノ個人に委ねられているのは最悪というほかに言い様がない。

 人のように自ら定めた『道理』に縛られるのではなく、

 魔のように自ら定めた『流儀』に依るのではなく、

 自らの決定に自身を一切合財委ねる竜としての『在り方』。

 その有様が決定的に最悪であった。

 

「人を戦闘狂(バーサーカー)のように言うのはやめてくれマスター」

 咎める、と表すにはずいぶんと穏やかな声を響かせ、少年は横に座るエヴァンジェリンに視線を向ける。

「ここに来るまでに言ったように私は闘争が必要かすら分からぬ、闘争以前の未熟者だ」

「あぁ確かにそう聞いたな」

「なら、私がすぐ人と争うように言うのはやめ……」

だが(・・)

 エヴァンジェリンは少年の瞳の奥を覗き込み、斧のような力強さでその言葉を遮った。

「それは貴様の本質だ。違うか、ドラゴン?」

 

 

 

「なるほど、君には教育が必要なのだな」

 

 

 

 新田の言葉にエヴァンジェリンは視線を奪われ、近衛近右衛門は柔らかく笑った。

「なるほどの。質問は以上じゃ。ディーノ君ありがとう。……今しがた礼を述べた口でこんなことを言うのもなんなのじゃが、ひとつお願いを聞いてくれんかの?」

「……?」

「お願いと言うのは他でもない、長谷川千雨君のことじゃよ」

 何かに察した少年が口を開くより早く近衛近右衛門が言葉をつづけた。

 

「あぁいやいや、ディーノ君の処置が失敗だったとかそういうことではないぞい。千雨君がディーノ君らしき人物を探していると、担任から報告を受けてな。一度会ってやってくれんかの?」

 その言葉を受け、少年は始めて何か深く考え込むような表情を見せた。

 

「タヌキが……」

 エヴァンジェリンが胸の内で吐いた言葉は当然のことながら隣に座る少年の耳に届くことは無く、彼女は近衛近右衛門を睨むと誰にも聞こえないほど小さく舌打ちをした。

 

「…………」

「何、例え原因がディーノ君の御母堂であったとしても、彼女を救ったと言えば大げさかの? まぁ、彼女の不安を取り除いたのはほかの誰でもないディーノ君、君がしたことじゃよ。胸を張って会いに行き、お礼の言葉を受けてやってはくれんかの? お礼も言えぬというのはあれはあれで辛いものじゃよ。」

 近衛近右衛門は少年の渋面の原因に思い至りながら(・・・・・・・)あえてそれを無視し、少年を励ますような言葉を続ける。

「だが、……」

 少年はおそらくその提案を断ろうとしたのだろう。だが、ほんの少しだけ言葉が詰まった。詰まらせてしまった。

「それに千雨君も寂しがっとるぞ?」

 近衛近右衛門は躊躇した隙を見逃さず、朗らかに笑いながら蛇のようにその隙間に言葉を滑らせた。

 

「チッ……」

 と、エヴァンジェリンが先ほどとは違いはっきりと聞こえる舌打ちをしたこと以外に会議室に変化はない。

 少年と近衛近右衛門の会話が途切れ、誰も身じろぎひとつしない会議室は静まり返った。

「……少し、考えさせてもらえないだろうか?」

「迷うことでは無いじゃろうが、ディーノ君が決めることじゃな。……そろそろ時間も時間じゃの。では会議もお開きと……」

「ドラゴン。悪いが貴様は一人で先に戻ってくれ。私はジジイに話が残っている」

 ポンと手を打ち会議を終わらせようとした近衛近右衛門に視線を向け、抑揚のない声をエヴァンジェリンが上げた。

 

「……では、マスター。先に失礼する」

「フム、まだディーノ君は麻帆良の道に慣れておらんかったろ? 葛葉先生、申し訳ないが送ってやってくれんかの?」

 ―――先ほどのこと、きっちり謝っておくようにの? と、いまだ少年に対し負い目を感じている葛葉に目で伝えながら近衛近右衛門は両者を送り出した。

 

 扉が閉まった後会議室の中は人が減ったにも関わらず元通りの、いや、それ以上の刺すような緊張感が漂っていた。

 その緊張感の中心でエヴァンジェリンが怒りを隠そうともせず近衛近右衛門を睨み付けている。

 対して近衛近右衛門は会議室に入った時からの巨大な湖のような泰然とした態度を崩さなかった。

 

 近衛近右衛門はエヴァンジェリンの心中を正確に把握していた。

 彼女が自らの従者のために激怒していることも、そしてそれが自分へ向けられていることも理解していた。

 そして何より、その怒りが決して放たれぬ(・・・・)ことも理解していた。

 明確な怒気を孕んだ視線を浴びても、近衛近右衛門は決して自ら口を開こうとはしなかった。

 そもそも弾劾される者が最初に口を開くはずもない。

 弾劾は罪を糾弾する側から口を開くのが常であった。

 

「貴様は何一つ嘘をつかなかったな?」

「あぁ、何一つとして嘘は言っておらんよ」

 エヴァンジェリンの声は硬く、固い岩盤の下を流れる溶岩のように静かだった。

 事実近衛近右衛門が、彼女、千雨の担任に「今日何か変わったことは無いか?」と尋ねたところ、「少年と思しき男の子を探している」という証言を得たことに嘘は無い。

 

「貴様は今後ドラゴンと関わったハセガワを、その身に降りかかるであろう災厄から全力で守るつもりだな?」

「あぁ、今までの償いと言うのもおこがましいが、過去をやり直せない分未来を持てる全力で支えていくつもりじゃよ」

 そう答える近衛近右衛門の目には嘘をつく後ろ暗さは無く、今までないがしろにせざるを得なかった千雨への申し訳なさすら言葉の端々から匂わせていた。

 

「貴様はドラゴンと奴が救ったハセガワを、『貴様なりに』思いやったな?」

「あぁ、ディーノ君もさることながら長谷川君にも友達は必要じゃ、そう思っておるよ」

 

 千雨は生来持つ認識阻害魔法への耐性から、麻帆良の違和感に気が付きやすい。

 それゆえに周りから孤立、言ってしまえばイジメを受けていた。

 もちろん彼女の担任や学校の教師が魔法使いや一般人の区別なく対応に当たり、最小限の被害に留めてはいた。

 しかし近衛近右衛門はそれ以上の対策、認識阻害魔法の解除と言った根本的な解決法を取ろうとはしなかった。

 直接的な暴力による被害への対策はしていたが、日に日に増していく彼女の孤独感をぬぐおうとはしなかったのだ。

 

 彼女に事情を知る魔法関係者の子供を友達として宛がうのは正直容易い。

 しかし、仮に魔法関係者の子供たちが『大人に言われたから、長谷川千雨という子がかわいそうだから』友達になったとして、それは友達関係と言えるのだろうか?

 上から与えるような友情に何の意味があるというのか?

 そんな残酷な『ごっこ遊び』では長谷川千雨の孤独は救えない。

 

 そんな長谷川千雨を孤独から救い友人になれるのは魔法関係者ではないが認識阻害に気付ける少年、ディーノしかいなかった。

 そしてディーノを生来持つ戦闘力から生じる孤独から救い友人になれるのも、その孤独を知る長谷川千雨しかいなかった。

 

「では、貴様は奴と長谷川を善意で引き合わせたのだな?」

「それは違う。ワシはディーノ君の優しさと、長谷川君の孤独につけこんだ。ここだけは譲らんよ」

 近衛近右衛門ははっきりと、幼い子供を自分の意志に基づき、彼らの善性と不幸に付け込んで自らと麻帆良の利益になるよう誘導した、そう答えた。

 限りなくドス黒い邪悪を衆目に晒しながらも近衛近右衛門は、「彼らのためにやったこと」だと彼らの孤独を盾に自己を正当化せず、「ドラゴンを情の鎖で縛り麻帆良を守るためだ」と自らの立場を盾に自己弁護もせず、自らの罪を罪だと簡潔に切って捨てて見せた。

 そのギリギリの誠実さはエヴァンジェリンの心に爪を立てて掻き毟る。

 

 彼が正当さを振りかざし自己を守る俗物であれば、

 彼が正鵠を射た非難に訳も分からず反撃する狒々(ヒヒ)であれば、

 彼女はその魔力を迷うことなく振るうことができた。

 

 エヴァンジェリンが大きく息を吸う。

 しかし、彼女はそれ以上何もしなかった。

 目的のために他者を利用し、罪という泥にまみれてなお進む。

 そんな人間を弾劾する流儀など、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは持ち合わせない。

 

 なにより、自らの『在り方』は自らが守らねばならない。

 誰かの心を守るなど、例え従者相手でも傲慢が過ぎる。

 彼女は麻帆良で過ごした日々でそう確信していた。

 

 結果彼女は怒りを、岩盤の下で眠るマグマのように胎動させたまま、

「そう、か」

 と、静かに呟きそのまま会議室を後にした。

 

 

 

「学園長……今のお話は本当ですか……?」

 そう静かに、静かすぎるほどに抑揚のない声で問うたのは新田だった。

「あぁ、何一つ嘘も誤認も無ければ、エヴァの奴が何か誤解していることもないの。そして、長谷川君の境遇の原因も知っておった」

 その答えを聞いた新田は静かに、だがその全身をブルブルと震わせていた。

 エヴァンジェリンの沈黙が胎動する溶岩であるならば、新田の沈黙は今まさに吹き上がらんとする噴火の前の静けさであった。

 

「貴方は、子供が……この街を覆う魔法で苦しんでいるのを知りながら! 何もしなかったのですか!?」

「この街を覆う認識阻害魔法は世界樹が発しておるものじゃ。ワシらはそれの強弱は操れるが完全にオフにすることはできん」

「ならそんな樹など…………!!!」

 切り倒してしまえばいい。その言葉が新田の口から出ることは無かった。

 そのような人のエゴを口にするには新田は善良が過ぎた。

 

「ワシも同意見じゃよ。たかが魔法使いの街を作ることができる程度の魔力を宿す樹など、子供に比べたら何の価値もない。さっさと切り倒すべきじゃ」

「なら……!」

 

 

 

「じゃが、その天秤に世界が乗っているとしたら、新田先生? 貴方は子供と世界、どちらを選択されますかな?」

 

 

 

 唐突に湧き上がった現実味のない選択肢。

 人を馬鹿にしているとしか思えない二択であったが、近衛近右衛門の眼差しは遊びなく新田を射抜く。

 新田は言葉を詰まらせ何も答えることができなかった。

 

 それが新田の限界であった。

 

「……天秤に世界が乗っているとはどういう意味なのか、お答えいただきたい」

 頭の中で冷静な部分で無駄だと分かりつつも、新田はそう問わざるを得なかった。

「……申し訳ないことじゃが、お答えできませんのう」

「答えない」でもなく、「知らなくても良い」でもなく、「お答えできない」。

 答えを聞くまでの新田は今までにないほど義憤に身を焦がしていた。

 しかし、近衛近右衛門の言葉の裏にある新田の安全への配慮を読み取れぬほど、その眼は曇っていなかった。

 

「……都合のいいことを言うようですが」

「…………」

 近衛近右衛門はあえて何も言わず、静かにその続きを待った。

「それが必要なことであっても、そしてその結果全員が幸福になるものであっても、その過程が人の気持ちや境遇に付け込むものであれば、私は到底納得できません……!!!」

 近衛近右衛門は目を閉じ、深く皺の刻まれた体の隅々まで染み渡らせるように新田の絞り出した声に耳を傾けた。

 

「……対案も出さず、その上質問にもお答えできず、勝手な言い分を言ってしまい、申し訳ありませんでした」

 自らの内にのたうつ怒りを必死に押さえつけながら、新田は近衛近右衛門への謝意を口にする。

 

「……魔法先生たちだけは、ワシに反対する意見が出にくくての。そのような意見を言っていただけるだけでありがたい。……これからも麻帆良への御助力お願いいたしますぞ?」

「……ッ! 失礼します!」

 その言葉に、新田は吐き捨てるように退室を詫びると怒りを隠そうともしない大股で外へと向かった。

 

 タカミチと近衛近右衛門の二人になった会議室はそれまで渦巻いていた熱が嘘のように消え去り、それに代わるように夕暮れが底冷えのする寒気を運び込む。

 近衛近右衛門がふと手元を見れば、湯呑の中が空になっていた。

 先んじて動こうとするタカミチを手で制し、近衛近右衛門は部屋の隅にあるポットへと向かう。

 ほんのりと暖かくなった湯呑とともに席に戻り、背中を丸め茶をすする。

 いつものように入れたはずのそのお茶は、いつもより苦かった。

 

 

 

 会議室での一幕が終わり六日が過ぎたころ、少年は千雨を背負った道をたどるように歩いていた。

 近衛近右衛門から彼女が自分に会いたがっていると話を聞いてから、自分なりに考えてお詫びの品を用意するのにエヴァンジェリンに別荘を借り、現実時間で五日ほど。

 そして、それをどうやって渡そうかを考えるのにさらに一日考え、何も思いつかないまま重い腰を上げたのが今日であった。

 

 普通に考えれば、そのまま家に行き軽く言葉を交わして千雨にそれを渡して速やかに去れば終わる話であるのは間違いない。

 しかし、少年が長谷川千雨の不安を取り払ったというのも確かであるが、その不安は少年の身内、しかも実の母親からもたらされたものであるというのも事実であった。

「身内の尻拭いをどう誇れというのだ……」

 端的に言えば、少年は長谷川千雨を救ったにも関わらず彼女に対して未だ負い目を感じている。

 そして少年自身、彼女にこれ以上関わるべきでは無い。そう感じていた。

 その感覚は少年の小さな肩へのしかかっていた。

 

 まだ幼い少年が往来を分かりやすく肩を落としながら歩いていれば、声をかけてくる大人がいてもおかしくない。

 そうなれば少年にとって面倒なやり取りが発生するのが当然であった。

 

 だが幸運なことに少年が歩いていた時刻と近所の小学校の下校時刻とが、重なっていたため、少年を煩わせることは起こらなかった。

 しかし、禍福は糾える縄のごとしという言葉に習うまでもなく幸運の後には不運が来るのが世の相場である、という事実に少年は思い至らなかった。

 

「「あっ……」」

 

 思い悩みながら曲がり角を曲がった少年は何の覚悟もないままに千雨に再会してしまった。

 少年にとって残念なことに、その距離は見間違いなど到底起こり得る距離ではなかった。

 

 ある意味一番会いたくない人間に出会ってしまった少年と、探していたが影も形もつかめなかった人間に不意に出会った少女。

 当然のことながらお互いに何も言葉をかけることができず、気まずい沈黙が人通りのない住宅街の一角に漂っていた。

 少年は藁にもすがる思いで受け継いだ記憶を逆さに振りまわすが、気まずい相手と当たり障りのない会話をする方法など竜の騎士の闘いの記憶の中にあるはずもない。

 硬直した少年の口から漏れるのは、意味を持たない小さなうめき声が関の山だった。

 そして、それは目の前にいた千雨も同様で、お互いに何も言い出せないままだった。

 

 しかし、彼女は意を決したようにつばを飲み込むと少年の手を乱暴に取り、

 

 

 

「ありがとう!!」

 

 

 

 と、まるで怒鳴りつけるような大声で少年にお礼を言ったのだ。

 

「……ク、ククッ」

 始めこそ突然の大声に目を丸くしていた少年も勢いに押され、やがてこぼれるように笑い声を漏らした。

「な、……!」

 勇気を振り絞ったお礼を笑われた千雨は顔をトマトのように赤く染め、少年のスネを一切の手加減なく蹴りつけた。

 勢いの良いその蹴りには遠慮や、あの日の会議室で味わった反応を探るような意図など欠片もない。

 

「く、ククク、ハハッ」

 それが妙に嬉しかった少年は、下げるべき笑い声のボリュームをほんの少し大きくしてしまった。

 それは彼女を嗤う悪意のある笑いではなく、胸のつかえが取れたさわやかな笑いであった。

 

「わ、笑うな! この! この!!」

 とはいえ耳ざとく大きくなった笑い声に気づいた目の前の少女に、そんな心中などわかるはずもない。

 しょうがないのでドラゴンは少女の気が済むまで黙ってスネを蹴られることにした。

 

「なかなかいい蹴りだったぞ?」

「…………」

 口から漏れる笑い声をなんとか押し込め千雨に謝罪した少年は、彼女と横並びに彼女の家へと歩いていた。

 あの後謝罪まではさせてもらえたが未だ怒りの収まらない千雨は、プリプリと怒ったまま少年を無視するように先を歩いていた。

 

「いや、確かに私が悪かった。……色々不安だったのだ。安心して笑ってしまったのは謝る。許してくれ」

「うるせー馬鹿。……大体探しているのが分かってたならさっさと会いに来いっつーの」

 若干ぎこちなく歩く少年を睨みながら、千雨は小さく呟いた。

「……事情はあったんだが、正直なことを言えば、……怖くてな」

「…………」

「チサメの言葉を借りれば、私はその……『変』な側にいることになるからな」

 そういうと少年はばつが悪そうに頬をかいた。

 

 風のように現れた少年が孤独な少女の悩みを風のように吹き飛ばしていった。

 そんな少年を普通と思うほど長谷川千雨という少女は鈍くない。

 彼女が苦しんでいた悩みは、彼女自身見れず触れずあるとしかわからない類の物だった。

 そんなオカルト染みた問題をふらりと現れ、ふらりと解決した男の子。

 それを長谷川千雨の基準に照らし合わせれば、少年が彼女の嫌う『変』の領域にいるのは間違いない。

 だが、それを理由に受けた恩に礼を言わぬほど長谷川千雨は愚かではなかった。

 

「……嫌いな人間わざわざ探すマヌケはいねーよ。礼ぐらい言わせろバカ」

「……確かにそうだな」

 少年は小さく笑い声をこぼした。

 

 それ以降、なんとなく二人ともその話題に触れなくなった。

 会話というものは話の種がなくなれば、潮が引くように途切れてしまうのが常である。

 しかし、少年と少女の会話は不思議と途切れることなく続いていた。

 しかしそれでも、彼女の家が近づいてくるにつれ会話のリズムは崩れていき、最後の曲がり角が見えたころには二人とも無言になっていた。

 それを曲がり終えると少年は不意に歩みを止め、千雨も同じく歩みを止めた。

 

「ひとつ頼みがあるんだが……」

「……そっちのことなら言いふらすつもりなんてないぞ」

 急に立ち止まった少年に千雨は少しだけ沈んだ声で答えた。

 

 少年はその賢さに少しだけ寂しく、助けられるような思いを味わった。

 

「そうではない。……これを受け取ってもらえないだろうか」

 そういって少年がポケットから取り出したのは小さくたたまれた紙袋だった。

「……今開けてもいいのか?」

 訝しげな表情を浮かべた千雨がそれを受け取り尋ねると、少年は小さく頷いた。

 千雨が小さな掌の上で紙袋を傾けると、雫のように淡く透き通った宝石のついたネックレスが滑り落ちてきた。

 キョトンとした顔を浮かべた千雨が少年に視線を向けると、少年は言いにくそうに説明しだした。

 

「それは私の知る限り一番良いお守り……のまがい物だ」

「まがい物かよ」

 ふっと息を吐くように笑い声を漏らした彼女は、軽やかな口ぶりで嫌味を言った。

「作り方や材料は完全に真似たのだが、まぁそう上手くはいかんらしい。情けないことに手伝ってくれた人からも、その辺のお守りと大差無いと太鼓判を押されてしまったよ。」

 珍しくぼやくような少年の口調に、千雨はまるで我慢するそぶりも見せず笑い声を上げた。

 

「……笑うな」

「おあいこだろうが」

 少年の小さな抗議を真正面からはね付けた千雨は、屈託のない笑顔で笑っていた。

 ぐうの音も出ない反論を受け少年が諦めたように息を吐けば、千雨は最後にもう一度小さく笑うと少年の言葉を待った。

 

「まぁ説明は出来ないんだが、この前のあれは身内の恥でな。……石は元々持っていたもので、チェーンはもらい物だ。そう大したものでないのが心苦しいが、お詫び代わりに受け取ってもらえないか?」

 その贈り物は少年にとってのお詫びであると同時にお節介でもあった。

 少年が少女に送ったまがい物のアバンのしるしは、本来の邪を払う力を持ってはいなかった。

 本物ですら僅かばかりの効力しかない邪を払う能力など、少年の作った偽物に宿るはずも無い。

 だがそれでも、認識阻害を常時レジストしてしまう彼女のストレスを軽減する程度の力は持っていた。

 

 これを彼女に贈ろうと思い至った事に深い意味はない。

 自分も将来味わう孤独に苦しむ彼女に、安っぽい同情をしただけに過ぎなかった。

 そしてそれは、おそらく二度と会うつもりのない彼女へ少年が出来る精いっぱいだった。

 

「……ハァ、わかったよ。ありがと」

 千雨は助けてもらった上に贈り物までもらう形になり居心地が悪そうにしていたが、少年の顔を見てそれを受け取った。

「悪いな、助かる」

「……だからそっちがお礼言ってどうするんだっつーの」

 手作りのネックレスを受け取ってもらえ安心したように笑った少年に、千雨は気恥ずかしそうに顔を背けた。

 

 彼女はため息をつきながらも几帳面にネックレスを紙袋へ戻し、大事そうにポケットへ入れたのを確認した少年は、千雨の家へ背を向けて歩き始めた。

「な、なぁ。もう帰るのか? ちゃんとお礼も出来てないし、家に来ればジュースくらいなら出す、ぞ?」

「礼は先ほど受け取ったし、なにより先約があってな。……すまない」

 そう呟いた言葉はウソではなかったが、少年は元々誘いに乗るつもりはなかった。

 

 自分と同じ孤独を抱える少女の寂しさなど、文字通り魂に刻まれるほど識っていた。

 彼女には、そして自分にもそれを理解できる相手が必要なことも、ぼんやりと思い至っていた。

 近衛近右衛門もそのあたりを見抜いて彼女と私を引き合わせたのだろう。

 だがそれでも、竜の騎士と交流を持つことが彼女の幸せにつながるとは思えなかった。

 

 竜の騎士は代々女を不幸にする。

 記憶の中にあるその言葉を確かめるまでもなく、この平和な世界で不必要に強い力を持つ自分との関わりが彼女に幸福をもたらすとは思えなかった。

 

「なぁ……。また……」

 ―――会えるか? 彼女が口にしなかった言葉を埋めるならおそらくその言葉が入るのだろう。

 それほどまでに彼女の発した声は何かにおびえるように震えていた。

 少年はその声に足を止め振り返る。振り返ってしまった。

 

「……いや、なんでもない…。ありがとな」

 そういって笑う少女の顔は、良くできた作り物のようだった。

 石膏のように固まった自然な微笑みは、その白く固い石肌の下に彼女の孤独を隠していた。

 賢い少女はハッキリとは分からないまでも、少年が抱える『通常でない』事情に思い至り、自ら身を引いた。

 そのことを如実に物語るその笑顔は、少年の目に酷く痛々しいものに映った。

 それは決して子供が浮かべるべき表情ではなかった。

 

 ―――それに千雨君も寂しがっとるぞ?

 なにより近衛近右衛門の言葉が、呪いのように少年の頭から離れなかった。

 

「……その今日は都合が悪いからな。できれば日を変えて招待して貰えればありがたい」

「…え?」

 不意に少年の口からこぼれ出たその声に彼女はキョトンとした表情を浮かべた。

「その、なんだ。ジュースを飲みたくてな。……紅茶よりも美味いのだろう?」

「あ、あぁ! ら、来週! 来週の水曜はどうだ!?」

「あぁ、その日なら大丈夫だ。その日のこの時間に家を訪ねても大丈夫か?」

 千雨はパァッと花開くような笑顔を見せ頷いた後、ハッと何かに気付いたような顔を引き締める。

 

「今笑ったか?」

「いや、笑ってない」

 流石の少年でも学習したのか、それを見て笑うことはしなかった。

 少年は頬の裏側をちゃんと噛んでいた。

 




スゲー固い結界を張った近衛近右衛門「実はこの結界はミナカトール一発でぶっ飛ぶぞおおお!!」

楓に分身の術を習ったハセガワ=サン「愚痴! 根暗! 鬱憤! 傍観! ネットアイドル! 割と暗めのこの五色が私の魂の色だ! うおおぉぉ! くらえ! ミナカトール!」

結界が割と脆く直撃をくらった近衛近右衛門「ぐわあああああ!」

多分こんな感じにはならないと思います。
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