「許可が出ましたのでこれをどうぞ」
そう言いながらアルビレオ・イマは日本語の書かれた少し大きめの板を少年に手渡す。
それには、「魔法や力を使わないこと」と「問題を起こさないこと」、「日没までには帰宅する」旨が硬い文章で書かれており、
その下にアルビレオ・イマが上記の内容を保証する趣旨のサイン付きの文章が記してあった。
「これを掲げてれば問題無いのか?」
「ええ、あの隅っこに向けていれば問題ありませんよ」
少年はアルビレオ・イマから両手で抱えるほどの木の板を受け取り監視カメラに向ける。
「そう、そんな感じです。では、しばらくすると地上につきますのでそれまで掲げておいて……」
急に言葉を止めたアルビレオ・イマは何か思いついたように、ポンっという音とともに新しくラテン語の書かれた板を出した。
「申し訳ないのですが、やはりこちらの板に持ち替えて下さい」
「……理由を聞いてもいいか?」
また何かよからぬことを考えたであろうアルビレオ・イマに対しため息を何とかこらえながら理由を尋ねる。
「いえ、特に不都合があるというわけではないのですが、私のラテン語にはある種の癖がありまして、親しいものが見ればすぐに私の文章だとわかるのですよ。ですので、念のための変更です。もちろん文章の内容には変更が無いことは保証しますよ?」
「……」
「貴方ではなく、学園長に対して、の措置です」
と、少年は相変わらずニコニコと笑顔を浮かべながら話すアルビレオ・イマの言動からラテン語の板のターゲットが自分ではなく学園長であることを知り、見ず知らずの
少年と監視カメラに、にこやかに手を振り、エレベーターの操作方法を軽く説明した後、ドアが閉まるまで、まるで自分の仕掛けた悪戯がさく裂するのを待っている子供のように笑みを崩さないアルビレオ・イマを見て、少年は無駄なことと知りながらもう一度だけ心の中で未だ見ぬ学園長とやらに頭を下げた。
近衛近右衛門はアルビレオ・イマとあらかじめ交わしてあった符丁を用いた念話を受け、監視カメラの映像を確認し頭を抱えていた。
―――おそとではおとなしくしています ちからをふるいません
―――わるいことはしません・わるいひとについていきません
―――くらくなるまえにおうちにかえります
―――この子は悪い子ではないと保証します 紅き翼 アルビレオ・イマ
先の文言をラテン語で書いてある木の板を掲げた少年が、木の板を少しでもカメラに寄せようと背伸びをする光景がモニターに映し出されていた。
アルビレオ・イマが念話で知らせてきた簡潔すぎる報告を聞く限り、画面に映るこの少年は生後一日足らずの子供で昨日この麻帆良へやってきた黒竜の息子であるらしい。
もう意味が分からない。
それが近衛近右衛門の偽らざる感想だった。
アルビレオ・イマに言われるまま、大真面目に直立不動でさながらラウンドガールのように木の板を掲げ続けている姿から良い子だとは分かる。
図書館深部への直通エレベーターを下るのではなく上るのだからまぁ普通の子ではないことも理解できる。
アルビレオ・イマと対話し、平和に外へ出るための道筋を立て、それを実行することからこちらに害意が無いこともわかる。
「だからと言って外に出せるわけがないじゃろう……」
安全面からも、昨日闘った魔法関係者への配慮からも到底出せるわけもない。
しかし、この少年をよりにもよって『紅き翼のアルビレオ・イマ』が保証している。
先の魔法大戦の大英雄、ナギ・スプリングフィールド率いる紅き翼のアルビレオ・イマが、だ。
万が一この少年の存在がバレ、問題になったとしても少年の掲げる板を見せアルビレオ・イマの知己の者であったと言ってしまえば少なくとも魔法関係者は抑えられる。
『偉大なる魔法使い』にとって『紅き翼』の名はそれほどまでに大きかった。
その上、彼ほどの実力者に保障されて安全面から異を唱えられる者など、この学園に居る筈も無い。
そのうえ、性質の悪いことにこの画面を見せたのは『アルビレオ・イマ』なのだ。
近衛近右衛門が性質が悪いと評したのは、魔法先生達を抑えられることや学園の安全面だけでなく、
「……揉み消せちゃうんじゃよなぁ……」
と、およそ正常な形状とは言い難い頭を抱え、息を吐く。
この映像を見るのは学園長室にいる近衛近右衛門一人であり、この映像を撮る監視カメラも秘匿しなければならないアルビレオ・イマが利用するエレベーターの物ということもあり通常の警備システムを通すものではない。
バレる心配は限りなく薄く、バレた場合のアフターフォローもこちらがミスさえしなければ万全だ。
つまりは、この映像はアルビレオ・イマが仕掛けてきた性質の悪い『遊び』なのだ。
通常の管理責任者なら激怒して、即刻エレベーターを停止させるところであろうが、この老人、近衛近右衛門にはアルビレオ・イマの性質の悪い『遊び』について心当たりが多過ぎる。
しかも、被害者側ではなく、加害者側としてだ。
この手の遊びを仕掛けるときは、決して遊びの範疇を超えることが無いことを確認して仕掛けるのが鉄則だ。
……そして、遊びの範疇のぎりぎりのラインをカミソリの刃の上を滑るように「相手に」渡りきらせることこそがこの『遊び』の醍醐味だ。
残念なことに近衛近右衛門は、顔を蒼白にしてカミソリの刃の上を滑りきる必要な力量は備えてしまっている。
そのうえ、今回この『遊び』を仕掛けてきた相手はそのようなマナーを守る知性も力量もあると近衛近右衛門は信用している。
第一、自分が被害に含まれたからと言って、いまさら危ない『遊び』について怒るなどという都合のいいことが出来るほど近衛近右衛門は恥知らずではない。
「……宗旨替えするべきじゃろうか……」
少しでも画面に木の板を近づけようと精一杯背伸びをし、そのせいでプルプルと子ヤギのように震える少年の姿に脱力した近衛近右衛門は出来もしない自省の言葉をつぶやいた。
エレベーターの扉が開き、人の気配がする方へと歩を進めた少年の視界に飛び込んできたのは、受け継いだ記憶の中で見た一番賑やかな祭りよりも人通りが多く、一番豊かだった街の記憶よりも物が溢れている町並みだった。
街行く人々の姿を見れば皆美しく清潔な服装に身を包み、その表情も明るく活気に満ちている。
町並みといえば道が見たことも無い材質の石畳で舗装されており、遠くに見える森の木々は長らく戦火に晒されていないことが遠目でわかるほど太く大きい。
何より目を引くのが街の中に立つ巨大な樹だ。
この場所からかなり距離があるにもかかわらず見上げなければその先端が見えないほど大きく、その威風堂々たる姿には長い年月を経た物にしか宿らない風格すら漂う。
少年の足は自然と引き寄せられるようにそちらへ歩み始めた。
街行く人々に習い、道の端を沿うように時たま目印の木を見上げながら歩いていると、何本目かの曲がり角を曲がったところで、赤と黒の質の良さそうな革の鞄を背負った妙な子供達の後ろを歩く形になった。
その集団は男の子3人に女の子1人という、生意気盛りの子供には珍しい組み合わせの集団で、男の子たちが女の子にまとわりつく様に歩き、女の子が男の子たちを振り切るように早足で歩いていた。
「まーた嘘つき千雨が変なこと言ってたぞー」
男の子達は女の子の周りをグルグルと回りながら、囃し立てるような声を上げる。
千雨と呼ばれた女の子は口をへの字に結び、男の子達を睨み付けながら早足で歩き続けた。
「いつもの『世界樹はヘン』って言うのと一緒で今日のも嘘なんだろー?」
と、男の子がからかいながら口にするも、女の子はその言葉を振り払うように歩調を強め、
「どっちも嘘じゃない。世界樹だってあんな大きな木があるのは変。おかしいものはおかしい」
と、冷たく返事をした。
千雨と呼ばれた少女がそう返す口調は相手に怒りをぶつけるわけでもない、ただ淡々と事実を述べるに留まろうとする子供らしくない口調だった。
「約束のこともあるし、無暗にかかわるべきではないか……」
少年はその喧嘩になりかけている彼女らを止めるべきか少し迷ったがそう結論付け、目の前の光景をどこにでもある子供の喧嘩、と距離を保ちながら歩いた。
しばらくたっても男の子たちは女の子の周りをグルグルと囃し立てながら回っているが、決して暴力は振るわず、まるで女の子が怒りだすのを待っているようだった。
「ヘンなのは嘘つき千雨のほうだろー」
「私はヘンじゃない。おかしいのはそっちだよ」
千雨は努めて冷静に答えを返そうとするも、その声はだんだんと怒りをこらえるように震えていき、堪忍袋が切れかかっているのが手に取るようにわかった。
「何言ってんだよ。三対一だぞぉ。多数決で多い方が正しいって先生も言ってるぜ」
と、一番背の高い男の子がニヤニヤと笑いながら言い、周りの2人も「そーだそーだ」と調子づいてさらに囃し立てる。
「だって全部ヘンだもん! 人をマンガみたいに飛ばせるぐらい強い人や、ロボットが普通に歩いてるなんて!」
今にも喧嘩になりそうなギリギリのラインで踏みとどまっていた千雨の口から、零れ落ちた感情が大声となってあふれ出た。
だが、男の子達はそんな様子を見て馬鹿にするような笑みを浮かべながら、
「だって実際に人を空高くぶっ飛ばす強い人はいるし、ロボットだって町の中歩いてるじゃんか。それに皆ヘンだなんて言ってないだろー。」
とだけ言い、千雨の意見を切って捨てた。
千雨はうつむき、スカートの裾を握りしめながら背中を震わせ、その後も続く男の子達のからかう言葉を何とかやり過ごそうと耐えていた。
が、
「ヘンって言ってるのはお前一人だけじゃん!」
の言葉に遂に堪忍袋の緒が切れ、千雨は怒りを抑えようともせず男の子たちに駆け寄った。
それを見た男の子達はキャッキャと声を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
千雨はそれを追いかけるも少し先で足をもつれさせ、派手な音をさせ転んでしまった。
やはり途中で止めに入るべきだったかと少年は後悔するも時すでに遅く、
「強いものが弱いものをなぶるというのはどのレベルでも気分のいいものではないな…」と、呟いた少年は転んだまま起きない千雨に駆け寄った。
「……大丈夫か? 立てるか?」と、声をかけるも千雨はうつむいたまま立ち上がり、少年を押しのけるようにして、足を引きずりながらその場から離れようとする。
しかし、千雨が数歩進むと小さく声を上げ、カクリと再びバランスを崩した。
約束があったとはいえ一度見捨てる形になってしまった少年は、放っておくわけにもいくまいとため息をついて、「…見せてみろ」と、半ば強引に道沿いの白い金属製の柵に腰掛けさせ足の様子を確かめる。
一目見てわかる膝小僧の擦りむいた傷を見た後、少年は千雨の少し腫れている足首を触ると痛みに耐えるような声が聞こえた。
「軽く足を捻ってるな…」と、状態を告げるも千雨は、
「もういいだろ。ほっとけよ」と取り付く島も無くその場から去ろうとした。
―――回復呪文(ホイミ)さえ使えれば、すぐに治せるんだが…
と、その背中を見て少年は考えるも、先の約束があり外で力を使うことはできない。
家の塀に手を付きながら歩いていく千雨をみて、少年は「ハァ…」と一つため息をつきながら彼女を追い抜き、行く手を阻むようにしゃがみ込みおんぶの姿勢を取った。
「何のつもり?」
と、千雨はいら立ちを隠そうともしない声を出して少年の背中を睨み付ける。
「その足で帰るのは無理だろう? 少し遠そうだが家まで送ってやる」
「…近いからいらない」
「ホントに近かったらさっきの馬鹿どもなんて振り切って家まで走って帰るだろう?」
そう言うとバツの悪そうな気配を漂わせるも、千雨は動かない。
「…それにあの手の馬鹿は大人の前で人をからかう度胸なんてない。さっきからこの道ですれ違う大人もいないしな。そうなるとここから家も遠いし、助けてくれる大人もいない。な、諦めておんぶされろ」
その後しばらく少年を頼るべきか迷っていたようだが、やがて彼女はおずおずと少年の首に手を回し、体重を預けた。
少年はずり落ちないように千雨の足を下からしっかりと支え、立ち上がり歩き始める。その時聞こえた「ゴメン…」という消え入るような声は聞こえないふりをした。
歩き始めて、しばらくはか細い声で少年に道順の指示をしていた千雨が、次第に声を出さずに肩口を引っ張り左右を知らせるようになった。
少年は「傷口が痛み出したのか?」と思い一度降ろして様子を見ようかと思った矢先、うなじにぱたぱたと熱いものが伝わって落ちていった。
「グスッ……スン……ンン……ヒック……ハァ……」
千雨はどうやらさっき会ったばかりの少年に泣いていると気付かれるのが嫌らしく、少しでも声を抑えようとするあまり背中でしゃくりあげており、それがかえって泣いているという事実を強調してしまっていた。
安易に慰めていいものかと、なるべくゆっくりと歩くぐらいで気遣いをとどめたが、袖で顔を拭っているのか肩から何度か手が離れており、そのせいでどの道を曲がればいいのかわからず少年は途方に暮れた。
十字路を三つやり過ごしてしまった辺りで流石に不味いと思い少年は意を決して千雨に話しかける。
「あー……あの木は大きすぎるな」
「グスッ……なンッ……だよいきなり」
「いや今日初めてこの街に来たんだがな、あんな木は見たことなくてな、流石に驚いた」
「下手な同情なら、……いらねーぞ」
「いや、な、ホントに今日来たばっかりであんな木を見るのも初めてでな、もちろんロボットもここで初めて見たな、ウン」
「……どうせ、外でマンガみたいに人を飛ばす人間は見たことあるってオチだろ?」
―――見たことがある……。それどころかぶっ飛ばそうと思えばやれる。
マンガという言葉に聞き覚えはないが、それを見た記憶もあれば実際にやった記憶も、それどころか被害者として体験したことすら受け継いだ記憶から鮮明に思い出せてしまう。少年が思い出してしまったそれは会話のテンポに致命的なラグを発生させてしまった。
「………………………………………………………………グスッ」
自分の背中で涙を堪えている千雨の気配を感じた少年は慌てて
「あぁ、待て待て待て! 普段はほかにどんなことがおかしいって言ってるんだ?」と上ずった声で問いかけるも、
「……どうせ嘘だって言うんだろ?」
マンガみたいに人がぶっ飛ぶのも見たことあるみたいだし、と言外にわかりやすいほど不満を匂わせ、すっかり拗ねてしまった千雨が鼻声で答えた。
「いやな、確かに見たことはあるがあれが普通だとは思わん。あの木だってロボットだって普通だとは言ってないだろ? あれらは、アー……『変』だよ。ウン」
少年は生後一日足らずのうえ、見た世界も地下の図書館とこの街のほんの一部だけであるため、異常であるという保証は難しい。
が、仮に今挙げたことが『正常』であった場合、人を空高くぶっ飛ばす人間が一般人ということになり、なおかつその『一般人』が対処できない敵がおり、それに立ち向かわなければならない宿命を自分が背負っているということになる。
流石に勘弁してほしい。という割と切実な願いが言葉に真実味を持たせ、それを聞いた千雨は絞り出すようなか細い声で言葉を紡いだ。
「普段も、プロレスラーみたいな男の人を女の人が吹き飛ばせるわけないとか、お祭りが外よりも大きすぎるとか、普通のことしか言ってない……のに」
―――嘘つきって呼ばれる……
そう言うとそれきり千雨は審判を待つように押し黙った。
千雨を俯かせ、押し黙らせるものに少年は痛いほどの心当たりがあった。
それは、異常者の孤独である。
少年の持つ竜の騎士たちの記憶に一つの例外も無く付きまとう感情であった。
竜の騎士の力は地を斬り、海を破り、空を裂く。
それは常人には不可能なことであり、それゆえに人はその力を恐れ、迫害する。
力と認識能力の差はあれど、竜の騎士と同質の孤独感をこのか弱い少女は感じ、それに耐えているのだ。
いや、迫害に対して反抗する力を持たないという点を見れば、竜の騎士よりも過酷な環境に身を置いているとさえ言えるだろう。
千雨は自分が見ているものを語っているだけにもかかわらず、まるで審問の裁定を待つかのように俯いている。
今だその迫害の『記憶』は持つが『体験』はしていない少年が抱いた感情は安っぽい同情に過ぎないのかもしれない。
しかし少年にとって千雨の孤独感を見て見ぬふりをするというのは受け継いだ記憶すら否定する、何よりも罪深い行為だと思えてならなかった。
「……それは確かに『変』だな。」
千雨がビクッと震えるのが背中越しに伝わってくるが、少年はそのまま言葉を続けた。
「女性が大男を投げ飛ばす技術はあるが、吹き飛ばすなんて言うのは普通に考えて不可能だ」
「……え?」
「軽いものが重いものを吹き飛ばせるわけが無いなんてのは当たり前の話だ」
少年は背中越しに、千雨に向けてごく当たり前のこととして力強く言い放った。
「だろ?」と、少年が背中越しに笑いかけるが、
「……カッコ…つけんな」とだけ呟き、千雨はプイッと顔をそらせた。
その仕草は正しく子供らしく、先ほどまでの悲壮さを感じさせない愛らしいものだった。
「ほかにも言えなかったことがあるのなら付き合うぞ? 人に言ってみて初めて見つかる良い所なんてのもあるかもしれないしな。……まぁ千雨が今苦しんでいることを軽々しく良い部分もあるなんて言うべきじゃないのかもしれないが」
「……………………」
「どうせさっき会ったばかりだ。壁に向かって話すよりはマシな相手が出来たと思って言ってみろ」
「……………………良いことなんて無いよ」
そう言ったきり言葉を止めた千雨に少年は言葉を挟まずただ黙々と歩き、続く言葉を待ち続けた。
「最初のうちはお母さんと話したり、お父さんに色々聞いたりしたよ。でも、どうしても私がおかしいと思っていることが伝わらないんだよ……。お母さんたちは何度も何度も真面目に聞いてくれるけど、どうしても伝わらない。お父さんに連れてってもらったおっきな病院でいろんなお医者さんに診てもらっても、体はどこもおかしくないって言われる……」
「…………」
「友達に言っても、学校の先生が普通って言ってるから、大人がおかしいって言ってないからおかしくないって言われるし」
「…………それは」
「何よりさ、病院の帰りにお父さんに『解ってやれなくてゴメンな』って言われるのが一番……つらいよ」
そう絞り出すようにつぶやくと千雨は泣き出しもせず、そのまま押し黙る。
千雨の口から零れ落ちた言葉は、年相応に主観的で多面的な視点を欠くものであった。
が、その分本人の抱える苦悩を多分に含んでおり、およそ幼い少女が持つべきではない苦しみに少年はかけるべき言葉を失い、ただ千雨を背負ったまま歩き続けることしかできなかった。
異常者であるという事を打ち明ける。相手が善人でなければ先ほどのようにからかわれ、善人であれば千雨の父親のように苦しめてしまう。
結果、ただ押し黙り自らの内側に異常を抱え続けるのが最善手となる。なってしまう。
―――根の深い問題だな……。
少年は千雨の言葉越しに自らも
「それに昨日だって」
不意に頭上で響いた声によって、少年は自分が自らの思考に没頭していたと気付く有様だった。
―――何が壁よりはマシだ。壁と大して変わらないではないか。
自らのふがいなさを叱責し、千雨の言葉に耳を傾ける。
「急に町から人がいなくなり始めて、慌てて家に帰ったら遠くの空が凄く嫌な感じで」
―――ん?
「お母さんもお父さんも、いつもより早く寝ちゃって仕方なく自分の部屋にいたら、いやな感じが近づいてきて……」
―――
「外が何回か光って、何か撃つみたいな音が聞こえても、いやな感じはドンドン近づいてきて……」
―――
「いやな感じがすぐそばにいるようになったら、部屋の天井に何か大きなものが乗る音がして……」
―――……
「大きないやな感じはすぐ離れてったんだけど、小さないやな感じは朝になっても残ってて……」
―――………………………………子供に迷惑をかけるのはダメだろう……カーチャン……
「……あんまり良いことなんて無いよ」
千雨はそうつぶやき自嘲するように乾いた笑いをこぼした。
その言葉を聞き届けた少年は油の切れたブリキのおもちゃのようにぎこちなく振り向き、
「よし、わかった」と、だけ答えるもその表情はぎこちなく、何かを誤魔化すような笑みが張り付いていた。
先ほどとは全く違う笑みを向けられた千雨がキョトンとした顔で少年の目を見つめる。
「その『嫌な感じ』を、俺がやっつけてやる」
その言葉を聞いた千雨は、泣いて赤くなったらしい顔を先ほどと同じようにプイッと背けそのまま押し黙った。