真祖と竜の紋章   作:鉱脈

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シリアスは書いてて楽しいけど疲れる
後半はほぼギャグ



家無き子とその試練

 未だ多くの家に生活の火が灯り、時計の針が日を跨ぐその少し前、一般的な帰宅のタイミングをとうに過ぎた、人影があるのがおかしなその時間。

 人々が日々の疲れを癒すベットタウンの一角にその老人と少年は立っていた。

 

 いかに暦の上では春先と言えど冬はその力の衰えを見せず、夜の冷気は容赦なく少年と老人の吐く息を凍てつかせる。

 二人して白い息を吐くその様子は、頭上から照らし出す街灯の人工的な光と相まってひどく寒々しいものだった。

 

 が、その二人は特に寒がる様子も見せず、ただ立っていた。

 少年は自然体のまま。老人は何かを警戒するように。そしてそれを気取られぬように立っていた。

 

「……そろそろかの」と、老人が誰に告げるでもなくひとりごち、その懐へと手を入れる。

 老人は携帯電話を取り出すと、液晶画面に街灯の光が反射しないよう上から覗き込み、ボタンを一つ一つ押していく。

 液晶の仄暗いバックライトが老人の顔に刻まれた皺をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 

「もしもし、儂じゃ、近衛じゃよ。……あぁ、スマンがこの辺りの認識阻害をしばらくの間強めて貰えんかの? いやいやそんな大げさなことじゃない。ほんの少し、三十分ぐらいじゃよ。……うん、うん。いやそれは分かっとるがの、そこをホレ、何とか柔軟にじゃな……悪いの、こんど和菓子でも差入れするからの。……ん、それじゃあの」

 

 ピッと電子音を響かせると、近衛近右衛門は懐へと携帯電話をしまい込んだ。

 

「……それは魔道具か?」

 一連の動作を見ていた少年が、今手に持っていた道具について老人に尋ねた。

「いいや、違うぞ。魔力を持たんものでも使える、人の技術で生み出されたただの道具じゃよ」

 近衛近右衛門はわざわざ懐から取り出し少年の手に持たせ、簡単に操作方法を説明した。

「……まだまだ知らねばならんことが多いようだな」

「フォッフォッフォ。まだ生まれて一日も経っておらぬのじゃろう?なら仕方なかろうて」

「あー……だがな、このままでは今後そちらからの依頼を受ける時に……あー支障が出るような気がしてな」

「なに、その都度教えるし最初は簡単な依頼からスタートするでの。徐々に覚えて行けばいいじゃろ」

「あー、まぁ……その通りなんだがな……」

 少年が何度も言葉を詰まらせながら、竜の残り香が漂う明かりの消えた長谷川千雨の家へと目を泳がせる。

 

 それを見た近衛近右衛門は何かを察したように頷き言葉を続けた。

「あぁ、心配せんでもキチンとエヴァには伝えたぞ。あ奴は気難しい所はあるが一度した約束を違えることはせん。時間も守る方じゃ。まだ待ち合わせの時間までには少しある。ゆっくりと待つのがいいじゃろう」

「いや、エヴァンジェリンも貴方も疑ってなどいない。そうではなくてだな……」

 エヴァンジェリンに伝えたことの確認を取った後も、妙に歯切れの悪い言葉を繰り返す少年に近衛近右衛門は怪訝な表情を向ける。

 その顔を見た少年は言葉を飲み込み肩を落としてしまい、それきり会話が無くなってしまった。

 

 ―――あれ? 儂なんかやっちゃったかの?

 近衛近右衛門が心中でそうつぶやき、エヴァの家を出てから現在までの自分の行動を思い起こしてみるも思い当たる節は見当たらなかった。

 原因を思い起こしているだけの短い間だが、両者が押し黙ってしまうとなかなか元の様に会話を始める切っ掛けが見つからない。

 そうこうしているうちに会話を再開するには億劫な、しかし間が空いたことを話のネタにするには短すぎる間がポッカリと空いてしまった。

 

「エヴァの奴遅いのう……。まさか忘れて寝とりゃせんかの」

 約束の時間まであとわずかしかないとはいえ、未だ期限内。

 近衛近右衛門は場の気まずさを誤魔化すように、エヴァンジェリンに軽く不満をぶつけると、

「私をナギのように言うのは辞めてもらおうか。ジジイ」

 いつの間にか側に来ていたエヴァンジェリンのムッとした声が夜の暗闇に響いた。

 

「ホッ、十二時ぴったり秒針まで合わせてくるとはな。呆れるほどに律儀じゃの」

 近衛近右衛門は腕時計に目を落として感嘆の声を上げながらエヴァンジェリンの顔を見る。

 エヴァンジェリンは、その華奢な体を覆うような重々しい黒のロングコートを着込み左肩にチャチャゼロを乗せていた。

「たまたまだ。普段来ることのない住宅街の住所だけ教えられて、遅れなかっただけマシだろう」

 エヴァンジェリンにギロリと睨み付けられると、近衛近右衛門は分かりやすく視線を逸らせた。

「フン、まぁいい。……そら、ご注文の品だ」

 

 エヴァンジェリンは手に持っていた紐で閉じられた古めかしい革袋を少年へと放り投げる。

 少年はそれを受け取り、中身を確認した。

「……顔の傷はもう良いのか?」

 傷一つないエヴァンジェリンの顔を見て、感情の波紋を悟られぬよう細心の注意を払い表情を崩さない少年が尋ねた。

 

「あぁ、これか。魔法薬の残りを飲んでな。さっさと治したよ」

「そうか、まぁこちらの勝手な言い分だが女の顔に傷をつけたというのは……な。まさかあの場で私が治すというのも憚られるものでな」

「当たり前だ。そんなことをされていたらあの場でどちらかが死ぬまで行かねばならん」

「私も賭けて争った物以上を奪おうとは思わんよ」

 その言葉を聞いたエヴァンジェリンはクッと喉で笑った。

 それを尻目に少年は踵を返し、既に明かりが消えている千雨の家を取り囲むように魔法石を配置し始めた。

 

「ジジイの知り合いにしては随分と道理を弁えているではないか。……アレは何者だ?」

「さてな、儂も今日知り合ったばかりでな。本人が言うには竜の騎士とのことじゃ」

「ほう、ドラゴンか。竜の名を借りて名前負けしていないのは初めて見るな」

 上機嫌に獰猛な忍び笑いを続けるエヴァンジェリンに近衛近右衛門は訝しげな表情を浮かべた。

 

「……遺恨は無いんじゃよな?」

「当たり前だろう? あの場において、私とアイツは骨董品の魔法石のみを賭けて争った。その結果としてアイツは私に負わせた傷をわざわざ治してプライドを踏みにじるようなことをせず、私も奴の要求通りに私の財産の一部であった魔法石を譲り渡した。どこに遺恨がある?」

 

「ムゥ……」

 近衛近右衛門は眉間を寄せながら、白く伸びた顎鬚を何度か撫で付けた。

「何を不安に思っているか知らんが、私にもアイツにも遺恨はない。……どうやら準備が終わったらしいぞ。」

 エヴァンジェリンがクイッと顎で指し示した先には、グルリと家の周りを囲むように五つの魔法石を配置し終わった少年が立っていた。

 近衛近右衛門が腰に手を当てながら歩き出した後ろ姿を見送るように、エヴァンジェリンがその場に残る。

「遺恨などある筈も無い……遺恨などは、な」

 寒々しい街灯だけがエヴァンジェリンの獰猛な忍び笑いを照らし出していた。

 

「エヴァンジェリンは来てないが構わないのか?」

 少年がその場所に留まっているエヴァンジェリンを見て近衛近右衛門に尋ねた。

「儂は構わんが、そちらこそ見られて問題は無いのかのう?」

「別に見られて困るようなことをするわけではない。そちらの準備が終わっているのならすぐにでも始めるが……」

「あぁ準備は終わっておるよ。……周囲に物理的な影響を及ぼす魔法ではないんじゃろ?」

「あぁその心配はない。」

 

 少年はそう言葉を切ると屋根の上の竜の残り香を睨み、静かに息を吸い深く自己へ埋没していった。

 竜の紋章が浮かび上がり、少年の足元からほのかに光る緑の線が左右に一本ずつ伸びていく。

 緑色に光る半球が地面を舞い、魔法石から魔法石へと曲線で結びつけながら家を取り囲むように走っていった。

 半円を描いた半球は少年が立つ弧の対岸で交わるも衝突することなく互いの線をなぞりだす。

 やがて半球が真円を描ききり少年の足元へと戻ってくると、またもやそれぞれ左右に分かれ、魔法石へと直線的に伸びていった。

 やがて魔法石の元へたどりついた半球は、まるで弾かれるように別の魔法石へとラインを繋ぐ。

 やがて先ほどと同じように互いの線をなぞる様にして少年の足元へと再び戻り、五芒星を描き出した。

 描き出された五芒星は柔らかな光が少年の呼吸に呼応するように輝きを増し、厳かに目を閉じる少年を徐々に照らし出す。

 それが一際強く輝いたその瞬間、少年は右手を振り上げ深く息を吸い込んだ。

 

「邪なる威力よ、退け! 破邪呪文(マホカトール)!!」

 

 振り下ろされた腕に呼応するように、五芒星を囲む真円から光の幕が立ち昇りその中をドーム状に覆い尽くす。

 やがて円の内側からも光が立ち昇りドームの中が光で満ると、わだかまっていた黒い靄が解きほぐされるように霧散していった。

 竜の残り香が完全に消え去ったのを確認した少年は額から紋章を消し、魔方陣の起点となった魔法石を拾い上げて五芒星をかき消した。

 

「……五芒星を消してしまっても良かったのかの?」

「竜の残り香が消え去ったのに、五芒星が残っていたらどんな輩が引きつけられるかもわからん。それだと何の意味も無いからな」

「ま、それもそうじゃの」

 では夜も遅いしここいらで解散としようか、と続けようとした近衛近右衛門の言葉を遮り、

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 エヴァンジェリンの狂笑が、闇夜を切り裂いた。

 

 

 

 堪らなかった。胸がすく思いだった。力が顕現し意思を体現する瞬間に立ち会った気さえした。

 罪も無い少女が救われた光景は、確かに美しいものだったのだろう。

 殺気を垂れ流す黒い靄が淡い緑光にかき消される光景は、童話の一節の様に美しいのだろう。

 だが、それ以上に、少年から溢れだした『魔』が麻帆良を覆う結界から領地を簒奪して見せた光景に目を奪われた。

 

 自らが失ってしまった『魔』という性質。

 

 自らの目的のために他人の犠牲を厭わず一瞬とは言え麻帆良の領地を奪い取ってみせた、まるで意思の塊と化したかのようなその在り方に私は魅せられた。

 

 あれこそが私が取り返すべき様式なのだと確信した。

 

「ひとつ聞きたいことがある」笑うのを止め、そう口にした私の目は不吉な光を灯し、爛々と輝いていたのだろう。

 ジジイが微かに重心を落とし、警戒する様子が視界に映るが、そんなことはどうでもよかった。

 

「先ほどの交渉の時、何故わざわざ自爆魔法を選んだ? 貴様ならリスクを負わず、力づくで私を自分の意に従わせるだけの力量はあっただろう?」

「死ぬまで抗うつもりだった癖によく言う。」

「質問に答えてないぞ」

「……私の知る限りの最強が唯一怯んだ呪文だったからだ。強者の意思を捻じ曲げる方法をあれ意外に知らん」

「クク……そうか」

 私はお前から見て未だ強者で在れたのか。

 意地汚く喉の奥からこみ上げてくる喜びをプライドひとつでねじ伏せるのに随分と苦労した。

 

「貴様、これからどうするつもりだ? この地で少女を救った後何か為すべき事でもあるのか?」

「……質問は一つではなかったのか?」

「固いことを言うな。か弱い女が危険な夜道を歩き魔法石を届けてやったのだ。質問ぐらい良いだろう?」

 喉の奥でヒクつく笑いを処理するように軽口を叩けば、少年は「それもそうか」と、どこか納得したような表情を浮かべ口を開いた。

「しばらくここでガクエンからの依頼を受けて、それからは旅でもして世界を見て回るつもりだ」

 視界の中心にいる少年は特に何か変わった様子も無く日常会話のように答える。

 

「そうか。しばらくこの地に留まるのか」

 私は吊り上っていく口角を隠す事さえ忘れて笑っていた。

 怪訝な顔をする少年とは対照的に、何かに思い至ったジジイが目を見開く。

 

 ここは退くのが正しいのだろう。ジジイの邪魔が入らないより良い機会が来るかもしれない。

 ここは退くのが正しいのだろう。魔法薬の改良が進み、全盛期の力を取り戻せるかもしれない。

 ここは退くのが正しいのだろう。今後ヤツの弱点が、つけ入る隙が見つかるかもしれない。

 いっその事奴に頭を下げ、『魔』とは何かと教えを乞うてみるのが一番正しいのではないか?

 そんな愚にもつかない考えが頭の中で明滅する無様さに口角が吊り上るのが止まらない。

 

「ツキアウゼ御主人」

 

 チャチャゼロの声に万軍を得た思いだった。

 そうなのだ。今しがた頭に浮かんだ考えはすべて正しいのだ。

 阿呆のように待ち続けた三年間と同じく正しいのだ。

 

 では、その正しさに身を委ねて今度は何を失うのか?

 積み上げた知識か? 研鑽した技術か? それとも自らの不甲斐なさへの憤怒すら失うのか?

 冗談ではなかった。これ以上何かを失うなど真っ平だ。

 そして、失った物を取り返さないなどというのも御免だった。

 

 魔とは、己が意のままに我を通すのが魔の本分だ。

 ヤツが竜と称したソレこそが魔の本質であり、それを担保するのは比類無き力に他ならない。

 そしてその薄氷の上に立つような滑稽な有様を、他人どころか自分にさえ認めさせることこそが、魔を魔たらしめるのだ。

 もし仮にこの場をやり過ごし、再び魔を名乗ったとして、私自身がそれを認めるだろうか?

 あっさりと薄氷は砕け、底の見えぬ奈落へと無限の時間をかけて飲み込まれていく姿が目に浮かぶ。

 

 自らが失った魔をあのドラゴンは持っていると、この私が認めてしまったのだ。

 あの少年、いやドラゴンに打ち勝たねばこの先ずっと私は私たりえないのは明白だ。

 失ったプライドは取り戻さねばならない。

 

 体に残る魔力は全盛期の一割にも満たず、魔法を補助する魔法薬はその数二十を超えない。

 人形を支配する繰糸もあの竜の膂力の前には心もとなく、十全と言えるのは合気柔術ぐらいだろう。

 

 人生は準備不足の連続だ。手持ちの材料ではどうしようもなくとも進まねばならん時もあった。

 今もその時。ただそれだけなのだろう。

 

 ともすれば喉から飛び出しそうになる正しさを奥歯でつぶし、不敵な笑みを浮かべ胸を張り、

 私が取り戻したい姿を思い出し、それに相応しく振る舞うことで自らを鼓舞する。

 空気だ。緑光に清められた空気をまずは闘争の空気に換えねばならん。

 その後、闘争の場へとあのドラゴンを引きずりだし魔を取り戻す戦いを始めねばならん。

 全てだ、すべてかき集めろ。それでも届くかわからん(いただき)だ。

 全てをかき集め対峙しろ、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル!

 

「……貴様、我が僕とならんか?」

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは静かにドラゴンと対峙した。

 

 

 

 ―――遺恨ではなく執着じゃったか……!!

 近衛近右衛門が自らの見当違いに気付いた時にはすでに遅く、その挑発は始まっていた。

 先のログハウスでの一件を思い出し、最悪の事態が頭を掠めた近衛近右衛門はその顔色を一変させる。

 近衛近右衛門は少年とエヴァンジェリン、双方の視線を遮るように彼女らの中間へと一足飛びに躍り出た。

 

「どうしたジジイ? 急な運動は体に毒だぞ?」

「辞めよ、エヴァ」

 クックックと笑うエヴァンジェリンに近衛近右衛門は固い声で告げる。

「何を言っている? 私が僕を勧誘することの何が悪いのだ? ……あぁもちろん先に結んだ学園側のとの契約を邪魔しようとは思わんよ。これでいいか? ジジイ」

「そんなことを言っているのではない!」

 茶化す様に話すエヴァンジェリンに近衛近右衛門は大声を張り上げた。

 

「何に激高しているかは知らんが、今私はアイツと話しているのでな。少し後にしてくれ。それで、どうする? もちろん我が下へ降る限り衣食住は私が世話をしよう。マスターとして当然のことだからな」

「再度警告する、エヴァンジェリン。その挑発を辞めよ」

 明らかに怒気を増した近衛近右衛門の声をまるで意に介さず、エヴァンジェリンは会話を続ける。

 

「あぁ、契約を果たした後世界を巡ると言っていたな。残念ながらそれに私は付いて行けないが、伊達に六百年の時を生きてはいない。私の見聞きした実体験も貴様に授けてやろう。」

「麻帆良管理者、および関東魔法協会理事近衛近右衛門として言う。即刻辞めよ」

 努めて冷静に制止しようとする近衛近右衛門に対し、エヴァンジェリンはどこまでも不敵に笑いながら契約書を読み上げるかのように言葉を紡いだ。

 

「さて幾分外野はうるさかったが、これでこちらの条件はあらかた提示できたかな。我が下に降るか、否か……」

「最後の警告じゃエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル! その挑発……」

「選べ! ドラゴン!」

 エヴァンジェリンが両手をダラリと広げ、少年の真正面に立ち決断を迫る。

 その選択が少年に突きつけられたその瞬間、エヴァンジェリンがこの場の支配者となったことは明白だった。

 

「クッ…!」

 その空気を察知した近衛近右衛門から苦悶の声が漏れる。

 住宅地のど真ん中、種として頂点に座する竜と吸血鬼が相対することも不味かった。

 が、そのどちらを止めれば事態が収まるのか見当がつかないのが一番の問題だった。

 

 敵を排すことしか考えない知性を持たぬ魔獣であれば、どちらか選び一点突破すれば良い。

 我が身が可愛い悪意を持つ人間であれば、三すくみの状態を維持すれば良い。

 しかし、最悪なことに両者は意思ある強者であった。

 必要であれば互いに相手を屠ることにためらいを覚えず、理性さえ使ってその障害を排除する、三すくみも一点突破も維持できない相手であることは明白だ。

 

 ―――どちらじゃ? どちらを制すればこの場が収まる? 真祖か? 竜か?

 ―――……あるいはその両方か?

 普段の好々爺然とした柔和な顔つきを完全に消した近衛近右衛門が、両者を視界に収める位置に移動するため地面を蹴り上げた瞬間、

 

 

 

「いや、助かった」

 

 

 

 と、緊張感の無い声色が辺りに響いた。

 

 不敵な笑みを浮かべたエヴァンジェリンは、両手をダラリと広げたままポカンとした表情で固まり、

 空中へ飛び上がった近衛近右衛門も履いていた下駄からパカンと言うマヌケな着地音をさせ、その場に固まった。

 

 事態を飲み込めない二人が固まる中、少年一人だけが歩き出し、近衛近右衛門が死守していた中間点を踏み越えてエヴァンジェリンの目の前へと歩み寄る。

 少年はポカンと口を開けたまま石像のように固まったエヴァンジェリンの右手を両手で取り、まるで握手をするかのように上下させる。

 

「いや本当に助かった。いきなり見知らぬ土地に放り込まれてな」

「な、何の真似だ……?」

 明らかに困惑を増したエヴァンジェリンの声をまるで意に介さず、少年は会話を続ける。

 

「何と言われても……契約が成立したらこうするのがここの流儀ではないのか?」

「ど、どういうつもりだ……?」

 努めて冷徹に先ほどの緊張感を維持しようとするエヴァンジェリンに対し、少年はどこまでも朗らかに笑いながら言葉を紡いだ。

 

「だから、先ほどの提案を受ける。そう言っている。ガクエン側との契約も果たせて、その上知識と、寝床まで用意してもらえるとなれば、受けない道理はないだろう?」

「ふ、ふざけるなあああああああ!!!」

 真面目くさって話す少年にエヴァンジェリンは大声を張り上げ、胸倉を掴んで少年の頭をガクガクと全力で揺する。

 

『寝床まで用意してもらえるとなれば』その言葉を聞いた近衛近右衛門の脳裏に、エヴァンジェリンが来る前に長谷川千雨の家を見て何かを言い淀む少年の様子が浮かび上がった。

 

「……あー……そうじゃった……。生後一日……。あの子宿無しじゃった……」

 

 真祖の吸血鬼に胸倉を掴まれ、頭をカックンカックン揺すられ続ける黒竜の息子の生々し過ぎる現実に近衛近右衛門はたった今気が付いた。

 

 

 

「もしもし、儂じゃ、近衛じゃよ。……あぁ、スマンがこの辺りの認識阻害をもうしばらくの間延長して貰えんかの? いやいや問題が起こったわけじゃ無くての。ほんの少し、十分ぐらいじゃよ。……うん、うん。いやちょっとエヴァの奴が大声で怒鳴り散らしておっての、……ウン、儂も普段であれば止めるんじゃがの、今回ばかりはなぁ……事情が事情だけにちょっと可哀そうと言うか、な。……悪いの、こんど高級茶葉でも差入れするからの。……ん、それじゃあの」

 

 ピッと電子音を辺りに響かせ、ハァとため息を付いた近衛近右衛門が振り返ると、そこには頭の痛くなる光景が広がっていた。

「貴様あああ! 貴様にはプライドと言うものは無いのか!」

「いいいいや、ししししかしだな……」

「はっきり喋らんかああああああ!!!」

「胸倉掴んで、相手を揺すり上げてそれは無いじゃろエヴァよ……」

 先ほどの緊張感が欠片も見当たらないまるで子供の喧嘩の様な竜と真祖の有様に、近衛近右衛門は眉間を抑えながら、とりあえずエヴァンジェリンを制止する。

 

「イヒヒヒヒヒヒ、ツキアウゼ御主人。ツ・キ・ア・ウ・ゼ・御・主・人! イーヒヒヒ!!」

 足元で地面を叩きながら笑い転げる自ら発した言葉がツボに入ったらしい殺人人形については考えないようにしながら、近衛近右衛門はとりあえずエヴァンジェリンが少年を物理的に揺するのを辞めさせる。

 

「いや、しかしだな、いきなり見知らぬ土地にこの身一つで放り込まれても身の振り方など分かる筈も無いだろう? そこに糸が垂れたならそれを掴むのが人情と言うものだろう」

「その実力があればどこでなりともやっていけるだろうが!」

 少年の淡々とした説明に未だ興奮冷めやらぬエヴァンジェリンの大声が飛ぶ。

 

「無茶を言うな。こんな大きな街の中なのに武器屋はおろか、銅の剣ひとつ下げた若者も見当たらないような場所で実力ひとつで何ができるというのだ。六百年生きたのなら安定した国や町がどれだけ余所者に住み辛いかなど、身に染みているだろう?」

「グッ……」

 思い当たる節のある少年の言い分にエヴァンジェリンの言葉が詰まる。

 

「そうなればツテが物を言うが、見知らぬ土地に放り込まれたこの身にそんなものなどある筈も無い。そうなれば、寄る辺にしなければならないのは裏社会か、最悪、追剥強盗に身をやつさねばならんのだ。流石にそれは誇りあるものとして出来んだろう?」

「……だからと言って納得など出来るかあああ!」

 あくまで淡々と事情を説明する少年が癇に障ったのか、エヴァンジェリンが再度少年を物理的に揺すりはじめる。

 

「あーもう辞めんか。エヴァよ。ディーノ君も少しは抵抗しなさい」

「ここここれは、この土地のおおおおお、主従の慣習ううううではないのかあああああ?」

「そんな訳あるかぁ!!!」

「落ち着けエヴァ。子供相手にみっともないとは思わんか」

「竜の魔素を血に宿すヤツが見た目通りの歳なわけあるか!」

「あーそれはある意味正しいんじゃがなエヴァよ、その子は生後一日しか経っておらんぞ」

 その言葉に少年を揺するエヴァンジェリンの腕がピタリと止まり、訝しげな顔で少年の顔を覗き込む。

 

「……本当だ、信じてもらえるかはわからんが、昨日この街へ来た黒竜、聖母竜(マザードラゴン)の息子だ」

「お前が? 昨日のドラゴンの?」

 少年の言葉を受け冷静さを取り戻したエヴァンジェリンが少年の瞳の奥を探る様に覗き込んだ。

 

「あーそれで、エヴァよ。どうするんじゃ?」

 のんきな声を上げながらも、常にエヴァンジェリンの死角に居続ける近衛近右衛門の言葉を受け胸中で舌打ちをする。

 今この場での決着は決して納得できるものでは無いが、竜は確かに真祖へと降ったことになってしまう。

 忌々しいことに当初の目的を達してしまい、闘争の空気と言うものが場からすでに霧散してしまっている。

 もう一度その空気を作ろうとしてもただの三流喜劇に成り下がるのがオチだろう。

 それにもう一度空気を作らせる隙が今夜の近衛近右衛門にあるとは思えなかった。

 

 ―――ドラゴンを手元に置き、時間と機会を生み出したと取るしかないか……

「……不本意ではあるが、一度言ってしまった言葉だ。今更引っ込めるわけにもいくまい。」

 その言葉を聞いた少年はエヴァンジェリンから一歩引き、居住まいを正すと背筋を伸ばし右手を差し出した。

 その様子を見たエヴァンジェリンも、フンと鼻を鳴らし少年の手を取り握り返した。

 

「正直助かる。これから世話になる。よろしく頼む。……ゴシュジン?」

「……今度チャチャゼロの真似をしたら縊り殺すぞ? マスターだ、私のことはそう呼べ」

「そうか、改めてよろしく頼む。マス……」

 

 グウウゥゥゥ~~

 

 いつの間にかあたりの家も寝静まった住宅街、物音一つ聞こえないその中で、少年のおなかで鳴ったその音は一際大きく辺りに響いた。

 

「………………………」

「いや、待ってほしいマスター? 今のは流石にダメだと私も分かるが、何せ生まれてこの方茶菓子を三枚しか口にしていないのだ。決して馬鹿にする意思など無く……」

「フ、フハ、フハハハハハハハハハハハハハハハ」

 辺りに響いた本日二度目のエヴァンジェリンの狂笑は低く、その目は笑っていなかった。

 

 エヴァンジェリンの後ろでは近衛近右衛門が目元を覆って天を仰いでおり、その片腕に抱かれたチャチャゼロには無表情ながらどこか呆れた雰囲気が漂っている。

 

「……テストだ」

 その言葉は小さく、しかし確かな力を持って少年の鼓膜を震わせる。

「貴様が我が従僕に相応しいか今すぐテストだ! 今すぐ私の家まで来い!」

 エヴァンジェリンは少年の返事を聞くことなく大股で来た道を引き返していった。

 

「いやぁ……今のはディーノ君が悪いと思うよ、儂は……」

 少年が縋るように見た近衛近右衛門から帰ってきた返事は冷たいながらも当然な返事だった。




「聖母竜(ネグレクト)」「真祖(やさぐれ)」「ドラゴン(天然)」「ネギ(長兄)」を追加しました。
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