真祖と竜の紋章   作:鉱脈

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先週はスイマセンでした。
月末さんは強すぎました。


大物見

 藪の中から生き物の気配が消え草木が眠る少し前、一人先を行くエヴァンジェリンから少し離れた少年とその一行は手元の明かりを頼りに暗い森の中を移動していた。

 明かりも持たず、振り返る様子も無いままズンズンと先を行くエヴァンジェリンの後ろを指先に火の玉を灯した少年が若干肩を落としながら歩き、それに寄り添うように近衛近右衛門はチャチャゼロを片手で抱えて移動していた。

 

「まぁ、エヴァの奴もテストだと言ってはおるが、一度口にしたことを違えるやつではないから大丈夫じゃろうて。……ところで手元のそれは魔法なのかの?」

「……火炎呪文(メラ)だ」

 近衛近右衛門が励ます様に少年に声をかけるも、当の本人はポツリと返事をこぼすだけで頼りない足取りが改善される兆しは見られない。

 何が楽しいのか近衛近右衛門の手元でケケケ、と小さく笑うチャチャゼロの声と足音以外辺りに響く音は無く、ただでさえ鬱蒼とした森の鬱屈な空気に輪をかけるような有様だった。

 

「あー、ところでディーノ君? 今魔法を使っておっても額の紋章は出ておらんが、大丈夫なのかの?」

 気まずい空気を換えるために近衛近右衛門が少年の力について質問を投げかける。

 この時の近衛近右衛門の意図を詳らかに言ってしまえば所謂ツッコミ待ちの質問であり、通常の励ましをあらかた失敗した末の苦肉の策でもあった。

 

 ―――いくらなんでもこのままエヴァとテストと言うわけにもイカンしなぁ。まぁ、踏み込んだ質問は最初の一回目じゃし、軽く警戒されてお終いじゃろ。

 このままエヴァンジェリンのテストに踏み込むよりは可哀そうではあるが、あえて警戒させ程よい緊張感を持たせた方が良い。

 そう考えた近衛近右衛門が自らの小さな善意と、取っても良いリスクを天秤にかけ苦肉の策への答えを待った。

 

「あぁ、基礎呪文程度なら破邪呪文(マホカトール)と一緒に契約は済ませたからな。竜の紋章を使わなくともこの程度なら大丈夫だ……」

 が、肩を落とした少年が返した答えはある意味近衛近右衛門が一番予想していないものだった。

「……ほ、ほぅ。では竜の紋章が出ている時なら基礎の先、上位に位置する呪文が使えるのかのぅ?」

「まぁ可能だな……」

 少年はそう言うとチラリと見ただけで不機嫌だと分かるエヴァンジェリンの後姿を見て、軽くため息を吐き、どんよりとした空気を背負いこみ再び押し黙ってしまった。

 

 ―――落ち込みすぎて周りが見えなくなっとるのぅ……。

 本来であれば軽く口に乗せるべきではない情報をポロリとこぼすほど落ち込む姿を見て近衛近右衛門は、力は持っていても感性は子供でしかないのだな、と少年が幼い子供でしかないことを再確認した。

 そんな少年の様子を見てディーノ君を励ますべきだと近衛近右衛門の中の人間的な部分が声を上げるが、土地の管理者としての近衛近右衛門は降って湧いたチャンスを掴めと騒いでいた。

 

 少年がエヴァとの間に用いた、一番シンプルな法を誰彼かまわず押し付けるなどと近衛近右衛門は考えていない。

 人並みに理性的な少年が力を振るうことがあるとすれば身に差し迫った脅威を回避するためか、他者を守るためなどの常識的な場合ぐらいだろうとも踏んでいた。

 

 しかしそれでも、この少年が『出来てしまう』ことを把握する必要がある、と近衛近右衛門の頭の中で冷徹な部分が警鐘を鳴らしている。

 

 契約や、竜の紋章と言うキーワード、及びその能力。

 自らの失敗が原因とはいえ生まれて初めて他人に怒りを向けられた子供が呆然としている内に、少しでも多くの情報を得るべきだと頭の中の冷徹な近衛近右衛門が主張する。

 例え幼子を疑い、その上騙し、本来立ち入るべきではない領域にまで踏み込むような、文字通りの悪行であってもそれが必要であれば行わなければならない。

 近衛近右衛門は自分がそういう立場の人間であることなど既に自覚している。

 そして、今回の『悪行』は残念ながら必要なことである、と近衛近右衛門は判断した。

 

「ケケケ」

 

 チャチャゼロの漏らした笑いが自分に向けられたこと、そして何を笑ったものであったか。

 近衛近右衛門はそれに正しく思い至ったが、すでに定まった心が揺れることは無かった。

 しかし、その決心が言葉として表れようとしたその矢先、

 

「あれ? エヴァに……学園長? どうしたんですかこんな夜中に?」

 

 エヴァの家の方から歩いてきた高畑・T・タカミチの声にその出鼻をくじかれてしまった。

 

 

 

「貴様の方こそこんな夜更けに何をしている? この先には私の家しか無いはずだが……」

 いくら吸血鬼の家を訪れるのであれば礼儀を弁えた時間帯とはいえ、夜中留守にしていた家から引き返して来たタカミチにエヴァンジェリンが怪訝な顔を向ける。

「ウン。ちょっとエヴァにまた『別荘』を使わせてもらえないかと頼みに行ったんだけど、いつもなら点いている電気が消えていたから帰ってきた所だよ。」

 タカミチはそれを受け流しバツの悪そうな笑みを浮かべて簡潔に用件を口にした。

 

「……? 貴様の感卦法なら後は外で仕上げるだけで十分に間に合うはずだろう。なぜわざわざ別荘を使う必要がある?」

「まぁそうだったんだけどね。最近ちょっとヘマしちゃってそのケジメとして学園長に自分の目標より一週間早く仕上げろって言われてね。スケジュールをやりくりしてみたんだけど一日は『別荘』に籠らないと間に合いそうにないんだよ。」

「フン……貴様からは既に対価は受け取っている。勝手に使え」

「ありがとう。助かるよ」

「要件がそれだけなら私は先に行くぞ。」

 努めてにこやかに接しようとするタカミチとは対照的に、どこか突き放す様な口調で努めて冷淡に言葉を返していたエヴァンジェリンは、それだけ言うとタカミチの脇をするりと抜けると森の奥へと歩を進めて行った。

 

「エヴァ、怒っているみたいですけど何かあったんですか?」

「タイミングガイイノカ悪イノカ、絶妙ナヤツダナ」

「え?」

 エヴァとの会話を終えて、そこから少し離れた場所にいた学園長の元へ来たタカミチに、チャチャゼロは呆れ混じりに感心したような声を出した。

 

「いや、こっちの話じゃ。タカミチ君は何も悪くないぞい。……まぁエヴァに関しては、ちょっとディーノ君のタイミングが悪かったというかじゃな……」

「……あぁ」

 迂遠に語る近衛近右衛門の視線の先に居るディーノ君と呼ばれた少年にタカミチは視線を向けた。

 タカミチはその少年が指先に火の玉を浮かべ光源としていることから魔法関係者であること。

 そして一目見て分かるほど落ち込んでいることから、運悪くエヴァンジェリンの機嫌を損ねてしまったらしいと推測した。

 

 魔法界で数々の悪名を持つ彼女を怒らせてしまう。

 それは知っている人間であれば大人であっても震え上がるほどの恐怖であった。

 ましてこんな子供であればその心の内側で感じている恐怖たるや、察するに余りある。

 タカミチは少年の前に立つと、柔らかな表情を浮かべて膝をつき腰をおとし少年と目線を合わせた。

 

「こんばんは、ディーノ君。僕は高畑・T・タカミチ。気軽にタカミチって呼んでくれ。」

「…………」

 肩を落としたまま無言で会釈をするにとどまる少年に、タカミチが困ったような笑顔を浮かべる。

「エヴァを怒らせちゃったみたいだけど、大丈夫だよ。僕も昔怒らせちゃった時も、許してもらえたしね」

「……それはどうやって許してもらったんだ?」

「とりあえずは謝って関係を続けたね。そして、しばらくするとエヴァから課題と言うか依頼と言うか、まぁ何かやることを振られるからそれに全力で取り組む。それを何度か繰り返せば、いつの間にか元の状態に戻れるよ」

「そうか……課題に全力で取り組む……か」

 そうつぶやいた少年はフゥと一つ息を吐くと、先に行ってしまったエヴァンジェリンの背中を見つめるように真正面を見据えた。

 その少年の意思が固まった顔を見たタカミチは、膝に着いた土を払いながら立ち上がり満足そうな笑みを浮かべた。

 

「正解ナノカ不正解ナノカ、絶妙ナヤツダナ」

「え?」

 ケケケと楽しげな笑い声をあげるチャチャゼロにタカミチがキョトンとした表情を浮かべ返事をする。

 

「ウン。タカミチ君は何も悪くないし褒められることをやった……と思うよ、儂は。多分、きっと」

 子供を励ますという大人として正しい行動をしたタカミチを近衛近右衛門は褒めたが、

 

 竜と真祖の怪獣大決戦in麻帆良。

 

 そんな不吉な文字列が頭を掠め、近衛近右衛門は顔を歪ませ渋い表情を浮かべる。

 

「?」

 

 タカミチ一人だけチャチャゼロの笑いと近衛近右衛門の渋面の意味を飲み込めていなかった。

 

 

 

 森の中を歩き、開けた土地の中にあるエヴァンジェリンのログハウスに明かりが灯っているのを見た近衛近右衛門は内心胸をなでおろした。

 

 もし万が一仁王立ちするエヴァンジェリンが庭先に居たら。

 そしてそのまま屋外での戦闘が始まってしまったら。

 

 そんな背筋が凍るような想像をしながら近衛近右衛門はドアノッカーを鳴らし、少年とタカミチを引きつれて玄関をくぐった。

 

「ようやく来たか……。フン、マシな顔つきに戻っているではないか」

 

 自らの視線を真正面から受ける少年の顔つきを見て、エヴァンジェリンはその白い歯を覗かせる。

 

「あーちょっとええかの?」

「……今更テストをするな、などとぬかすなよジジイ?」

「そんなことを言うのならあの場で言うとる。取引じゃエヴァよ。ディーノ君とのテスト、儂とタカミチ君に立ち合いさせてくれんかの?」

「…………」

 その言葉を聞いたエヴァンジェリンは近衛近右衛門を睥睨した。

 

「立ち合いを許してくれるなら、関東魔法協会の理事としてディーノ君がエヴァの元に居れるように便宜を図ろう。そちらのメリットとしては悪くないものだと思うがの?」

「ハッ、懐を全く痛める気も無い上に最初からするつもりだった事をメリットに上げて取引とは笑わせる。第一その取引であれば一番のリスクを負う者に最初に問うのが道理と言うものだ」

 近衛近右衛門の目論見に感づいたエヴァンジェリンは鼻で笑うと少年へ答えを促す様に視線を流した。

 

「私は構わん」

「オイオイ、良いのかドラゴンよ? このジジイの目論見は意地汚く人の闘いを覗き、その力を推し量ることだぞ?」

 エヴァンジェリンは近衛近右衛門の目論見をあえて口にする。が、少年の答えは変わらなかった。

 

「私は一向に構わん。見られて困るようなことではないし、何より……」

 少年はそういうと小さく息を吸い、

 

「いくら知ろうと、どうしようもないのが力と言うものだ」

 

 視線一つ揺るがせずに静かに言い放った。

 

「クックック……。なるほど貴様にとって力を語っても釈迦に説法であったか。良かったな、ジジイ」

 その答えを聞いたエヴァンジェリンは満足そうな声を上げると、意地の悪い笑顔を近衛近右衛門へ向けた。

 

「では、この取引は儂を含めた三者とも同意したと取って構わんかの?」

 その言葉を受け、エヴァンジェリンと少年はコクリと頷いた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください」

 そんな三者の会話を黙って聞いていたタカミチは困惑した表情を浮かべて会話に割り込む。

 

「なんだ? 貴様はさっさと……、あぁ、貴様も立ち会うんだったか。では、始めることとしようか」

「あー、スマンのタカミチ君。先の期限一日延ばしても良いぞい。なんなら付き合せた侘び代わりに一週間の件無しにしても良い」

「いや、そんなことはどうでもいいでしょう!? 話を聞く限りディーノ君とエヴァが闘うとしか取れないんですが?」

 呑気な答えを返す二人に、タカミチの声が自然に大きくなる。

 

「元よりそのつもりだが?」

 エヴァンジェリンがさも当然のことを口にするように言葉を漏らした。

「な、何を無茶なことを! いくら別荘の中で封印状態で闘うと言っても……」

 危険すぎる、そう続けようとしたタカミチをエヴァの言葉が遮った。

「フム、タカミチ、貴様勘違いをしているな」

 エヴァの言葉を聞いたタカミチが自らの早とちりの可能性に気付き安堵したのもつかの間、その耳に飛び込んできたのは衝撃的な一言だった。

 

「闘いは別荘ではなく、ファンタズマゴリア、幻想空間で行う」

 

 あまりの一言にタカミチは稲妻に撃たれたように身を固め絶句する。

 ファンタズマゴリア、言い換えてしまえば魔法を用いた明晰夢の一種。

 その中で起きたことは夢の中の出来事とほぼ同義で、現実世界に影響を及ぼさない。

 その中で負った怪我などは持ち越されず、現実に持ち越されるのは精神的な影響のみだ。

 

 しかし、夢が現実に影響を及ぼすことが無い様に、現実も夢を支配しているわけではない。

 それはその中ではエヴァンジェリンは自らを縛る、呪いの影響から解放される事を指していた。

「全力で闘うつもりなのか!?」

 タカミチの声が再び荒いものになってしまうのも当然と言えた。

 

「そうだぞ? 双方怪我の心配も、街への影響も無い夢の中で闘う。これならば問題はあるまい?」

 まるでスポーツする場所でも選ぶような口調で言うエヴァンジェリンにタカミチが唖然とする。

 怪我さえ負わなければ良いという問題ではない。

 酷い悪夢を見れば眠ること自体への恐怖を生んでしまうように、苛烈な経験はトラウマを生む。

 闇の福音との全力の戦闘、それがトラウマを生まないほど生ぬるいものであるはずがない。

 

「遺恨が生まれる闘いでないことは既に分かっているよな? ジジイ」

 タカミチは話を振られた近衛近右衛門に期待の目を向けるが、エヴァンジェリンの意地の悪い笑みを向けられた近衛近右衛門はフン、と鼻から息を漏らすだけでまるで止めるそぶりを見せない。

 

 再び声を上げ、目の前で起きかけている闘いを止めさせようとしたタカミチを制止したのは横に立つ近衛近右衛門の手のひらだった。

「タカミチ君。お主の言いたいことは良く分かる。が、今回だけは黙って一緒に立ち会ってくれんか? 儂一人だけではディーノ君を権力で押し通してこの街に住まわせることは出来るが、皆の同意を得ることは叶わん。それではディーノ君は生きることは出来ても、成長することが出来ん。ディーノ君の今後を考えれば、儂でもエヴァでもない信頼のおける第三者の目線が必要なのじゃ」

 

 ケケケ、と短く笑い声を上げるチャチャゼロの声がまるで水の中で聞いた音の様にひどく曖昧な音としてタカミチの耳へ届いた。

 

 首を傾けるだけでつむじまで見下ろせるような子供と真祖が闘うのを黙って見守れ。

 

 近衛近右衛門の言葉にタカミチは困惑しきった表情を浮かべ、エヴァンジェリンは顔から一切の表情を消してただ沈黙を貫いていた。

 

「話がまとまったのなら始めないか?」

 会話の接ぎ穂が無くなったのを察知した少年が、その場にいる全員に続きを促した。

「……そうだな。では私の目を見ろ、ドラゴン」

「ちょ、ちょっと待……」

 少年を幻想空間へと誘うエヴァンジェリンをタカミチが制止するも、目を合わせた二人はすでに立ったままピクリとも動かなくなっていた。

 

「タカミチ君。儂らも行くぞ。ムラクモ・ルラクモ・ヤクモタツ……」

「あぁ、もう……!」

 タカミチはバリバリと頭を掻き、夢見の魔法を詠唱する近衛近右衛門の肩に手を置いた。

 

 

 

 体の内側から引っ張られるような感覚の後、タカミチが感じたのは体の下から吹き上がる風と、内臓が浮かび上がるような浮遊感だった。

 自らが落下していると理解したタカミチが魔方陣を足元へ展開するよりも早く、腕にエヴァンジェリンの繰糸が絡みつきタカミチの体を支えた。

 

「……ッ!」

 二の腕に絡み付いた糸の痛みにタカミチの肺から息が漏れる。

 その痛みに耐えながら周囲を確認すると、そこは見渡す限りの大海原だった。

 足元に広がる穏やかな海はキラキラと太陽光を反射し、頬を撫でる風はこれから始まるであろう闘争の熱を奪うかのように心地良い。

 

「大丈夫かの? 痛いようなら儂が浮遊術であそこまで運んでやるぞ?」

 フワフワと浮かぶ近衛近右衛門が指さす方角を見てみれば、海面から突き出す様に塔がそびえ立っていた。

「いえ、大丈夫です……」

「そうか、では儂は先に行っておるぞ」

 そう言う近衛近右衛門の後に続く様に、二の腕で吊り上げられたタカミチがマリオネットの様な姿勢のまま運ばれていった。

 塔の頂上に降り立つと繰糸がスルリと解ける感触がタカミチの腕を撫でる。

 タカミチは肩を回し異常がないか確認しながら確かめ改めて辺りを見渡した。

 

 目もくらむような高さの塔の頂上、中央に建つオベリスクを白亜の列柱がグルリと囲む、サンピエトロ広場を模したであろうその広場。

 本来、母が子を抱くように広場を受け入れるはずの列柱はオベリスクを交点とする十字に裂かれており、その光景は清らかな白亜の石柱の印象をどこか寒々しいものへと変えていた。

 

 極め付きは列柱の先にある細い道だ。

 海へと伸びるその道は高さをそのままに、右足のつま先に左足のかかとを重ねながら歩かなければならないほどの道幅で二つの塔を結んでいる。

 しかし、その向かい側はこちらとは対照的に一人がやっと立てる程度の面積が広がるだけで道中にも終点にも柵など無く、目もくらむような危険を冒してまで渡る価値がある場所では当然ない。

 その足元にエメラルドグリーンの海が広がってはいるが飛び込み台と言うには無理がある高度で、そこに至る道の不吉さと相まってレジャー施設と言うよりももっと物騒な用途の施設にしか思えなかった。

 

 だが、なぜかタカミチの頭からあの細い道を淀みない足運びで渡りきるエヴァンジェリンのイメージが浮かんで離れない。

 

「……ディーノ君はまだ来ておらんようじゃの」

 タカミチと同じように辺りを確認していた近衛近右衛門がポツリと声を漏らす。

 その言葉にハッとした表情を浮かべ詰め寄るタカミチを制したのは、先ほどと同じく手のひらだった。

「スマンが事情説明している暇はなさそうじゃ。」

 タカミチの視線を誘導するように近衛近右衛門が空を見上げると、先ほどのタカミチと同じようにして少年が落下していた。

 タカミチの顔がサッと青ざめさせるが、これまた先ほどのタカミチの焼き直しか少年が吊り上げられたマリオネットのポーズで空中に静止した。

 

 タカミチが安堵のため息を吐き視線を下げたのと、近衛近右衛門の「あ」と言う不吉な声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。

 再び視線を上空へ向けると、空中で自らの体重を支える繰糸を強引に引きちぎる少年の姿がタカミチの視界に飛び込んできた。

 最初より若干高度が下がったとはいえその真下の塔の頂上までは未だ距離があり、そんな所で繰糸を引きちぎる行為が自殺行為であることは言うまでもない。

 

 予想外の少年の行動に硬直してしまったタカミチの意識の隙間を縫うように少年の落下速度は増していく。

 やっと我を取り戻したタカミチの弾かれたように動き出すが、時すでに遅く少年の体は今まさに叩きつけられようとしていた。

 その瞬間を目撃したタカミチの脚が、力を失くし止まる。

 タカミチの足を止めたのは少年を救えなかった自らの無力感、ではなく、腹に響くような落下音を響かせながらも手足を地に下ろし、四つ足で落下の衝撃を吸収しきってみせた少年の姿だった。

 

 まるで動物の様に四つ足で這いつくばり辺りを見渡す少年の姿はそれこそが本来の姿であるかのように様になっており、その目には見下ろしているはずのタカミチの背中が泡立つほどの強固な意志に染まっていた。

 

「け、怪我は……」

 無いのか? とタカミチが問う前に、少年は手足のバネを使って動物さながらに後ろへと飛び退る。

 次の瞬間少年の居た場所から緩やかな南国の空気を切り裂く様に鋭利な氷柱が石畳を突き破って出現した。

 

「チッ……。やはり先の一撃、ワザと食らったか」

 鈴が転がるような涼やかな声色に似合わぬ悪態は、タカミチの影から響いていた。

 タカミチがそちらを向くと、影から普段の傲岸さを欠片も漂わせないエヴァンジェリンが腕組みをしながら出現する。

 

 飛び退りながら、影からせり出す様に現れたエヴァンジェリンを確認した少年は、空中で体を捻り背を向けると地に足がついたと同時に塔の縁へと脱兎のように駆けだし、僅かの躊躇も見せずに遥か真下の海原へとその身を投げ出した。

 息を飲んだタカミチが人心地を吐く間もなく、辺りに昨夜味わった殺気が吹き荒れる。

 空気を切り裂く飛翔音と共に現れた少年は、身を投げた縁を軽々と飛び越え額の黒い紋章を不吉に輝かせながら塔の頂上を上空から睨み付けていた。

 

「ほぅ、ドラゴンの主戦場、空中戦を選ぶか」

 獰猛に笑うエヴァンジェリンのマントが蝙蝠の羽へと変化する。

「だが、そこは(吸血鬼)の領域だ!!」

 真祖は石畳を蹴り上げ、引き絞られた矢のように一直線にドラゴンへと躍りかかった。

 

 

 

 魔力光を帯びた両者が空を蛇行し衝突する度に大きな破裂音が辺りに響き、それに呼応するように塔全体がビリビリと震え上がる。

 空間すら震え上がらせながらも見るものを惹き付けてやまない縦横無尽の空中戦の内側で彼らは泥臭く素手で殴り合っていた。

 人の悪夢を体現する吸血鬼の一撃は少年の巧みな防御によりその威力を十全に振るうことが出来ず、人の理解を超えた竜の膂力は殴りつけるたびに鼓膜を裂く破裂音を響かせるも吸血鬼の魔法障壁を破れずにいた。

 

 破裂音が響くたび内臓全てがズシリと揺れる障壁内部で、エヴァンジェリンは喜びで背筋を震わせていた。

 叩きつけられるような殺気、命を容易く刈り取る暴力が目の前で産まれ続けていることに、

 そして自らもそれらを産み続けていることに口元が歪みそうになる。

 が、少年の顔が視界に入るその都度に、それらの愉悦は霧散しその口元も引き結ばれる。

 目の前のドラゴンは焔さえ幻視する苛烈な意志で闘争の愉悦を焼き払い、その苛烈な焔に相反するように冷徹にこちらを観察する瞳はこちらの愉悦の隙を一度たりとも見逃さずその膂力を振るう。

 

 少年に撃ちつけられるごとに身を震わせる歓喜は鳴りを潜め始め、それに入れ替わる様に魔であったころの感覚がゆっくりと血管に氷を流す様に広がっていく。

 闘争の愉悦とは種類の違う底冷えするような歓喜。

 その喜びが正しいものであると裏打ちするように、先ほどまでの愉悦に水を差していた竜の一撃がポツリポツリと空を切りはじめる。

 エヴァンジェリンは自らが様式を取り戻し始めた感覚に静かに打ち震えていた。

 

 ―――なるほど、心地良い。

 エヴァンジェリンは衝突の度に幾度となく命のやり取りを繰り返しながらも、何処か他人事のように自らの心の内を看破する。

 ―――このままテストの体裁を保ち、この拮抗を、この歓喜を貪るか?

 不意に湧いたその考えを嘲笑する。

 忘れていた感覚を思い出したとはいえ、未だ入り口。

「魔」の領域に踏み込んだかすら危うい場所で満足しかけた自らを奮い立たせたのは、麻帆良の地で得た飢餓感だった。

 

 ―――まだだ……。

 竜の拳が空を切る。

 しかし、それを躱した喜びも、闘争の愉悦も、感覚を取り戻す歓喜も既に遠い。

 エヴァンジェリンの目はその奥にある領域をすでにとらえていた。

 

 ―――私には、まだ! まだまだまだ、足りない!!

 

「手札を切るぞ! ドラゴン!」

 幾度となく繰り返された空中戦。

 幾合も続く拮抗を打ち破ったのはエヴァンジェリンだった。

 

 エヴァンジェリンが指を胸元で組み、魔力を込めながら両手を頭上へと振り上げる。

 体をしならせ頭上でまるで祈るように指を組み上げた手先から現れたのは、神の奇跡などとは程遠い純粋な暴力であった。

 エヴァンジェリンの手先から立ち上る冷気の剣は闇の福音の手札と言うに十分すぎる殺気を放つ。

 膨大な魔力にあかせて、強引に自らの軌道を捻じ曲げながらさらなる加速を積んだエヴァンジェリンは、自らの全体重すら上乗せし、致死の一撃を少年の顔目がけて振り下ろした。

 

 急激に軌道を変化させたエヴァンジェリンを迎え撃つためその場に静止した少年が声を上げた。

「全開! 竜闘気(ドラゴニックオーラ)!!」

 相対する少年の全身から莫大なエネルギーが迸る。

 振り下ろされる一撃を横合いから殴りつけ、エヴァンジェリンに空を切らせた少年は返す刀でエヴァンジェリンへと襲い掛かった。

 先の一撃とお返しと言わんばかりにエヴァンジェリンの顔目がけて放り込まれた裏拳は、先ほどの拮抗を否定するかのように僅かな拮抗の後、彼女の障壁を打ち破る。

 

 障壁を食い破り、再びエヴァンジェリンに牙を突き立てんとした少年の手首に、白く上品な指が絡み付く。

 

「左手は添えるだけ、というやつだ!」

 先の一撃を両手で放ったと見せかけたエヴァンジェリンが左手一つで竜の膂力を受け流し、ダンスのステップを踏むように華麗な足運びで少年の体重を操り、直下の海へと投げ落した。

 

 エヴァンジェリンに投げ飛ばされた少年は海面スレスレでようやく姿勢を立て直し、エヴァンジェリンに向き直る。

 そこには、魔方陣を展開し右手をこちらに向けて嗤うエヴァンジェリンが居た。

 

 ―――さて、貴様が誇るのは我が剣を弾く頑強か、それとも我が隙を縫う素早さか?

「こんどはそちらが手札を切れ! ドラゴン!」

 その言葉の直後、エヴァンジェリンの手から、背後の魔方陣から、花が咲く様に氷柱の魔法の矢が降り注いだ。

 

 少年の上空で花開いた魔法の矢は単体では身をよじりながら、集団としても互いに互いを巻き込むようにして螺旋を描き、面ではなく点で少年の体を穿とうと牙を剥く。

 少年の視界を覆い隠していたそれら全てが一点に集中すると、魔法光の狭間から再度魔方陣を展開するエヴァンジェリンが見て取れた。

 

「うおおおおおおおおぁぁ!!」

 

 少年が再度エネルギーを迸らせた余波で足元の海水を飛沫に換え巻き上げながら、束ねに束ねられた魔法の矢へと突進する。

 その激突は両者のほぼ中間で起こり、その爆発の衝撃で漏れ出した氷柱の冷気が辺りに漂っていた湿気を水煙へと変化させた。

 

 ―――なるほど、貴様が誇るのは翼ではなく鱗か……。

 エヴァンジェリンはどこまでも氷の様に少年を分析しながら、再度魔方陣と手のひらから足元へ広がる霧へ制圧射撃をかけるように魔法の矢を降り注がせる。

 

 ―――まさか、竜が誇る鱗がこの程度で値を上げる代物ではあるまい?

 海面や、それ以外に着弾するたびに冷気を辺りにまき散らし、その都度体積を増す霧からエヴァンジェリンは一切目を離さずに注視する。

 その瞬間、エヴァンジェリンの真下に当たる海面から水柱が上がった。

 が、エヴァンジェリンはその直後に海面を覆う霧の一部が不自然に盛り上がったのを見逃さなかった。

 

 その身に霧を纏わせながら水柱とは全く別の方向から少年がエヴァンジェリンへと飛翔する。

 が、エヴァンジェリンは不敵な笑みを浮かべ、ただそこに佇むだけであった。

 それをチャンスと取った少年が一直線にエヴァンジェリンへと脇目も振らずに詰め寄った。

 

 ―――では、その鱗を見極めさせていただこう。

 

「チャチャゼロ」

「アイサー御主人」

 

 その名を呼ぶエヴァンジェリンの声は小さいものであったが、彼女の従者はその声に当然の様に答える。

 返答の主はチャチャゼロ。遥か上空から加速に加速を重ねて隕石の様に突っ込んできた殺人人形であった。

 如何に竜の翼といえども遥か高所より落下しながら加速をし終えた殺人人形と、加速を始めたばかりの少年とでは分が悪い。

 

「ケケケケケケケケ!」

 けたたましくあげられた笑い声と共に、刃の部分だけでチャチャゼロとほぼ同じ大きさの両刃の戦斧が少年の首目掛けて振り下ろされた。

 が、何かが砕けるような音が響いたのは、少年の首からではなく振り下ろされた斧からであった。

 

 意識の外からの一撃に少年がグラリとバランスを崩すも、ハエでも振り落とすかのように首を振って肉厚の刃の中ほどまで砕けた斧を振り払い、再度エヴァンジェリンへと加速をする。

 

「御主人!」

 

 従者のチャチャゼロが海へと落下しながら掲げる斧を見てみれば、肉厚の片刃は少年の首の形をかたどったかのように砕けていた。

 

 ―――なるほど、鱗の正体は障壁ではなく身に纏う気の亜種か……。

「鱗を見たぞ! ドラゴン!」

 そう声を上げるエヴァンジェリンの胸元に竜の拳が振り下ろされる。

 しかし、その華奢な体を貫いたはずの一撃の手ごたえは薄く、体を貫かれたというのにエヴァンジェリンの不敵な笑みが消える様子もない。

 

 怪訝な顔を浮かべる少年の顔を見て、エヴァンジェリンは血を一筋垂らせながらも口角を吊り上げ、その身を蝙蝠の群体へと変化させた。

 

「では、次は翼を見せて頂こうか?」

 いつの間にか少年の背後にまわり、チャチャゼロを拾い上げたエヴァンジェリンは慇懃な声をあげ、少年に背を向けて最初の塔の方角へと向かって行き、少年は無言でそのあとを追いかけた。

 

 石畳を舐めるような低空飛行で近衛近右衛門達の居る塔の頂上を通り抜け、そのままドッグファイトを始めた両者をタカミチはあんぐりと口を開けたまま見送った。

 

「儂、タカミチ君は悪くないと思うよ」

 

 ―――まぁ何かやることを振られるからそれに全力で取り組む。

 悪気無く、むしろ大人としては言って当然であった少年への助言がタカミチの脳裏をよぎる。

 それを思い出させる学園長のフォローは端的に言って逆効果だった。

 

 

 




違うんです。
タカミチ君はアホの子ではないんです。
ただタイミングが悪かった不憫な子なんです……。
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