真祖と竜の紋章   作:鉱脈

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まさかの投稿し忘れ。
笑えない。


麻帆良学園都市

「毎日毎日、何故あそこまでノー天気にはしゃぎ続けることが出来るのだ…」

 麻帆良の平常運転にウンザリしたエヴァンジェリンは、いつものように重い足取りのままログハウスの戸を開ける。

 そんな彼女を出迎えたのは昨日までとは違う声だった。

「お帰り、マスター」

 椅子に腰かけていた少年はエヴァンジェリンの姿を認めると、昨日主従の契約を結んだばかりの彼女を迎えるために立ち上がるしぐさを見せる。

 が、エヴァンジェリンは従者の礼らしきものを取ろうとする少年を不要だとばかりに手で制し、空いている席に静かにカバンを置いた。

 

「イツモゴクローダナ、御主人」

「チャチャゼロ……随分と良い身分だな?」

 主から皮肉とも八つ当たりともつかない声をかけられたチャチャゼロは、少年の頭の上から怯みも態度を改めもせず、「ケケケ」と短く笑うばかりだった。

 手で制されたにもかかわらず主が席に着くまで待つつもりなのか所在なさげに立っている少年とは対照的に、少年の頭に眼下の景色を見るように顎を乗せるその姿は、トーテムポールというよりは季節外れの鏡餅を連想させた。

 

「ケケケ、ナカナカ良イ乗リ心地ダゼ?」

「一日かけて基本的なことを確認したのだ。疑問の度に質問をその場への移動が二人とも煩わしくてな。……間の抜けた格好だが男が人形を腕に抱えてウロウロするよりはマシだろう?」

「ソーダゼゴシュジン? 冷蔵庫ノ開ケ方カラ蛇口ノ捻リ方マデ一日カケテ仕込ンダンダ。感謝サレル筋合イハアッテモ、嫌味ヲ言ワレル覚エハ無イゼ?」

 嘘ヲ教エルト、必ズ引ッカカルシナ? と、柵に身を預けるように少年の頭上に陣取り、楽しそうに言うチャチャゼロにエヴァンジェリンは呆れたような表情を向け、「フン」と納得したように息を漏らすと台所に向かい紅茶の用意を始めた。

 

「茶ぐらいであれば私が……」

 そう言う少年を、エヴァンジェリンもまた先ほどと同じように手で制した。

「貴様とは便宜上、主従の契約を結んではいるが実力で私と渡り合う者をただの従僕として扱うつもりは無く、そしてまた主として扱われ裸の王の役回りをやらされるのも御免だ。昨日そう言ったはずだが?」

 それに茶ぐらいと言えてしまう貴様がゴールデンルールを知っているとも思えんしな?

 と、滑らかに契約事項を確認するように言い渡されたその言葉を受けた少年は、幾らかの逡巡を見せた後腰を下ろした。

 

「大体が、貴様を殺そうとしている者を本当に主として扱ってどうする? 

 お前の立場を考えれば、常識や知識を得るまでの体の良い隠れ蓑として扱うべきだろうに」

 ティーカップとティーポットを暖め、茶葉と湯を量ったような正確さで注ぎ、蒸らし終わるまでの空白時間。

 紅茶を楽しめる日常であればいつでも起こり得るその隙間。

 何でも無いことのようにエヴァンジェリンの口の端に乗った言葉はおよそ日常からかけ離れた物騒なものであった。

 

「こちらにはマスターと争う理由は無い。昨日そう伝えたはずなのだがな……」

「私は私の全盛期の全力と、貴様の忌避する全力が同等だろうと踏んでいる。

 これも昨日した話だな?

 忌々しい呪いを解き、全盛期の力を取り戻したと確信するこれ以上ない試金石が貴様だ。

 貴様に私と闘う理由は無くともこちらにはある。

 そして、闘争とは双方の合意の上で無く、片方の執着のみでも実を結ぶ。

 ……災難だなドラゴン? 同情するよ」

『闇の福音』に執着される不幸を憐れむその言葉とは裏腹に、ティーコジーを取り払いポットの中をスプーンでひと混ぜする手つきに淀みは無く、その口調も茶葉の香りを楽しむ昂揚感とは別の物騒な喜びが見え隠れしていた。

 

「しかしなぁマスター。全力を出す気が無いこともさることながら、私には闘争が必要かどうか判断する基準も持たない、いわば闘争以前の問題を抱えた、ただの未熟者だぞ? 期待に添えないと思うがなぁ」

 ぼやく様に紡がれた『判断』というその言葉。

 敵意を持たれたことを宣告されてもなお『判断』などと言えてしまうのは、闘争の抜き差しならなさを知らぬ素人か、もしくは闘争を選べる、見上げるような頂に立つ強者のどちらかだとエヴァンジェリンは知っている。

 そして、少年がどちらに立っているか、など『昨夜』を経た今では議論の余地など無い。

 

 確かな実力に裏打ちされた鮮やか過ぎる強者の小気味よさと、久しく忘れていた挑戦者の歓びに、エヴァンジェリンは喉の奥で笑うと二客のティーカップに紅茶を注ぎ、少年とその対面にあたる自分の席の前に音も立てずに置いた。

 

「……これは美味いのか?」

 エヴァンジェリンの仕草に倣いぎこちなく紅茶を口にするも、良し悪しを判断する基準を持たない少年が眉を顰めながら、優雅にティーカップをソーサーに置くエヴァンジェリンへ質問する。

「さあな。貴様が『判断』しろ」

 しかし、返ってきた答えは冷たく突き放しながらも、どこか楽しそうな声色のちぐはぐな言葉だった。

 

 その後は「富士山とは高い山なのか?」や「おむすびとは特別な料理なのか?」といった少年のおそらくテレビから得たらしい疑問に淡々と答えつつ、「この国の子供は大変なのだな」と呟く少年の声をBGMにエヴァンジェリンは紅茶を楽しんだ。

 

「そういえば、そろそろ立派な魔法使い(マギステル・マギ)共への顔見せの時間だが、準備は済んでいるのか?」

「準備と言ってもなぁ……。私からできることは何も無い。まぁ成るように成るだろう」

 片づけを終えたエヴァンジェリンがふと思い出したかのように少年に声をかけたが、返ってきたのは大物なのか頼りないのか判別に困る言葉であった。

 

「……言わんとしていることも術が無いのも分かるが、呑気な話だな。……竜の騎士を慌てふためさせる『敵』とやらを見てみたいものだ」

「直近だとチリ一つ余さず地上を手中に収めようとした冥竜王か、チリ一つ残さず地上を消し飛ばそうとした大魔王だったな」

 エヴァンジェリンが半ば呆れたように言葉を漏らすと、帰ってきた答えもまた同じように思い出したことをただこぼしただけのような言葉であった。

 スケールが大きすぎて概要が掴みにくいが、口から出まかせを言っているようには見えないその言葉を受け、

 

「ハッ」

 

 と、エヴァンジェリンは楽しそうに口の端を上げた。

 

 

 

 春先とは言えまだ底冷えのする学校の廊下を、高畑・T・タカミチと近衛近右衛門の二人が窓から差し込む西日を跨ぐように歩いていた。

「本当にディーノ君はこの街で暮らせるようになるんでしょうか……。」

「大丈夫じゃよ。意外と収まりよく成るように成るもんじゃよ、こういうものはの?」

 重く言葉を吐くタカミチとは対照的に、先を行く近衛近右衛門の声は結果を既に知っているかのように軽やかなものだった。

 

「流石に成り行き任せだとマズい気がするんですが……」

 普段だと頼もしいと感じる筈のその口調を信じきれないタカミチは、珍しく近衛近右衛門の背中に苦言を呈すように言葉をこぼした。

「あぁ、違う違う。成り行きに任せるのではなく、この街という器に沿うようにあの子の居場所は出来上がる。この街はそういう街じゃと、そう言っとるんじゃ」

「確かに麻帆良は明るく良い街ですが、彼はちょっと……その、規格外過ぎるというか」

「まず、彼ではなくあの子じゃよタカミチ君。そして、この街のとらえ方も少し甘いの。この街とは、麻帆良とは、なんじゃ?」

 歩みを止め、クルリと後ろを振り返る近衛近右衛門の意図の読めない、答えのわかりきった質問にタカミチは困惑の表情を浮かべるも答えを返した。

 

「この街に住む人々がより良くしようとする努力を、立派な魔法使い達が影ながら支えることでお互いに協力し合っている街。それが麻帆良です」

「謙虚に、そして正確に立派な魔法使いの立ち位置を捉えておるの。じゃがその答えでは片手落ちじゃよ?」

 近衛近右衛門は殻の欠片がまだ残るヒヨコを微笑ましく眺める様にタカミチを見ると、そのまま踵を返し再び目的地へと歩きはじめる。

 そして、目的地であった会議室へ辿り着くと、近衛近右衛門は扉の取っ手に手をかけ再び振り返り、

「ともかくじゃ。『麻帆良』を信じなさい。そういうことじゃ」

 タカミチにだけ聞こえる声で言うと、近衛近右衛門は固く閉ざされた扉を開いた。

 

 扉を開けた瞬間、縦長の机を取り囲むように座る、数えるのも億劫になるほどの人数のちょうど二倍の視線が二人を射抜いた。

 そこに集まる面々はそれぞれが自らのパフォーマンスを最大限に発揮する、完全武装を身に纏っていた。

 そして武装のみでなく、立派な魔法使いや武芸者としての覚悟を同様に身に纏っており、針でつつけば辺り一面吹き飛びそうなほどに会議室の空気は張りつめていた。

 

「待たせたの」

 近衛近右衛門はピリピリと息の詰まるような空気を意に介さず飄々とした態度を崩さず歩き、唯一主を待つように空いていた上座の席に座り、タカミチはその後ろに控える。

 

「では、昨夜図書館島の湖へ潜りこんだ黒竜の調査結果を報告しようかの」

 タカミチは会議室の空気が、その言葉を受け一段と重くなったのを感じた。

 

 

 

「ま、もったいぶるようなことではないので簡潔に答えるぞい。

 結論から言うと黒竜は居なくなっておる。現状、湖の魔力的調査は完了、その存在を確認できず、

 そして、図書館地下じゃが、全体を調査したとは言えないまでもあの大きさの黒竜が潜りこめる場所は粗方調査を終えた。

 じゃが、見つかったという報告は受けておらん」

 その言葉を受け、その場に集まった魔法先生達の内の何人かは、安心したように胸をなでおろした。

 が、それとは対照的に大半の魔法先生達はいまだ緊張を解かず、話の続きを待っていた。

 そして安堵の声で少しだけざわつく会議室の中で、痺れを切らしたようにスッと手が挙がった。

 

「……何かな? 葛葉刀子先生?」

「黒竜が居ないのは分かりました。では、代わりにその場に居たのはなんだったのですか?」

 会議室を再び静寂が包み込む。

 が、その静寂は一枚岩ではなく、葛葉の言葉を当然として近衛近右衛門の答えを待つ者と、葛葉の言葉に困惑し声を失う者の二種類で構成されていた。

 そして、困惑で声を失った側の男がおずおず挙手をすると近衛近右衛門が彼に手で発言を促した。

 

「えっと……。スイマセン葛葉先生の発言の意味が良く分からなかったのですが、先日入ってきたのは黒竜一匹のみでは無かったという事でしょうか?」

「いいえ、違います」

 葛葉はピリピリとした緊張感を纏い簡潔に言葉を返した。

 

「では、今日になって別の何かが図書館島へ侵入したという事でしょうか?」

「それも違います。少なくとも私は今日何かが麻帆良へ侵入したという情報は受けておりません」

 葛葉から発せられる肌を指すような緊張感と同様に、男の持つ困惑も葛葉の答えを受けますますその深さを増していた。

 

「ええと……、昨夜図書館島へ侵入した黒竜は一匹、

 そして今日新たに図書館島へ何かが侵入した形跡は無く、

 黒竜の姿も図書館島から消えていると学園長は仰っている。

 普通に考えて黒竜が図書館島地下から消えた、ととらえるのが自然なのではないでしょうか?

 なぜ他に何かがいるという結論に達したのか理解しかねるのですが……?」

「もしそうなら学園長は黒竜を討伐、もしくは撃退したなどの言葉を使われるでしょう。

 ですが、そうではなく学園長がおっしゃられたのは『居なくなった』でした。あの黒竜は確かに結界の影響を受けないなどの常識外な面が多々ある存在でしたが、あれだけの質量が煙のように消えるなど常識的に考えて不可能です。で、あるならば我々では無い誰かが我々の気づかぬうちに黒竜を滅した、もしくは、封印したと考えるべきでしょう。そして、我々が黒竜討伐や封印の瞬間を確認していないので学園長はこの場で『居なくなった』という表現を使わざるを得なくなっているのだと思います」

 

 葛葉刀子の筋の通った推論を受け、会議室はしん、と静まり返った。

 そして、すでにその推論に至っていた者の後を追うように楽観視していた集団が、ある種のすがるような視線を近衛近右衛門に向けた結果、会議室の視線は全て近衛近右衛門に集まった。

 

「……フム、ざわめきが収まるまで待っていただけのつもりだったんじゃが

 不安を煽る話し方になってしもうたの。結論を言えばそこには子供が一人おった。

 本人は黒竜の息子じゃと言っておるの」

 

 再び、会議室に静寂が満ちた。

 が、今度の静寂は出席者全員が一様に困惑した結果生まれた物であった。

「えっと、それは冗談ですよね? もしくは、亜人というか、この場合黒竜に竜人の子がさらわれてその場にいた。そういうことですか?」

 ピリピリとした緊張感がそのまま困惑に置き換わった会議室の中で、魔法界出身の魔法先生が挙手もせずに困惑のままに疑問を口にした。

 

「いや、冗談でない。本質的にはどうかは知らんが、あの子の見た目は人間じゃったの。変身魔法や、年齢詐称薬を使ってもおらん。人間の小学生ほどの男の子じゃったよ」

 黒竜から人間の子供が生まれる。有り得ない事実を告げられた面々は皆一様に眉を顰めた。

 

 魔法使いの常識では考えられない報告を受けエアポケットのようにポッカリと間が空いてしまった会議室の中で、無骨ではあるが武芸を修めた結果ではなく、年月を経てゴツゴツと形を変えた手が挙がる。

 

「発言をどうぞ。新田先生」

 この場に置いて唯一ただ一点、だが決定的に他者と異なる男性にすべての視線が注がれた。

 

「……という事は親である黒竜が煙のように消えてしまった今現在、その子のそばにいるのは片親だけ、という事になるのですかな?」

 会議室中の注目が集まる中、ただ一つ動じず震えない、低い声が静かに響いた。

 魔法関係者の大半はその発言の意図をくみ取れずにいたが、近衛近右衛門と他数人だけが頬をわずかに緩め、発言をした中年の男に視線を向けた。

 

「いや、昨日来た黒竜と言うのはあの子、ディーノ君の御母堂での。昨日の夜、話を聞いた限りでは御尊父や御母堂以外の縁者も居られるような話しぶりでは無かったの」

「……話しぶりということは、詳しい話を聞いてはおられないので?」

「話を聞きたいのも山々だったのじゃがな、あの子と落ち着いて話が出来るようになったのが、深夜十二時を回った後でな。緊急時と言えども子供に夜更かしをさせて良い時間を超えておって、それ以上の話は出来る状況では無かったのじゃよ。今日も今日とてこの会議の準備に手間取っての、心苦しいが少年についてはこの会議が終わるまで後回しにせねばならん状況じゃ」

「……出すぎました。申し訳ありません」

「いや、教職に就く者として困窮しているであろう子供の状況を把握しようとするのは当然じゃ。そういう気概のある先生と共に仕事ができるというのは頼もしいと思いこそすれ、何ら邪険にするものではないですぞ? 新田先生」

 

 そう言い人懐っこく笑う近衛近右衛門の笑みを受け、新田先生と呼ばれた中年の教師は難しそうに腕組みをしたまま眉間の皺を一層深めた。

 

「そんなことよりも」

 その声を上げたのは若い魔法先生だった。

 

「どう『処理』するおつもりですか?」

「……処理とは、どういう意味かの?」

 魔法先生に返す近衛近右衛門の言葉に荒げた様子はない。

 が、まるでその言葉の下に何かを隠しているように、不自然なほどに平坦な声色だった。

 

「この街からどう追い出すのか、封印するのか、言いにくいですが……」

 しかし、その様子に気づいていない魔法先生はさも当然といった口ぶりで淀みなくいくつかの選択肢を口にする。

 最後の一つに至っては濁されてこそいたが多分に含みを持っており、打ち切ったその先を何より雄弁に物語っていた。

 

 放たれたその言葉を一度飲み込むように目を瞑り、何かを受け流すかのような間をたっぷりと取った近衛近右衛門は目を開くと髭を撫でつけ、

 それとは対照的に何かに耐える様に固く目を閉ざし、眉間のしわをさらに深くした新田は自らを抑え込む様により固く腕を組んだ。

 

「……フム。では、ここで黒竜の調査結果の報告を終え、一つ動議したい」

 

 昨夜麻帆良を強襲し、何一つの抵抗も許さぬまま我が物顔で魔法使いの街を闊歩した黒竜にどう対処するか?

 それを話し合い、事態が差し迫っていれば決死隊すら組織し黒竜に対処する。

 ある種悲壮な決意すら抱いてこの会議室に集まった面々のなかに、突如学園長が口にした議題に対し注意を払わない者はない。

 

 固唾をのんで続く言葉を待つ会議室に響いたのは、

「黒竜の息子、ディーノ君のどのように麻帆良へ受け入れるかを話し合い、皆の知恵をお借りたい」

 という、生死すら受け入れた彼らでさえも予想していなかった一言だった。

 

 当然のように一拍の間を置き、会議室はハチの巣を突いたような喧騒で包まれた。

 

「何を考えているのですか!?」

「受け入れられるはずがないでしょう!?」

「昨夜起こったことをお忘れですか!?」

 

 発言者、発言時の言葉づかい、そして身振りを伴うか否か。

 それらどころか性別や老若の区別無く、騒ぐ者は立ち上がって口角泡を飛ばしながら口々に言葉を発し、騒がない者は石のように押し黙った。

 発言の際は挙手をする、という最低限のルールどころか会議中は不用意に立ち上がらないという最低限のマナーすらその場から消え去っていた。

 

 ―――こりゃしばらく間を置かんと何を言っても無駄じゃの……。

 過去の経験から、ここまで紛糾した会議は間を置くか、一つ大きなショックでも起こさない限り元に戻らないと知っていた近衛近右衛門は目も前の紛糾から目をそらすように天を仰いだ。

 一見すると、目の前の惨状から目をそむけ、神にでも祈っているように見えるその行動。

 だが、近衛近右衛門のとったその態度は神に縋るためのものでなく、人を信じているが故の行動だった。

 

 そして、幸運なことにこの期待に応えられる人間はその場にいた。

 

 紛糾する会議室内で天井を見つめ続ける近衛近右衛門の態度に声を上げていた一団が業を煮やし、その言葉も徐々に険を多分に含むものへと変化していくその最中、その音は響き、会議室が一瞬にして静寂に包まれる。

 

 その音は確かに大きかった。事実、振り下ろされた握りこぶしは机に叩きつけられると、まるで雷でも落ちたかのような音をあたりに響かせた。

 

 だが、通常の会議ならいざ知らず、ボルテージが天井知らずに上がり続けていたその場では、ただの音では力不足と言わざるを得ない。

 現実として、紛糾の極致にあったその場を一息に飲みこんだのはその音を立てた張本人から発せられる並々ならぬ怒気であった。

 

「あなた方は何を考えている!? 親のいなくなった子供をよりにもよって追い出す算段を口にするとは何事か!? ここにいるのは麻帆良で志を同じくする者達ではなかったのか!?」

 

 まさに一喝。

 その場において一人だけ決定的に異なる新田は臆することなく、怒りを口にする。

 その言葉はまるで燃え盛る炎のように騒いでいた一団に強風のように吹きつけられ、立ち消えるかのように彼らは勢いは削がれた。

 が、風に煽られた炎が一拍の間をおいて再び燃え盛るように、彼らの混迷を多分に孕んだ怒りは勢いを取り戻した。

 

「魔法を使えぬ部外者は黙っていて頂きたい! これは麻帆良の地を管理する管理者たる我々の領分だ!」

「この場にいる人間に部外者など一人もいない! 全員がこの街で教職に携わり、次世代を担う子供たちを保護し導く教育者のはずだ!」

「だからこそ我々は血を流す覚悟すらしてこの場に集まっている! 我々がしている話は闘争すら選択肢に入る現実的な話だ! 邪魔をしないでいただきたい!」

 

 両者は互いに頑として譲らず、話し合いというには声量の大きすぎるそれは全く交わる気配すら見せず平行線をひた走っていた。

 決して交わることのない両者は言葉を投げつけあうように言い合いを続けていたが、当然のことながらやがて互いに言葉を失い、息荒くにらみ合う格好となっていた。

 

「フム、ではまず最初に現実的な話とやらをしようかの?」

 会議が始まる前とは別種の緊張感に包まれたその空間で、泰然とした態度を崩さない近衛近右衛門の声が響いた。

「高畑先生。昨夜ディーノ君、黒竜の息子殿の実力を見た経験を踏まえて、先生の推測をお聞きしたい。

 もし仮にディーノ君と高畑先生が不幸にも対峙する事態に陥ってしまったならどうなる?」

 天井を見上げていた近衛近右衛門はいつの間にか声を荒げていた一団を厳しい目で見つめ、振り返らずにタカミチへ少年の実力を問うた。

 

「五分……いや、三分といったところでしょうか……」

 体質的に魔法の詠唱こそできないものの、すでに咸卦法を収めつつある若き俊英の言葉を受け、声を荒げていた一団には安堵が、その他の魔法関係者には緊張の色が広がった。

 

「流石は元『紅き翼』の一員。先生の前では竜の子と言えども形無しですな」

 一団の先頭に立つ、先ほどの『処理』を口にした男が安堵したような声を上げるも、タカミチの顔にいつもの人に安心感を与える笑みは無く、その表情は何かを言いよどむように曇っていた。

 

 その顔にようやく気付いた男は、顔から笑みを消すと眉を顰め、

「いえ、三分持たせるのが限度という意味です」

 と、続いたタカミチの言葉にその眼を零れ落とさんがばかりに見開いた。

 

「フム、ワシの見立てとほぼ同じじゃの。」

「で、ですが、我々の総力を持って対峙すれば、決して、決して負けることはないはずです」

 タカミチの意見を肯定する近衛近右衛門の言葉を受けてなお男は食い下がった。

 

 ―――フム、口先だけではなく自らも戦う覚悟はある、か……

 一団の先頭に立つ男の言葉を受け、近衛近右衛門はその言葉や態度が虚仮では無いとあたりをつけた。

 自らを危険に晒しても街を守る、という覚悟を滲ませるその態度は先走ってこそはいるが、断じて一方的に非難してよいものではなかった。

 ―――じゃが、あまりに『魔法使い』過ぎるの。

 

「あぁ、ワシも総力戦をすれば勝てると踏んでおるよ」

「おぉ! では……」

「じゃが、ワシらの大半は敗れ、また同様に麻帆良も大半が瓦礫の山からうめき声が聞こえる地獄絵図と化すじゃろうな。」

 泰然とした態度から放たれる冷徹な未来予測が、声を荒げていた一団を射抜く。

 先ほどの新田の一喝が火を消す突風であるなら、こちらは場の熱を奪う冷気であった。

 突風のように吹き付け熱を押し流すのではなく、一息にすべてを飲み込み内側から凍らせる霜の立つ朝のように。

 近衛近右衛門の『現実的な話』は一団から熱気を根こそぎ奪い取った。

 

 冬の夜のようにがらんどうな静寂が会議室に漂う中、近衛近右衛門はゆっくりと立ち上がり、静かに語り始めた。

 

「聞いての通り、『偉大な魔法使い』としてディーノ君に対峙したとして、我々は勝利できる。

 限りなく敗北に近い勝利をこの手にすることができるじゃろう。

 じゃが、それは当然勝利などではなく、それどころか敗北ですらない。もっと性質の悪いもの。

 破滅にほかならん。

 よって我々は『偉大な魔法使い』以外でディーノ君へ対峙せねばならん」

 静まり返った会議室の中で、近衛近右衛門の柔らかくしわがれた声が染み渡っていった。

 

「……街から追放、というのは不可能なのでしょうか?」

 場の反応を待つように意図的に開けられた間に滑り込むように、葛葉刀子が声を上げる。

 そのポツリと呟かれた言葉は少年の受け入れを拒否する響きは無く、むしろ受け入れ態勢をより強固にすべく状況の共有を深める意図があるように近衛近右衛門には思えた。

 

「追放であればおそらく大した被害も無く可能じゃと思う。

 じゃが、一般常識の無い子供を街から追い出しなどすれば、その子に待つのは過酷な未来じゃ。

 肉親もおらず縁故のある知り合いも居ない。じゃが生き抜くだけの力は既にある。

 おそらく十年から二十年後に、この地は抵抗すら許されずに成長した竜の怒りに焼き払われる未来を迎えることになるじゃろうな」

「……私も十中八九そうなると思います。現段階で麻帆良と対峙しうる存在なら内に取り込むしかないかと」

「そうじゃな。ワシもそう思う。

 我々は大人の義務として、そしてまた凄惨な未来を確実に回避するために、ディーノ君に対し『偉大な魔法使い』ではなく、『教育者』として対峙せねばならん」

 近衛近右衛門はゆっくりと立ち上がり机に手を付き、身を乗り出すようにしてその場にいる全員に向けて語りだした。

 

「我々は今長く平坦な闘争を始めようとしておる。

 その闘争の名は教育じゃ。

 我々が常日頃から行う、この世で最も過酷で困難な、血の流れない闘争じゃ。

 諸君、我々の言う勝利とは何か?

 齢一歳に満たぬ竜の息子を追い出し、麻帆良の街の安全を守ることか?

 それとも、麻帆良の地を瓦礫に変えて未だ定まらぬ将来の厄災を摘み取ることか?

 我々の勝利とは、子供を導き生きる力を育むことではないのか?

 我々の勝利とは、追放や殺害を経ないと得られないものか?

 我々の掲げる正義は、長く平坦な闘争にも耐えられない虚仮じゃったか?」

 近衛近右衛門はそう言うと、改めてその場に集まった面々を見渡し言葉を続けた。

 

「今一度、麻帆良……『学園』都市。この名の意味を考えてもらいたい。」

 そう言い終わると近衛近右衛門は立っている面々に手で着席を促しながら自らも席に着いた。

 

 その言葉を受け息荒く一団を睨みあっていた新田が深く息を吐き着席し、

 葛葉刀子は深く考え込むように口元に手を当て、

 紛糾の中心にいた一団は呆然としたまま元の場所に立ち尽くしていた。

 

 誰もが言葉を発さず自らの内で方針をまとめるその最中、会議室の戸が開く音が響く。

「フン。力及ばぬ現実に突き上げられ、背負いきれぬ理想に押しつぶされなければ自らの立ち位置すら分からんか。

 世が廻ろうとも相も変らぬ『正義』の姿だな」

「エヴァか。遅かったの」

 エヴァンジェリンが見慣れぬ子供を引き連れ会議室を訪れたのは、壁掛け時計の時を刻む音が聞き取れるほど静まり返った頃だった。




当然のことながら原作には、
新田先生が魔法やそれに付随する組織、及び、麻帆良の魔法使いの街としての顔を知っている。
という描写はありません。
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