35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜   作:パラレル・ゲーマー

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第13話 吸血鬼、理事長の乾杯で夜の掟を知る

 スカーレット・ホールの奥に設置された豪奢な壇上に、黒い礼服の男がゆっくりと上がった。

 

 つい先ほどまで、軽食コーナーで社会人吸血鬼たちのデリケートな地雷原を、笑顔で真正面から踏み抜いていったあの『先輩吸血鬼』だ。

 

 案内役の白石がマイクの前に立ち、凛とした声で告げた。

 

「本日は、日本吸血鬼協会理事長より、新規覚醒者歓迎会のご挨拶を申し上げます」

 

 その肩書きを聞いて、久我は思わずグラスを持ったまま固まった。

 

(……理事長だったのかよ)

 

 単なる古参の面倒な先輩か、せいぜい協会の幹部クラスだと思っていた。

 

(あの軽食コーナーで地雷原に装甲馬車で突っ込んでいった人が、まさかこの組織のトップだったとは)

 

 隣で澪が、信じられないものを見るように目を丸くして小声で囁いてきた。

 

「陽介さん……あの人、理事長さんだったんですね……」

 

「らしいですね。さっきの地雷処理の仕方、随分とトップダウンすぎるアプローチだと思いましたけど」

 

 周囲のざわめきが波を打つように静まり返り、広間全体が壇上の男へ向けて耳を澄ませた。

 

 理事長がマイクの前に立つ。

 

 深紅の照明が、その青白い肌と赤い瞳を妖しく照らし出していた。

 

「さて。新しい夜を迎えた諸君――」

 

 理事長の第一声は、拍子抜けするほど柔らかく、温かみのある響きだった。

 

「まずは、吸血鬼としての覚醒、おめでとう」

 

 パラパラと、会場のあちこちから拍手が起きる。

 

 しかし、その拍手はどこか複雑な色を帯びていた。

 

 純粋に新しい世界を歓迎されていると喜ぶ若い学生もいれば、戸惑いを隠せない者もいる。久我の近くにいる社会人組の表情も、やはり少し硬いままだった。

 

 理事長は、その会場の空気を完璧に読んでいた。

 

「……とはいえ、今の『おめでとう』という言葉を、素直に受け取れない者も多いだろう」

 

 ピタリと、拍手が止んだ。

 

「吸血鬼になったことが、君たち全員にとって手放しで歓迎すべき出来事だったとは、私自身も思っていない。……仕事を失った者もいるだろう。家族との関係が壊れた者もいる。学校で浮いてしまった者もいる。急激な体質の変化に怯え、自分が自分ではなくなってしまったような喪失感に苛まれた者もいるはずだ」

 

 久我は、先ほどの社会人組の痛切な告白を思い出していた。

 

 澪も、会場の反対側にいる学生組の顔を不安そうに見つめている。

 

「だから、ここで協会のトップに『おめでとう』と言われても、腹が立つ者もいるだろう。……それでいい」

 

 理事長の言葉が、静かに広間に響き渡る。

 

「怒っていい。悲しんでいい。戸惑っていい。吸血鬼になってしまった自分という存在を、すぐに受け入れられなくてもいい」

 

 その受容の言葉に、張り詰めていた会場の空気がふっと息を吐き出すように和らいだ。

 

「まあ、実際のところ、人間時代の未練を百年くらい引きずって酒の肴にする吸血鬼も、珍しくないからね」

 

 理事長が少しだけ肩をすくめると、会場からクスリと小さな笑いが起きた。

 

「私も、最初の百年は自分の環境の変化を受け入れるのが、なかなか面倒くさくてね」

 

(また百年単位のメンタルヘルス話をしている……!)

 

 久我が内心でツッコむと、周囲の社会人組からも「あの人、また言ってるよ」といった感じで苦笑が漏れた。さっき地雷を爆発させられた面々も、少しだけ肩の力が抜けたようだった。

 

「だから、今日ここですぐに前向きになれとは言わない。ただ、君たちが吸血鬼として覚醒したことは、何かの縁だ。望んだか望まなかったかは別として、君たちはこの夜に足を踏み入れた。ならば、ほんの少しだけでいい。顔を上げて、前を向いてみるといい」

 

 理事長の表情が、少しだけ引き締まった。

 

「さて、ここからは少しだけ真面目な話をしよう」

 

 広間の空気が、再びピンと張り詰める。

 

「昨今の日本における吸血鬼の立場は、世界的に見てもかなり恵まれている」

 

「……世界的に見ても?」

 

 久我は思わず呟いた。

 

「血液製剤の安定供給。八咫烏という行政機関との連携。協力病院による初期診断と飢餓衝動の徹底した管理。未成年吸血鬼への保護制度。職場、学校、家庭への限定的な説明支援。……そして、当協会による互助と再就職支援」

 

 理事長は、ゆっくりと会場の端から端までを見渡した。

 

「これらは、最初から当然のように存在していたわけではない。多くの先達が、時に血を流し、時に人間社会とぶつかり合いながらも、摩擦を減らし、吸血鬼が『人を襲わずに生きられる道』を何百年もかけて整えてきた結果だ」

 

 協会の成り立ちと、その裏にある途方もない時間の蓄積。

 

 理事長は詳しくは語らなかったが、その言葉の端々には重みがあった。

 

「今のこの日本で覚醒できたことは、はっきり言えば幸運だ。少なくとも君たちは、血に困って夜の路地裏を彷徨う必要がない。空腹に耐えきれず、理性を失い、見知らぬ誰かの首筋に牙を立てる必要もない。……冷蔵庫を開ければ血液パックがあり、困った時の相談窓口があり、助けを求めれば誰かが必ず手を差し伸べてくれる」

 

 久我は、第四話で協力病院の診察室で、初めてあの血液パウチを口にした時のことを思い出していた。

 

『……美味い』と、本能のままに感じてしまった自分。

 

 あの時、もし医療として管理された安全な血が提供されず、ただ飢えに苦しむだけだったら、自分はどうなっていたか。

 

 間違いなく、コンビニの店員か、帰りの電車の乗客を襲って、取り返しのつかない化物に成り果てていただろう。

 

(……俺は、かなり早い段階で安全な『血』と『居場所』に繋がれた。それが当たり前だと思ってたけど、当たり前じゃなかったんだな)

 

「だが」

 

 理事長の声が、さらに一段低くなった。

 

「我々吸血鬼には、古くから刻み込まれた逃れられない『性』がある」

 

 広間が、水を打ったように静まり返る。

 

「血は甘い。血は力だ。……そして、血は最大の誘惑だ」

 

 その言葉に、久我はあのコンビニで嗅いだ鮮血の匂いと、それに引っ張られそうになった自分の本能の暴走を思い出し、背筋に悪寒が走った。

 

 澪もまた、ギュッと自分の制服の袖を握りしめ、表情を硬くしている。

 

「血液製剤で十分に栄養が足りると知っていても、生身の人間から直接、恐怖と熱を帯びた生血を奪いたいと考えてしまう者はいる。自分は人間よりも上位の存在に進化したのだと、愚かな錯覚に陥る者もいる。……人を見下し、獲物と呼び、支配できると思い込み、実際にその古い性を実行に移してしまう吸血鬼も、極稀にだが、いる」

 

 会場の空気が冷たくなる。

 

 誰も口を開かない。

 

 誰もが、自分の中にある『化物』の側面に思いを馳せている。

 

「その者たちは、吸血鬼社会にとっても敵だ。人間社会にとっても敵だ。そして何より――毎日真面目に血の欲求を管理し、法を守り、普通に人間社会で生活しようと努力している君たち全員にとっての、最大の敵だ」

 

(……一人がルールを破ってやらかせば、真面目にやってる全員が疑われる。会社でもよくある話だが、吸血鬼の場合は社会的な信用どころか『生存権』に関わる。洒落にならない)

 

 久我の社会人としての危機管理センサーが警鐘を鳴らす。

 

「悪の道に落ちた吸血鬼は、狩られる」

 

 理事長ははっきりと断言した。

 

「警察に逮捕され、八咫烏管理下で隔離・調査される場合もある。行政処分や刑事手続きに移る場合もある。当協会が処分や保護解除に協力する場合もある。……そして、場合によっては――『吸血鬼ハンター』に狩られる」

 

「……吸血鬼ハンター?」

 

 久我が思わず反芻すると、隣の澪も小さく肩を震わせた。

 

「そういう者たちは、おとぎ話ではなく現代にも実在している」

 

 理事長の赤い瞳が、冷たく光った。

 

「吸血鬼を神に背く怪物と断じ、殺すことこそが正義の使命だと狂信している者たちだ。……幸いなことに、日本国内では彼らはほぼ活動できない。ここでは、吸血鬼も戸籍を持つ真っ当な日本国民であり、法と行政によって人権が守られる存在だからね」

 

 理事長は少しだけ言葉を区切り、続けた。

 

「だが、世界のすべてが日本と同じ安全圏ではない。海外、特に欧州の一部や、中東などの歴史の古い地域では、過去の怨恨と宗教的観念がまだ根強く残っている。……吸血鬼の気配を見つければ、問答無用で狩る。そう考える者たちが、今なお裏社会に暗躍している」

 

(普通に怖い話が出てきたぞ……)

 

 久我は、自分が足を踏み入れた夜の世界の『深さ』と『広さ』を思い知らされていた。

 

 ダンジョンの怪異や鳥カゴの能力者だけではない。

 

 純粋に『吸血鬼であるという事実』だけで敵意を向けてくる人間が存在するのだ。

 

「覚えておきなさい」

 

 理事長は、会場にいるすべての新規覚醒者たちを真っ直ぐに見据えた。

 

「日本吸血鬼協会は、君たちを守る。血の衝動に戸惑う者、家族と揉めて居場所を失った者、職を奪われた者、学校で苦しむ者。そういう弱い者は、組織の全力を挙げて支える」

 

 その言葉は力強く、温かかった。

 

「だが――血の誘惑に負け、人間を襲い、悪の道に落ちた吸血鬼を守るほど、我々はお人好しではない」

 

 会場の空気が、キリッと引き締まった。

 

「人を襲えば、守られない。血を奪えば、許されない。自分を人類の上位存在だと錯覚し、人間社会の法を踏みにじれば、その瞬間に君たちは協会の庇護を完全に失う」

 

 理事長はマイクから少しだけ顔を離し、会場全体へ語りかけるように言った。

 

「我々は、人類より上位の存在になったのではない。……人類と『共生』する存在になったのだ。そこを、決して間違えないでほしい」

 

 人類と共生する存在。

 

 その言葉は、久我の胸に深く刺さった。

 

 吸血鬼になり、怪異の痕跡を追える魔眼を持ち、人間離れした身体能力を得た。

 

 だが、それは決して人間を見下し、支配するための力ではない。

 

(共生って、言葉にするのは簡単で綺麗だけど、実際に維持するのはめちゃくちゃ難しくて怖いことなんだな……)

 

「さて」

 

 理事長は少しだけ間を置き、急に表情を柔らかくした。

 

「暗い話はこれくらいにしておこう。せっかくの酒が不味くなる」

 

 会場に、ふぅ、と安堵の息と共に小さな笑いが戻った。

 

「新しい夜を迎えた諸君に今夜必要なのは、三百歳の年寄りの説教だけではない。美味しい血液ドリンクと、同族の友人と、そして自分の失敗談を笑い飛ばせる場所だ。今夜はそのための歓迎会だ」

 

 理事長が、近くのスタッフからグラスを受け取り、高く掲げた。

 

 グラスの中身は深い赤色。

 

 ワインではなく、完璧に管理された血液製剤のドリンクだ。

 

「新しい夜に。失ったものに。これから得るものに。……そして、人と吸血鬼が同じ社会で生きる未来に。――乾杯」

 

「「「乾杯!」」」

 

 会場全体から唱和の声が上がり、グラスが重なる音が響く。

 

「やばい、俺グラス持ってない」

 

 久我が慌てていると、横からスッとグラスが差し出された。

 

 先ほどのサラリーマン風の吸血鬼だ。

 

「新人さん、乾杯用ですよ。ノンアルコール指定のやつです」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 久我もグラスを掲げ、一口飲んだ。

 

「……美味い」

 

 病院で渡される無機質なパウチとは違う。

 

 果実の風味のようなものがブレンドされ、非常に飲みやすく加工されている。

 

 だが、喉を通った瞬間に吸血鬼の本能が歓喜するあの感覚は確かにあった。

 

(これ、美味いからって調子に乗ってカパカパ飲むと、絶対に後でアルコール以上の酩酊状態になって危ないやつだ……)

 

 久我は社会人としての自制心を働かせ、すぐに飲むペースを落とした。

 

 ふと見ると、澪も学生組のテーブルで低濃度のドリンクを受け取っていた。彼女の胸元で揺れる未成年リボンを見たスタッフが、ボトルのラベルを厳重に確認してから注いでいる。

 

(感動的なスピーチの直後に、未成年の摂取量チェックが容赦なく入る。これが現代日本の吸血鬼協会のコンプライアンスか)

 

       *

 

 乾杯の音頭の後、会場の空気は明らかに明るくなった。

 

 理事長のスピーチが、重い現実の話と懇親会の間に明確な区切りを作ってくれたからだ。

 

 社会人組も学生組も、さっきよりも肩の力が抜け、リラックスして話し始めている。

 

 久我は、再び社会人組のテーブルへと戻った。

 

「理事長、相変わらず重い話と笑い話の落差がすごいですね」

 

 サラリーマン風の吸血鬼が苦笑する。

 

「でも、あの人が言うと不思議と説得力があるんですよね。なんせ、三百年生きてますから」

 

 作業着風の吸血鬼が答える。

 

「三百年も生きてる人に『百年くらいは引きずるよ』って言われると、こちらの悩みのスケール感が完全にバグりますね」

 

 久我が言うと、女性吸血鬼が微笑んだ。

 

「でも、ちょっとだけ安心するんですよ。あんなすごい人でも最初は引きずってたんだ、すぐに立ち直れなくてもいいんだって思えるから」

 

「それは……分かります」

 

 雑談が弾む中、久我はスピーチ中にどうしても引っかかっていたことを切り出した。

 

「あの、さっきの『吸血鬼ハンター』の話ですけど……本当にいるんですか? 映画やアニメだけの存在じゃなくて」

 

 社会人組が顔を見合わせた。

 

「いますよ」

 

 サラリーマン風の吸血鬼が、あっさりと肯定した。

 

「いるんだ……」

 

「でも、日本ではほとんど活動の噂は聞きませんけどね。少なくとも、表立ってハンティング活動ができるような国じゃないですから」

 

 作業着風の吸血鬼が続ける。

 

「だって、私たちも普通に日本国民ですからね。八咫烏に登録もしてるし、税金も払ってるし、住民票だってあるし」

 

「……吸血鬼、住民票あるんですか?」

 

「ありますよ。運転免許証も、なんならマイナンバーもあります」

 

「急に安心するような、逆に混乱して頭がおかしくなりそうな事実だな」

 

「だから」

 

 女性吸血鬼が笑う。

 

「日本で『我は吸血鬼ハンターなり!』とか名乗って私たちを物理的に襲ってきたら、普通に警察に捕まって殺人未遂か傷害罪です」

 

「こっちからしたら、ただの危ない通り魔の犯罪者ですね」

 

「ですよねぇ」

 

 久我は少しだけ安堵した。

 

 現代日本の法治システムは、オカルト的な狩人に対しても極めて有効に機能しているらしい。

 

「ただ、海外だと話が違うらしいです」

 

 サラリーマン風の吸血鬼が声を落とした。

 

「特に欧州方面は、古い吸血鬼伝承や、教会系の歴史的な因縁がそのまま残っている地域もあって。今でも吸血鬼を忌み嫌うガチのハンター組織が暗躍しているとか」

 

「もちろん、全部が全部危険なわけじゃないですよ。海外にも立派な互助組織はありますし、普通に人間と暮らしている吸血鬼もたくさんいるそうです」

 

「でも、日本みたいに行政と協会と医療機関が、これだけ綺麗にシステムとして連携してる国は、世界的に見てもかなり珍しいらしいですね」

 

「理事長が『日本で覚醒できたのは幸運だ』って言っていたのは、そういうことですか」

 

「そういうことですね」

 

「海外旅行の時は本当に気をつけた方がいいって、協会の新人講習でもキツく言われますよ。特に夜間に単独行動しない。血液製剤の国際持ち込みルールを事前に確認する。現地協会の緊急連絡先を控えておく。そして、怪しい宗教団体や自称ハンターには絶対に近づかない」

 

「海外旅行の注意事項が、急に異能バトルものの前振りみたいになってる……」

 

「でも、基本は普通の海外旅行の防犯と同じですよ。知らない人についていかない。怪しい路地裏に入らない。パスポートと血液製剤をなくさない」

 

「最後に『血液製剤』が追加されるだけで、だいぶ特殊な響きになるんですよ」

 

 和やかな笑いに包まれながらも、久我は一人、思考を巡らせていた。

 

 これまでの脅威は、怪異やダンジョンのモンスター、あるいは鳥カゴの荒くれ者の能力者たちだった。

 

 だが、単に『吸血鬼である』という種族的な理由だけで、明確な殺意と敵意を向けてくる人間も、この世界には存在しているのだ。

 

(……吸血鬼になったことで、俺は確かに強くなった。夜の闇が見えるようになり、人間離れした身体能力も手に入れた)

 

 久我はグラスの赤い液体を見つめる。

 

(でも、強くなったから安全になるわけじゃない。見える世界が広がれば、今まで見えていなかった危険も増える。……共生って、綺麗な言葉だけど、かなり難しくてシビアな綱渡りなんだな)

 

 そこへ、学生組との交流を終えた澪が戻ってきた。

 

 手には、低濃度の血液ドリンクが入ったグラスを持っている。

 

「陽介さん、このドリンク、すごく飲みやすくて美味しいです!」

 

「飲みすぎないように気をつけてくださいよ。その未成年リボン、スタッフにガン見されてますから」

 

「ちゃんと一杯だけです。スタッフのお姉さんにも『二杯目からは端末でロックかけますからね』って言われましたし」

 

「吸血鬼の飲酒管理システム、徹底しすぎだな」

 

 澪が不思議そうに首を傾げた。

 

「そういえば、陽介さんたち、何の話をしてたんですか?」

 

「ああ、吸血鬼ハンターについてです」

 

「吸血鬼ハンター!?」

 

 澪の大きな声に、近くにいた学生組の若者たちが一斉に反応して集まってきた。

 

「なにそれ、マジでいるんですか!?」

 

 男子高校生が目を輝かせる。

 

「日本にはほぼいない。でも海外にはいるらしい。吸血鬼を狩ることを使命だと思っている危ない人たち。……ただし、日本では吸血鬼も国民だから、襲えば普通に犯罪者扱いだ」

 

 久我が社会人組から聞いた話を要約して伝えると、澪はブルッと身震いした。

 

「普通に怖いです……」

 

「俺も普通に怖いです」

 

「でも、日本にいれば、協会や八咫烏が守ってくれるんですよね?」

 

 学生女子が尋ねる。

 

「基本的にはね。だから、登録と協会との連絡は大事なのよ」

 

 女性吸血鬼が答える。

 

「登録、協会、血液製剤、講習、緊急連絡、そして海外でのハンター対策……。吸血鬼になってから、人生で必要な手続きと注意事項が増えすぎている」

 

 久我がこめかみを抑えると、澪が横で小さく笑った。

 

「でも、そのおかげで私たちは守られてるんですよね」

 

「……そうですね」

 

 ふと、久我は視線を感じた。

 

 顔を上げると、壇上を降りた理事長が、少し離れた場所からこちらを――正確には久我を見つめていた。

 

 一瞬だけ、目が合う。

 

 理事長はニコリと笑い、軽くグラスを掲げて見せた。

 

 久我も慌てて居住まいを正し、小さく会釈を返す。理事長は満足そうに頷くと、別の古参吸血鬼たちの輪の中へと消えていった。

 

(……今、完全に見られていたな)

 

『噂は少し聞いているよ。新規覚醒で魔眼持ちの新人だとか』

 

 さっきの言葉が蘇る。

 

 日本吸血鬼協会のトップが、自分という新人を明確に認識している。

 

 少しだけ背筋が寒くなったが、今はまだ個別に接触してくる気配はない。

 

 空気を軽くするように、サラリーマン風の吸血鬼が久我に尋ねてきた。

 

「ところで久我さん、今日、会社の名刺って持ってきました?」

 

 久我はギクッと固まった。

 

「……一応、鞄の底に忍ばせて持ってきました」

 

 社会人組の三人が、声を揃えて笑った。

 

「やっぱり!」

 

「社会人吸血鬼あるあるですね。初参加のパーティーで、とりあえず会社の名刺を持ってくるやつ」

 

「吸血鬼協会のパーティーで、株式会社〇〇ソリューションズの営業名刺を出すべきか出さないべきか、自宅で三十分くらいガチで悩んだんですよ」

 

「出さなくていいですよ。ここ、別に取引先の懇親会じゃないんですから」

 

「ですよねぇ」

 

「でも」

 

 女性吸血鬼がウインクする。

 

「たまに協会内で『あの人、今仕事探してるらしいよ』って再就職の相談になって、急に名刺交換のビジネスマッチング会場みたいになることはありますけどね」

 

「あるんだ」

 

「現代日本ですから」

 

「その言葉、ついに吸血鬼社会の免罪符になってませんか」

 

 久我は、賑やかな笑い声に包まれる会場を改めて見渡した。

 

 社会人組、学生組、血液ドリンク、未成年リボン、古参吸血鬼、そして理事長。

 

 ここには、吸血鬼として生きるための支援と居場所が確かに存在している。

 

 だが同時に、人間社会との共生というルールを破った者は容赦なく切り捨てられるという、厳格な境界線も引かれている。

 

 そして、その外側の世界には、自分たちを狩ろうとする者もいる。

 

(……吸血鬼になったからといって、すべてから自由になったわけではないんだな)

 

 むしろ、守られるためのルールと、守られなくなる境界線を、人間時代以上に深く理解して生きなければならない。

 

 こうして久我陽介は、日本吸血鬼協会の歓迎会において、自分が「守られる側」であると同時に、守られるための線を決して踏み越えてはならない側でもあるのだという、現代異能社会の厳格な掟を学んだのだった。

 




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