35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜   作:パラレル・ゲーマー

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第15話 吸血鬼、ヤタッピ講習で普通の重さを知る

 株式会社〇〇ソリューションズでの慌ただしい業務を終えた数日後の夕刻。

 

 久我陽介は、疲れた首筋を揉みほぐしながら、八咫烏が管轄する『特殊体質者生活支援センター』の廊下を歩いていた。

 

 スマートフォンには、専用アプリからの無機質な通知が表示されている。

 

『新人能力者向け基礎講習:ティアー・システム入門。場所:中央相談窓口・教育室B』

 

(……役所での仮登録、裏の専門外来、吸血鬼協会の異次元パーティー、深夜の学校警備、休日ダンジョン、鳥カゴでの対人ボコられ体験。そして今日は、座学の講習か)

 

 吸血鬼として覚醒してからの数週間、自分の人生に発生するイベントのジャンルが完全に迷子になっている。

 

 指定された『教育室B』の前に到着すると、制服姿の七瀬澪が、壁にもたれかかるようにしてすでに待機していた。

 

「あ、陽介さん……お疲れ様です……」

 

 澪はどこか気が抜けたような、とろんとした目をしている。

 

「お疲れ様。澪さん、ひょっとして学校から直行ですか?」

 

「はい。六時間目まで普通に授業を受けて、普通に小テストで絶望して、そのまま普通に八咫烏の講習に来ました……」

 

「その文脈に『普通』という単語を多用するのは、少し無理がある気がするんですが」

 

 苦笑しながらドアノブに手をかける。

 

 中に入ると、そこは自動車教習所の講習室をさらに無機質にしたような、殺風景な小会議室だった。

 

 白い長机、パイプ椅子、天井から吊るされたプロジェクター。

 

 机の上にはミネラルウォーターと『経口血液製剤』のパウチが並べられ、壁には『撮影・録音厳禁』『資料の外部持ち出し禁止』といった物々しい警告文が貼られている。

 

 そして部屋の奥には、いつものように感情の読めない顔をした皇かれんが立っていた。

 

「お二人とも、お疲れ様です。本日は規定に基づき、八咫烏の新人能力者向け基礎講習を受講していただきます」

 

「……例の、ヤタッピ講習ですね」

 

「正式名称は、新規所属者向けオリエンテーション資料 Ver.3.5『ヤタッピでもわかる! はじめてのティアー・システム!』です」

 

「正式名称をフルで聞いても、一ミリも安心感が湧いてこないのはどうしてでしょうか」

 

「私はヤタッピ、ちょっと楽しみですけど」

 

 呑気なことを言う澪に対し、かれんは冷ややかな視線を向けた。

 

「油断しないでください。見た目は非常に緩いですが、ここで語られる内容は、八咫烏という組織の活動理念の根幹に関わる重要なものです」

 

「その組織の根幹を、緩いマスコットキャラに語らせるスタンスはどうなんですか」

 

 促されるまま席につき、タブレット端末を起動する。

 

 正面の大型モニターに、講習用資料のタイトルスライドが投影された。

 

『【極秘】

 

文書管理番号:YTG-EDU-2025-Newbie01

 

件名:新規所属者向けオリエンテーション資料 Ver.3.5

 

ヤタッピでもわかる! はじめてのティアー・システム!』

 

「……あの。この物々しい国家機密みたいなスタンプと、ファンシー極まりないタイトルの温度差で、すでに脳の処理が追いつかないんですが」

 

「ヤタッピでもわかる、って可愛いですね!」

 

「極秘文書の表紙に『可愛い』という感想を抱く日が来るとは思わなかった」

 

「私語は慎んでください。再生を開始します」

 

 かれんが手元のリモコンを操作すると、部屋の照明が一段階落ちた。

 

 軽快でポップなオープニングテーマが流れ出し、画面いっぱいに青空の背景が広がる。

 

 そこへ、丸みを帯びた黒い三本足の烏のキャラクターが、ぴょこぴょこと跳ねながら登場した。

 

『はーい! ヤタガラスに新しく仲間入りしたみーんな、こんにちはッピ!』

 

「……押しが強い語尾だな」

 

「可愛いじゃないですか!」

 

「最後まで視聴すれば、とても可愛いなどという感想では済まないと理解できるはずです」

 

『今日から君も、この日本を、そして世界を人知れず守る、カッコイイヒーローの一員だッピ!』

 

(三十五歳、しがない社畜。今日からカッコイイヒーローの一員に任命されるの巻)

 

『因果律改変能力者とか、脅威レベルとか、難しい言葉がいっぱいで、頭がこんがらがっちゃってるお友達も多いんじゃないかなッピ?』

 

「現在進行形でこんがらがってますね」

 

「私なんか、最初の説明の時点でもう限界でしたよ」

 

「そこはご自身の現状を素直に受け入れていてよろしいかと思います」

 

 かれんが容赦なく挟む。

 

 画面が切り替わり、巨大なピラミッド型の階層図が現れた。

 

 頂点には『Tier 0』、底辺には『Tier 6』という文字が刻まれている。

 

『数字が小さくなるほど、すごーい力を持ってるってことだッピ!』

 

「なるほど、数字が小さい方がランクが上なんですね」

 

「久我さん、誤解のないように最初に釘を刺しておきます」

 

 かれんが映像を一時停止し、鋭い声で言った。

 

「これは『危険度』および『社会に対する影響力』の分類です。能力者としての偉さや、人間の価値の上下を決めるものでは決してありません。あくまで我々が対応方針を決定し、支援体制や緊急時の優先順位を管理するための事務的な区分です」

 

「……会社の人事評価や、給与等級とは違うと」

 

「まったく違います」

 

「よかった、変なノルマを課されるわけじゃないなら安心しました」

 

 映像が再開され、画面が突然、壮大な宇宙空間のCGへと切り替わった。

 

 地球を背景に、重々しいテロップが浮かび上がる。

 

『Tier 0:規格外(アウト・オブ・スペック)』

 

 先ほどまでのポップなBGMが消え、荘厳なコーラスが響き渡る。

 

『世界のルールブックを、自分で勝手に書き換えられちゃう人たちのことだッピ!』

 

 アニメーションの中で、一人の人間が指を鳴らすと、重力が逆転してリンゴや自動車が空へ落ちていく。

 

 時間が逆再生され、太陽が西から昇る。

 

「……新人教育のビデオのくせに、急に世界滅亡クラスの話に飛躍したぞ」

 

「か、かれんさん。このTier 0の人たちって……本当に人間なんですか?」

 

 澪が引き攣った顔で尋ねる。

 

「戸籍上の分類は人間、あるいは人間由来の特殊体質者として扱われます。ただし、現場の運用上は『広域災害』、あるいは『神性』に近い対象として管理されていますね」

 

「管理って……そんな重力や時間をいじれる存在を、どうやって管理するんですか」

 

「完全にコントロールできるとは言っていません。あくまで観測し、不用意に刺激せず、万が一の際の被害を最小化するための分類です」

 

 映像の中で、ヤタッピが過去の事例として『託宣の巫女』という存在に触れた。

 

 日本にもかつて、Tier 0に分類される予知能力者がいたという。

 

 彼女の紡ぐ言葉は確実に災害を予見したが、ある日突然、未来を語るのをやめてしまったらしい。

 

「……予知能力ってだけで、Tier 0の規格外扱いなんですか?」

 

「予知にも段階があります。明日の降水確率を当てる程度の能力と、国家の命運や世界の因果を先取りし、結果的に『未来を改変する』に等しい影響を与える能力とでは、危険度の次元が違いますから」

 

 久我は絶句した。

 

(三百年を生きる吸血鬼協会の理事長だけでも十分にファンタジーだと思っていたのに、その遥か上には、世界の物理法則をねじ曲げる神様枠が実在しているのか。現代日本、掘れば掘るほど底が見えない)

 

 続いて、画面が水墨画のような荒々しいタッチに変化した。

 

『Tier 1:国家戦略級(ナショナル・エース)』

 

『神様じゃないけど、人間としては文句なしの最強! たった一人で一個軍隊を相手にできるくらい、規格外に強い人たちだッピ!』

 

 RPGのステータス画面のような演出が入り、全パラメーターがMAX、全スキルマスターというゲーム風のアニメーションが流れる。

 

 国家間のパワーバランスすら左右する存在だという。

 

「たった一人で一個軍隊って……」

 

「もうそれ、歩く大量破壊兵器じゃないですか」

 

「純粋な人間の出力の限界点ですね」

 

 ヤタッピが、具体的な例として『SAT-Gの仙道部隊長』や『自衛隊の鬼神』といった肩書きを読み上げる。

 

「知らない単語がまた一気に増えましたね」

 

「あの、SAT-Gってなんですか?」

 

「警察庁に実在する、対能力者用の特殊強襲部隊です。詳細な組織構造については、また別の講習で学んでいただきます」

 

「別講習」

 

「はい」

 

「講習を受け終わった先に、また別の講習が待っているのか」

 

「現代日本ですから」

 

 もはや様式美となったやり取りを交わしつつ、久我は映像に視線を戻した。

 

『Tier 2:特殊作戦級(スペシャル・オペレーション)』

 

 今度は、スパイ映画のようなスタイリッシュな映像に切り替わる。

 

『一人でも凄腕だけど、チームを組むともっと強い! 専門的でトリッキーな能力を持つエリートたちだッピ!』

 

 数秒だけの時間停止、あらゆる物理障壁をすり抜ける壁抜け、他人の嘘を特定の色として視覚化する能力、対象の記憶の表面だけを撫でるように改竄する技術。

 

「時間を止めるとか壁を抜けるとか、チームに一人いたら便利すぎません?」

 

「でも、一人で全部の状況を解決できるわけじゃないんですね」

 

「そこがTier 2の特性です」

 

 かれんが解説する。

 

「単独での純粋な破壊力や影響力ではTier 1に遠く及びませんが、極めて特殊な任務適性を持ち、他者との連携において真価を発揮する能力者たちです」

 

(……連携において真価を発揮する、か)

 

 久我は、自分が所属している御影坂高校の夜間警備班を思い出した。

 

 剣持が前衛で斬り込み、かれんが全体を指揮し、澪がその脚力で遊撃に回り、源さんが鉄球で守りを固める。そして、自分が魔眼で怪異の核を観測する。

 

 誰か一人が欠けても、あの暗い学校の安全は守れない。

 

 能力者とは、個人の力以上に『チームとしてどう機能するか』が重要なのだ。

 

『Tier 3:戦術級(タクティカル)』

 

 画面が、八咫烏の雑然としたオフィス風景へと変わった。

 

『ヤタガラスの実務を支える、現場で一番大事な人たちだッピ!』

 

 標準的な能力者。

 

 現場の最前線で動くエージェント。

 

 小規模な戦闘や怪異事案において、事態の収拾を左右する主力層。

 

「……これって、俺たちの夜間警備班の立ち位置に近いんですか?」

 

「御影坂の警備班は正規の部隊ではなく外部協力班ですが、役割と対応する事案のレベルとしては、Tier 3の現場対応に極めて近いです」

 

「じゃあ、私たちもTier 3ってことですか?」

 

「正式な評価は、個人の実績に基づいて個別に行われます。現時点で久我さんも澪さんも『新規覚醒者』の枠組みにいるため、安易にランクを断定することはしません」

 

「ランクを明確に突きつけられるのも、それはそれでプレッシャーで怖いんですけどね」

 

「能力者の中には、自身のティアの高さに酔いしれて傲慢になる者もいれば、逆に低く見積もられて自信を喪失する者もいます。どちらの精神状態も現場では死に直結します」

 

 かれんはタブレットを操作する手を止め、二人を強い視線で射抜いた。

 

「忘れないでください。ティアは自分を他人に誇るための称号ではありません。自分が現場で生き残り、同時に周囲の人間を守るための『客観的な自己評価データ』です」

 

「……会社の不透明な等級制度より、よっぽど命に直結していて健全ですね」

 

「比較対象の次元が違いすぎます」

 

 映像の中では、「あのKさんも最初はTier 3.5からのスタートだったッピ!」という補足が流れていた。

 

「さっきから名前だけ出てくるKさんって、有名な人なんですか?」

 

「八咫烏の内部では伝説的な存在です。ただし、詳細な情報は最高レベルの守秘義務に指定されているため、この教材で語られている範囲の事実だけを認識しておいてください」

 

「教材に名前が出てるのに、守秘義務が最高レベルって、情報管理の基準がバグってません?」

 

「新人教育用に開示を許可された範囲の事例です」

 

『Tier 4:潜在的脅威(ポテンシャル・リスク)』

 

 映像が、どこにでもある普通の街中の風景になった。

 

 スプーンを曲げて遊ぶ少年、感情の起伏で髪の色が変化する少女、洗濯物を干すために天気を少しだけ晴れに寄せる主婦。

 

『急に不思議な力に目覚めちゃった、ごく普通の素人能力者さんたちのことだッピ!』

 

 久我の表情が、少しだけ強張った。

 

「……これ、覚醒した直後の俺も、この分類に近かったんですか?」

 

「はい。吸血鬼型は一般的な因果律改変とは扱いが異なりますが、覚醒直後で自身の飢餓衝動を制御できない特殊体質者という意味合いでは、完全に『Tier 4』の管理対象でした」

 

「潜在的脅威……」

 

「言葉の響きが、ちょっと棘があって怖いですね……」

 

 澪が肩をすくめる。

 

「冷酷な言葉に聞こえるかもしれませんが、事実です。本人に悪意が全くなくても、力の使い方を知らない者が市街地に放たれれば、周囲の一般市民に甚大な被害をもたらす可能性があります」

 

 久我は、あのコンビニのレジで店員の指先の血に反応した自分の姿を思い出した。

 

 もし、あそこで皇かれんというストッパーがいなかったら。

 

 もし、協力病院で安全な血液パウチを与えられていなかったら。

 

(俺は、自分のことを理不尽な体質変化に巻き込まれた『被害者』だと思い込んでいた。だが、一歩間違えれば、俺は確実に誰かの日常を奪う『加害者』になっていたんだ)

 

 潜在的脅威。

 

 その言葉は重く、そして正しかった。

 

『Tier 5:原石(アンカット・ジェム)』

 

『まだ力には目覚めてないけど、将来すごーい才能を開花させるかもしれない人たちだッピ!』

 

 映像の中で、ヤタッピが麦わら帽子と虫取り網を持ち、キラキラと光る人型のシルエットを追いかけ回している。

 

「公式マスコットに、スカウト対象を虫取り網で追いかけ回させる演出はどうなんだ」

 

「なんだか、可愛いけどやってることが完全に企業の人材確保ですね」

 

「実際、能力者組織の維持において、未来のエース候補の早期発見は最重要課題ですから」

 

「急に人事部の生々しい悩みみたいなトーンになりましたね」

 

 全世界の人口の約0.01パーセント。

 

 センサーで因果律の揺らぎが検知できる未覚醒者。

 

「こういう人たちって、本人が望んでいなくても無理やりスカウトされたりするんですか?」

 

「原則として、本人の明確な意思確認と保護者への説明プロセスが必須です。ただし、放置すれば暴走を伴う危険な覚醒が予測される場合に限り、本人の安全確保を最優先して保護措置をとることがあります」

 

「私たちも、もっと早くそういうセンサーで見つかっていれば、あんなに怖い思いをしなくて済んだんですかね……」

 

「特殊体質型は事前の検知が非常に困難なケースが多いのです。だからこそ、覚醒してしまった直後の初期対応が生死を分けることになります」

 

 そして。

 

 映像の雰囲気が、ここで一変した。

 

 軽快だったBGMが静かにフェードアウトし、どこか温かみのある、穏やかなピアノの旋律が流れ始める。

 

 モニターに映し出されたのは、特別な能力者たちの戦いではない。

 

 駅の改札を抜ける雑踏。

 

 学校の教室で笑い合う生徒たち。

 

 オフィスでパソコンに向かう社員。

 

 公園でキャッチボールをする家族。

 

 コンビニでレジを打つ店員。

 

『Tier 6:可能性(ポテンシャル)』

 

 ヤタッピの声も、いつもの弾んだトーンから、少しだけ落ち着いた真摯な響きに変わった。

 

『Tier 6は、僕たちが「普通」と呼んでいる、すべての一般の人たちのことだッピ』

 

 久我は、思わず息を呑んでモニターを見つめた。

 

 そこには、彼が普段過ごしている『普通の日常』があった。

 

 後輩の佐藤がいて、総務の高橋がいて、課長が文句を言っている、あの何でもないオフィス。

 

 澪の通う学校。

 

 昼間に御影坂高校で授業を受けている、何百人もの普通の生徒たち。

 

『この世界を、本当に作っているのは、彼らなんだッピ』

 

 画面の端に、静かなテロップが浮かぶ。

 

『彼らは因果律を直接操作する異能は持たない。だが、彼らこそがこの世界そのものを形作り、物語を紡ぎ出す本当の主役である』

 

「……普通の人たちが、ピラミッドの一番下じゃないんですね」

 

 澪がぽつりとこぼした。

 

「ティアー・システムの概念図において、彼らは下層というよりも、すべてを根本から支える『基盤』です」

 

「基盤……」

 

『彼らの祈りや信仰が、奇跡の聖女を生み出す。彼らの平和を願う思いが、戦う英雄の力を支える。彼らが繰り返すありふれた日常が、神々をこの大地に正しく繋ぎ止める。……彼らの声援があるからこそ、神々の戦いはただの破壊ではなく、意味のあるショーへと昇華されるんだッピ』

 

「……急に宗教的な概念と、メタ的な解釈が混ざり合ってきましたね」

 

「実際に、一般市民の持つ集合的な無意識や信仰が、特定の能力現象の出力に影響を与えるケースは確認されています。詳細なメカニズムは上級講習の範囲ですが」

 

「また上級講習が待ち構えてる」

 

「今は難しく考えず、『普通の人々の認識と穏やかな日常が、この世界の物理的・精神的な安定に直結している』とだけ理解してください」

 

 久我の脳裏に、数日前の夜の学校の屋上で、かれんが語った言葉が蘇った。

 

『私たちが守っているのは、特別な英雄譚ではなく、人々が明日も普通の日常を繰り返せること。それ自体が目的です』

 

『君が、どのTierの能力者だとしても、一つだけ絶対に忘れないでほしいッピ! それは、君自身もまた、この美しい世界を構成する、かけがえのない一員だっていうことだッピ!』

 

 久我は、静かにモニターを見つめながら深く納得していた。

 

(……ああ、そうか)

 

(このティアー・システムという分類は、能力者の強さのランキングなんかじゃない)

 

(俺たちが強大な力を手に入れて傲慢になりそうな時、あるいは自分の力に怯えて潰れそうになった時。……俺たちが本来『何を守るべきなのか』、その対象を見失わないために作られた、道標としての地図なんだ)

 

『また会おうねッピ! バイバーイ!』

 

 ヤタッピが大きく手を振り、画面が暗転した。

 

『制作・著作 ヤタガラス』

 

 講習室に、静かな余韻が降り積もる。

 

「……思ったより、ちゃんと心に刺さる大事な講習でした」

 

「ヤタッピ、見た目はあんなに可愛いのに、中身はすごく重くて大切なこと言ってましたね……」

 

「そう言ったはずです。見た目の緩さに誤魔化されないようにと」

 

「最初の『~だッピ!』っていう語尾のパンチ力で、完全に油断してました」

 

「多くの新人が全く同じ感想を抱きます」

 

 感動も束の間、モニターの画面が無慈悲なテロップに切り替わった。

 

『これより理解度確認テストを開始します』

 

『合格基準:80点以上』

 

『※不合格の場合、オリエンテーション映像の再視聴となります』

 

「……再視聴」

 

「嫌です! ヤタッピは可愛いですけど、また最初からあの宇宙の映像を見るのは長すぎます!」

 

「では、お二人とも一発合格を目指して頑張ってください。制限時間は十五分です」

 

 かれんが手元の端末を操作すると、机の上のタブレットにテスト画面が表示された。

 

 久我はネクタイを少し緩め、画面と向き合った。

 

【Q1.ティアー・システムの主な目的として最も適切なものを選べ。】

 

A.能力者の社会的な偉さを決めるため

 

B.支援・管理・現場対応の基準を組織内で共有するため

 

C.強い能力者を表彰し、ボーナスを与えるため

 

D.ヤタッピの可愛さを世間に広めるため

 

「……Dがしれっと紛れ込んでるんですが」

 

「でもヤタッピ、本当に可愛かったですよ」

 

「正解はBです。無駄口を叩いていないで進めてください」

 

「分かってますよ」

 

【Q2.Tier 6の一般市民に対する、能力者としての正しい姿勢はどれか。】

 

A.能力を持たない弱者なので、軽視してよい

 

B.自分たち能力者の活動の邪魔にさえならなければよい

 

C.社会の土台であり、絶対的な保護と尊重の対象である

 

D.将来覚醒しそうな見込みのある人間だけを優先して守る

 

 澪が迷わずCをタップする。

 

 久我も当然のようにCを選択した。

 

【Q3.自身のティアが上位であると判定された場合、取るべき正しい行動はどれか。】

 

A.一般人や下位の能力者に対して優越感を示す

 

B.指揮系統とルールに従い、自身の能力を適切に管理する

 

C.SNSで自身のランクを自慢し、インフルエンサーになる

 

D.自分は強いので、八咫烏の講習は受けなくてよい

 

「……CとかDを選ぶようなやつ、現実にいそうで嫌になりますね」

 

「実際にいるからこそ、こうしてテストの設問にして啓発しているのです」

 

「本当にいるんだ……」

 

【Q4.未確認の怪異を発見した際、最優先すべき行動はどれか。】

 

A.動画を撮って動画共有サイトに投稿する

 

B.単独で倒して、組織内での実績を作る

 

C.一般人を遠ざけ、本部に状況を報告し、指示を待つ

 

D.ヤタッピに祈りを捧げる

 

「……D、ちょっとだけ選びたくなりますね」

 

「祈っても現場にヤタッピは駆けつけてきません」

 

「公式マスコットなのに、信仰の対象にはならないんですね」

 

【Q5.吸血鬼型登録者が海外渡航を行う場合、事前に確認すべき事項として不適切なものを選べ。】

 

A.渡航先における血液製剤の持ち込み規制ルール

 

B.現地協会の緊急連絡先および八咫烏の提携窓口

 

C.現地における吸血鬼ハンターの活動リスクの有無

 

D.現地で新鮮な人間の血を自己調達するための裏ルート

 

「……Dが圧倒的にアウトすぎる」

 

「これ、絶対に選んじゃダメなやつですよね!?」

 

「当然です。選んだ瞬間に別室送りです」

 

 数分後。

 

 自動採点の結果が画面に表示された。

 

『久我陽介:96点』

 

『七瀬澪:84点』

 

「やった、合格ですっ!」

 

「意外とギリギリでしたね、澪さん」

 

「……途中の問題で、ヤタッピの可愛さに惑わされてDを押しちゃいました」

 

「設問をちゃんと読んでください」

 

 かれんが冷たく言い放つ。

 

「まあ、俺もヤタッピ関連の選択肢の誘惑に何度か負けそうになりましたけどね」

 

「教育効果を高め、受講者を飽きさせないための意図的な緩急の設計です」

 

「本当にそう思って設計してるなら、作った人のセンスを疑いますよ」

 

 テスト終了後、かれんが教壇の前に立ち、総括の補足説明を始めた。

 

「お疲れ様でした。今日、お二人にどうしても覚えて帰ってほしいことは三つだけです」

 

 彼女は三本の指を立てた。

 

「一つ目。ティアーは能力者の『価値』を決めるものではありません。数字が高いから偉いわけでも、低いから無価値なわけでもない。

 

 二つ目。ティアーは、現場で皆さんが『死なないための情報』です。誰を前に出すか、誰を避難させるか、どの機関へ応援を要請するか。それを迅速に判断するための命綱です。

 

 そして、三つ目。……私たちが最終的に守らなければならないのは、Tier 6の、ごく普通の人々の生活です」

 

 その言葉は、久我と澪の心に真っ直ぐに届いた。

 

「久我さんが会社で守りたいと願う日常も、澪さんが学校で友達と過ごす日常も、そのほとんどはTier 6の人々の営みによって成り立っています。……能力者は、決してその上に君臨する支配者ではありません。彼らの日常を下から支える側の存在です」

 

「吸血鬼協会の理事長が言っていた『共生』と、八咫烏の『一般人保護』は、目指す方向性としては同じなんですね」

 

「はい」

 

「普通の人たちを守るために、普通じゃなくなってしまった私たちが動く……ってことですね」

 

「そうです」

 

「なんか、それって言葉にするとちょっとヒーローみたいで格好いいですね」

 

「実際の実務においては、膨大な報告書の作成と、面倒な講習の受講、そして煩雑な経費精算の手続きが伴いますが」

 

「お願いだから、いい感じの余韻を急な現実でぶち壊さないでください」

 

 帰り際、久我はふと気になっていたことを尋ねた。

 

「ちなみに、俺や澪さんは今、八咫烏の基準だとどのTierに該当するんですか?」

 

「正式な評価は、まだ保留状態です」

 

「保留」

 

「新規覚醒者は、能力の出力の安定度、制御訓練の進捗、実戦での経験値、精神状態、そして社会への適応状況などを数ヶ月かけて総合的に判断します。久我さんは魔眼の観測性能こそ特殊ですが、戦闘の基礎技能はまだ素人レベルです。澪さんも身体能力は高いですが、未成年であり覚醒から日が浅い」

 

「要するに、二人ともまだランク付けする以前のペーペーの新人ってことですね」

 

「はい。現場での仮の運用上は、お二人とも『保護および訓練対象』として扱われています」

 

「保護対象……」

 

 澪が少し口を尖らせる。

 

「いつまでも初心者マークが取れないわけだ」

 

「焦る必要はありません。むしろ、自分の力を過大評価しないことの方が何倍も大事です」

 

 久我は、鳥カゴで普通のおじさんに格闘技で完璧に制圧された痛みを思い出した。

 

「……普通のおじさんに手も足も出ずに負けた経験があるので、自分の実力を過大評価する心配は当分ありませんよ」

 

「それは、非常に良い実戦経験でしたね」

 

「良い経験というには、翌日までの肉体的なダメージと筋肉痛が大きすぎましたけどね」

 

       *

 

 講習を終え、タブレットの画面に修了証が表示された。

 

『受講完了:はじめてのティアー・システム! 久我陽介/七瀬澪』

 

 画面の端には、ご丁寧にヤタッピの『よくできたッピ!』というスタンプが押されている。

 

「修了証までヤタッピなんですね」

 

「でも、ちょっとだけ嬉しいです」

 

「次回以降、また別の必須講習が予定されていますので、スケジュールの確保をお願いします」

 

「……やっぱり、まだあるんですね」

 

「特殊体質者の法的権利と義務、怪異遭遇時の初動マニュアル、協力病院の利用規定、異界ダンジョンの入退場ルール、海外渡航時の注意事項、情報秘匿のコンプライアンス等々」

 

「講習のラインナップのティアーが高すぎる」

 

「私、学校の授業よりも八咫烏の授業を受けてる時間の方が増えそうです……」

 

「どちらも大事な勉学です。頑張ってください」

 

 センターの自動ドアを抜け、外に出る。

 

 すっかり夜の闇に包まれた街を、心地よい夜風が吹き抜けていく。

 

 久我と澪は、駅へ向かって並んで歩き出した。

 

「陽介さん。……今日、Tier 6の話が聞けて、ちょっと良かったです」

 

「俺もです」

 

「普通の人たちが、ピラミッドの一番下で踏みつけられてるんじゃなくて、全部を支えてる『土台』なんだって分かって。……私も、学校のクラスの友達の顔を思い出しました」

 

「そうですね。俺も、会社の佐藤や高橋さんたちの顔が浮かびましたよ」

 

 久我は、夜空を見上げてふっと息を吐いた。

 

「俺たちは、その『普通』の上に立って威張るんじゃなくて、その普通を下から支える側の人間になったんでしょうね」

 

「吸血鬼なのに、縁の下の力持ちですね」

 

「吸血鬼なのに、休日にわざわざ行政のビデオ講習を受けさせられる、涙ぐましい縁の下の力持ちですけどね」

 

 久我の冗談に、澪がくすくすと声を上げて笑った。

 

 帰宅後。

 

 久我はリビングのテーブルに、明日の仕事で使う会社用のビジネス鞄と、今日八咫烏から渡された講習のレジュメ資料を並べて置いた。

 

 片方は、ただのしがない会社員の現実。

 

 片方は、国家機密に関わる極秘の異能資料。

 

 まったく交わるはずのない二つの世界が、今の久我の日常を構成している。

 

(……俺はもう、ただの普通の会社員ではない。でも、会社員であることをやめたわけでもない)

 

 吸血鬼としての力を持ち、八咫烏の講習を受け、夜の学校で怪異を狩る。

 

 それでも、自分が本当に守りたいものの中心には、佐藤や高橋さん、そして澪の学校の友達のような、ごく『普通の人たちの何気ない日常』があるのだ。

 

 こうして久我陽介は、極秘文書と公式マスコットの激しい温度差に頭を抱えながらも、普通の人々の生活を守るための第一歩として、無事にヤタッピ講習を修了したのだった。

 




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