35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜 作:パラレル・ゲーマー
「吸血鬼になっていますよ?」
その言葉が、徹夜明けで機能不全を起こしかけている久我陽介の脳内に吸い込まれ、理解というフィルターを通過できずにぐるぐると空回りした。
眼前に立つ女子高生は、冗談を言っているようには見えなかった。一切の笑みを含まない、硝子玉のように透徹した瞳が久我を射抜いている。
――吸血鬼?
三十五歳、独身の会社員に対して投げかけられる言葉としては、あまりにも現実離れしすぎている。
久我の社会人としての防衛本能が、咄嗟にいくつかの可能性を弾き出した。
新手のキャッチセールスか、新興宗教の勧誘。あるいは動画サイトのドッキリ企画。そうでなければ、この少女自身がひどく思い込みの激しい中二病的な何かを患っているのか。
しかし、そのどれもがしっくりこない。
何より、久我自身がさっきレジ前で店員の「血」に対して抱いてしまった、あの底知れぬ飢餓感と甘美な衝動が、少女の言葉をただの戯言だと一蹴することを許さなかった。
「……病院に、行った方がいいんでしょうか」
自分でも何を言っているのか分からなかった。だが、限界を迎えた身体と異常な感覚を前に、捻り出せたのはそんな情けないSOSだけだった。
少女は久我の混乱を冷徹に見透かした上で、小さく首を横に振った。
「ここでは落ち着いて話せません。店員も怪我をしていますし、もうすぐ通勤客で混み合う時間帯になります。近くに二十四時間営業の店がありますから、そちらへ移動しましょう」
有無を言わさぬ誘導だった。
しかし久我は、ふらつく足を踏ん張り、どうにか理性を総動員して抵抗を試みた。
「いや、ちょっと待ってくれ。いくらなんでも、朝の六時前に俺みたいな疲れたおっさんが、君みたいな女子高生と連れ立って飲食店に入るのは……社会的にかなり危ない絵面なんだけど」
通報されかねない。会社の近くでそんなリスクは負えない。
だが、少女は表情ひとつ変えずに即答した。
「世間体や社会的立場の心配ですか? 残念ですが、今この瞬間、本当に危険な状態にあるのは間違いなく貴方ご自身の身体です。万が一ここで『衝動』が暴走すれば、社会的に危ないどころでは済まなくなりますよ」
冷や水を浴びせられたような感覚だった。
久我は、先ほどの自分の異常な渇きを思い出し、言葉に詰まる。
少女の言う通りだ。今の自分は、社会の常識という薄氷の上で、かろうじて人の形を保っているだけの危うい状態なのかもしれない。
*
連れてこられたのは、大通りに面した二十四時間営業のファミリーレストランだった。
店内には、夜勤明けと思しき作業着姿の男たちや、始発を待つ若者のグループ、コーヒーカップを前に新聞を広げる老人がまばらに座っている程度で、静かなものだった。
しかし久我にとって、そこは決して居心地の良い空間ではなかった。
頭上から降り注ぐ蛍光灯の明かりが、網膜をチリチリと焼くように眩しい。ドリンクバーから漂うコーヒーの香りも、厨房から漏れてくるベーコンを焼く油の匂いも、今の久我には胃を逆撫でする悪臭でしかなかった。手元のグラスの冷水を一気に飲み干しても、喉の奥に張り付いたような奇妙な渇きは一向に癒えない。
対面のボックス席に座った少女は、久我のそんな不調など気にも留めない様子で、平然とメニュー表を脇に避けた。彼女が選んだのは、フロアの最奥、壁を背にして店内全体を見渡せる死角のない席だった。
(……この子、あからさまにこういう事態に慣れてるな)
ただの親切な学生ではない。久我は薄れゆく意識の中で、彼女が纏うプロフェッショナルな空気を察知していた。
「順番が前後しましたが、お名前を伺ってもよろしいですか?」
少女が、制服のポケットから黒いスマートフォンのような小型端末を取り出しながら尋ねてきた。
「……久我、陽介。三十五歳、会社員です」
年齢と職業を付け加えたのは、自分がまだ「あちら側」の人間ではなく、こちらの現実社会に属する真っ当な人間であると、自分自身に言い聞かせるための無意識の抵抗だった。
少女は端末の画面をスワイプしながら、淡々と名乗り返す。
「皇かれん、と申します」
すめらぎ、かれん。
どこか浮世離れした、それでいてやけに重みのある響きに久我は一瞬だけ引っかかったが、今はそれどころではない。
かれんは手元の端末で何かの入力フォームを開き、久我の方へ向き直った。
「……これ、何の面談なんですか?」
「聞き取り調査です。貴方の現状を正確に把握するための」
事務的な返答。それはオカルトやホラーの文脈ではなく、完全に医療機関や役所の窓口で行われる「問診」の空気だった。
「では、まず体調の異変を感じ始めたのはいつ頃からですか?」
かれんの質問は、的確かつ無駄がなかった。
「……ここ数週間、ですかね。最初はただの寝不足だと思ってました。昼間は異様にだるくて、でも夜になると妙に調子が良くなって……」
「日中の不調について、具体的に教えてください」
「朝日が、やけに目に刺さるように痛いんです。肌もチリチリと焼けるような感じがして……日中は頭に靄がかかったみたいに回らなくて、会議中もずっと身体が重いというか……」
かれんは手元の端末に素早く文字を打ち込んでいく。その表情に驚きはない。むしろ、想定されたチェックリストの項目を埋めているような手際だ。
「夜間の状態はどうですか? 調子が良いというのは、どの程度?」
「夜が深まるにつれて、完全に眠気が消えるんです。頭が不気味なほど冴えて、仕事が異様に進む。細かい数字のズレも一瞬で見抜けるし、遠くの音まで拾えるような気がして……気がついたら、三日連続で朝の五時まで働けてしまったんです」
その言葉を聞いた瞬間、かれんの手がピタリと止まった。
彼女は端末から視線を上げ、久我の疲れ切った顔をじっと見つめた。その眼差しには、冷徹さとは別の、微かな呆れの色が混じっていた。
「……なるほど。吸血鬼として覚醒したことによる夜間適性と身体能力の向上を、すべて『みなし残業』のタスク処理に消費していたわけですね」
(……言い方)
久我は内心で鋭くツッコんだ。だが、反論はできない。実際、深夜のオフィスで無双状態になっていたのは事実なのだ。ただの有能なサラリーマンに脱皮したのだと勘違いして、会社の炎上案件を一人で片付けていた自分がひどく滑稽に思えてきた。
「食事の面はどうですか? 味覚の変化は」
気を取り直したように、かれんが次の質問に移る。
「最近、普通の食事がまるで味気ないんです。砂を噛んでるみたいで……コーヒーやエナジードリンクの匂いも気持ち悪くて。さっきコンビニで弁当を見ても、まったく食欲が湧きませんでした。でも……腹は減ってるというか、空腹感はずっとあるんです」
かれんは小さく頷き、そして、少しだけ声を潜めた。
「……最後に。血液の匂いに、反応しましたね?」
確信を突く問いだった。
久我は思わず目を逸らした。さっきのコンビニのレジ。店員の指先から滲んだ数滴の血。それを見た瞬間に湧き上がった、狂おしいほどの渇望。
認めたくなかった。だが、目の前の少女は嘘を許すような相手ではない。
「……はい」
久我は観念して、重い口を開いた。
「店員が段ボールで指を切ったのを見た瞬間……その、あろうことか、それがすごく……美味しそうだと、感じてしまって。一歩、自分から近づきそうになりました」
言い終えた後、久我は両手で顔を覆った。自分が化け物になってしまったことを、自らの口で証明してしまったような気がした。
「聞き取りは以上です」
かれんは端末の画面をタップして保存を完了させると、真っ直ぐに久我を見据えた。
「結論から申し上げます。久我陽介さん、貴方は『自覚なしの新規覚醒吸血鬼』です」
確定申告の不備を指摘するような、あまりにも事務的な宣告だった。
「……吸血鬼って、あの、映画とかに出てくる十字架やニンニクに弱い、あの吸血鬼ですか?」
「フィクションと現実を混同しないでください。現代における吸血鬼とは、オカルト的な怪物ではなく、特定の『吸血因子』が発現した能力者の分類の一つに過ぎません。夜間に活動適性が跳ね上がり、日光への耐性が著しく低下し、そして……人間の血液に対する不可逆的な渇望が生じる。それだけです。本人が自覚しないまま、ある日突然覚醒するケースも少なくありません」
久我は虚空を見つめた。
(なんだそれ。怪物になったというより、役所の書類上の分類が変わったみたいな言い方じゃないか……)
だが、オカルト的な恐怖よりも、能力者という現実的な枠組みで説明された方が、三十五歳の会社員としては奇妙な納得感があった。
「じゃあ……病気みたいなものなら、やっぱり一度ちゃんとした病院に行って、精密検査を受けた方がいいんじゃないですか? 点滴でも打ってもらえれば……」
すがるような久我の提案を、かれんはピシャリと撥ね退けた。
「一番やってはいけないことです。絶対に普通の病院には行かないでください」
「なぜです?」
「血液検査をすれば、人間の基準では到底説明のつかない異常値が叩き出されます。病院側はそれを未知の感染症や重篤な疾患として扱い、データが公的な医療記録に残ってしまう。結果として、隔離や余計な通報を招き、貴方の現在の生活基盤は完全に崩壊します」
かれんはさらに言葉を重ねる。
「当然ですが、会社の定期的な健康診断や人間ドックでも引っかかります。産業医の面談どころの騒ぎではありませんよ」
サァーッ、と。
久我の顔面から、最後の一滴まで血の気が引いていくのが分かった。
健康診断で異常値。会社への報告。精密検査の強要。
吸血鬼というファンタジーの恐怖を、労務管理という圧倒的な現実の恐怖が軽々と凌駕した瞬間だった。
「……このまま秋の健康診断を受けたら、俺、どうなるんですか?」
「最悪の事態になるでしょうね」
かれんは一切の慈悲もなく断言した。
「だから、普通の病院ではなく、先に専門の窓口へ行く必要があるんです。付き添いますから、今から役所に行きましょう」
「…………はい?」
久我の思考が完全にフリーズした。
吸血鬼。血液の渇望。異能の覚醒。
そこまで非日常の単語を並べておいて、着地点が「役所」なのか。
「吸血鬼って……役所で手続きするものなんですか?」
呆然と聞き返す久我に対し、かれんは微塵も揺るがない表情で答えた。
「現代日本ですから」
法治国家の重みを感じさせる、完璧な一言だった。
「……現代日本で能力者として生活していくには、行政への正式な登録が不可欠です。登録さえ済ませれば、最低限の支援と管理を受けることができますし、吸血鬼が生きていくために必要な『血液供給』の手続きもそこに紐づいています。逆に言えば、未登録のまま衝動に負けて暴走すれば、貴方は保護対象ではなく『危険対象』として処理されることになります」
事もなげに語るかれんを見て、久我は改めて悟った。
この子は、ただ通りすがりに声をかけてきた怪しい女子高生ではない。今のこの理解不能な状況下において、自分を安全なルートへと導くことができる唯一の案内人であり、完全な「あちら側のプロ」なのだ。
「……なぜ、君がそこまでしてくれるんです?」
警戒ではなく、純粋な疑問として久我は尋ねた。
「私は発見者です。自覚のない新規の吸血鬼を、この状態で一人で放置して帰すわけにはいきません。それに、専門窓口への案内人がいた方が、書類の処理も早いですから」
それ以上の所属や目的については、彼女は語らなかった。
かれんは手元の端末をしまい、久我に向かって事務的に問いかけた。
「ところで、久我さんのこの後のご予定は?」
「予定も何も……三日連続で徹夜して、朝日を浴びて死にかけてるんです。家に帰って、泥のように寝ようと思ってましたけど」
社会人としてのささやかな、そして何よりも切実な願望だった。
だが、かれんは容赦なく宣告する。
「そうですか。では、その予定はキャンセルしてください。このまま役所に行きます」
三十五歳、社畜。ようやく手に入れた休日未満の睡眠スケジュールが、女子高生の一言であっさりと白紙にされた。
「いや、少しは休ませてくれても……」
「今の貴方は、血液への渇望が出始めている非常に不安定な状態です。一人で帰路につかせれば、通勤ラッシュの波に飲まれて誰かを襲いかねません。それに、寝ている間に症状が急激に悪化する可能性もありますし、目覚めた後にパニックを起こして普通の病院へ駆け込まれても困ります。会社やご家族に不用意な連絡を入れる前に、まずは登録を済ませるのが最優先です」
反論の余地がない、完璧な正論のフルコースだった。久我はぐうの音も出ず、ただ重いため息を吐くことしかできない。
「……その、役所って、どこにあるんですか?」
「『通称・八咫烏(やたがらす)』です」
「……役所の名前としては、少しばかり不穏すぎませんか?」
「正式名称は無駄に長いので、今はそれで覚えておいてください」
かれんは久我のツッコミを涼しい顔で受け流し、さらに追撃をかける。
「役所での登録が終わったら、帰りに協力病院へ寄って『輸血パック』も受け取りましょう」
「輸血パックって……点滴みたいに、腕から入れるやつですか?」
「いいえ。貴方の場合は、封を切ってそのまま飲むものです」
飲む。
その生々しい響きに、久我は自分の置かれた状況の異常さを改めて突きつけられた。自分は本当に、血を啜らなければ生きていけない存在になってしまったのだ。
かれんが、静かに席を立った。
有無を言わさぬその行動に促され、久我もまた、鉛のように重い三日連続徹夜明けの身体を無理やり奮い立たせて立ち上がる。
本来であれば、今頃は薄暗い自室のベッドに倒れ込み、泥のような眠りについていたはずだった。
それが今から、吸血鬼としての身分を証明するために役所へ行き、帰りに血の入ったパックを貰いに病院へ行くことになっている。
「寝る前に、役所と病院か……」
現実味の欠落したスケジュールに、久我はたまらず頭を抱えた。
そんな久我の嘆きを一顧だにせず、かれんは伝票を手に取り、冷徹なまでの事実を再び口にした。
「行きましょう。現代日本ですから」
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