35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜   作:パラレル・ゲーマー

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第23話 吸血鬼、透明人間が壁を抜けるとは聞いていない

 閉店後の中古家電買取店。

 

 薄暗い非常灯だけが照らす静寂の中、見えない逃走劇が始まっていた。

 

「裏口へ向かっています! 現在、棚の右側!」

 

 久我陽介は、遮光グラスの奥で明滅する魔眼の視界を頼りに叫んだ。

 

 肉眼では捉えられず、警察が用意した熱源センサーにも曖昧な反応しか出ない透明な青年・御子柴。

 

 だが、久我の目には、暗闇の中を高速で移動する『温かい血流の塊』が、はっきりと映し出されていた。

 

「宮下、捕縛!」

 

 榊原警部補の鋭い声が響く。

 

 隣に控えていた宮下巡査部長が、八咫烏から貸与された特殊ネット射出器の銃口を、久我が指し示す方向へと向ける。

 

「三メートル、二メートル……今です!」

 

 久我のカウントダウンに合わせて、宮下が迷いなく引き金を引いた。

 

 ボフッ、という圧縮空気の破裂音とともに、強靱な特殊繊維で編まれたネットが空中で扇状に広がる。

 

 そして、何もない空間――まさに御子柴が走り抜けようとしていたその地点で、ネットが透明な人型に盛り上がり、床へ派手に倒れ込んだ。

 

「命中!」

 

 宮下が声を上げ、榊原が即座に拘束具を手に間合いを詰める。

 

 久我も一瞬、これで決まったと安堵の息を吐きかけた。

 

 しかし。

 

 魔眼が捉えていた御子柴の心拍が、突如として警報音のように激しく跳ね上がった。

 

 透明な血流の周囲に、空間を歪めるような不自然な魔力が急速に収束していくのが見える。

 

「待ってください! 何か使います!」

 

 久我が叫んだ次の瞬間。

 

 床でもがいていたはずの『血流』が、プツリと完全に消失した。

 

 パサリ、と重力を取り戻した特殊ネットが、中身を失って虚しく床へ落ちる。

 

「抜けた!?」

 

 宮下が信じられないものを見るように声を上げる。

 

「全員、接触警戒!」

 

 榊原が即座に盾を構え直した直後。

 

 閉ざされたままの頑丈な金属製の裏口――そのさらに向こう側で、消えたはずの血流が唐突に再出現した。

 

 鍵を壊す音も、扉が開く気配もない。

 

「扉の向こうです! 壁を抜けました!」

 

 久我の報告に、榊原は顔色一つ変えず、肩の無線機へ手を伸ばした。

 

「外周班、対象が裏口を通過! 姿は透明、足音なし! 未知の透過能力の可能性あり!」

 

 警察の対応は迅速だった。

 

 最初の捕縛作戦が未知の能力によって破られても、誰も狼狽えることなく、ただ淡々と次の段階へと移行していく。

 

       *

 

 裏口の向こう側の搬入スペースへ転がり出た御子柴の姿が、ほんの一瞬、一秒にも満たない時間だけ、砂嵐のようなノイズとともに空間へ浮かび上がった。

 

 黒いパーカーを着た、焦燥に顔を歪める青年の姿。

 

「ふざけんな……! 透明なのに、なんで俺の場所が分かるんだよ!」

 

 吐き捨てるような声が夜気に溶け、再びその姿は完全な透明へと戻る。

 

 店内から裏口を開け、榊原を先頭に宮下と久我が外へ飛び出した。

 

 榊原は盾を構えたまま、背後の久我へ冷静に問いかける。

 

「久我さん。今の能力は、対象の『透明化』とは別のものですか?」

 

「別だと思います。発動した瞬間、体温も血流も完全に消え失せました。透明になったというより、一時的にこの空間から外れた……あるいは、位相がずれたように見えました」

 

「位相移動か、短時間の物質透過ですね」

 

 宮下が言う。

 

「おそらく。ただ、完全に消えていたのは一、二秒程度です」

 

「八咫烏から提供された確認済み能力の一覧にはありませんでしたね」

 

「はい。完全に隠し玉です」

 

 榊原は迷わず外周班へ無線を飛ばす。

 

「対象に未知の物質透過能力あり。直接拘束は一時中止。全員、単独で接触するな。外周の封鎖を維持し、こちらからの位置情報を待て」

 

(……事前情報があっても、それが全能力とは限らない)

 

 久我は、夜間警備の控室で剣持から言われた言葉を痛感していた。

 

 透明化や消音だけなら、まだ対応のしようがあった。

 

 だが、『壁をすり抜ける』という物理法則を無視した手段を使われると、一気に捕縛の難易度が跳ね上がる。

 

       *

 

 再び店内の特殊ネットが落ちていた場所へ視線を戻すと、床には御子柴が逃走直前にガラスケースから掴み取っていた高額なスマートフォンが二台、転がっていた。

 

「榊原さん。御子柴は、手に持っていたスマートフォンを置いていっています」

 

「落としたのではなく、能力の適用外だった可能性は?」

 

「高いと思います。透明化の時は手に持った物も一緒に消えていましたが、今の壁抜けでは、自分の身体と着ている衣服しか対象にできなかったのかもしれません」

 

「なるほど。それなら、盗品を持ったまま壁を抜けられるわけではない。完全に逃走用の能力ですね」

 

 宮下が頷く。

 

「拘束具そのものは抜けられても、大型の装備や荷物を持っては移動できない。記録しておきましょう」

 

 警察官たちは、失敗した事実を引きずるのではなく、そこから得られた敵の『制限』を冷静に拾い上げていく。

 

 久我もまた、自身の社会人としての情報整理能力をフル回転させていた。

 

(発動直前に心拍が急上昇した。魔力が収束し、血流と熱が完全に消失。消失時間はごく僅か。金属製の扉は抜けたが、手に持った物は落とした……)

 

 まだ分からないことは多い。

 

 連続使用は可能なのか。

 

 分厚いコンクリートの壁も抜けられるのか。

 

 そして何より、あの透過状態のまま、こちらを攻撃することはできるのか。

 

       *

 

 店舗の裏手は、商品の搬入用に使われる細長い通路と駐車スペースになっていた。

 

 片側は窓のない店舗の外壁。

 

 反対側は高い金網のフェンス。

 

 奥には配送用のトラックが停まり、ごみの保管庫が設置されている。

 

 警察は事前にこの周辺を完全に封鎖しており、御子柴がすぐに一般道へ出られるような配置にはなっていなかった。

 

 外周の警察官たちが投光器で路地を照らし、熱源センサーを向ける。

 

 しかし、暖まった配送車のエンジンや室外機、店舗設備から漏れる熱が無数のノイズとなり、人間一人分の輪郭を正確に切り分けることができない。

 

 足音も、御子柴の消音能力によって完全に消されている。

 

 頼りになるのは、久我の魔眼だけだった。

 

「左の壁際! 配送車の後ろへ移動しています!」

 

 久我の指示に従い、警察官たちがじりじりと包囲の輪を狭めていく。

 

 しかし、誰も直接飛びかかろうとはしない。

 

 未知の壁抜け能力がいつ再使用されるか分からない以上、不用意な接近は相手に逃げ道を与えるだけだと理解しているからだ。

 

 盾と特殊ネットを構え、じわじわと追い詰める。

 

 見えない御子柴は、自分の位置が筒抜けになっていることに苛立ちを隠せなかった。

 

「なんなんだよ、あのおっさん! なんで俺の居場所がずっと見えてるんだよ!」

 

 透明な空間から、焦りに満ちた声が響く。

 

「逃げても状況は悪くなるだけです! 透明化を解除して、投降してください!」

 

 久我が説得を試みるが、

 

「黙れ! 俺は何も見えてないんだぞ! どうせ証拠なんか出せねえだろ!」

 

 と、子供じみた反発が返ってくる。

 

「御子柴翔太! すでに逮捕状が出ている! 抵抗せず、その場で両手を上げろ!」

 

 榊原の鋭い警告。

 

「俺の姿も見えねえくせに、偉そうに!」

 

「俺には見えていますよ!」

 

「だから、なんでだよ!」

 

       *

 

 宮下が、御子柴の逃走経路を塞ぐように、粘着性の特殊捕縛帯を床へ展開した。

 

 左右からは、盾を持った警察官が迫る。

 

 透明な御子柴は、高い金網フェンスと警察官の間に完全に追い込まれた。

 

 その時、再び御子柴の心拍が跳ね上がった。

 

「また使います!」

 

 久我が叫ぶと同時。

 

 御子柴の血流が消失し、彼はそのまま背後の金網フェンスをすり抜けた。

 

 フェンスの向こう側へ再出現した瞬間、再び透明化が揺らぎ、姿が一瞬だけ視認できる。

 

 外周で待機していた警察官が、すかさず特殊ネットを撃ち込んだ。

 

 だが、御子柴は再出現の勢いをそのまま活かして地面を転がり、ネットをぎりぎりで回避。

 

 再び完全に姿を消し、隣接する細い路地へと逃げ込んでしまった。

 

「二度目!」

 

 宮下が悔しそうに声を上げる。

 

 しかし久我は、腕時計の秒針と、自身の体内感覚をすり合わせていた。

 

 最初の裏口での使用から、今まで。

 

「榊原さん。今の能力、すぐには連続使用できません。最初と二度目の間隔は、約二十秒です。正確には十九秒ほどでした」

 

「確実ですか?」

 

「まだ二回だけなので断定はできません。ただ、最初の使用直後、彼はすぐにフェンスを抜けず、二十秒近く逃げ回っていました。フェンスを抜けた直後も、かなり荒い呼吸をしています。位相がずれている間は呼吸ができないか、あるいは発動自体にかなりの体力を消費するはずです」

 

 宮下が真剣な顔で頷く。

 

「再使用までの待機時間――クールタイムがあると仮定して動きましょう」

 

「全員へ通達」

 

 榊原が即座に無線を入れる。

 

「対象が透過能力を使用した直後の二十秒間を、最大の捕縛機会とする」

 

       *

 

 路地を逃げながら、御子柴は焦燥に駆られていた。

 

(あのおっさんをどうにかしないと、一生逃げ切れない……!)

 

 御子柴は進行方向を急反転させ、透明化と消音を維持したまま、包囲網の隙間を縫って久我の背後へと回り込んだ。

 

 だが、久我の魔眼は、その血流の動きを完全に捉え続けている。

 

 ただ、野良吸血鬼と戦った時とは勝手が違った。

 

 表情が見えない。

 

 視線がどこを向いているか分からない。

 

 筋肉の細かな収縮の兆候すら見えない。

 

 見えるのは、血流の集まりと、体温の分布、そして重心の移動だけだ。

 

(……来る)

 

 久我は、ごく短く『内在時間』を起動した。

 

 ズン、と周囲の世界の動きが引き延ばされる。

 

 透明な右肩付近の血流が、急速に前腕へと集中していくのが見える。

 

 拳を握り込み、踏み込んだ足がコンクリートの路面へ圧力をかける。

 

 久我は、その軌道を読んで半歩だけ身体を横へ逃がした。

 

 透明な拳が、久我の頬を風圧とともに僅かにかすめていく。

 

「避けた!?」

 

 見えない空間から、御子柴の驚愕の声が漏れる。

 

「殴ろうとする時の、身体の連動までは消せないようですね」

 

 御子柴は苛立ちに任せて、続けて重い回し蹴りを放ってきた。

 

 久我はそれを腕で受け止めるが、身体能力強化が乗った蹴りの衝撃は重く、ざっと数歩後退させられる。

 

 吸血鬼ほどの力はないが、一般人よりは遥かに強く、何より『見えない状態』からの攻撃は、それだけで脅威だ。

 

 だが、久我は反撃のナイフを抜かない。

 

 自分の役目は彼を倒すことではなく、警察が捕まえられる隙を作ることだ。

 

「俺のところです! 正面、距離一メートル!」

 

 久我の指示を受け、宮下が伸縮式の捕縛棒を繰り出し、御子柴の足元を薙ぎ払う。

 

 御子柴は慌てて飛び退き、そこへ榊原が盾を突き出して逃げ道を塞ぐ。

 

 警察官と久我の連携により、御子柴の行動範囲が再び狭められていく。

 

       *

 

 追い詰められた御子柴。

 

 正面には宮下。

 

 背後には久我。

 

 左右には榊原と外周班の盾。

 

 御子柴は、比較的小柄な宮下を強引に突き飛ばして正面突破を図ろうと踏み込んだ。

 

 久我の魔眼が、三度目の心拍の急上昇と魔力収束を捉える。

 

(来る!)

 

「宮下さん、接触しないでください!」

 

 久我が叫んだ瞬間、御子柴の血流が消失した。

 

 三度目の《ゴーストステップ》。

 

 御子柴はそのまま、構えられた宮下の盾と、彼女の身体そのものを『すり抜け』た。

 

 宮下の背後へ再出現する御子柴。

 

 宮下は、自分の身体を何かが通過していく瞬間、内臓を撫でられるような悪寒と冷気に、一瞬だけ身をこわばらせた。

 

 再出現と同時、御子柴は宮下の背中を強く突き飛ばし、包囲を抜けて路地の奥へと駆け出していく。

 

 久我が咄嗟に宮下の腕を掴み、転倒を防いだ。

 

「人間も通過できる……!」

 

 宮下が息を呑む。

 

「ただし、通過中は攻撃できていません。俺を殴ってきた時は実体化していましたし、今、宮下さんを突き飛ばしたのも、現実へ戻った直後です」

 

「透過中は、物理干渉できない可能性が高いですね」

 

 榊原が頷く。

 

 人間をすり抜けられるという事実は脅威だが、『通過中に内臓を直接攻撃される』ような凶悪な使い方ができないと分かっただけでも、大きな収穫だった。

 

       *

 

 御子柴が路地の奥へ姿を消す間、久我は脳内で、彼が能力を使用した三回のパターンを整理していた。

 

 発動時間は約一、二秒。

 

 再使用間隔は約二十秒。

 

 手に持った盗品は持ち込めず、通過中は攻撃もできない。

 

 通過できたのは、特殊ネット、金属製の薄い扉、金網フェンス、そして人間の身体。

 

 だが、久我が最も注目したのは別の点だった。

 

(……裏口の扉を抜けた時。フェンスを抜けた時。宮下さんをすり抜けた時)

 

 すべて、消えた瞬間の『進行方向』と、再出現した『位置』が、見事なまでに一直線だったのだ。

 

「榊原さん。あの能力、発動中は自由に動けません」

 

「根拠は?」

 

 走りながら榊原が問う。

 

「三回とも、消えた時点の向きと、再出現地点が直線上の延長線にあります。壁の中で右へ曲がったり、通過先を器用に変更したりしていません」

 

「なるほど。長時間の自由な位相移動ではなく、短い距離をすり抜ける緊急回避用の直線移動スキル」

 

 宮下が分析する。

 

「はい。発動前の姿勢と移動方向さえ分かれば、再出現地点をピンポイントで予測できます」

 

 榊原の顔つきが、鋭いプロの刑事のものへと変わった。

 

「ならば、透過能力を使わせる場所を、こちらで選びましょう」

 

       *

 

 路地の突き当たりには、店舗のごみ保管庫へと続く薄い金属扉があった。

 

 その向こうは、三方を高いコンクリート壁とフェンスで囲まれた、狭い集積スペースになっている。

 

 出入口は、その金属扉一か所のみ。

 

 榊原が素早く作戦を立てる。

 

 御子柴を、その金属扉へ追い込む。

 

 逃げ道がないと思わせ、《ゴーストステップ》を使わせる。

 

 久我が発動直前の姿勢から再出現位置を予測し、扉の向こう側で息を潜めて待機している警察官が、再出現直後に特殊ネットで捕縛する。

 

「俺が再出現位置を外した場合は?」

 

「扉の向こうは狭い。もし外しても、外周班がすでにフェンス越しに逃走経路を塞いでいる。問題ありません」

 

 榊原が力強く請け負う。

 

「一人の予測だけにすべてを賭ける作戦ではありません。安心してください」

 

 宮下も微笑む。

 

(能力に頼るが、丸投げはしない。これがプロの仕事か)

 

 久我は深く頷き、魔眼の焦点を研ぎ澄ませた。

 

       *

 

 久我が位置を指示する。

 

「右側の壁沿い! こちらへ戻ろうとしています!」

 

 榊原と盾持ちの警察官が前進し、宮下がネットの射線を確保する。

 

 包囲された御子柴の正面には、閉ざされた金属扉。

 

 普通の人間なら、完全な行き止まりだ。

 

 だが、彼には壁を抜ける能力がある。

 

 透明な血流の心拍が、僅かに落ち着いた。

 

 閉ざされた扉を前に、御子柴が『自分だけはここから逃げられる』と安堵したことが、久我には手に取るように分かった。

 

 心拍の急上昇。

 

 魔力収束。

 

 久我は『内在時間』を短く起動した。

 

 御子柴の足の向き。

 

 腰の捻り。

 

 踏み込みのベクトル。

 

 真正面ではない。

 

 扉に対して、やや右斜めの角度。

 

 久我は叫んだ。

 

「扉の向こう、右へ一・二メートル! 三秒後ではなく、今です!」

 

 御子柴の血流が消える。

 

 金属扉を通過。

 

 そして扉の向こう側、久我が指定したまさにその座標に、御子柴が再出現した。

 

 透明化が一瞬乱れ、パーカー姿が浮かび上がる。

 

 完全に息を殺して待機していた警察官が、至近距離から特殊ネットを発射した。

 

「なっ……!」

 

 ネットが御子柴の全身を完全に包み込み、彼は床へ無様に転がった。

 

 透明化は維持されているため、ネットだけが人型に膨らみ、激しく暴れ回っているように見える。

 

 だが、《ゴーストステップ》を使用した直後だ。

 

 今回は、すり抜けることはできない。

 

       *

 

「離せ! 離せよ!」

 

 御子柴は身体能力強化を全開にし、特殊ネットを力任せに引き裂こうと暴れる。

 

 しかし、八咫烏製の特殊繊維は、強化能力者の抵抗を計算して作られている。

 

 宮下と榊原が扉を開けて突入し、ネット越しに御子柴の肩と腰をがっちりと押さえ込んだ。

 

 久我も後から続き、魔眼で御子柴の心拍を監視する。

 

「十秒、十一、十二……」

 

 久我が秒数を読み上げる。

 

「抑制具を!」

 

 榊原の指示を受け、宮下が八咫烏製の首輪型能力抑制具を手に接近する。

 

 御子柴が透明なまま蹴りを放とうとするが、久我が血流から予測して警告する。

 

「右足が来ます!」

 

 宮下が盾で蹴りを防ぐ。

 

「十五、十六……!」

 

 御子柴の魔力が再び回復し始める。

 

 心拍が、これまでの発動前と同じ波形を描き始めた。

 

「あと三秒で、また使えます!」

 

「ゴーストステップ……!」

 

 御子柴が能力名を叫ぼうとした、その瞬間。

 

「今です!」

 

 宮下が、御子柴の首元へ能力抑制具をガシャンと装着した。

 

 ピィッ、という電子音とともに、抑制術式が起動する。

 

 途端に、御子柴の身体を覆っていた透明化が、テレビのノイズが晴れるようにぱらぱらと剥がれ落ちていった。

 

 黒髪で、幼さの残る十九歳の青年が、ネットに包まれて青ざめた顔をさらす。

 

「なんで……発動しない……」

 

「能力抑制具が作動しています」

 

 宮下が冷徹に告げた。

 

「御子柴翔太。午前一時四十二分、窃盗、建造物侵入、傷害等の容疑で逮捕します」

 

 榊原が手続きどおりに権利を告知し、両手に能力者用の拘束具が装着される。

 

 完全に捕縛が完了した瞬間だった。

 

       *

 

 拘束されて警察車両へ乗せられる前、御子柴は久我を忌々しげに睨みつけた。

 

「お前、何者なんだよ」

 

「八咫烏から来た、ただの会社員です」

 

「会社員が、透明な人間の血なんか見るのかよ」

 

「普通の会社員は見ないと思います」

 

「なんだよ、吸血鬼かよ……。ずるいだろ、そんなの」

 

 久我は、少しだけ呆れたように返した。

 

「透明化と壁抜けを使って好き勝手に窃盗していた人から、能力について『ずるい』と言われるとは思いませんでしたね」

 

 榊原が久我のもとへ歩み寄り、軽く頭を下げた。

 

「ご協力、本当にありがとうございました。久我さんがいなければ、今夜も逃げられていたでしょう」

 

「皆さんが先に逃げ道を塞いでくれていたから、捕まえられただけです。俺一人なら、壁を抜けられた時点で見失っていましたよ」

 

 久我は、謙遜ではなく本心からそう言った。

 

「再出現地点の予測は見事でしたよ」

 

 宮下も微笑む。

 

「訓練で、相手の動きを先読みする練習をしていたので」

 

 久我は『内在時間』のことは伏せ、あくまで『魔眼による動体予測』として説明した。

 

 事実から大きく外れてはいない。

 

 現場処理が進む中、久我のスマートフォンへ、八咫烏アプリから通知が入る。

 

『【捕縛協力任務】対象者の身柄確保を確認』

 

『【任務状況】完了』

 

『【協力報酬】審査開始』

 

『【能力使用報告】提出期限・翌日正午』

 

「任務が終わった瞬間に、もう報告書の提出依頼が来た……」

 

 久我がげんなりしていると、榊原が笑った。

 

「我々も、これから朝まで書類仕事ですよ」

 

「逮捕した後の方が長いですからね」

 

 宮下も続ける。

 

「警察も同じなんですね」

 

「ええ。現代社会で人を捕まえるというのは、そういうことです」

 

 能力者だろうと透明人間だろうと、逮捕後に待っているのは、地道で膨大な通常の司法手続きなのだ。

 

       *

 

 数日後。

 

 御影坂高校の体育館控室で、かれんが警察から共有された御子柴の事情聴取記録と、八咫烏による能力鑑定結果をタブレットで確認していた。

 

 久我、剣持、澪も同席している。

 

「御子柴翔太さんの能力について、追加情報が判明しました。御子柴さん本人は、あの壁抜けを《ゴーストステップ》と呼んでいたそうです」

 

「そのまんまだな」

 

 剣持が笑う。

 

 御子柴本人の認識は、完全にゲームのスキル構成だった。

 

 姿を消す《ステルス》。

 

 音を消す《サイレントムーブ》。

 

 移動速度と身体能力を底上げする《フィジカルブースト》。

 

 そして、緊急回避用の《ゴーストステップ》。

 

 効果時間、再使用待機時間、物理干渉無効などの制限も、すべて本人の認識が反映された結果だ。

 

「ゲーム系能力だったんですね」

 

 久我が納得すると、かれんはいつものように無表情で正式名称を読み上げた。

 

「学術分類上は、『個人世界観投射型・娯楽概念模倣門・電子遊戯規則参照系・役割没入型複合技能発現種・隠密行動特化亜型』となります」

 

「長い」

 

「正式分類です」

 

「現場では、ゲーム系能力でいい。最初からそう言ってくださいよ」

 

 かれんの説明によれば、ゲームを好み、そのルールを強く自己認識へ取り込んでいる若い世代には、こうした『スキル』『クールタイム』『パッシブ効果』といった概念が能力の仕様に反映されることが比較的多いという。

 

「ゲーム好きの人には、よく出る能力なんですか?」

 

 澪が興味津々で尋ねる。

 

「はい。ゲームの規則やシステムを自身の世界観として強く受け入れている因果律改変者に発現する、比較的よく確認される能力系統です。御子柴さんの場合は、ステルスゲームでした」

 

「アメリカじゃ、FPS系の能力が多いらしいぞ」

 

 剣持が、海外の能力者から聞いた話を披露した。

 

「射撃の反動軽減、弾道補正、敵のマーキング、リロード速度の強化なんかだな。向こうの連中の話じゃ、銃文化とゲーム文化の両方が影響してるんじゃないかってさ」

 

「能力の発現傾向に、国ごとの文化差まで出るんですか?」

 

「統計上、一定の偏りは確認されています」

 

 かれんが答える。

 

「ただし、国籍そのものが能力を決めるわけではありません。その人物が何を見て育ち、どのような概念によって世界を理解しているかが重要です」

 

「日本なら、RPG型やソーシャルゲームのガチャ型なんてのもあるぞ。発動するまで、何が出るか本人にも分からない奴がな」

 

「実戦投入したくない能力ランキング、堂々の一位ですね」

 

「強力な結果が出る可能性もありますよ」

 

 かれんが言う。

 

「安定性のない本番ガチャを、現場の命懸けの場面で引きたくありませんよ」

 

 久我は、御子柴との戦闘を振り返った。

 

 事前に分かっていた能力だけでは対応しきれず、現場で制限を見抜いて、ようやく捕縛できた。

 

「剣持さんが言っていた『能力者は何をするか分からない』という意味が、痛いほどよく分かりました」

 

「だろ?」

 

「でも、御子柴の能力も、後から調べれば、かなりゲームのルールどおりの分かりやすい仕様だったんですね。捕まえる前に分かっていれば、もっと楽だったんですが」

 

「本人が未登録で、能力を隠していたのですから仕方ありません」

 

「だから現場じゃ、何が出てもいいように構えるしかねえんだよ」

 

 久我は大きなため息を吐いた。

 

「透明になるだけでも十分面倒なのに、壁まで抜けてくるとは思いませんでしたよ」

 

「次回からは、透明人間が物理的に壁を抜ける可能性も考慮して動けますね」

 

 かれんが冷静に言い放つ。

 

「次回がある前提で話さないでください」

 

 御子柴翔太の能力は、透明人間という単純なものではなく、彼自身が好んだステルスゲームを現実へ持ち込んだ『ビルド』だった。

 

 そして久我陽介は、初めての対異能力者任務を通して、能力者の説明書は、本人を捕まえた後にようやく完成することが多いという、現場にとってまったくありがたくない事実を学んだのだった。

 




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