35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜   作:パラレル・ゲーマー

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第3話 吸血鬼、窓口で本人確認される

 ファミレスの自動ドアが開いた瞬間、再び暴力的な朝の光が久我の眼球を焼き、全身の皮膚にチリチリとした微かな火傷のような痛みを走らせた。

 

 ファミレスで胃に流し込んだ冷水は、喉の渇きに対して何のアプローチにもなっていなかった。ただ胃液を薄めただけで、かえって胃の奥に張り付いたような不快感と、全身の細胞が何か決定的な栄養素を欲して軋むような飢餓感を浮き彫りにさせている。

 

 時刻は午前六時半を少し回ったところ。

 

 通りには、少しずつスーツ姿のビジネスマンや、眠たげな目を擦る学生の姿が増え始めていた。日常という名の巨大な歯車が、今日も静かに回り始めている。

 

 その日常から完全に逸脱した三十五歳の会社員は、隣を歩くセーラー服の少女を見下ろし、疲労困憊の脳で自身の現状を整理した。

 

 三日連続で朝五時まで残業し、会社を出た途端に女子高生から吸血鬼だと宣告され、そのままファミレスで問診を受け、これから役所へ連行される。

 

(……我が人生の社会人経験においても、間違いなくトップクラスに意味が分からない朝だ)

 

「一応、確認なんですけど」

 

 久我は、ふらつく足取りのまま、隣を迷いなく歩くかれんに声をかけた。

 

「本当に、役所なんですか?」

 

「はい。能力者登録の専門窓口です」

 

「警察とか、あるいは大きな病院とかじゃなくて?」

 

「警察に行けば事情聴取で半日拘束されます。普通の病院に行けば、未知の疾患として隔離されて大騒ぎになります。だから、まずは役所です」

 

 一切の迷いがない、淡々とした正論。現代日本の法治国家としてのシステムに裏打ちされた説得力を突きつけられ、久我は反論を諦めた。

 

 歩き出して数分。久我は、かれんが意図的に大通りや駅への近道を避けていることに気がついた。彼女が選ぶのは、裏通りや、まだシャッターの降りている商店街の細い路地ばかりだ。

 

「……駅、あっちですよね?」

 

「人が多い場所は避けています」

 

「……俺が、危ないから?」

 

「はい」

 

 一切の忖度がない即答だった。

 

 少しばかり胸がチクりと痛んだが、否定はできない。さっきのコンビニでの失態が脳裏をよぎる。

 

 事実、裏通りを歩いていてすら、すれ違う早朝の清掃員や、散歩中の老人の「首筋」や「手首の脈動」に、ふと視線が吸い寄せられそうになる瞬間があった。相手の皮膚の下を流れる生暖かい液体の温度までが、異常に発達した感覚器官を通じて伝わってくるような錯覚。

 

 自分でも、自分の脳が気持ち悪かった。

 

 かれんは横目を向けて、そんな久我の視線を正確に捕捉していた。

 

「今は、見ない方がいいです」

 

「……何を?」

 

「人の血管です」

 

「見てないです」

 

「見ようとしていました」

 

「……すみません」

 

 言い逃れすら許されない。彼女の観察眼は、久我の微かな視線の推移や、喉を鳴らす唾液の音まで完全に把握しているようだった。

 

「これ……会社に連絡行ったりしますか?」

 

 裏通りを進みながら、久我はもっとも現実的で、かつ切実な不安を口にした。

 

「登録の手続きをするだけなら、原則として勤務先に通知が行くことはありません」

 

 その言葉に、久我は心底ほっと息を吐いた。

 

 だが、かれんは歩調を緩めないまま、冷徹に言葉を継いだ。

 

「ただし、未登録のまま衝動に負けて暴走した場合や、職場で吸血行為に及んだ場合は別です」

 

 背筋にぞくりと悪寒が走った。

 

「職場で……?」

 

「久我さん、昨晩は夜のオフィスに何時間いらっしゃいましたか?」

 

「……三日連続で、朝五時まで」

 

「深夜帯に、周囲に人が少なかったのは本当に幸運でしたね」

 

 淡々とした口調だからこそ、その言葉が内包する危険性の重さが胃に響いた。

 

 もし、深夜のオフィスで後輩の佐藤が仕様書に悩みながらカッターで指を切っていたら。あるいは、総務の高橋が書類の縁で手を切って出血していたら。

 

 徹夜ハイだと勘違いして無双状態になっていた自分が、その血の匂いにどう反応していたか。想像するだけで嫌な汗が背中を伝った。

 

       *

 

 到着した場所は、アニメや映画に出てくるような地下の秘密基地でも、ガラス張りの高層ビルでもなかった。

 

 駅から少し離れた区役所の別館か、あるいは古びた財団法人の入る雑居ビルといった風情の、極めて地味で無味乾燥な五階建てのグレーの建物だった。

 

 入り口の脇にあるステンレス製の看板には、明朝体でこう記されている。

 

『特殊体質者生活支援センター 中央相談窓口』

 

 久我は看板を見上げ、呆然と呟いた。

 

「……思ったより、すごく役所っぽい」

 

「役所ですから」

 

「いや、通称が『八咫烏』だって言うから、もっとこう……黒服が立ってる地下組織とか、機密機関っぽい外観を想像してました」

 

「それは通称です。正式名称は長くて書類に書くのが面倒なので、関係者はみんな八咫烏と呼んでいます」

 

 あまりにも事務的な理由だった。だが、その徹底した地味さが、逆に「これが現代日本のリアルなのだ」という嫌な説得力を醸し出していた。

 

 自動ドアを抜けて館内に入る。

 

 入り口にアルコール消毒液と検温モニター。その奥に番号札の発券機があり、待合用の合皮のソファが並んでいる。隅には少し枯れかけた観葉植物と、掲示板に貼られた色褪せたポスター。

 

 ポスターには、自治体の広報誌のような温もりのあるフォントで、こう書かれていた。

 

『体質の急激な変化でお困りの方へ』

 

『夜間の異常な活動性・食嗜好の変化は、お早めに専門窓口へご相談ください』

 

『未登録の特殊体質者によるトラブル防止にご協力をお願いします』

 

 久我はポスターの文面を二度見した。

 

「……これ、完全に俺のことじゃないですか」

 

「だから来ました」

 

 フロアの奥には、銀行や区役所の戸籍住民課と同じようなカウンターがあり、揃いのベストを着た女性職員が数名、パソコンに向かって作業をしている。

 

 一見すれば、どこにでもいそうな地方公務員の風景。

 

 だが、かれんとその後ろに立つ久我を見た瞬間、カウンターの中央にいた四十代くらいの女性職員の目が、ほんの一瞬だけ鋭く細められた。

 

 かれんは迷わずカウンターへ進み、声をかける。

 

「新規覚醒者一名。種別は吸血鬼疑い。緊急登録をお願いします」

 

 あまりにも手慣れた業務連絡のような響きに、久我は思わず後ろからツッコんだ。

 

「ちょっと待って。疑いって言いました? 俺、まだ疑いの段階なんですか?」

 

 かれんは久我を振り返りもせず答える。

 

「専門機関での正式な血液判定が終わるまでは、書類上はすべて『疑い』です」

 

 受付職員は、かれんが提示したスマートフォンの画面――あるいはそこに表示された何らかのデジタル身分証――を確認し、即座に手元のキーボードを叩き始めた。

 

「同行者、皇かれん様ですね。確認いたしました」

 

「……様?」

 

 久我は引っかかったが、かれんは完全にスルーしている。

 

「新規覚醒、吸血鬼型疑い。成人男性、会社員。……現在の緊急度は?」

 

 職員の問いに、かれんが淡々と状態を読み上げる。

 

「血液への渇望初期反応あり。日光耐性の著しい低下あり。通常食への強い拒否反応。現在まで未摂血状態です」

 

 その報告を聞いた瞬間、受付職員のタイピングの手がコンマ数秒だけ止まり、その表情に微かな緊張が走った。

 

「……承知いたしました。最優先の緊急枠でご案内します」

 

 差し出された番号札を受け取る。

 

 そこには『104番』といった数字ではなく、『V―新規―緊急』という物々しい文字列が印字されていた。

 

「このVって……なんですか?」

 

「VampireのVです」

 

「そこは急に英語なんですね」

 

「国際的な分類コード基準ですので」

 

 久我は乾いた笑いを漏らすしかなかった。

 

 待合スペースのソファには、久我たちの他にも三、四人の先客がいた。

 

 真夏日になりそうな朝だというのに、首まである黒いタートルネックを着て厚手の革手袋をはめた若い男。壁際の熱帯魚が泳ぐ水槽を、ピクリとも動かずに一時間以上見つめているような目の虚ろな女性。そして、職員と小声で何かを揉めている、杖をついた老人。

 

 彼らもまた、人間社会の枠組みから少しだけはみ出してしまった「特殊体質者」なのだろう。

 

 そう観察を始めた矢先、館内にピンポンパンポーン、と無機質なチャイムが鳴った。

 

『――番号札、Vの新規、緊急でお待ちの方。第三相談室までお越しください』

 

「……早くないですか? まだ座って一分も経ってないんですけど」

 

「血に飢え始めた未摂血の吸血鬼を、他の体質者もいる待合に長く置いておく方が行政リスクが高いからです」

 

「だから言い方」

 

       *

 

 案内された第三相談室は、区役所の法律相談や、ハローワークの個室面談ブースによく似ていた。

 

 白いスチール製の長机と、簡素なキャスター付きの椅子。壁には「避難経路図」と「本面談は記録のため録音・録画されています」という小さなステッカー。机の上にはボールペンが二本挿されたペン立てと、未記入の書類が入れられたプラスチックのトレー。

 

 しかし、部屋に入る際に久我は気づいてしまった。

 

 ドアが、銀行の金庫室のように妙に分厚いスチール製であること。部屋に窓が一つもないこと。そして、面談机の奥――職員が座る側の足元に、物理的なロックボタンのようなものが設置されていること。

 

「……あの、これ、相談室っていうか、取調室か隔離室じゃないですか?」

 

「相談室です」

 

 部屋で待っていた四十代半ばの男性職員が、穏やかな微笑みを浮かべて立ち上がった。グレーのスーツを着こなした、いかにも温厚そうなベテラン相談員といった空気の男だ。

 

「万が一、相談者様がパニックを起こされた際に、周囲への安全を確保するための設備が少しばかり強化されているだけですよ」

 

「それを世間では隔離室と呼びます」

 

「暴れなければ、ただの快適な相談室です」

 

 かれんが後ろから冷たく補足し、久我の背中を押して無理やり椅子に座らせた。

 

「お疲れのところ、朝早くから大変申し訳ありません」

 

 男性職員――胸のネームプレートには『担当・木村』とある――は、深く丁寧にお辞儀をした。

 

「特殊体質者生活支援センター、登録担当の木村です。本日は緊急の仮登録手続きを行わせていただきます」

 

(……吸血鬼になった朝に、公務員から『お疲れのところ申し訳ありません』って労われるとは思わなかったな)

 

 久我は妙な感慨を覚えながら、軽く頭を下げ返した。

 

「まず初めに、基本事項の確認です。久我陽介様、三十五歳、会社員。現時点までに、過去に異能や特殊体質に関する公的な登録歴はございませんね?」

 

「ありません。今朝の五時半まで、自分が吸血鬼になる可能性なんて一ミリも考えてませんでした」

 

「承知いたしました。……まあ、非常に一般的なケースです」

 

「一般的……よくあることなんですか?」

 

「ええ。ある日突然、後天的な因子が発現して夜型化する社会人の方は、年間を通じてそれなりの件数がいらっしゃいますので」

 

 木村は慣れた手つきで、トレーの中から書類の束を取り出した。

 

「それでは、まずご本人様確認をお願いいたします。運転免許証、あるいはマイナンバーカードはお持ちですか?」

 

 久我は財布から運転免許証を取り出し、机に置いた。

 

「……吸血鬼の確認手続きなのに、普通の運転免許証でいいんですか?」

 

「はい。現時点では戸籍上、真っ当な日本国民でいらっしゃいますから」

 

「『現時点では』って言い方にすごく棘を感じるんですけど」

 

「本日この場で行うのは、あくまで戸籍情報に対する『特殊体質区分』の追加付記手続きです。人間としての基本的人権や日本の市民権がいきなり剥奪されるわけではありませんので、ご安心ください」

 

 木村は免許証を手に取り、部屋の隅にある小型のスキャナーに読み込ませた。

 

 続いて、木村は目の前にどっさりと書類の束を積み上げた。

 

 ざっと見て、二十枚近くはある。

 

「……これ、全部書くんですか?」

 

「いえ、本日は緊急枠ですので、絶対に必須となる最低限の書類だけに絞っております」

 

「これで最低限……?」

 

「はい。順にご説明しますね」

 

 木村はボールペンの先で、書類のタイトルを次々と指し示していった。

 

「こちらが『新規特殊体質者登録申請書』。『吸血鬼型能力者仮判定確認票』。『衝動管理及び保護等に関する説明事項確認書』。『血液供給支援申請書』。『一般医療機関受診制限に関する同意書』。『勤務先への非通知希望申請書』。そして『秘匿義務誓約書』になります。まずは申請書の太枠内、ご住所とお名前からご記入をお願いします」

 

 久我は天を仰いだ。

 

「……なんか、吸血鬼っていうダークファンタジーな存在になったはずなのに、やってることが中途採用の入社手続きより面倒くさい」

 

「現代日本ですから」

 

 背後のソファに腰掛けたかれんが、今日三度目のフレーズを淡々と口にした。

 

 言われるがままボールペンを手に取り、住所と氏名、生年月日を記入していく。

 

 そして、『現在の職業・勤務先』の欄でペンが止まった。

 

「……勤務先、株式会社〇〇ソリューションズ……と。あの、これ書いたら、職場に連絡行ったりしませんよね?」

 

「先ほど皇さんからもご説明があったかと思いますが、原則として非通知です」

 

 木村は穏やかに頷き、書類の一枚を抜き出した。

 

「こちらの『勤務先への非通知希望申請書』にチェックを入れてご署名いただければ、我々から会社側へ体質変化に関する通知を出すことはありません」

 

「よかった……」

 

「ただし」

 

 木村の目が、少しだけビジネスライクに細められた。

 

「現在の勤務形態について確認させてください。夜間の残業は多い職場ですか?」

 

「ええと……はい。いわゆる、みなし残業制でして。基本給に四十時間分が含まれていて、それを超えてもほぼ一律というか……」

 

「ここ数週間、夜間に体調の良さを感じてから、深夜労働の頻度は上がりましたか?」

 

 久我は視線を泳がせた。

 

「……上がりました。今週は三日連続で、朝の五時までオフィスにいました」

 

 木村は手元のパソコンに、カチャカチャと素早く入力を始めた。

 

「……『初期覚醒による夜間活動性の向上を、本人がただの体調改善と誤認し、過剰な業務処理及び深夜残業に消費していた事例』……と。備考欄に記載しておきます」

 

「ちょっと! そこ公的な記録に残るんですか!?」

 

「残ります。実はこれ、非常に多いトラブルなんです」

 

 木村は真顔で言った。

 

「吸血鬼型因子の発現初期は、脳内物質の分泌バランスが変化して全能感が伴います。真面目なビジネスマンほど、それを『最近俺、すごく仕事ができる!』と勘違いして、会社のタスクを一人で抱え込んで徹夜し続けてしまう。結果、心身のバランスを崩して突発的な飢餓衝動を起こすケースが後を絶ちません」

 

「俺だけじゃないんだ……」

 

「はい。ただ、みなし残業枠で会社のタスク消化にそこまで綺麗に使い潰されていたケースは、少し珍しいかもしれませんが」

 

「珍しくなくていいです」

 

「次に、医療機関の受診制限についてです」

 

 木村が次の書類を指す。

 

「先ほども申し上げた通り、今後は一般の町医者や病院で血液検査を受けることは固く禁止されます」

 

「……会社の、秋の定期健康診断はどうなるんですか? 全員必須なんですけど」

 

「そちらは登録完了後、当センターの連携窓口から産業医や健診代行業者へ『特殊データ補正処理』の申請が可能です」

 

 木村は手慣れた様子で説明する。

 

「表向きは『一般的な代謝異常による数値のブレ』として処理し、会社側に提出される健康診断結果のシートから、吸血鬼特有の異常値を自動的にマスキングします」

 

 久我の表情が一気に明るくなった。

 

「本当ですか! よかった……! 正直、吸血鬼になった不安より、会社の健康診断で引っかかって人事や課長に呼び出される恐怖の方が勝ってたんで……!」

 

「三十代半ばの社会人の覚醒者様は、皆様だいたい同じ反応をされますね」

 

 木村は苦笑した。

 

「さて。ここからは少しだけ、重要なお話になります」

 

 木村の口調から、少しだけ温度が消えた。

 

 差し出されたのは『衝動管理及び保護等に関する説明事項確認書』という書類だった。

 

「登録後の久我様は、我が国の法制度に基づき、生活支援及び保護の対象となります。定期的なカウンセリング、そして生きていくために不可欠な『血液パック』の公費支給が受けられます」

 

「はい」

 

「ただし。この支援システムは、貴方が『自身の衝動を正しく管理し、人間社会に危害を加えないこと』を絶対的な前提条件としています」

 

 木村は久我の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「万が一、支給された血液パック以外の『生身の人間の血液』を不正に摂取しようとした場合。あるいは、飢餓感に負けて一般市民を襲撃未遂に終わった場合――その瞬間から、貴方に対する行政のスタンスは『保護』から『強制保護・拘束』へと切り替わります」

 

 部屋の空気が、ピンと張り詰めた。

 

 久我は息を呑む。

 

 さっきのコンビニのレジカウンター。ほんのわずかな段ボールで切った指の血。あの時、もし自分が理性を失って一歩を踏み出していたら。今頃自分は、この快適な相談室ではなく、手錠をかけられて、窓のない部屋の奥に放り込まれていたということだ。

 

 背後のソファに座るかれんも、今度は口を挟まなかった。彼女の静寂が、これが現代異能社会における絶対的な「超えられない一線」であることを物語っていた。

 

「……分かりました」

 

 久我は震える文字で、確認書の末尾に自署した。

 

 その後、仮登録証の作成のために、部屋の奥にある白いパーテーションで区切られた簡易撮影ブースへと移動した。

 

「それでは、正面のレンズを見てください。……あ、吸血鬼型の方ですので、強いフラッシュはオフに設定してありますからね」

 

「そんな細かい配慮まであるんですね……」

 

「公的支援の一環ですので」

 

 モニターに映し出された自分の顔を見て、久我は絶句した。

 

 三日連続の徹夜明け。目の下にはどす黒い隈が張り付き、肌は病的に白く、髪はボサボサ。完全に「何らかの事件を起こして捕まった容疑者のマグショット」だった。

 

「あの、これ、さすがに写真の撮り直しを……」

 

「体調が完全に安定するまでは、何回撮っても同じ顔色になりますよ」

 

 かれんが容赦なく現実を突きつけた。

 

 撮影から十分後。

 

 木村が奥のプリント室から、一枚の真新しいカードを持って戻ってきた。

 

 一般的な運転免許証と同じサイズの、厚手のラミネートカード。

 

「こちらが、本日発行される『特殊体質者仮登録証』になります」

 

 久我は両手でカードを受け取り、そこに印字された文字を眺めた。

 

『氏名:久我 陽介』

 

『生年月日:1990年〇月〇日』

 

『登録区分:特殊体質者(能力者分類:吸血鬼型・要観察)』

 

『ステータス:新規覚醒/仮登録』

 

『初期案内責任者:皇 かれん』

 

 手のひらの中に収まる、たった数グラムのプラスチックカード。

 

 だが、それは久我陽介という人間が、名実ともに「普通のサラリーマン」という枠組みから滑り落ち、国家に管理される異能者になったことの決定的な証明書だった。

 

「……本当に、書類上でも吸血鬼になってしまった」

 

「正確には、国家公認の『吸血鬼型能力者・仮登録』ですね」

 

 木村が丁寧に訂正した。

 

「本日のセンター窓口での手続きは、これですべて終了です」

 

 木村は立ち上がり、再び深くお辞儀をした。

 

「お疲れ様でした。……と言いたいところなのですが」

 

「……嫌な予感がするんですけど」

 

 久我は顔を引きつらせた。

 

「仮登録証の効力を正式に有効化するためには、本日中に『協力医療機関での初回血液検査』及び『血液パックの初回支給記録』をシステムに紐づける必要がございます」

 

 木村の言葉に合わせるように、背後でかれんがソファから立ち上がった。

 

「行きましょう、久我さん」

 

「……まだあるのか」

 

 久我はカードを握りしめ、机に突っ伏した。

 

 三日連続の徹夜。吸血鬼宣告。ファミレスでの問診。区役所のような窓口での書類書き二十枚。

 

 本来なら今頃、自宅のベッドで泥のように眠っていたはずの午前八時。

 

「だから言ったでしょう。未摂血の吸血鬼をそのまま家に帰すわけにはいかないって」

 

 かれんは相談室の分厚いスチール扉を開き、振り返りもせずに言った。

 

「次は協力病院です。貴方の今日の『朝食』を受け取りに行きます」

 

 外に出ると、朝日はすでに高く、街は完全な通勤ラッシュの喧騒に包まれていた。

 

 久我は財布を開き、運転免許証と会社の社員証が入ったポケットの横に、真新しい『吸血鬼カード』を滑り込ませる。

 

「……三十五歳にもなって、こんな意味の分からない身分証が増えるとは思わなかったな」

 

「慣れれば便利ですよ。医療機関や専用窓口でそれを出せば、面倒な説明を全部省けますから」

 

 かれんが隣で、悪びれもせずに言った。

 

「さあ、行きましょう。現代日本ですから」

 

「もうその決め台詞はお腹いっぱいなんだけどな……」

 

 久我は鉛のような足を引きずり、少女の後を追って歩き出した。

 




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