35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜   作:パラレル・ゲーマー

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第33話 吸血鬼、四連休に都内の異能者都市へ潜入旅行する

 御影坂高校、夜間警備班の控室。

 

 パイプ椅子に深く腰掛けた久我陽介は、今週末の予定を脳内で組み立てていた。

 

 来週は祝日と会社の指定休業日が奇跡的に重なり、久我は珍しく四連休を取得できることになっている。

 

 総務の高橋による「有給消化推進月間」という名の圧力が、今回に限ってはありがたい方向へ働いた結果だった。

 

 久我の計画は完璧である。

 

 一日目は、泥のように寝る。

 

 二日目は、部屋の掃除と洗濯をする。

 

 三日目は、専用冷蔵庫の血液パックの在庫を確認し、補充の申請書類を書く。

 

 四日目は、何もしない。

 

 極めて消極的かつ、三十五歳の独身会社員として理想的な連休計画だった。

 

 ブリーフィングの開始前、隣に座っていた七瀬澪が、ジャージの袖を捲りながら尋ねてきた。

 

「久我さん、今度の四連休は何をするんですか?」

 

「何もしないという、とても大事な予定があるんだ」

 

「四日間、全部ですか?」

 

「何もしないという目的を完璧に達成するためには、最低でも四日くらいは必要なんだよ」

 

 久我が真顔で力説すると、最近すっかりこのグループの日常に馴染んできた鏡宮千鶴が、真面目な顔で頷いた。

 

「なるほど。心身の疲労を回復させるための、計画的な長期療養ですね」

 

「鏡宮さん、そんなに重いものじゃないよ。ただゴロゴロするだけだから」

 

 そこへ、タブレットを抱えた皇かれんが入室し、大型モニターの電源を入れた。

 

「せっかく三人とも予定が空いているので、四連休を利用して少し旅行をしていただきます」

 

 久我は、手に持っていた紙コップのコーヒーを吹き出しそうになった。

 

「……嫌な予感しかしない旅行ですね。それ、絶対にただの慰安旅行じゃないですよね」

 

「安心しろ」

 

 壁に寄りかかっていた剣持が、ニヤリと笑う。

 

「温泉旅館で泊まり込みの幽霊退治とか、そんな古典的なホラー展開じゃねえよ」

 

「そのフォロー、安心材料として非常に弱いですよ」

 

       *

 

 モニターに東京湾の地図が映し出された。

 

 沖合に浮かぶ、巨大な人工島が拡大表示される。

 

「正式名称は『東京都臨海特殊共生区域・第十三人工島』です」

 

 かれんがレーザーポインターで島を示す。

 

「一般社会のニュースなどでは、単に『第十三人工島』や『臨海共生区域』『第十三実験都市』などと呼ばれています」

 

 久我も、会社で経済ニュースを読んでいる時に、その名前だけは何度か目にしたことがあった。

 

「何でしたっけ。次世代の自動運転とか、水素発電の実験区域でしたか?」

 

「あ、私もテレビで見ました。なんかすごい未来の都市を作ってるんですよね」

 

 澪が思い出したように言う。

 

 千鶴が不思議そうに首を傾げた。

 

「あれは、能力者に関係する施設だったのですか?」

 

「正直なところ、建設費が何度も膨らんで予算超過になっているというニュースばかり見ていたので、また税金を無駄にしているハコモノだなぁとしか思っていませんでした」

 

「国民としては、だいたい正しい感想だな」

 

 剣持が同意する。

 

 かれんが、その島の真の目的を説明した。

 

 表向きには、次世代交通、海洋エネルギー、自動物流、災害対応都市、多文化共生、特殊医療、新素材産業などの実証実験を行う最先端の都市とされている。

 

 しかし、その実体は違う。

 

 能力者、特殊体質者、人外種族と、一般社会との共生を研究するための能力者研究都市。

 

 それが、第十三人工島の本当の姿だった。

 

「実験都市というのは本当だけど、何を実験しているかが違ったんですね」

 

「はい。完全な虚偽ではありません。能力者向けの専用交通、強固な住宅、特殊医療、異能教育、能力を活かした産業、そして超常災害に対する防災システムを研究している都市です」

 

 一般社会に公開できない異能という部分を、「特殊な住民」「新技術」「多文化共生」「先進医療」といった言葉へ置き換えて説明しているだけなのだ。

 

       *

 

 かれんが世界地図へ画面を切り替えた。

 

 能力者が一定数以上集まると、一般社会の法律やインフラだけでは対応しきれなくなる。

 

 そのため世界各地には、能力者や人外種族が集まって生活する巨大な異能者都市が古くから存在している。

 

 モニターに表示された代表例は二つ。

 

 一つは、魔都・上海。

 

 上海の一部地域と、その地下に拡張された巨大な異能者居住区。

 

 中国国内だけでなく、東アジア全域から道士、仙術師、妖怪、魔術師、呪術師、特殊体質者が集まる。

 

 地上の現代的な上海の街と、異能者側の古い街が、物理的にも霊的にも複雑に重なり合っているという。

 

 もう一つは、裏都市ロンドン。

 

 通常のロンドンと空間的に重なって存在する、もう一つの都市。

 

 特定の入口の法則を知る者だけが入ることができ、欧州の魔術師、吸血鬼、妖精、その他の人外種族が暮らしている。

 

「ロンドンの裏に、もう一つ別のロンドンがあるんですか」

 

「地下って意味じゃねえぞ。場所の座標は同じだが、存在している空間の位相が別なんだ」

 

 剣持の補足に、久我は額を押さえた。

 

「聞けば聞くほど、絶対に観光で行きたくない場所ですね……」

 

「日本では、既存都市の地下や異空間へ巨大な都市を作るのではなく、東京湾へ人工島を新たに造成するという物理的な方法を選びました」

 

 かれんが日本のケースを説明する。

 

 能力者社会と一般社会の境界にある島。

 

 そのため、能力者の間では、

 

《境界島》

 

 ボーダー・アイランドという通称で呼ばれている。

 

 境界島の現在の常住人口は、約八万人。

 

 その中には、登録能力者、特殊体質者、人外種族、能力者の家族、医療関係者、研究者、行政職員、そして一般労働者が混在している。

 

 島全体がスラムのような無法地帯というわけではない。

 

 学校があり、病院があり、商店街があり、住宅街がある。

 

 能力者の子供も普通に学校へ通い、一般人の家族と暮らしている。

 

 しかし、一部の区域では事情が異なる。

 

 通常の警察官では能力者を安全に制圧できない。

 

 地域ごとの自治組織の力が強い。

 

 民間警備会社が実質的な警察として活動している。

 

 未登録能力者が集まる歓楽街がある。

 

 違法な能力器具や呪物が取引される市場がある。

 

 行政が把握しきれていない地下区画が存在する。

 

 そのため、実質的な治外法権状態になっているエリアもあるという。

 

「東京都なのに、警察が入れない場所があるんですか?」

 

「物理的に入れないのではなく、通常の装備を持った警察官だけでは、安全に法執行を行うことができないのです」

 

 透明化、壁抜け、精神干渉、瞬間移動などを持つ能力者を、拳銃と警棒を持った普通の警察官だけで逮捕するのは事実上不可能だ。

 

 そのため島内の能力事件は、特区管理局、島内認可の警備組織、八咫烏境界島連絡室、そして能力者自身の自治組織が、危ういバランスを保ちながら共同で対処している。

 

「法律はちゃんとある。ただ、それを守らせる奴の手が、全部の場所までは届いてねえってだけだ」

 

 剣持の言葉が、境界島の現実を端的に示していた。

 

       *

 

「それでは、今回の本題に入ります」

 

 かれんが一枚の不鮮明な写真を表示した。

 

 小さな錠剤、注射器、そして皮膚へ貼る赤いパッチのようなものが写っている。

 

「現在、都内で能力者を対象とした違法薬物が流通し始めています。現場では仮に《オーバークロック》と呼ばれています」

 

「オーバークロック。……パソコンのCPUみたいですね」

 

「効果も、それに近いです」

 

 服用すると、約十分から三十分の間、能力出力の異常な上昇、発動速度の短縮、通常より広い射程、身体能力の向上、能力使用時の疲労感の一時的な鈍化などが起きる。

 

 一見すると、能力者にとって理想的な強化薬に見える。

 

 しかし実際には、身体や精神の安全装置を一時的に強引に外しているだけだ。

 

 使用後には、心拍異常、血管破裂、神経損傷、能力暴走、一時的な記憶障害、強烈な依存症状、そして能力そのものの不可逆的な変質が発生する。

 

 重症例では、増幅された自分の能力の反動によって、本人が死亡しているケースもあるという。

 

「身体が耐えられる範囲を無視して、能力だけを強引に引き上げるんですか」

 

「その認識で間違いありません」

 

「どうして、そんな危険なものを使うんですか?」

 

 澪が顔をしかめる。

 

「能力者だって、全員が全員、最初から強いわけじゃねえからな」

 

 剣持が答える。

 

 決闘で勝ちたい。

 

 用心棒として高く評価されたい。

 

 能力犯罪で手っ取り早く金を稼ぎたい。

 

 自分より強い者への劣等感。

 

 弱い能力を馬鹿にされた。

 

 一時的にでも、普段は手の届かない格上の能力者と渡り合える出力が欲しい。

 

 一般的な覚醒剤と違い、本当に能力が強くなるため、誘惑も非常に強いのだ。

 

「で、その薬と境界島がどう関係するんです?」

 

 久我の問いに、かれんが答えた。

 

「都内で押収された《オーバークロック》を分析した結果、薬剤には特殊な安定化成分が含まれていました。その成分は、境界島で研究されている『能力使用時の身体負荷を抑える医療用安定剤』と非常によく似ているのです」

 

 本来は、能力暴走の治療、未成年能力者の発作抑制、特殊体質者の生命維持、能力使用によって損傷した神経や臓器の治療補助などに用いられる、厳重に管理された医療用薬剤。

 

 それを何者かが改造し、能力の出力増幅用ドラッグへ転用した可能性がある。

 

 さらに都内で捕まった売人たちは、全員が、

 

「製造元を知らない」

 

「島から運ばれてきたとだけ聞いた」

 

「受け渡し相手の顔を見ていない」

 

「暗号化されたメッセージアプリだけで取引していた」

 

 と証言している。

 

 境界島で製造されているという確証はない。

 

 島の名称を出すことで、真の製造場所を隠すためのカモフラージュである可能性もある。

 

「ただ、きな臭い噂が島で流れているのは確かでな。都内で流通している能力者用ドラッグが、境界島で製造されてるんじゃねえかって疑惑が出てる」

 

「それで、八咫烏が捜査に入るんですね」

 

「まだ正式な捜査って段階じゃねえ。今回は様子見のジャブだ」

 

 剣持の言葉に、久我は首を傾げた。

 

 境界島には八咫烏の連絡事務所もある。

 

 本来なら、正規部隊が堂々と調査すればいいはずだ。

 

 しかし境界島は長年、本土政府による能力者への過剰な監視と介入を警戒している。

 

 特に地下区画や自治組織は、八咫烏へ強い不信感を持っている。

 

 ここで、有名な高ティア能力者、八咫烏の強襲部隊、剣持のような武闘派の戦闘員、多人数の捜査官などを送り込めば、

 

「政府が境界島を制圧しに来た」

 

「能力者住民を一斉摘発するつもりだ」

 

「自治権を奪おうとしている」

 

 という噂が一気に広がる。

 

 証拠を隠滅されるだけでなく、無関係な住民との暴動や衝突すら起きかねない。

 

「いきなり上位ティアの能力者や正規部隊を送り込んだら、向こうも気が立つ。何もなくても、戦争の準備を始める連中がいるからな」

 

「そこで、今回は複数の少人数チームを、別々に島へ入れます」

 

 かれんが続ける。

 

「皆さん以外にも複数の調査班が入りますが、人数、構成、担当区域、活動内容は説明しません。現地で不審な人物を見つけても、別の調査班だと決めつけて接触しないでください」

 

「相手が八咫烏の人かもしれなくても、知らないふりをする?」

 

「はい。拘束された場合に、他班の情報を話せないようにするためです」

 

 八咫烏の正規職員として入るのではなく、本名と正規の登録証で入島しながら、調査目的だけを伏せる。

 

 偽名や偽造身分を使う潜入捜査ではない。

 

 観光客として行動する、非公式の内偵調査である。

 

「久我さん、七瀬さん、鏡宮さんには、一般の旅行者として島を歩き、住民や店舗から自然な範囲で噂を集めていただきます」

 

「……俺たちは旅行客役ですか」

 

「はい。能力者向けの観光施設を訪れる一般的な旅行者として入島してください」

 

「本当に観光もしていいんですか!?」

 

 澪が目を輝かせる。

 

「不自然にならない範囲であれば、自由です」

 

「やったー!」

 

「そこだけ聞けば、本当にただの楽しい旅行だな……」

 

       *

 

 三人が選ばれた理由は明確だった。

 

 久我。

 

 島内勢力に顔を知られていない。

 

 一般企業に勤める普通の会社員にしか見えない。

 

 魔眼で薬物使用者の身体異常を密かに観察できる。

 

 吸血鬼として多少の攻撃には耐えられ、《血装》によって一般人を守りながら戦える。

 

 報告と状況判断も安定している。

 

 表向きの役割は、旅行の引率と幹事役。

 

 澪。

 

 島内勢力に顔を知られていない。

 

 未成年の観光客として警戒されにくい。

 

 高速移動によって追跡と救助が可能。

 

 久我の指示を聞きながら独自判断もできる。

 

 能力者向けの若者文化へ自然に入り込める。

 

 表向きの役割は、島の能力者向け店舗や娯楽施設へ興味を持つ高校生。

 

 千鶴。

 

《神鏡返し》という極めて強力な反射・防御能力を持つ。

 

 身体能力強化と合気だけでも高い戦闘力を誇る。

 

 精神干渉、攻撃、拘束など、久我や澪だけでは対処できない能力への備えになる。

 

 暴走者を殺さずに制圧する技術もある。

 

 八咫烏の正規戦闘員として顔が知られていない。

 

 ただし、戦力だけを見れば明らかに過剰だった。

 

「正直に言えば、鏡宮さんは今回の任務には過剰戦力です」

 

 かれんが素直に認める。

 

「では、なぜ私を?」

 

「保護者としてです」

 

 一瞬、室内の空気が静まり返った。

 

「……保護者?」

 

「鏡宮さんが、私たちの?」

 

 剣持が吹き出しそうになるのを堪えながら口を挟む。

 

「法的な保護者じゃねえぞ。戦闘になった時の、戦力的な護衛役だ」

 

「久我さんと七瀬さんは成長していますが、境界島には未知の能力者が多数います。鏡宮さんには、二人が対処できない理不尽な能力を受けた場合の、最後の防御役をお願いします」

 

 かれんはそこで一度言葉を切り、千鶴を真っ直ぐに見た。

 

「ただし、鏡宮さんは現在、八咫烏の保護下にあります。今回の参加は強制ではありません。希望しない場合は、別の護衛役を選定します」

 

 千鶴は少しだけ考えた。

 

 モニターに映る境界島の街並みへ視線を向ける。

 

「私は、鏡宮家の外にある能力者社会をほとんど知りません」

 

 千鶴は静かに言った。

 

「能力を持つ者が、自分の家や使命に縛られず、どのように生活しているのか。この目で見てみたいです。それに、久我さんと七瀬さんを守ることも、私にできることだと思います」

 

 そして胸へ手を当て、真剣な表情で深く頷いた。

 

「参加させてください。二人の面倒は、私が責任を持って見ます」

 

「よろしくお願いします!」

 

「俺、三十五歳の社会人なんだけどな……」

 

「年齢と、戦闘において守られる側かどうかは関係ねえだろ」

 

 前話の訓練で千鶴に何度も綺麗に投げ飛ばされている久我は、ぐうの音も出なかった。

 

「お願いね、千鶴さん」

 

「はい」

 

 千鶴は、かれんに初めて名前で呼ばれたことへ僅かに驚いたようだった。

 

 すぐに嬉しそうな表情を隠し、改めて姿勢を正した。

 

       *

 

 かれんから、内偵中の禁止事項が説明される。

 

 一つ。

 

 自分から薬物の購入を申し出ないこと。

 

 犯罪の証拠を得るためであっても、一般協力者が違法薬物を購入することは禁止。

 

 売人に接触された場合は話を聞くことはできるが、その場で取引を成立させてはならない。

 

 二つ。

 

 他の調査班を探さないこと。

 

 誰が別班なのか知らない方が安全。

 

 三つ。

 

 島内の自治組織へ挑発的な態度を取らないこと。

 

 境界島には独自の秩序がある。

 

 違法行為を目撃しても、その場で無関係な組織全体へ喧嘩を売ってはいけない。

 

 四つ。

 

 戦闘は自衛と人命保護に限定すること。

 

 ドラッグ使用者を発見しても、確たる証拠がない段階で襲撃してはならない。

 

 五つ。

 

《神鏡返し》は緊急時のみ。

 

 能力の詳細や、鏡宮家との現在の交渉状況が島内へ広まれば、不要な政治問題へ発展する可能性がある。

 

 六つ。

 

 澪は一人で追跡しすぎないこと。

 

 島内には、追跡者を罠へ誘導する能力者もいる。

 

 必ず久我の索敵範囲内で動く。

 

「ちゃんと戻ります!」

 

「勢いよく言われるほど、逆に不安になるな」

 

 かれんから説明された規則とは別に、久我自身にも絶対に守らなければならない制限がある。

 

《内在時間》と《外在時間》を、可能な限り使用しないこと。

 

 境界島には、能力解析、能力模倣、能力記録、嘘の検知、あるいは時間干渉そのものを感知する能力者が存在している可能性がある。

 

 普段以上に慎重になる必要があった。

 

 この二つについては、当然ながら、誰にも口には出さない。

 

       *

 

 表向きの旅行設定。

 

 三人の関係は、八咫烏の協力活動を通じて知り合った、年の離れた旅行仲間。

 

 無理に家族を装う必要はない。

 

「三十五歳の会社員と、女子高生二人の旅行って、外から見て少し不自然じゃないですか?」

 

「境界島では、能力者向けの訓練施設や医療施設へ、成人の支援者が未成年能力者を引率することは珍しくありません」

 

「久我さんが私たちの引率者ですね」

 

「ですが、実際の戦力的な保護者は私です」

 

「設定が複雑になってない?」

 

 宿泊場所は、特区管理局のある玄関区の認可ホテル。

 

 久我は一人部屋。

 

 澪と千鶴は隣のツインルーム。

 

 二室の間には共有ラウンジがある。

 

 能力者用の防音、耐衝撃設備があり、血液パック用の小型冷蔵設備も完備されている。

 

「ホテル代と、島までの交通費は八咫烏側が負担します」

 

「観光費用は?」

 

「自費です」

 

「そこはきっちり旅行扱いなんですね」

 

 続いて、携行装備の確認。

 

 久我は通常の私服に、八咫烏の身分証、血液パック六本、携帯用保冷ケース、医療用穿刺器具、緊急止血用品、小型通信端末、暗号化された旅行案内アプリ。

 

 澪は動きやすい私服に、足首と膝を守る特殊サポーター、緊急用血液パック、小型発信機、そして予備の靴。

 

 高速移動で靴が破損する可能性があるためだ。

 

 千鶴は一般的な旅行服に、《真澄鏡》の分鏡。

 

 分鏡は化粧用コンパクトに偽装されている。

 

 あとは小型通信端末、救急用品、着替え。

 

「私は普段、お化粧はしないのですが」

 

「鏡を持ち歩いていても不自然ではない形にするためです」

 

「境界島で、一緒に化粧品も見ましょう!」

 

「はい。ぜひ」

 

 久我は、任務のブリーフィングよりも、二人の女子高生の旅行計画の方が着々と進んでいることに、一抹の不安を覚えた。

 

       *

 

 四連休初日。

 

 午前九時。

 

 東京湾岸の海底鉄道駅。

 

 久我は大きめの旅行鞄と、血液パック用の保冷ケースを持って現れた。

 

 澪は完全に旅行気分だった。

 

 新しいスニーカーを履き、小さなリュックを背負い、境界島観光ガイドとご当地グルメのメモを手にしている。

 

 千鶴も普段の和風の装いではなく、澪が一緒に選んだという落ち着いたワンピースと上着を着ていた。

 

 ただし足元だけは、即座に動けるスニーカーだ。

 

「本当に観光旅行みたいだね」

 

「観光旅行もするんですよ!」

 

「任務を忘れてはいけませんが、不自然にならないためには、私たちも全力で楽しむ必要があります」

 

「鏡宮さんまで、旅行へ前向きになってる」

 

 海底鉄道へ乗る。

 

 車内には、普通の家族連れ、能力者らしい若者グループ、人外と思われる特徴を持った住民、境界島へ通勤する研究員、そして観光客が乗っている。

 

 外見だけでは、一般人と能力者を明確に区別できない。

 

 しかし久我の魔眼には、乗客の一部から通常とは異なる血流の動きや、能力を使用している際に生じる特殊な反応が見えていた。

 

 久我は魔眼を意図的に弱める。

 

 観光客全員を観察していては、境界島へ着く前に頭痛を起こしてしまう。

 

 海底区間を抜けると、車両が海上高架へ出た。

 

 窓の外に、第十三人工島が姿を現す。

 

 島の中央には、天を衝くような複数の高層ビル群。

 

 周囲には風力発電設備、潮力発電施設、巨大な港湾クレーン、特殊研究施設、高層住宅、競技場。

 

 空中を自動で移動する貨物コンテナ。

 

 そして防潮壁に等間隔に並ぶ結界塔が見える。

 

「すごい……!」

 

「京都の古い街並みとは、まったく違う能力者の街ですね」

 

「これなら、建設費が膨らむのも分かる気がするな……」

 

 ただし、一人の納税者として、税金への複雑な感情までは消えなかった。

 

       *

 

 境界島中央駅。

 

 通常の改札とは別に、能力者・特殊体質者用の入島ゲートが設けられていた。

 

 三人は八咫烏の登録証を提示する。

 

 係員側の端末に、それぞれの情報が表示される。

 

『久我陽介:吸血鬼型特殊体質者。登録能力:身体強化、再生、特殊視覚、《血装》。危険物:血液製剤持込。島内使用制限:一般区域での戦闘行為禁止』

 

《内在時間》と《外在時間》は、当然ながら記載されていない。

 

 久我は画面を見るたび、僅かな緊張を覚える。

 

『七瀬澪:吸血鬼型特殊体質者。登録能力:身体強化、高速機動。未成年保護対象。島内高速移動:指定区域外では制限』

 

『鏡宮千鶴:個別保護指定。能力詳細:非公開。特別祭具携行許可。監督組織:八咫烏』

 

 審査担当者が一瞬だけ千鶴を見た。

 

 しかし、深く追及はしない。

 

 境界島では、能力詳細を非公開にしている住民や、事情を抱えた訪問者も珍しくない。

 

 三人には、滞在中の身分証を兼ねたリストバンドが発行された。

 

 緑は、一般区域で能力使用禁止。

 

 黄色は、緊急時または許可区域で使用可能。

 

 赤は、高危険能力の個別制限。

 

 久我と澪は黄色。

 

 千鶴は表面上は黄色だが、管理局の内部データには個別の使用制限が記録されている。

 

       *

 

 駅を出た瞬間、三人は境界島の空気の違いを肌で実感した。

 

 街中で、当たり前のように能力が使われている。

 

 念動力で複数の旅行鞄を浮かせて運ぶポーター。

 

 小さな翼を羽ばたかせて荷物を配達する人外。

 

 指先から火を出して屋台の鉄板を温める店員。

 

 水の球体を浮かせて道路を清掃する作業員。

 

 身体を紙のように薄くして、狭い配管へ入る整備員。

 

 分身を三人出してチラシを配るアルバイト。

 

 一般の観光客も、それに驚くことなく普通に横を歩いている。

 

「能力を使っても、誰も見ないんですね」

 

「東京で同じことをやったら、十秒でスマホを向けられてSNSで拡散されるよな」

 

「皆、自分の力を隠さずに生活している……」

 

 千鶴にとって、能力は家を守るための義務であり、同時に継承者を縛り付ける鎖だった。

 

 しかし境界島では、能力が仕事として、生活として、娯楽として、そして個性として当たり前に使われている。

 

 千鶴は少し眩しそうに、その街の光景を見つめていた。

 

       *

 

 暗号化された旅行アプリには、自然な観光経路として調査地点が登録されている。

 

 午前は、境界島中央駅、特区観光案内所、能力者向け商業施設、吸血鬼対応飲食店。

 

 午後は、能力産業展示館、合法能力器具市場、医療区画周辺、若者向け能力競技施設。

 

 夜は、中央商業区、屋台街、ライブ会場、能力者向けナイトマーケット周辺。

 

 すべて観光地として成立しているが、同時に《オーバークロック》の噂が出やすい場所でもあった。

 

 昼食は、吸血鬼や特殊体質者向けの飲食店へ入った。

 

 久我と澪には、血液製剤を使った特殊な栄養ドリンク。

 

 千鶴には普通の和定食。

 

 メニューには他にも、

 

『鉄分強化血液飲料』

 

『人工血漿スープ』

 

『夜行性種族向け高カロリー食』

 

『妖精種向け低金属食』

 

『火属性能力者向け耐熱料理』

 

 などが並んでいる。

 

「能力者都市って、食事だけでも需要がめちゃくちゃ細かいんだな」

 

「毎日ここで食べたいです!」

 

「メニューの値段を見てから言おうか」

 

 観光地価格で非常に高い。

 

 経費として認められるのは通常の食事相当額までで、追加分は自費だ。

 

 久我は旅行先でも、経費規定を気にする男だった。

 

       *

 

 昼食後、三人は商業区を歩いた。

 

 そこで、最初の違和感に遭遇する。

 

 久我の魔眼が、若い能力者の一人に異常を見つけたのだ。

 

 男性は路上で能力パフォーマンスを行っていた。

 

 指先に、ライター程度の小さな炎を灯して見せる、低出力の発火能力者らしい。

 

 男は観客から投げ銭を受け取ると、周囲へ見せつけるように手首へ触れた。

 

 袖口の下に、赤いパッチが一瞬だけ見える。

 

 直後。

 

 指先の小さな炎が、突然、数メートルもの火柱へ膨れ上がった。

 

 観客は歓声を上げる。

 

 しかし久我の魔眼には、その裏で起きている異常が見えていた。

 

 心拍数の急激な上昇。

 

 毛細血管の微細な破裂。

 

 震える瞳孔。

 

 能力を使うたびに乱れていく血流。

 

 腕から肩、胸部へ広がる異能反応が、本人の制御を無視して不規則に膨張している。

 

 男は火柱を消した直後、激しく咳き込んで膝をついた。

 

 周囲の仲間が慣れた様子で駆け寄り、支える。

 

 そのうちの一人が、男の手首から赤いパッチを素早く剥がし、ポケットへ隠した。

 

 久我は小声で二人へ伝えた。

 

「今の人、何かを使ってます」

 

「オーバークロックですか?」

 

「断定はできない。でも、身体が能力の出力に耐えていない」

 

「追いますか?」

 

 千鶴の問いに、久我は迷い、首を横へ振った。

 

「今は追わない。場所と特徴だけ記録しよう」

 

 かれんの指示は、自分から取引や摘発を行わないことだ。

 

 まだ明確な犯罪の証拠もない。

 

 三人は離れたところから、男の服装、パッチの形、仲間の人数、向かった方向を記録した。

 

 これが最初の手がかりだった。

 

 その後、能力器具店の店主やカフェの店員へ自然な会話を試みる。

 

「最近、能力を急に強くする薬があるらしいですね」

 

 と直接尋ねるのではなく、

 

「島で流行している能力競技」

 

「若者の危険な遊び」

 

「最近増えている能力事故」

 

 などについて尋ねる。

 

 店主たちは、

 

「最近の若い奴は無茶をする」

 

「決闘場の外で能力を使う奴が増えた」

 

「急に能力が強くなった新人がいる」

 

「病院へ運ばれる奴も多い」

 

 と話してくれた。

 

 しかし、薬の名前を出した途端、態度が一変する。

 

「観光客が首を突っ込む話じゃない」

 

「それ以上聞かない方がいい」

 

「島の外の人間には関係ない」

 

 誰も具体的な情報を話そうとしない。

 

 単に犯罪組織を恐れているだけではない。

 

 本土から来た人間に、

 

「境界島は危険な犯罪都市だ」

 

 と決めつけられることへの反発もあるようだった。

 

       *

 

 夕方。

 

 玄関区にある認可ホテルへチェックインする。

 

 外観は普通のビジネスホテルに近いが、内部には防音、耐火、耐衝撃、緊急結界、特殊体質者用冷蔵庫、大型種族用の部屋、窓の遮光機能が完備されている。

 

 久我は一人部屋。

 

 澪と千鶴は隣のツインルーム。

 

 二室の間に共有ラウンジがあり、そこで初日の情報を整理する。

 

「確認できたのは、赤いパッチを使用した可能性がある能力者。商業区周辺で能力事故が増加していること。地元住民も薬物の噂を知っているが、外部の人間には話したがらないこと。若者向け能力競技場が流通拠点の可能性があること。そして、夜の中央商業区で売買が行われているという曖昧な噂です」

 

 千鶴がメモを確認しながら言う。

 

「明日から調査を続けるのですか?」

 

「そうだね。今日はもう十分歩いたし、無理に動かない方が――」

 

「夜の屋台街は、これからが本番だそうです!」

 

 澪が観光ガイドを広げて目を輝かせる。

 

「観光ガイドを読み込んでるな……」

 

 旅行者として不自然にならないためにも、三人は夕食を兼ねて夜の商業区へ出ることになった。

 

       *

 

 夜の中央商業区。

 

 夜になると、境界島は昼とは別の姿を見せた。

 

 幻覚で作られた巨大な魚がビルの間を泳ぎ、音を光へ変えるライブ会場が熱気を放ち、重力を弱めたダンスホールで若者が飛び跳ねる。

 

 人外種族向けの屋台が並び、合法能力決闘の中継が大型ビジョンで流れる。

 

 空中へ浮かぶ看板が、色鮮やかに街を照らしていた。

 

 澪は完全に目を奪われている。

 

 千鶴も、能力を娯楽へ使う文化に戸惑いながら、興味を隠せない様子だった。

 

 久我は二人を見失わないようにしながら、周囲の人間を観察していた。

 

 この時点では三人とも、少しだけ任務を忘れて、純粋に旅行を楽しんでいた。

 

 屋台街の裏路地。

 

 久我は壁へ描かれた、小さな赤い三角形の落書きを発見した。

 

 中央に、上向きの矢印。

 

 昼間の能力者が使っていたパッチにも、同じ記号が印刷されていた。

 

「これ、昼間のパッチにあった印と同じです」

 

「売っている場所の目印ですか?」

 

「あるいは、使用者同士の合図でしょうか」

 

 落書きのすぐ近くには、閉鎖された雑居ビルへ続く階段がある。

 

 しかし、今は中へ入らない。

 

 位置を記録して通り過ぎる。

 

 直後、階段の上から若い男が現れた。

 

 男は三人を一度だけ見て、そのまま人混みへ消える。

 

 久我の魔眼には、男の心拍が一瞬だけ大きく跳ねたのが見えた。

 

 彼らを警戒した可能性が高い。

 

       *

 

 三人が屋台街へ戻ろうとした時。

 

 前方で、大きな破壊音が響いた。

 

 ドンッ!

 

 能力器具店の壁が内側から吹き飛ぶ。

 

 人々が悲鳴を上げて逃げ始める。

 

 店内から、一人の若い能力者が飛び出してきた。

 

 昼間に発火能力を披露していた、あの男だ。

 

 手首には、新しい赤いパッチが複数枚貼られている。

 

 身体は異常な高熱を発し、皮膚の下を赤い光が走っている。

 

 男は完全に錯乱状態だった。

 

「俺は弱くない……! 俺は、もう馬鹿にされない……!」

 

 掌から炎が噴き出す。

 

 昼間の数メートルどころではない。

 

 道路一帯を覆う巨大な火炎。

 

 周囲には、逃げ遅れた一般人がいる。

 

 島内の警備員は、まだ到着していない。

 

「七瀬さん! 逃げ遅れた人を!」

 

「はい!」

 

 澪が一瞬で走り出す。

 

 吸血鬼の高速移動で、一般人を一人ずつ火炎の範囲外へ運ぶ。

 

 久我は《血装》の使用を準備しながら、暴走者の身体を魔眼で観察する。

 

 心臓が限界に近づいている。

 

 肺が高熱によって傷つき始めている。

 

 胸部から腕へ流れる異能反応が、本人の制御を離れて暴れている。

 

 パッチの接触部分から薬剤が追加で流れ込み、血流へ混ざっている。

 

 このまま能力を使い続ければ、本人が死亡する。

 

 千鶴が久我の前へ出る。

 

「久我さん。七瀬さんの救助が終わるまで、私が炎を防ぎます」

 

「《神鏡返し》を使うんですか?」

 

「必要ならば」

 

 千鶴の手には、化粧用コンパクトに偽装された《真澄鏡》の分鏡。

 

 しかし、まだ開かない。

 

 まず身体能力強化だけで、逃げ惑う人々の間へ入る。

 

 燃えた看板が落下する。

 

 千鶴は看板を蹴り、誰もいない方向へ逸らした。

 

 久我が暴走者へ近づこうとした瞬間。

 

 背後から小さな金属片が飛来した。

 

 久我は魔眼で気づき、《血装》を右腕へ瞬間展開して防ぐ。

 

 攻撃は、暴走者からではない。

 

 路地の屋上に、別の能力者が立っていた。

 

 昼間、赤いパッチを回収していた仲間の一人。

 

 その男は、証拠となるパッチ、暴走者本人、店内に残された薬物を回収しようとしている。

 

 男が片手を上げる。

 

 屋台、看板、手すりの表面から、鋭い金属片が次々と剥がれ、宙へ浮かぶ。

 

《鉄片操作》

 

 周囲の金属を剥離させ、弾丸のように飛ばす能力だった。

 

「観光客は引っ込んでろ」

 

「観光客へ、いきなり鉄を飛ばす人がいますか」

 

 男は、久我がただの観光客ではないと判断した。

 

 指先が僅かに動く。

 

 無数の金属片が一斉に久我へ向きを変える。

 

 澪は、逃げ遅れた一般人の救助中。

 

 千鶴は、発火能力者の火炎と落下物への対応に回っている。

 

 久我は単独で、鉄片使いの攻撃を受けることになった。

 

 久我は右腕へ薄い《血装》を展開する。

 

 通信端末から、かれんの声が飛んできた。

 

『境界島の警備組織へ通報しました。現場到着まで、最短で三分です。人命保護を最優先にしてください。追跡や逮捕は不要です』

 

「三分ですか」

 

『はい。三人で状況を維持してください』

 

 通信は生きている。

 

 かれんは状況を把握している。

 

 だが、現場で炎と鉄片を止められるのは、久我たち三人だけだった。

 

 無数の金属片が空中へ浮かぶ。

 

 火炎能力者の熱波が迫る。

 

 澪は一般人を抱えて高速移動。

 

 千鶴は分鏡へ手をかける。

 

「旅行初日から、これですか……!」

 

「でも、助けないわけにはいきません!」

 

「二人とも、私から離れすぎないでください。私が守ります」

 

 久我は、襲いかかる金属片と炎を見据える。

 

 魔眼の視界には、火炎能力者の崩壊寸前の身体、金属片使いの指先、逃げ遅れた一般人、澪の高速移動経路、千鶴の立ち位置が同時に映っていた。

 

 四連休を利用した、少し変わった旅行。

 

 少なくとも、久我はそう聞いていた。

 

 だが境界島へ到着してから、まだ半日も経っていない。

 

 それなのに彼らの前には、薬物で炎を暴走させる能力者と、その証拠を消そうとする金属使いが同時に立ちはだかっていた。

 

 どうやらこの島で、普通の観光客を演じ続けるのは、最初から無理だったらしい。

 




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