35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜 作:パラレル・ゲーマー
コインロッカーを巡る不可解な事件から、数日が経過した。
夜。御影坂高校、夜間警備班の詰所。
久我陽介は、持参したコーヒーのカップを片手に、いつもの夜間巡回前の準備を整えていた。
「……今夜こそ、何も起きない普通の巡回で終わるといいですね」
久我が少しだけ疲れた声で言うと、隣でジャージ姿の七瀬澪が頷いた。
「私はもう、ロッカーみたいな狭い空間の中に入らなければ、何でもいいです」
「それ、安全の基準がかなり下がってませんか?」
制服姿の鏡宮千鶴が、真面目な顔でツッコミを入れる。
そんな軽いやり取りから、いつもの夜が始まるはずだった。
そこへ、皇かれんが足早に入ってきた。
今日の彼女は、いつも以上に空気が少し違っていた。言葉の端々に、張り詰めたような硬さがある。
かれんは机の中央にタブレットを置き、全員の顔を見渡した。
「巡回へ出る前に、皆さんに共有しておきたい案件があります」
「また、新しい案件ですか?」
久我が思わず眉を寄せる。
「『新しい』とは言い切れません」
その一言で、詰所の空気が一瞬にして冷え込んだ。
*
かれんがタブレットの画面を操作し、モニターへ出力する。
映し出されたのは、数週間前のあの夜、有料怪異情報サイトの最後に一瞬だけ表示されたあの無機質な記録だった。
『搬入件数:一件』
『処理は正常に完了しました』
久我の脳裏に、あの時の光景が鮮明に蘇る。
白い非常口。千鶴が鏡の向こうで捉えた、人型の影。あの存在が東京へ入り込んだ後、八咫烏は全力を挙げて追跡したが、少なくとも関連を疑えるような異常は、何一つ確認できなかった。
「あの一件について、八咫烏は現在に至るまで、東京全域での監視を継続しています」
しかし、と、かれんは続ける。
大規模な怪異反応はなし。能力犯罪の急増もなし。異常な連続死亡事件もなし。正体不明の個体が直接発見されたという報告もなし。有料サイト側への怪しい追加情報もなし。
「……結局、あいつはまだ見つかっていないってことですか?」
「はい」
久我の落胆に、かれんが頷く。
そこで、画面の横に控えていた杖原つかさが、静かに口を開いた。
「ただ……別方向のデータから、少し気になる数字が出ています」
*
画面がパッと切り替わる。
そこに表示されたのは、名前、顔写真、年齢、そして失踪日が記載された、行方不明者のリストだった。
その数、十五人。
「……これ、全部ですか?」
久我が、信じられないというように画面を凝視する。
「はい。警察へ届け出が出されている、公式な行方不明者です」
「十五人も!?」
澪が驚愕の声を上げた。
さらに重要な事実が、杖原の口から語られる。
「全員、あの『搬入』の夜以降に失踪しています。それ以前に、これと同じ特徴を持つ事例は、現時点のデータベースでは確認されていません」
もちろん、東京のような巨大都市では、日常的に家出や事件による行方不明者は出る。だから、「搬入の後に十五人が行方不明になった」という単純な事実だけでは、関連事件だとは断定できない。
「問題は」
杖原が、画面のリストをさらに絞り込んだ。
「この十五件すべてに、普通の失踪事件では説明しづらい、ある『奇妙な共通点』が見つかったことです」
*
まず、プロフィールには何の共通点もなかった。
男もいれば、女もいる。十代後半の若者から、六十代以上の高齢者まで。学生、会社員、自営業、無職。既婚者もいれば、独身者もいる。居住地も、都内に広く散らばっている。
「……なんだか、明確に選ばれている感じがしませんね」
久我の指摘に、杖原が頷く。
「はい。年齢、性別、職業、住所、所得、家族構成。現時点では、彼らを結びつける有意な共通項は確認できていません」
「じゃあ、何が同じなんです?」
杖原が、別の項目を表示した。
《失踪直前の人格変化》
「失踪する前から、少し変だった?」
久我が画面の文字を読み上げる。
「はい。十五人全員について、家族、友人、職場などから聞き取りを行った結果です。表現はバラバラですが……『失踪する直前の数日間、なんとなく本人の様子がらしくなかった』という証言が、必ず存在しています」
第一失踪者・山岸健吾。41歳、会社員。
妻の証言によれば、数日前から彼が毎朝淹れていたコーヒーの淹れ方を完全に忘れていた。妻を昔からのあだ名で呼ばなくなった。子供の通っている学校名を、一瞬答えられなかった。
しかし、顔も、声も、些細な仕草も、間違いなく山岸本人だったという。妻は単なる仕事の疲労かストレスだと思い、深く気に留めなかった。
第七失踪者・佐倉美琴。21歳、女子大学生。
友人の証言。急に、一番好きだったはずの料理を知らないと言い出した。長年通っている大学の教室を間違えた。三年間付き合っている親友との大切な思い出の話が、全く通じなかった。
それでも友人は、「最近ちょっと変だな」程度にしか思わなかった。
第十五失踪者・藤崎誠司。68歳、無職。
娘の証言。つい最近まで長年住み慣れた自宅のトイレの場所を間違え、孫の名前を一瞬忘れて戸惑っていた。家族は「認知症の始まりかもしれない」と本気で心配し、病院へ行く相談をしていた。
そして数日後。
彼らは全員、忽然と姿を消した。
*
久我は、背筋が冷たくなるのを感じた。
「……つまり、失踪してから変になったんじゃないんですよね」
「はい」
かれんが静かに肯定する。
「失踪する前から、もう何かが起きていた」
ここが重要だった。
『人が消える』ことが、この事件の開始ではないのだ。
家族から警察へ失踪届が出される数日前から、すでに事件は誰にも気づかれないまま始まっていた。
「じゃあ……失踪直前の数日間、本当に本人がそこで生活してたのかどうかも、怪しいってことですか?」
久我の問いに、誰も即答できなかった。
「十五人って……」
久我は、たまらず核心を突く質問をした。
「その人たち、今もまだ生きてるんですか?」
部屋の空気が、さらに一段階重くなる。
「不明です」
かれんの冷徹な答えに、澪の表情がサッと変わった。
「怪異の性質次第、ということですか?」
「そうなります」
杖原が、一般論としての説明を加える。
「成り代わり型の怪異には、いくつかの種類があります。対象を殺害して姿だけを奪うもの。対象の記憶を完全に食い尽くすもの。本人を物理的に別の空間へ押し込めて隠すもの。……そして、成り代わりの成立条件として、『本物の人間を生かしたまま保持し続ける』必要があるものです」
理由も様々だ。本人の記憶を常に参照し続けるため。周囲との関係性を維持するため。社会的な存在を、自分をこの世界へ繋ぎ止める『錨』として使うため。本人そのものを、術の基準点にするため。
「じゃあ、生きてる可能性もある」
「あります」
一拍置いて、かれんが残酷な現実を突きつけた。
「ただし、あまり期待はできません」
十五人の一覧が、画面に冷たく並んでいる。
「あの搬入事件から現在までの短い期間に、確認されただけで十五人です。もし仮に、一人ずつ入れ替わって生活している『何か』だとすれば……十五回も乗り換えている計算になります。古い対象を、いつまでも生かして維持し続ける必要があるかは、全く分かりません」
久我も、それ以上は黙るしかなかった。
*
「では、なぜ今になって、急にこの十五件が繋がったんですか?」
久我が捜査上の疑問を口にした。
「所轄の警察が違い、年齢もバラバラで、家出に見えるものや事故の可能性があるものも混ざっていたため、最初は完全にバラバラの案件として処理されていました」
杖原が答える。
「ところが、十四件目の捜査過程で、警察側が『失踪直前に本人が少し変だった』という証言が複数件で一致していることに気づき、八咫烏へ非公式な照会をかけてきました。そこで私たちが超常案件として過去の事例を再解析した結果、ようやく十五件が一つに繋がったのです」
つまり、八咫烏が無能で放置していたわけではない。
怪異側の性質が、あまりにも『潜伏』に向きすぎていたのだ。
「防犯カメラの映像を見てください」
かれんが、さらに一段、恐怖の確度を上げた。
第一失踪者・山岸健吾の映像。失踪の二日前。
コンビニへ入ってくる姿。
「……普通のおじさんですね」
久我の言う通り、妻も警察の確認で『山岸本人だ』と証言している。
次。佐倉美琴。
大学近くの駅。友人と普通に歩いている。友人も『隣にいるのが美琴だ』と証言している。
「……え?」
久我が、違和感に気づいて声を上げた。
かれんが映像を止め、山岸の映像と佐倉の映像を並べる。
服装も、体格も、年齢も、全く違って見える。
しかし、八咫烏側が『認識干渉対策』の特殊なフィルターを通した解析映像へ切り替えると。
そこに映っていたのは、全く同じ人物だった。
*
十五枚の映像が、一画面にズラリと並べられた。
男。女。老人。若者。家族から見れば、それぞれが完全に別人だ。
ところが、補正処理後の映像では、全部が『ほぼ同じ人型』として映し出されていた。
二十代後半から三十代程度。性別は一応男性寄り。極端な特徴はない。表情もごく普通だ。
ただ、その得体の知れない『同じ誰か』が、他人の服を着て、他人の家へ入り、他人の家族と平然と話しているのだ。
「……これ、全部、同じ奴なんですか?」
久我が、画面を見つめたまま息を呑む。
「その可能性が、極めて高いです」
杖原が静かに答えた。
*
千鶴が、画面の映像を食い入るように見つめたまま、ピタリと動きを止めていた。
特に、一枚の映像。防犯カメラの前を横切った時の、身体の輪郭だけが少し暗く潰れているその姿。
「……待ってください」
「何か?」
かれんが問うと、千鶴は即断せず、何度も何度も映像を繰り返し見た。
別の角度。歩幅。肩の位置。頭を少しだけ傾ける特有の癖。
そして。
「……似ています」
「誰に?」
「あの夜、白い非常口から、暗闇の中を歩いて出てきた……あの人影です」
部屋の空気が、一気に変わった。
「同じだとは断定できません。あの時は、顔まではハッキリと見えていませんから」
千鶴は自分の直感を過信せず、慎重に付け加えた。しかし。
「でも、体格、立ち方、首を傾ける癖、周囲を見る仕草が……あの時の人影と、かなり近いです」
*
かれんが、十五件の失踪日を時系列のグラフに並べた。
あの日、非常口からの『搬入』。
その数日以内に、第一件目の失踪。
続いて第二件。第三件。……そして、第十五件。
その間隔は、ほぼ途切れていない。
「これ……一人ずつ、順番に?」
「仮説ですが」
杖原が推測を述べる。
「一人の対象へ、何らかの形で入り込み、成り代わる。数日間、その人間として生活する。そして、捨てる。次へ乗り換える。それをひたすら繰り返しているように見えます」
「何のために?」
久我が問うが、ここでは当然誰も分からない。
「分かりません」
かれんが首を振る。
金銭目的の形跡はない。犯罪組織との接触もない。特定の要人への接近でもない。能力者を意図的に選んでいるわけでもない。政治家や富裕層を狙っているわけでもない。
目的らしい目的が、全く見えない。それが逆に、薄気味悪さを増長させていた。
*
久我は、時系列のグラフを見ていて、妙なことに気づいた。
十五人の『成り代わられていた期間』。
どれも、数日程度と極端に短いのだ。
「……なんで、こんなに頻繁に乗り換えるんでしょうか」
もし金が目的なら、金持ちに入り込めばいい。生活基盤が目的なら、一番便利で安全な人物を長く使い続ければいい。
単純に潜伏したいだけなら、十五回も短期間で入れ替わるのは、むしろリスクが高すぎる。
「飽きたとか?」
澪が、無邪気にポツリと言った。
「まさか」
久我は一瞬、笑いそうになって否定した。怪異の行動原理としては、あまりにも人間くさくて陳腐すぎる。
*
「今回の能力傾向から、八咫烏内部ではこの存在を『成り代わり型怪異』として仮分類しました」
杖原が説明を続ける。
「正式な種別は不明です。現在の暫定呼称は、《空座喰らい》」
「空座喰らい?」
「本来そこにいる人間を消し去り、空いた社会的な『座』へ、自分がそのまま入り込んで食らうように見えるためです」
「まだ、何を食ってるのかも正確には分からないのに?」
「あくまで、仮称です」
*
「ここから話を、過去の十五人から『現在』へと動かします」
かれんの言葉で、画面が切り替わった。
最後の失踪者、藤崎誠司。
《空座喰らい》が、藤崎として生活していたと思われる最後の映像。
その後、同じ本体らしき人物が駅へ向かう。電車に乗る。別の駅で降りる。繁華街へと消える。
そこから、八咫烏の監視網が映像解析を必死に繋ぎ合わせる。
「昨日。《空座喰らい》と思われる人物が、一人の一般人のすぐ後ろを歩いている映像が確認されました」
画面には、まだ失踪者一覧には載っていない、普通の若い男性の後ろを歩く不気味な影が映っていた。
「そして、今日」
その一般の男性が、普通に自宅から外出する映像。
ただし、認識干渉対策を通した映像では。
「……補正後の映像には、先ほどまでの十五件と同じ人型が映っています」
つまり。
「十五人で、終わっていません」
「……今現在、十六人目になってるってことですか?」
「その可能性が、極めて高いです」
*
現在、成り代わられている可能性が高い十六人目。
家族への極秘の確認結果。
『本人は、普通に家にいますよ?』
会社への確認。
『今日も、いつも通り出勤しています』
警察の行方不明者リストには、当然まだ載っていない。
でも、八咫烏側の認識干渉対策画面には、明らかに別のものが、その人間として普通に生活している姿が映っている。
本物はどこにいるのか。分からない。生きているのか。分からない。
そして、もし過去と同じペースなら。
数日後には、「この人」もまた、警察のリストに失踪者として名を連ねることになるのだ。
「じゃあ、まだ間に合いますね」
久我が、静かに言った。
「はい」
かれんが頷く。ここで今回初めて、明確な救出目標が定まった。
*
現在の十六人目。
三浦直樹、33歳。ごく普通の会社員。妻と二人暮らし。
その日の夜。
妻と二人で、マンションのダイニングで夕食を食べている。妻は、目の前にいる夫を何の疑いもなく見つめている。
「今日、ちょっと遅かったね」
三浦の姿をした《空座喰らい》は、箸を止めずに、ごく普通に答えた。
「ああ、帰りにちょっと寄り道してたんだ」
ごくありふれた食卓。点けっぱなしのテレビ。何でもない、平和な家庭の風景。
そして妻が、笑顔で尋ねる。
「明日休みだし、どこか行く?」
少しだけ、沈黙があった。
《空座喰らい》は、妻を見て、
「……うん」
とだけ答えた。
でも、その顔には。
ほんの少しだけ、『退屈そうな表情』が浮かんでいた。
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