35歳社畜、女子高生に吸血鬼だと宣告される〜みなし残業で覚醒能力を使い潰していた俺、現代異能バトルの世界では最強候補らしいです〜 作:パラレル・ゲーマー
八咫烏の秘匿施設、解析室。
完全にオフライン化された解析端末のモニター上で、『黒い点』が施設内部の座標へ向かって動いた、まさにその直後だった。
皇かれんの指示により、施設内の警戒レベルが即座に、しかし極めて静かに引き上げられた。
大げさなサイレンは鳴らさない。代わりに、職員だけが共有する内部警戒コードが全域へ流れる。
宮原悠斗が収容されている保護区画への物理的な通路が封鎖され、非戦闘職員の移動が制限された。外部からの出入りも一時停止。防犯カメラ、赤外線センサー、熱源探知機、さらには霊的検知器まで、あらゆる監視網が稼働する。
急遽現場へ呼び出された杖原つかさが、結界用の呪具を展開した。
「保護区画の周囲を、二重の結界で閉じます。物理的な質量を持つものであれ、霊的な気配であれ、中からでも外からでも、何かが触れれば分かります」
久我陽介も右目に《魔眼》を展開し、吸血鬼としての鋭い嗅覚と聴覚を研ぎ澄ませた。
だが、誰もいない。
血の匂いもない。死臭もない。異様な霊的気配もない。
杖原の結界はピクリとも反応せず、監視カメラの映像には無機質なコンクリートの廊下が映っているだけだった。物理的な異常は、どこにも存在しない。
それなのに。
解析用端末の画面の中だけで、小さなラベルのない『黒い点』が、少しずつ宮原のいる保護棟へ向かって進んでいる。
「……そもそも、この黒点は『何』を表示しているんです?」
張り詰めた沈黙を破り、久我が疑問を口にした。
「これ、本当に誰かが、あるいは何かが、歩いて近づいてきてるって言えるんですか?」
情報分析担当の職員は、キーボードの上で手を止めた。
「画面の座標上では、確かに移動しています。しかし、現実の施設内には、それに対応する物理的・霊的な存在が全く検知されていません」
「前提を置かないでください」
かれんが静かに制した。
「前提?」
「はい。この黒点が『何らかの追跡者の現在地を示している』というのは、宮原さんが自身の体験からそう解釈したものです。それを事実として扱うには、まだ根拠が不足しています」
今まで、宮原も、そして久我たちでさえ、無意識のうちに『黒点=迫ってくる何かの現在地』だと思い込んでいた。
だが、かれんはその仮説をいったん白紙へ戻す。
「何かが施設内を歩いている。怪異が侵入している。黒点そのものが敵である。それらは現状、すべて推測です。私たちが確認できている事実は、『宮原さんの周囲で奇妙な異常が発生し、同時期にWikiの地図上の黒点が彼へ近づくように移動している』。そこまでです」
*
保護室。
宮原はパイプベッドに浅く腰掛けていたが、当然ながら眠れる状態ではなかった。目の下の隈はさらに濃くなっている。
久我とかれんが部屋へ入り、現状を告げた。
「先ほど、あなたの端末ではない、こちらの解析環境の地図上でも黒点が確認されました」
宮原の顔色が、一気に死人のように青ざめた。
「……ここにも、来たんですか?」
「そこは、まだ分かりません」
久我が答えた。
「でも……」
「あなたのパソコンじゃない環境でも黒点が出た。そこまでは事実です。でも、それが『何かがここまで歩いてきた』という意味なのかどうかは、まだ分かりません」
「宮原さん」
かれんが続ける。
「黒点があなたの移動に反応するのか確認するため、少しだけ協力していただきたいことがあります」
「協力?」
「施設内の別の保護棟へ移動していただきたいのです」
宮原の表情が強張った。
「……俺が、囮になるってことですか?」
「そう見えるのは分かります」
久我が真っ直ぐに答えた。
「でも、無理にとは言いません。今の部屋へ残る選択肢もあります。その場合は、俺たちが別の方法を考えます。嫌なら断ってください」
宮原は強く唇を噛み、しばらく黙り込んだ。
怖い。
しかし、自分が持ち込んだWikiのために、この施設全体が警戒状態になっていることも理解している。
「……俺が動いたら、何か分かるんですよね?」
「黒点があなたの移動に追従するのかは確認できます」
「じゃあ、やります」
宮原は、自分の意思で頷いた。
*
移送が開始された。
宮原には何も持たせなかった。
スマートフォンも、ノートパソコンも、外付けSSDも元の解析区画へ残す。財布や鍵などの私物も、八咫烏側で預かった。
身につけているのは、着の身着のままの服だけだ。
久我と杖原、そして八咫烏の武装職員二名の護衛のもと、宮原は現在の保護棟から、敷地の反対側に位置する別の保護棟へ移動する。
その間も解析室では、かれんたちが地図上の黒点を監視していた。
最初、黒点は宮原が元いた保護棟の近くで停止していた。
久我たちが別棟へ入り、新しい保護室へ宮原を収容する。
数分。
何も起きない。
「……動きました」
分析担当の職員が声を上げた。
かれんが画面を覗き込む。
黒点が、それまで進んでいた方向から曲がった。
そして、宮原が移動した新しい保護棟の座標へ向かって、再びじわじわと進み始める。
全員の空気が変わった。
ただし、一度だけでは足りない。
宮原へ再度説明し、今度はさらに離れた別の建物へ移動してもらう。
数分後。
黒点は再び進行方向を変えた。
明らかに、宮原の新しい位置へ向かっている。
「……宮原さんの移動に反応してますね」
久我がインカム越しに呟く。
「その可能性は極めて高まりました」
かれんは、まだ断定しなかった。
*
宮原は何も持たずに移動した。
それでも黒点は、元の解析室ではなく宮原がいる別棟へと向かった。
「これで少なくとも、宮原さんのPCやスマホそのものを追っている可能性はかなり低くなりましたね」
久我の言葉に、分析担当が頷いた。
「念のため、データ自体も分離します」
Wikiデータの完全なコピーを複数作成する。
元の宮原のノートPC。
八咫烏の解析専用機。
完全に別の隔離端末。
読み取り専用のバックアップ媒体。
それぞれを、敷地内でも十分に距離の離れた別棟へ分散させた。
しかし黒点は、データの存在する建物へは向かわなかった。
引き続き、生身の宮原がいる保護棟へ向かっている。
*
解析室のホワイトボードへ、現在確認できている事実が整理されていく。
【可能性が低下したもの】
・宮原のノートPCやスマートフォンなどの物理端末
・特定のサーバーやIPアドレス
・GPSなどの一般的な位置情報データ
・Wikiデータそのもの
・元のWikiサーバー環境
【まだ残る可能性】
・宮原悠斗という人間そのもの
・宮原の何らかの認識
・管理者権限
・Wikiを管理したという行為
・《管理人》という謎のページ
・有料サイト側から何らかの対象指定を受けている可能性
「一つ、試してみたいことがあります」
情報分析担当の職員が提案した。
「宮原さんが現在持っているWikiの管理者権限を外します。アカウントそのものは残し、まず権限だけを一般ユーザー相当まで落としてみます」
「やってください」
かれんが許可した。
*
宮原のアカウントから、管理者権限が剥奪された。
強制ログアウト。
既存セッションの失効。
APIキー等の管理用認証情報も無効化。
管理ページへアクセスできない、通常の閲覧者と同程度のアカウントへ変更された。
数分。
地図上の黒点が、ピタリと止まった。
五分。
動かない。
十分。
動かない。
「……止まりましたね」
久我がモニターを見る。
「偶然の可能性はまだあります」
分析担当は慎重だった。
「それに、今はログアウトさせています。管理権限が条件なのか、ログイン状態そのものが条件なのか、まだ分離できていません」
「じゃあ、そこも試しましょう」
*
宮原へ再び説明する。
「今度は、管理者ではなく普通の利用者としてログインしてもらいます」
「管理画面には入れない?」
「入れません。普通にページを見るだけです」
宮原は不安そうにしながらも了承した。
隔離端末。
ユーザー名。
パスワード。
ログイン。
一般公開されていたページのコピーをいくつか開く。
一分。
三分。
五分。
黒点。
動かない。
「ログインするだけでは、反応なし」
分析担当が記録する。
「では次です。宮原さんは、そのまま何も操作しないでください」
同じアカウント。
同じログイン状態。
八咫烏側から、宮原のアカウントへ管理者権限だけを再付与する。
権限変更。
管理者。
適用。
数秒後。
止まっていた黒点が。
ズルリと動いた。
「……っ!」
宮原が息を呑む。
「権限を外してください!」
分析担当が即座に管理者権限を剥奪した。
数秒後。
黒点も停止する。
室内が静まり返った。
*
「……ログインじゃない」
久我が呟く。
「はい」
分析担当が答える。
「少なくとも今回の検証では、一般ユーザーとしてログインしているだけでは黒点は動きませんでした。同じアカウントに管理者権限を付与した直後に移動を再開し、権限を外すと停止しています」
「じゃあ、宮原さん本人でもない?」
「そこまでは言えません」
かれんが止めた。
「宮原さん本人と管理者権限、両方が条件である可能性もあります。別人へ管理者権限を与えた場合にどうなるかは、まだ検証していません」
「……それは、今やらない方がいいですね」
久我も即座に理解した。
誰か別の人間まで対象になる可能性がある。
試すためだけに新しい被害者を作る意味はない。
宮原自身が、真っ青な顔で呟いた。
「俺が……このWikiの『管理人』だから、ですか?」
誰も答えなかった。
システム上の管理者権限。
それと、怪異的な意味での《管理人》。
二つが同じものなのかどうかすら、まだ分からない。
*
「念のため、あのページをもう一度確認します」
分析担当が、《管理人》ページを開いた。
宮原が警察へ出頭する決定打になった、謎のページ。
『最近の変更』には、ページが作成された事実だけが残っている。
編集者欄は空白。
作成したユーザーも不明。
本文データは空白。
先ほど確認した時点では、それだけだった。
ページが表示される。
空白。
……ではない。
真っ白な画面の中央。
ただ一行だけ、黒い文字が表示されていた。
『宮原悠斗』
誰も操作していない。
新しい更新履歴も増えていない。
データベースを直接確認しても、そんな文字列は本文に保存されていなかった。
なのに、ブラウザ上では《管理人》の下に、確かに宮原の本名が表示されている。
「……消してください」
宮原の声が震えた。
「データとして存在していません。本文データは空白のままです」
「でも、画面に俺の名前が出てるじゃないですか!」
「だから、通常の編集操作では消せないんです!」
久我が、パニックになりかけた宮原の肩を掴んだ。
「宮原さん。落ち着いてください」
宮原が荒い呼吸を繰り返す。
久我は、「大丈夫です」とは言わなかった。
そんな保証は、今の誰にもできない。
「俺たちは今ここにいます。少なくとも、あなた一人でこれに対処させることはありません」
宮原は何度か深呼吸し、ようやく小さく頷いた。
*
「宮原さんの管理権限を完全に破棄します」
かれんが判断を下した。
宮原本人も異論はなかった。
旧アカウントから管理者権限を剥奪した上で、アカウント自体もシステムから削除する。
管理者一覧から宮原の名前は消えた。
残るのは、八咫烏が検証・保全用に作成したアカウント一つだけ。
地図を見る。
黒点は停止したままだ。
「これで……俺、もう管理人じゃないですよね?」
宮原が縋るように尋ねた。
「システム上は、もう何の管理権限も持っていません」
分析担当が答える。
「システム上は、ですか」
久我がその言葉に引っかかった。
かれんも、《管理人》ページを再読み込みする。
画面中央。
『宮原悠斗』
アカウントは消えた。
管理権限もない。
それでも、名前だけは残っている。
「……こっちのシステムで決める『管理人』と、このページが言ってる『管理人』は、別なんですかね」
久我の推測に、かれんは慎重に答えた。
「まだ、この表示が何を基準に宮原さんを《管理人》と扱っているのか分かっていません」
否定はしなかった。
*
宮原が、《管理人》という文字を見つめながらハッとした。
「……待ってください」
「何か思い出しました?」
「昔……まだ有料サイトの記事を面白半分で整理していた頃、保存した記事の中に《管理人》って単語を見た気がします」
それがWiki管理人を指していたのか、有料サイト側の運営者を指していたのか、あるいは単なる怪談の中の言葉だったのか。
そこまでは覚えていない。
「俺のPCの過去ログ、検索していいですか?」
宮原が手を伸ばしかける。
「あなたは操作しないでください」
かれんが止めた。
「こちらで検索します」
分析担当が、隔離環境の過去データへ検索をかける。
保存済みの有料記事。
スクリーンショットから文字起こしされたデータ。
過去の投稿ログ。
削除済みページのキャッシュ。
宮原の管理メモ。
検索ワード。
《管理人》
数件がヒットした。
『廃墟の管理人に見つかった』
『サイト管理人へ削除依頼を出した』
ほとんどは、ごく普通の意味で使われているものだった。
だが、一件だけ。
有料サイトから保存された、かなり古い記事のスクリーンショット。
画像の下端が一部だけ残っており、前後の文章は欠けている。
そこに、小さな文字があった。
『記録された情報は、管理人へ引き継がれます』
久我が画面を見る。
「これって……宮原さんのことだったんですか?」
「分かりません」
宮原は首を振った。
「当時は、有料サイト側の管理人とか、そういう意味だと思ってました。正直、まともに気にもしてなかったです」
「現時点で、この一文と宮原さんを直接関連づける根拠は不足しています」
かれんは冷静だった。
有料サイトの運営者が黒点を送り込んだとも言えない。
宮原が何らかの《管理人》へ選ばれたとも断定できない。
ただ。
今までなら何でもない文章として流していた一文が、急に別の意味を帯び始めていた。
*
一旦の処置が決定された。
宮原のWiki管理権限は停止。
本人によるWikiへのアクセスも禁止する。
端末類はすべて八咫烏が保管。
宮原は引き続き、施設内の保護区画へ滞在する。
Wikiのコピーは隔離環境のみで解析を続行。
黒点の位置、《管理人》ページの表示、そのほかの異常を常時記録する。
モニター上の黒点は、完全に停止したままだ。
宮原も、少しだけ安堵した表情を見せた。
「……じゃあ、止まったんですよね?」
「今は」
久我が答えた。
「今は、ですか」
「このままずっと止まるかは、まだ分かりません」
「……そうですよね」
宮原は力なく頷き、護衛の職員と共に保護区画へ戻っていった。
*
解析室に、久我、かれん、そして分析担当の三人が残された。
全員が、ようやく深く息を吐く。
「今日は、もうこれで終わりですかね」
久我が肩を回す。
「黒点の監視は継続します」
かれんが指示を出した。
久我が部屋を出ようとドアノブへ手をかけた、その時だった。
「……待ってください」
分析担当の声が、不自然に上擦った。
久我が振り返る。
「どうしました?」
分析担当は、Wikiの『管理者一覧』を食い入るように見つめていた。
先ほど、宮原のアカウントはシステムから削除した。
現在の管理者は、八咫烏が検証・保全用に作成した一つだけのはずだった。
しかし。
画面上には、
『管理者数:2』
と表示されている。
「……二人?」
久我が駆け寄った。
分析担当が一覧を開く。
一件目。
八咫烏の管理用アカウント。
二件目。
見覚えのないアカウント。
ユーザー名。
『administrator_2』
どこにでもありそうな、あまりにも無機質な名称。
登録日時。
ほんの数秒前。
作成者。
空欄。
IPアドレス。
空欄。
認証方式。
不明。
そしてステータス。
『ONLINE』
*
「私じゃありません」
分析担当が即座に否定した。
「他に、この隔離環境の管理権限を持っている人間は?」
かれんが鋭く尋ねる。
「いません。そもそもこの環境自体、外部ネットワークから物理的に隔離されています。外からログインできる構成ではありません」
「宮原さんは?」
「保護区画です。それに、彼のアカウントは削除済みです」
「じゃあ……誰がログインしてるんです?」
久我の問いに、誰も答えられなかった。
分析担当がさらにシステムを確認する。
アクセス元。
なし。
接続ログ。
なし。
ログイン処理。
なし。
セッション生成処理。
なし。
すべてが『ない』。
なのに。
管理画面には間違いなく、
『administrator_2 ONLINE』
と表示され続けている。
「……ログインしたという記録が、どこにもありません」
「でも、今は?」
「オンライン扱いです」
久我は、ふとモニターの隅へ表示された地図を見た。
黒点は、止まっている。
宮原へ近づいてはいない。
次に、《管理人》ページを見る。
『宮原悠斗』
そして、管理者一覧。
『administrator_2 ONLINE』
「……これ。このWikiの管理人が、一人増えたってことですか?」
久我の背筋を、冷たいものが走った。
かれんは答えなかった。
「この解析環境を封鎖します。端末には触れないでください」
「すでに外部からは切れています」
「そういう意味ではありません」
解析端末そのものを含む区画を、物理的に隔離する。
不用意に電源を落とすことも、機器へ触れることも許可しない。
解析室のモニター。
黒点は、動かない。
代わりに。
管理者一覧の最下段。
『administrator_2』
その横にある小さな表示だけが、静かに点灯し続けている。
『ONLINE』
どこから接続したのか。
誰が作ったのか。
何者なのか。
何一つ分からない。
ただ一つ確かなのは。
《本物かもしれない怪異情報保管Wiki》に今この瞬間触れているのは、もう八咫烏だけではないということだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!