引退したけど写真屋として関わりたい 作:サフラニン
「分からないことがあったら何でも聞いてくださいね」
理事長秘書と名乗った駿川たづながニコリと笑う。
「あ、六平トレーナー。いらっしゃったんですね」
たづなの向く先から、小さな背格好の老人が現れた。特徴的なメガネを付け、杖をついている。オグリキャップを見ると、歓迎するように手を上げた。
「おう、来たか。オグリキャップ」
「……誰?」
「ちょ……オグリちゃん!」
「あーそうか。直接話すのははじめてだな」
老人は襟元で輝くトレーナーバッジを指さす。
「六平銀次郎。ジョーの叔父だ。ここでトレーナーやってる。アイツが来るまで俺が面倒見ることになってる」
「……!北原の!」
「横取りするようなマネはしたくなかったんだがな、カワイイ甥にあそこまで頼まれちゃあな。授業までまだ時間はある。少し学園を案内しよう」
「お、お願いします!」
ペコリと頭を下げるベルノライト。ふと視界に、会ったときからずっと無言のウマ娘の姿が映った。栗毛のショートヘアーで、春の暖かさに似合わぬ長ズボンを身に纏っている。
「あ、あの。そちらの方は……?」
「俺?ただの写真屋。依頼されて専属で写真を撮らせてもらうことになった。これ名刺」
「専属?!」
名刺を受け取りながらベルノライトが素っ頓狂な声を上げる。対照的にオグリキャップは首を傾げるだけだった。写真を撮られること自体に、特別な感情はないらしい。
「?私を撮ってくれるのか?よろしく頼む」
「写真を撮るのは得意なんでね、任せろ。で、そんな俺から提案なんだが、最初にここで一枚どうだ? 新しい門出ってのは大事なものだからな」
有無を言わせず、写真屋を名乗るウマ娘がカメラを構える。六平がカメラから逃げようとしていたが、彼女に首根っこを掴まれた。なおたづなは用事があるといって去っていった。
「ベルノライトさん、もう少し右に」
「えっと……こ、こうですか?」
肩をカチコチにしているベルノライトが右に。
「イイ感じ。そのまま。六平さんも少し左に」
「あーこうか」
相変わらずの笑わない六平が左に。
これでオグリキャップを真ん中に、綺麗にまとまった。
「そう、そのまま……はい、チーズ」
カシャ。シャッター音が、春の風に溶けた。
「じゃ、俺は一旦写真屋に戻るんで、何かあったらそっちに来てください」
「あ、ありがとうございます!……えっと」
「店長でいい」
「あ、ありがとうございます店長さん」
お辞儀するベルノライトに、なぜか店長を名乗った写真屋は「仕事だからいいって」と肩を竦める。
「六平トレーナー?どうしたんですか?さっきからじっと見つめて」
「あぁ、いや、な。どっかで見覚えがある顔な気がしただけだ」
「へぇ?」
写真屋の眉が一瞬、ピクリと動いたような気がした。しかし次の瞬間にはいつもの穏やかな笑みに戻っていた
「俺はただの写真屋だよ。どっかの誰かとたまたま似ていただけだろう」
「……そうか。俺も下手な追求はやめておくか」
フン、と鼻を鳴らす六平。
「じゃ、また今度。今日は新しい学園を楽しんで」
カメラをバッグになおしながら、写真屋は去っていった。
◆ ◆
オグリキャップとの邂逅を終えて、俺は我が写真屋へと戻っていた。
「お、おかえりてんちゃん。めっちゃ美味かったでこの信玄餅」
帰ったと思っていたタマが普通に畳部屋で寛いでいた。
「どうも、まだいさせてもらってます」
小宮山トレーナーもいた。
「帰ったと思ってたわ」
「いや、流石に主人いないのに鍵開けっぱで帰れるわけないやろ。不用心にもほどがあるで。てんちゃんの大事な店を荒らさせるわけにはいかん」
「つっても盗まれるようなものないからなぁ」
二階はともかく、一階の部分には盗むべきほど価値のあるものはない。そんなことを思っていると、タマモクロスが呆れたような表情をした。
「ちゃんと気をつけなあかんで。じゃ主人も来たことやし、ウチらは行くことにするわ」
「もう行くのか?」
「ああ。使わせてくれてありがとうな。おかげでトレーニングの日程表が決まりそうやわ」
「使わせるもなにも、店番してもらったから感謝するのは俺のほうだ。折角ならもっと寛いでいけばいいのに」
俺がそう聞くと、タマは一度だけ振り返って俺を見た。
「そうしたいのもやまやまやけど、いいライバルができてしまいそうやかならな。ウチも負けてられへん。せやから……阪神大賞典。楽しみにしとってや」
獰猛な目で、にやりと笑いながら出て行った。
「ありがとうございました、店長さん。あ、また今度ご飯行きましょう」
ぺこりと頭を下げて、小宮山トレーナーも去っていく。
残ったのは俺と、空の信玄餅の器だけだった。一瞬だけだったが、俺は無性にこの場面を撮りたくなった。
「いい写真が撮れそうだが……先に鎮痛薬買いに行くか」
◆ ◆
次の日。俺はまたトレセン学園へと踏み入れていた。
走って移動などという校則を無視し敷地をゆっくり進んでいると、一人のウマ娘と出会った。
「あ、おはようございます。ワンオンリーフォト先輩」
「ああおはよう。シンボリルドルフ」
トレセン学園の現生徒会長、シンボリルドルフ。沈み込むような青鹿毛の髪に、額の一本の流れる白髪を風に揺らす、現役時代無敗三冠を成し遂げた絶対者だ。
そして、俺の正体を知る一人でもある。
「久しぶりですね、お会いするのは」
「まぁ依頼も閑古鳥が鳴ってたからな。用事がなかったら来ることもないだろ」
「しかし、ここでトゥインクルシリーズを走ったはずでは?」
「過去の話だ」
今の俺には写真という大事なものがあるからな。
「……そうですか」
一瞬シンボリルドルフが戸惑ったような、そんな表情をした。
「今日はオグリキャップの件で?」
「ああ。今日は慣らしみたいな感じで練習風景でも撮らせてもらおうかと思ってな」
「分かりました。私も彼女には期待していますから」
「じゃぼちぼち行くわ」
「あ、今度また写真を頼みたいんです。ワンオンリーフォト先輩の写真の腕を信頼して」
「はいはい。そのときはうちに来てくれ。フォトスタジオもあるからな」
わざわざフォトスタジオを買ったのだから使わなければ意味がないのだ。いや使わなくても買っていたな。前世からの写真好きとしてフォトスタジオは逃せない。
「ところで、脚の具合は大丈夫で?」
「ん?ああ。最近はマシになってきた。長距離歩いたり本気で走ったりしなければ基本問題はないくらいだ。時々痛むがな」
鎮痛剤も少なくて済むようになってきた。一心同体だった後遺症とのお別れも近いかもしれない。そしたらまた、走ったり、遠くまで自分の足で行ける。きっと。
「それは良かったです。しかし油断大敵。どうか無理をしないでください。では私は仕事がありますので、失礼します」
「ああ。またな」
手を振って別れる。小さくなっていくシンボリルドルフの背中を見送りながら、俺は過去のことを思い出す。
昔、シンボリルドルフがトゥインクルシリーズを駆けていた時も、俺はよく彼女の写真を撮ったものだ。「皇帝」これがピッタリと当てはまるような、威厳の滲み出す写真だった。日本でのラストランである有馬記念の時の写真は未だ二階の自室に飾っているくらいだ。
ノックしてから六平トレーナーの部室に入ると、何やら慌てていた。
「どうしたんだ?」
「あ、ワンさん。それが……オグリちゃんクラシック登録をしていなくて……日本ダービーに出られないんです!!」
「あーなるほど」
クラシック登録。年末と年始にかけて行われるURAの規定のことで、これを提出しなければウマ娘はクラシックレースを走れない。三冠である皐月賞、日本ダービー、菊花賞全て。いつぞやの俺も通った審査だ。
「どうにかならないんですか?!」
ベルノライトの叫びに被せるように、六平トレーナーが重々しく口を開いた。
「落ち着け。ジョーのやつ……言ってなかったのか……まぁそれどころじゃなかったしな
……確かに日本ダービーに出場するにはクラシック登録が必要だ。それなしじゃ出走できねぇ。絶対にな」
「でも日本ダービーは私達の新しい目標で……!」
「そうはいってもなぁ……」
悩まし気に頭を掻く六平トレーナー。クラシック登録をどうこうするのはトレーナーには無理だ。それこそURAの規定を変えなければ。
しかしここでオグリキャップが口を開いた。
「直接話してくる」
「……は?誰に?」
オグリキャップは表情を変えずに、窓の外に広がる学園のある部分を指差した。
そこにあるのは生徒会長室。シンボリルドルフのいる部屋だった。
◆ ◆
「どうだった?」
生徒会長室から出てきたオグリキャップとベルノライト。ベルノライトの表情は真っ青なのに対し、オグリキャップはやけに真剣な表情をしていた。
「流石に駄目でした……中央を無礼るな、と」
「そうか、で逆にオグリキャップが闘志を溢れさせてるのは何故?」
俺がそう聞くと、ベルノライトは面白いくらい目を見開いた。
「オグリちゃん、シンボリルドルフに啖呵きったんです!! ”ならば実力で覆す。常識もルールも!この脚で!”なんて言って!!」
「へぇそりゃ凄いな」
「凄いなんて言葉で表せないくらい……というか、あの中でそれを言えたオグリちゃんもオグリちゃんで……」
ベルノライトの視線がオグリキャップへと向く。
「……トレーニングに行ってくる」
オグリキャップはそう言い残すと、さっさと歩いていった。
「ちょ、ちょっとオグリちゃん!待って!」
「血気盛んだなぁ」
そう思いながら、直観に従ってカメラを取り出す。
トレーニングへ向かうオグリキャップと、慌てて追いかけるベルノライト。
この写真も、校門の写真も、これからの序章だ。
シンデレラのような歴史の。
TIPS
〇タマモクロスはデビュー当初成績が全然良くなかった。そこでタマモクロス陣営は芝をあきらめダートを走らせたが、落馬に巻き込まれたりし、成績は振るわなかった。最後の望みをかけ芝に転向したところ、なんと一気に花開きだしたのである。
因みに幼名は「ニシキノクロス」。高松城の別称である「玉藻城」からとって「タマモクロス」になった。