引退したけど写真屋として関わりたい 作:サフラニン
次の日。
「おーいてんちゃ~ん」
お笑いを見ながらブロワーでカメラレンズの汚れを飛ばしていると、聞きなれた声が店内に響いた。
「お~タマ。いらっしゃい」
畳部屋から出ると、カウンターの前にタマモクロスの姿があった。相変わらず快活そうな笑みを浮かべている。
「今日はどうした?」
「阪神大賞典終わったからのんびりしにきてん」
タマがそう言いながらカウンター横の小さな丸椅子に座る。どうやら地面に届かないのか足が宙に浮いていた。
「あー見てたよ。テレビでな」
だから俺は結果を知っている。
「……同着一位やったわ」
あっけからんとした、しかし僅かにテンションの落ちた声でタマが言う。
「いやー同着なったん初めてや。重賞で同着一位ってめっちゃ珍しいよな」
「そうだな。俺もほとんど見たことないな。同着の相手強かったのか?」
同着のウマ娘は確か……
「強かったわ。最後まで逃げ切られかけた。早めにスピード上げたつもりやったんやけど」
「そうか」
「でも同率っていっても一着や」
「そうだな」
そこから少しの間が空いて、タマモクロスはポツリと呟いた。
「まだ日本一にはなれへんなぁ」
タマがぎこちない笑みを浮かべながら顔を伏せる。
めずらしいな、タマが落ち込むなんて。去年以来かもしれない。
「同着一位でも凄いと思うぞ。それに、ライバルができたって言ってたじゃないか」
「オグリキャップのことかいな」
「あいつ、今闘志ガンガンに燃やしてたぞ。ライバルと戦う前にそんなんでどうするんだ」
「なんや、オグリキャップに会ってきたんか?」
タマが視線を上げ、俺を見る。
「ああ。それにな、タマはまだシニアの最初。まだまだこれからだろ」
「……確かにそうかもしれんけどなぁ」
納得がいかない様子のタマ。
だが彼女に立ちはだかる壁はまだ乗り越え、突破できるのものだ。いくらでもぶつかって、いくらでも考えることができる。
そう思うと、タマが一瞬眩しく見えた。
「うし。部屋で信玄餅でも食え。考え事は食って寝れば消える」
誤魔化すように言う。
考え続けたって現実は変わらない。
写真だって一度撮ってしまえば、そこから変わることはない。
俺はズボン越しにもう二度と本気で踏み込むことのできない右脚の傷跡をそっと撫でた。
「シニアのウマ娘は経験豊富で厄介だからなぁ」
「なんや、ほんまに経験したみたいな物言いやな」
「あーまぁ長いことレースの世界でカメラマンやってるから走る側になりかけてるんかもな」
「なんやそれ」
クスッとタマが笑う。危ない危ない。
「ま、とりあえず信玄餅食いな」
「ありがとうな、毎度毎度」
よーし。食え食え。
「あ、今お笑い見てるけど一緒に見るか?」
「ぜひ頼むわ。最近笑いが不足しとったんや。コントロールドッカン出てる?」
「誰だよそれ。俺はお茶入れてくる」
タマを畳部屋に送ってから、俺は緑茶の素を取り出した。
帰るころにはタマはかなり元気になっていた。
「ありがとな、てんちゃん。じゃウチは次に向けてトレーニングしてくるわ」
「ああ。またな」
軽快な足取りで去っていくタマの背中を見送った。
『ゴォール!!後続を突き放してヤエノムテキが一着を飾りました!!』
稍と電光掲示板に表示される午後の中京レース場。そこに実況の熱狂した声が響き渡った。
「2戦目にしてすごい大差でしたね!」
「日頃の鍛錬の成果です」
「走る際に心がけている事などは?」
「努力あるのみです」
淡々と記者の問いかけに答えていく一着バ、ヤエノムテキ。
記者の群れをかきわけ、一人の眼鏡を付けた人物がマイクを向ける。
「次のレースは?!」
「毎日杯です」
毎日杯。それは奇しくも、いや必然に、オグリキャップの次走でもあった。
ヤエノムテキはオグリキャップと戦うことを、次のレースで決めていた。
場所は移り。トレセン学園。
「寂しいわね。今のトゥインクルシリーズ」
生徒会のソファーに座り、新聞を読んでいたマルゼンスキーが呟いた。
「あなたが一線を退いてからはぽっかり穴が空いたみたい」
マルゼンスキーは視線を上げ、窓傍に立つシンボリルドルフを見た。
「……色々手を尽くしているようだけど、あなたのようなウマ娘の枠を超えた不世出の大スター。そう簡単には生まれないわよ」
「……そういうものかな……」
「そういうものよ。レアなものが大量に出てきた時ってアガらないのと同じよ」
「分からなくもないが……トゥインクルシリーズの歴史を見れば、大スターは日々慮外千万に生まれるものじゃないか」
シンボリルドルフの視線が景色から、マルゼンスキーへと移る。
「セントライトが三冠を取ってから、ウマ娘達はそれに適応するように三冠を取り出した。ワンオンリーフォト、シンザン……シービーに私。時代はどんどんと加速している。レコードは更なるレコードで上書きされ続ける。いつかは私を超える存在も現れるだろうさ」
「ふーん……確かにそう思うとテンションアガらなくもないかもしれないわね」
シンボリルドルフの確信めいた表情に、マルゼンスキーは妙に信じたくなる気持ちがした。
「そういえば例の元気な転校生、デビュー戦勝ったそうね?」
「……あぁそのようだな」
「あら、素っ気ないのね?結構面白そうなことになっているわよ」
マルゼンスキーが楽しそうに肩を揺らしながら再び新聞を見る。
求む!オグリキャップダービー特別出走!
見出しには、大々的にそう書かれていた。
「よ、ベルノライト」
「あ、ワンさん」
阪神レース場をぶらついていると、ベルノライトが観客席に座っているのを見つけた。カツラと同じ栗毛の髪を揺らしながら俺を見た。
「あれ、六平トレーナーはどうした?」
「あーそれなら、飯食って新聞読んでくるって言ってました」
「なるほど真似ありがとう。じゃこの席少し借りてもいいか?」
「あ、はい。どうぞ」
許可を貰い、六平トレーナーの場所であろうベルノライトの隣席に座る。
「それで、どうだ? オグリキャップは」
「取り敢えずできる限りのことはしたつもりです。今回は直前の雨で重バ場なので、体力温存のために前半は内に入るように言ってます」
「なるほどねぇ」
重バ場は走るのに相当の力を必要とする。合理的な判断だろう。
「だが内取れるかは分からんだろ」
「え?」
「合理的な判断だからこそ、他のウマ娘や担当トレーナーもそう考えるってのが必然じゃないか?」
「た、確かに。け、けど、オグリちゃんをずっと気にしながら走ることなんてできないと思います」
「どうだろうな」
パドックからやってきているウマ娘達の方へ視線を向ける。
その中に一人、いるのだ。
それをするウマ娘が。
7枠7番。ヤエノムテキ。俺の知る、将来のオグリキャップの一人のライバル。
『阪神レース場、雨はやみましたがバ場状態は重となっております!果たして今レースへどのように影響をしてくるのでしょうか?!』
広がるターフ。ゲート前に、ウマ娘達が集う。
やはりひと際目立つのは、葦毛のロングヘアーと、栗毛のウルフカットのショートヘアか。
「おう」
突然背後から声がし、振り返る。
「……なんだ、六平トレーナーか。おどかさないで欲しいが」
「おどかすつもりはねぇよ。たまたまなっただけだ」
「そうか。すまん、ちょっと席借りてた」
立ち上がり、六平トレーナーに席を譲る。ウマ娘である俺は体力は無駄にあるのだ。走れないがな。
『大外オグリキャップゲートに入りました!GⅢ毎日杯芝2000m……今スタートしました!』
実況の声と共にゲートがカシャンと開く。
ウマ娘達が一斉に飛び出し、ターフの道を突き進む。
その中団ほどで走るオグリキャップ。
六平トレーナーに言われた通り内側に入ろうとしているのだろう。
だが、内への道に、一人のウマ娘の影が差した。
……完璧なタイミングだ。凄いな。
「右前ピッタリに?!」
ベルノライトが驚きの声を上げる。
そりゃそうだ。そのウマ娘のせいでオグリキャップは内へ入れない。その分走る距離は増える。重バ場であることを踏まえると喜ばしくないことだ。
「マズいな……オグリを内に入れないつもりだ」
六平トレーナーが苦虫を嚙み潰したように呟く。
完璧な距離感の把握。
ヤエノムテキがオグリキャップの内への道を塞いでいた。
〇TIPS
実は同着一位になることはレース、特に重賞においては滅多にない。実は長い歴史の中でも重賞での同着一位は15回もない(らしい)
判定技術の上昇している現代でも、2025年に同着一位があった。