幻想郷アウトレイジ ―白玉楼の帳簿―   作:たこ焼き 龍月

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第四章 地の底の眼

 

地の底へ降りる道は、暗かった。

 

旧地獄へと通じる縦穴は、人里からも、妖怪の山からも遠く離れた、忘れられた場所にあった。岩山の裂け目のような、ぽっかりと口を開けたその穴は、地上の者が、めったに近づかぬ場所だった。近づこうとする者もいない。地の底に降りていく用事など、まともな者には、ないからだ。妖夢は一人、その穴を、ひたすらに下へと降りていった。地上の光は、とうに見えなくなっている。あるのは、岩肌からにじむ、わずかな燐光だけだった。

 

降りるにつれ、空気が変わっていく。冥界の冷たい静寂とも、人里の生臭い喧騒とも違う。もっと重く、よどんだ、地の底の空気だった。一歩、また一歩と降りるごとに、その重さが、肩にのしかかってくる。半人半霊の妖夢にとってすら、この空気は息苦しかった。生者であれば、とうに気を失っていたかもしれない。

 

かつて、ここには地獄があったという。罪人を裁き、責め苛む場所が。煮えたぎる釜。剣の山。血の池。あらゆる責め苦が、この地の底で、繰り返されていたという。今は、その役目を終え、捨てられた。地獄は、別の場所へと移されたのだ。だがその怨念は、岩の一つ一つに、まだ染みついているようだった。妖夢が通り過ぎる岩肌から、時おりすすり泣くような、あるいは呪うようなかすかな声が、聞こえる気がした。気のせいだと妖夢は自分に言い聞かせた。だがその声は降りるにつれ、確かに増えていくようだった。

 

妖夢は刀の柄に手を添えたまま、慎重に進んだ。

 

幽々子の言葉が、繰り返し胸に響いていた。地の底は、この幻想郷で最も嘘の通じない場所。なにしろ心を読む者がいるのだから。

 

古明地さとり。地霊殿の主。すべての心を見透かす妖怪。妖夢はこれから、その者と対峙する。隠し事のできない相手と。

 

ありのままの心で参ります――妖夢は幽々子にそう告げた。その覚悟は、今も変わらない。だがいざ地の底へ近づくにつれ、奇妙な落ち着かなさが、胸の奥に広がっていくのを、妖夢は感じていた。自分の心が、すべて読まれる。それは裸で人前に立つようなものだった。取り立て人として長年、表情を殺して生きてきた妖夢にとって、それはひどく不慣れな感覚だった。

 

取り立て人の仕事とは、ある意味で、嘘の仕事だった。内心の動揺を、決して面に出さない。相手にどれほど凄まれようと、泣きつかれようと、平静を装う。それが取り立て人の流儀だった。妖夢はその流儀を長い年月をかけて身につけてきた。今ではどんなときでも表情を消すことができる。だがさとりの前ではその技は、何の役にも立たない。心の中まで、すべて覗かれてしまうのだから。妖夢は生まれて初めて自分の最大の武器が通用しない相手に、向かおうとしていた。

 

やがて縦穴の底が見えてきた。

 

そこには、広大な地底世界が広がっていた。岩の天井ははるか高くにあり、所々に、地上から漏れた光が細い筋となって差し込んでいる。その光の筋が、地底の闇を、ぼんやりと照らしていた。地底とは思えぬほど、その世界は、広く、そして奇妙に静かだった。地上の喧騒は、ここまでは届かない。ただ岩の隙間を抜ける風の音だけが、低く、唸るように響いていた。

 

その静寂の中心に、一軒の館が、佇んでいた。

 

地霊殿。

 

古い、しかしよく手入れされた館だった。地の底の汚れ仕事を一手に引き受ける、掃除屋の本拠地。死体も、証拠も、噂も、最後に行き着く場所。地上のあらゆる勢力が、口には出さずとも、その存在を知り、そして恐れている館。妖夢はその館の前に立ち、ひとつ、息を整えた。

 

不思議と、館には、おどろおどろしさはなかった。むしろ静かで、落ち着いた佇まいだった。手入れの行き届いた庭。磨かれた門扉。ここに棲む者が、決して粗暴な者ではないことを、その佇まいは物語っていた。だがその静けさが、かえって、妖夢の警戒を強めた。穏やかな顔をした者ほど、その内に、底知れぬものを抱えている。それを妖夢はこれまでの取り立てで、嫌というほど学んできた。

 

そして門を、叩いた。

 

その音は地底の静寂の中に、思いのほか大きく、響き渡った。まるで館全体に、来訪者の存在を、告げ知らせるかのように。妖夢は、その音が岩の天井に反響し、やがて消えていくのを、じっと待った。

 

---

 

応えはなかった。

 

もう一度叩こうとしたとき、門がひとりでに内側へと開いた。

 

「お待ちしていました。魂魄妖夢さん」

 

館の奥から、声がした。落ち着いた、静かな声だった。妖夢が中へ足を踏み入れると、薄暗い広間の中央に、一人の少女が、立っていた。

 

薄紫の髪。淡い色の衣。そしてその胸元には――第三の眼が、あった。閉じることのないすべてを見通す眼。その眼から伸びた幾本もの管がまるで血脈のように、少女の身体に絡みついている。

 

古明地さとり。

 

その第三の眼が妖夢を、捉えた。

 

その瞬間、妖夢は奇妙な感覚に襲われた。視線を向けられているのではない。覗き込まれているのだ。胸の眼が自分の頭蓋の奥、心の最も深いところまで、するりと入り込んでくる。それは、痛みではなかった。むしろ抵抗のしようがないほど、静かで、滑らかだった。妖夢が、これまで誰にも見せたことのない心の奥底が、その眼の前に無防備にさらされていく。妖夢は思わず身を硬くした。だが隠そうとしても、無駄なことは、わかっていた。隠そうとする、その心すら、すでに読まれているのだから。

 

妖夢は警戒を込めて問うた。

 

「待っていた、とは。私が来ることを、ご存知だったのですか」

 

さとりは静かに答えた。

 

「ええ。あなたが縦穴を降りてくるずっと前から。あなたの心が、近づいてくるのがわかりましたから。――白玉楼の刀。魔理沙を探し、その背後の闇を暴こうとする者。そういう心が、まっすぐにこちらへ向かってくるのが」

 

妖夢は息を呑んだ。

 

まだ何も語っていない。名乗りすら、していない。にもかかわらず、さとりは妖夢の目的を、すべて見抜いていた。心を読むとは、こういうことか。妖夢は改めてこの相手の恐ろしさを、思い知った。

 

それは奇妙な感覚だった。自分の頭の中で考えたことが、口に出す前に、相手に伝わっている。会話の半分が、すでに終わっているようなものだった。妖夢が何かを言おうとすると、その前に、さとりはそれを知っている。盾も、構えも、意味をなさない。妖夢はまるで丸腰で、刃の前に立たされているような、心細さを覚えた。

 

さとりはわずかに微笑んだ。

 

「驚かなくて、結構ですよ。あなたは、隠し事をするつもりが、ない。だから私も、楽です。たいていの者は、ここへ来ると必死に心を隠そうとします。考えまいとすればするほど、考えてしまう。そういう滑稽な姿を、たくさん見てきました。でもあなたは、違う。最初からすべてを、さらけ出している」

 

その言葉に、妖夢はふとあることに気づいた。さとりの声にはどこか疲れたような響きがあった。人の心を覗き見ることに、疲れた者の響き。それは力を誇る者の声ではなく、むしろその力に、苦しめられてきた者の声だった。

 

妖夢は率直に言った。

 

「隠しても、無駄でしょう。あなたには、すべて読まれてしまう。ならば、隠す意味がありません」

 

さとりは頷いた。

 

「賢明ですね。ほとんどの者は、そう考えません。読まれるとわかっていても、隠そうとする。そして隠そうとする、その心まで、私には見えてしまう。だから嫌われるのです。私が、心を読むからではなく――読んだ心の中に、その者が隠したかったものを見てしまうから」

 

さとりの声は淡々としていた。だがその淡々とした響きの奥に長い年月をかけて澱んだ、孤独の色が、にじんでいた。妖夢はその孤独に、ふと胸を打たれた。すべての心を読めるということは、すべての悪意も、すべての裏切りも、すべての嫌悪も、見えてしまうということだ。誰も、本心ではさとりに、心を許さない。許せない。それを、さとりはすべて見てしまう。これほど、孤独な力が、あるだろうか。

 

さとりはその孤独を振り払うように言った。

 

「では本題に入りましょう。あなたは、知りたいことが、あって来た。違いますか」

 

妖夢はまっすぐにさとりの眼を見た。

 

「魔理沙さんを襲った、守矢の手の者。その者を、闇の触手が、引きずり込んだと聞きました。その触手の正体を、確かめに来ました。地霊殿が、この件に、関わっているのか。関わっているなら――誰の依頼で、動いているのか」

 

さとりはしばらく妖夢を見つめていた。その第三の眼が妖夢の心の奥を、静かに覗き込んでいる。

 

やがてさとりは言った。

 

「正直な問いですね。ならば、私も、正直に答えましょう。――ええ。地霊殿は、この件に、関わっています」

 

---

 

妖夢の手が、思わず刀の柄を握った。

 

さとりは穏やかにその動きを制した。

 

「待ってください。私は、争うために、あなたを迎え入れたのではありません。それに――あなたも、本当は、すぐに刃を抜く気は、ないでしょう。まずは、話を聞きたい。そう思っている」

 

その通りだった。妖夢の心をさとりは正確に読んでいた。妖夢はゆっくりと柄から手を離した。

 

「お話し、いただけるのですか」

 

さとりは言った。

 

「ええ。あなたが、正直だからです。腹を探り合う相手には、私も何も話しません。でもあなたは、隠さない。だから私も、隠さないことにします。――それに正直に言えば、私自身、この件には少し困っているのです」

 

「困っている?」

 

さとりは館の奥へと、妖夢を招いた。広間を抜け、薄暗い廊下を進む。館の中は、外から見たとき以上に、静かで、整然としていた。廊下の壁には、古い絵が、何枚も掛けられている。だがその絵に描かれているのは、風景でも人物でもなかった。それは――かつての地獄の、光景だった。罪人が、責め苛まれる様子。炎に焼かれ、剣に貫かれる魂。それらが、淡々とした筆致で、描かれていた。地霊殿が、どういう場所であるかを、その絵は、静かに物語っていた。

 

歩きながら、妖夢は館のあちこちに、生き物の気配を感じた。猫の鳴き声。何かが、床を這うような音。地の底の動物たちが、この館を、棲み処にしているのだろう。さとりはそれらの心も、すべて読んでいるのだろうか。人の心も、獣の心も、区別なく。それはどれほど、騒がしい世界だろう。妖夢はふとそんなことを思った。

 

やがて二人は、小さな一室に、たどり着いた。そこには、簡素な卓と、二つの椅子が、置かれていた。さとりは妖夢に、座るよう促した。

 

二人は卓を挟んで、向かい合った。

 

さとりはわずかに申し訳なさそうに言った。

 

「お茶でも出したいところですが。あいにく、ここには、私とお燐と、地の底の動物たちしか、おりません。客をもてなすことには、慣れていないのです。なにしろ――客がめったに来ませんから」

 

その言葉に、また、あの寂しげな響きが、にじんでいた。妖夢は何も言わなかった。だがその沈黙すら、さとりには、読まれているのだろう。妖夢がさとりの孤独に、同情していることも。

 

さとりはふと微笑んだ。

 

「同情は、いりませんよ。慣れています。それより――話を、しましょう。私が、なぜ、困っているのか。その話を」

 

妖夢は姿勢を正した。

 

「ええ。聞かせてください」

 

さとりは静かに語り始めた。

 

「あの夜のことを、お話ししましょう。ええ。地霊殿の者が、確かに人里へ出ました。お燐――火焔猫燐。死体を運ぶことを生業とする、私の同居人です。彼女があの黒い影を操って、守矢の手の者を、引きずり込みました」

 

「ではやはり――」

 

さとりは続けた。

 

「ですが聞いてください。お燐は依頼を受けて、動いていました。誰かに、雇われていたのです。そしてその依頼の内容が――私には、解せないのです」

 

妖夢は身を乗り出した。

 

「依頼の内容、とは」

 

さとりは言った。

 

「魔理沙を襲った守矢の手の者を、始末すること。それだけならわかります。証拠を消したい誰かが、地霊殿に、後始末を頼んだ。よくある依頼です。でも――その依頼には、奇妙な条件が、ついていました」

 

「条件?」

 

さとりの眼がわずかに細められた。

 

「守矢の手の者を始末するのは、彼らが捕まり、口を割りそうになった、まさにその瞬間に、行うこと。つまり依頼主は守矢の手の者が、誰かに尋問されるのを、待っていたのです。そしてその尋問の現場で、見せつけるように、始末する。それが依頼の、本当の狙いでした」

 

妖夢は背筋が冷えるのを感じた。幽々子の読みが、当たっていた。あの闇の触手はただの口封じではない。咲夜に――いや、この件を追う者すべてに向けた、警告だったのだ。

 

さとりは続けた。

 

「普通の口封じなら。もっと早く誰にも見られぬうちに、始末します。そのほうが、確実で、安全です。わざわざ、追っ手が現れるのを待って、その目の前で、見せつけるように殺す。そんな、危険で回りくどいことを、依頼主はあえて望んだ。なぜか。答えは一つです。依頼主は追っ手に、恐怖を植えつけたかった。これ以上首を突っ込めば、お前もこうなる――と」

 

「ではあの闇の触手は、最初から追っ手に見せるためのもの……」

 

さとりは言った。

 

「ええ。誰であれ、魔理沙を追って、あの男たちにたどり着く者。その者に、警告するためのものでした。依頼主は追っ手が現れることを、見越していた。そしてその追っ手を脅すために、わざわざ地霊殿を雇った。手の込んだ、やり方です。報酬も、惜しまなかった。それだけの金をかけてでも追っ手を、怯ませたかったのでしょう」

 

妖夢はその狡猾さに、寒気を覚えた。獲物を追う者を、先回りして脅す。まるで盤面のすべてを見渡す者の、打ち筋だった。

 

「依頼主は誰なのですか」妖夢は問うた。

 

さとりはしばらく沈黙した。

 

やがてさとりは首を振った。

 

「……それがわからないのです。お燐に依頼が来たのは、文を通じてでした。顔も、声もわからない。ただ相応の報酬と、細かい指示だけが、記されていた。地霊殿は、依頼主を問わないのが、流儀です。だからお燐も深くは、詮索しなかった。――でも私は、気になりました。だから心を探ろうとしたのです。依頼の文に、込められた、心の残り香を」

 

「残り香?」

 

さとりは言った。

 

「文を書いた者の心は、わずかにその文に、染みつきます。筆を執るとき、人は何かを思っている。その思いの、かすかな痕跡が、墨と紙に残る。私はそれを読み取ることができます。普段なら――どんなに薄くとも、読み取れます。でもこの文だけは、読めなかった。まるで心そのものが、塗りつぶされているかのように。あるいは何重にも、覆い隠されているかのように。あんなことは、初めてでした」

 

妖夢はぞくりとした。心を読むさとりにすら、読めない相手。それはいったい、何者なのか。

 

妖夢は問うた。

 

「塗りつぶす、というのは。どういうことなのでしょう。心は、隠せるものなのですか」

 

さとりは答えた。

 

「普通はできません。人は、心を消すことはできない。考えるのを、やめられないように。でもごく稀に――心を別のもので覆い隠す術を、知る者がいます。たとえば嘘の感情で、本心を塗りつぶす。あるいは何も考えていないふりをするのではなく、本当に心を空にしてしまう。そういう特殊な技です。長い修練を積んだ者か――あるいは人ならざる、特別な力を持つ者にしかできません」

 

妖夢はその言葉を噛みしめた。心を塗りつぶす術を知る者。それはただの人間ではない。あるいはただの妖怪でもない。さとりの力を知り、それに備えることのできる、特別な何者か。幻想郷でもそんな芸当ができる者は、限られているはずだった。

 

さとりは声を落とした。

 

「一つだけわかったことがあります。その依頼主は――紅魔館の、筆跡を、真似ていました。まるで紅魔館からの依頼であるかのように、見せかけて。でも本物の紅魔館の心は、そこにはありませんでした。誰かが、紅魔館の名を騙っていたのです」

 

妖夢の脳裏に、咲夜の言葉がよみがえった。紅魔館の名を騙る者が、動いている。それはここでも繋がっていた。

 

---

 

「もう一つお話ししておくべきことがあります」

 

さとりは卓の上で、両手を組んだ。

 

「魔理沙のことです」

 

妖夢ははっと、顔を上げた。

 

「魔理沙さんが、どうかしたのですか。まさか、地霊殿に――」

 

さとりは妖夢の動揺をすぐに静めた。

 

「いいえ。落ち着いてください。魔理沙は、ここにはいません。地霊殿は、彼女を、匿ってもいないし、捕らえてもいない。それは本当です。私の心に、嘘がないことは――あなたにも、わかるでしょう」

 

妖夢はさとりの眼を見つめた。心を読む者の前では嘘は通じない。だがそれは逆もまた、真だった。さとり自身が嘘をついていないことも、その真摯な眼差しから、妖夢には、感じ取れた。

 

「信じます」妖夢は言った。

 

さとりは微笑んだ。

 

「ありがとう。でも私は、魔理沙の心の、かすかな痕跡を、感じ取ったことがあります。あの夜――彼女が襲われた、あの夜に」

 

「どういうことですか」

 

さとりは語った。

 

「お燐が人里へ向かう途中、霧の湖の近くを、通りました。そのとき私は、地霊殿にいながら、お燐の眼を通して、ぼんやりとその光景を感じ取っていました。そして――傷ついた、一つの心が、闇の中を必死に逃げていくのを感じたのです。それが魔理沙でした」

 

妖夢は息を詰めて聞き入った。

 

さとりは続けた。

 

「私は、遠く離れていても、強い心の動きは、感じ取れます。特に、追い詰められた心、死に瀕した心は、まるで暗闇の中の炎のようにはっきりと見える。あの夜の魔理沙の心は――まさにそういう燃え盛る炎でした。痛々しいほどに、必死で、激しい炎が」

 

さとりの声がわずかに沈んだ。

 

「彼女の心は――恐怖と、痛みと、そして強い、孤独に、満ちていました。誰も、信じられない。どこにも、行き場がない。そういう深い、絶望の心でした。考えてみれば、当然です。各勢力に使われ、その秘密を背負わされ、いざとなれば口を封じるために襲われる。彼女はずっと一人だったのです。便利な運び屋として誰からも使われながら、誰からも、本当には仲間と思われていなかった。その孤独があの夜、一気に、彼女に、襲いかかった」

 

妖夢は胸が締めつけられるのを感じた。咲夜も同じことを言っていた。魔理沙はいつも一人だった、と。その孤独をさとりもまた、心の痕跡から、読み取っていた。

 

「でもその奥に、もう一つ別の感情がありました」さとりは続けた。

 

「別の感情?」

 

さとりは言った。

 

「怒りです。自分を、使い捨てようとする者たちへの、静かな、しかし激しい怒り。魔理沙はただ逃げているのではない。彼女は――何かを、しようとしている。自分を、こんな目に遭わせた者たちに、一矢報いようと。そういう決意の心が、あの絶望の奥に、確かに燃えていました」

 

妖夢はその言葉を噛みしめた。

 

魔理沙は、生きている。傷つき、孤独の中にありながら、それでも屈してはいない。あの、けらけらと笑う魔法使いは、今闇の中で、自分を陥れた者たちへの反撃を企てている。

 

生きていてほしい、という妖夢の願いは、別の形で、報われた。魔理沙はただ生きているだけではなかった。戦おうと、している。

 

その事実は、妖夢の胸に、奇妙な熱を、灯した。あの、軽口ばかり叩いていた魔法使いが、絶望の底で、なお、立ち上がろうとしている。たった一人で、幻想郷のすべての勢力を、相手取って。それは無謀なことだった。勝ち目など、あるはずもない。だがその無謀さが、いかにも、魔理沙らしかった。妖夢はふと笑みが、こぼれそうになるのを感じた。そうだ。あの魔法使いは、そういう人間だった。誰に使われても、誰に裏切られても、最後には自分の足で、立ち上がる。

 

だからこそ見つけ出さねばならないと妖夢は思った。魔理沙が、一人で、無謀な戦いに、身を投じる前に。彼女を、独りにしてはならない。

 

さとりがふと妖夢の眼を覗き込んだ。

 

「魂魄さん。あなたの心も、今揺れていますね。魔理沙を救いたい。でもあなたは、白玉楼の刀。主の命に、従う者。その二つの間で、あなたは、揺れている」

 

妖夢は何も言わなかった。だがさとりには、すべて見えていた。

 

さとりは優しく言った。

 

「いいのですよ、隠さなくて。人の心はいつも一つではありません。使命と、願い。打算と、情。その二つが、せめぎ合うのが、当たり前です。あなたはそれを、無理に、一つにしようとしている。でも――その必要は、ないのかもしれません」

 

「と、申しますと」

 

さとりは言った。

 

「白玉楼の刀として、魔理沙を救う。それができるなら――使命と願いは、矛盾しない。あなたの主は、魔理沙を生きて見つけたいと、望んでいる。借金を、返してもらうために。それはあなたが、魔理沙を救いたいという願いと、同じ方向を、向いています。だからあなたは、迷わなくて、いい」

 

妖夢はその言葉に、胸の重みが少し軽くなるのを感じた。

 

そうだと妖夢は思った。自分は、白玉楼の刀であることと魔理沙を救いたいという願いを、別々のものとして引き裂いて考えていた。だから苦しかった。だがその二つは、本当は、一つの方向を、向いている。幽々子は、魔理沙を生きて見つけよ、と命じた。それは妖夢自身の願いと、寸分も、違わない。ならば、迷う必要は、どこにもなかった。妖夢は白玉楼の刀として、そして一人の半人半霊として、魔理沙を救えばいい。

 

心を読む者は、人の弱みを暴くだけの存在ではなかった。さとりは妖夢自身が、気づいていなかった、心の整理を、してくれた。使命と願いは、矛盾しない。同じ方向を、向いている。だから迷わなくて、いい。

 

妖夢は頭を下げた。

 

「ありがとうございます。少し、楽になりました」

 

さとりは微笑んだ。

 

「どういたしまして。心を読むというのは――嫌われることばかりですが。たまには、こうして、人の役に立つことも、あるのです」

 

その言葉にはどこか寂しげな響きがあった。妖夢はふと思った。すべての心を読んでしまうこの妖怪は、誰からも、恐れられ、遠ざけられてきたのかもしれない。地の底にひっそりと暮らしているのも、そのためなのかもしれなかった。

 

---

 

そのとき。

 

館の奥から、慌ただしい足音が、近づいてきた。

 

「さとり様!」

 

部屋に飛び込んできたのは、赤い髪の少女だった。猫のような耳と、二股の尾を持つ。火焔猫燐――お燐だった。死体を運ぶことを生業とする、地霊殿のペット。だがその目にはただの使い魔ではない、鋭い知性が宿っていた。あの夜、闇の触手を操って、守矢の手の者を引きずり込んだのは、この少女だった。妖夢は改めてその小柄な身体に潜む力を思った。

 

「さとり様、大変です。あいつらが――地上の、あいつらが、また」

 

お燐は妖夢の姿を見て、ふと言葉を止めた。警戒の色が、その顔に走る。猫の耳が、ぴくりと、後ろへ倒れた。見知らぬ侵入者への、本能的な威嚇だった。

 

「さとり様、こいつは」

 

さとりが静かに言った。

 

「お客様よ、お燐。白玉楼の、魂魄妖夢さん。敵ではありません。落ち着いて、話しなさい。何が、あったの」

 

お燐はなおも、妖夢を、横目で警戒していた。だがさとりの言葉には、逆らわなかった。主の心を誰よりも信じているのだろう。やがてお燐は警戒を半ば解いて、報告を始めた。

 

お燐は言った。

 

「地上から、また、依頼が来ました。例の、紅魔館の名を騙る、あの依頼主からです。文がいつもの場所に、置いてありました。同じ筆跡。同じ、気味の悪い感じの文です」

 

「今度の依頼は?」さとりが問うた。

 

お燐は答えた。

 

「それが――魔理沙の、捜索です。地霊殿の力で、魔理沙を見つけ出せ、と」

 

妖夢の表情が、険しくなった。

 

「捜索? 始末ではなく?」

 

お燐は答えた。

 

「ええ。見つけ出して、ある場所まで、連れてこい、と。殺すな、傷つけるな、生きたまま連れてこい――そうはっきり、書いてありました。報酬は、これまでの、三倍。かなりの大金です。地霊殿が、半年は遊んで暮らせる額ですよ、さとり様」

 

お燐の声にはわずかにその報酬への、未練がにじんでいた。掃除屋として、これほどの大金を、みすみす逃すのは、惜しい。そういう現実的な打算が、お燐にはあった。だがさとりの表情を見て、お燐は口をつぐんだ。

 

さとりの眼がすっと、細められた。

 

さとりは呟いた。

 

「妙ね。これまで、依頼主は証拠を消すことばかり、求めていた。守矢の手の者を、始末する。痕跡を、消す。それが依頼の中身だった。でも今度は――魔理沙を生きたまま、連れてこい、と」

 

「依頼主の狙いが、変わったのでしょうか」妖夢が問うた。

 

さとりは考え込んだ。

 

「あるいは最初から、これが、本当の狙いだったのかもしれません。証拠を消し、追っ手を攪乱し、その隙に――魔理沙を自分の手で、確保する。そのための、地ならしだったのかも」

 

妖夢はぞくりとした。

 

もしそうだとすれば、この依頼主は恐ろしく、用心深く、そして狡猾だった。守矢を使い地霊殿を使い紅魔館の名を騙り、各勢力を攪乱しながら、その混乱の陰でただ一人、魔理沙という獲物を静かに追い詰めていく。すべては、計算ずくだったのだ。

 

妖夢は問うた。

 

「ですが、解せません。なぜ、今になって、生け捕りなのでしょう。これまでは、証拠を消し、関わった者を、始末していた。なのに、魔理沙さんだけは、生きたまま、欲しがっている。殺すのではなく、確保したい。その違いは、何を、意味するのでしょう」

 

さとりはしばらく、考え込んだ。

 

さとりはゆっくりと答えた。

 

「おそらく――魔理沙が何かを、持っているのです。殺してしまっては、得られない、何か。それを、生きた魔理沙から、引き出したい。あるいは魔理沙が、知っている何かを、聞き出したい。だから殺せない。傷つけることすら、避けたい。生きたまま、無傷で、手元に置きたいのです」

 

「魔理沙さんが、持っているもの……」妖夢は呟いた。

 

紫の言葉が、よみがえった。あの子が運んでいた荷の中に、本来この幻想郷にあってはならないものが、混じっていた。それが、何なのかは、紫にもわからない、と。その「あってはならないもの」を、魔理沙は、今も、持っているのかもしれない。だからこそ、黒幕は、魔理沙を、生きたまま、欲しがっている。

 

さとりは声を落とした。

 

「これは、ますます、危険な話になってきました。魔理沙はただの口封じの対象ではない。何か、もっと重要な、鍵を握っている。そしてその鍵を奪おうとする者が、各勢力を裏から操っている」

 

妖夢の胸に、重い予感が広がった。魔理沙を巡る闇は、思っていたよりも、はるかに、深かった。

 

さとりは決然と言った。

 

「お燐。その依頼は、断りなさい」

 

お燐が驚いて、顔を上げた。

 

お燐は戸惑ったように言った。

 

「断る? でもさとり様。地霊殿は、依頼を、選ばないのが、流儀では。これまで、どんな依頼も、受けてきました。誰の依頼かも問わず、何のためかも問わずただ淡々と片付ける。それが地霊殿でしょう。なのに、なぜ、今度だけ――」

 

さとりは答えた。

 

「ええ。普段は、そう。でもこの依頼は、違う。私には、わかるの。この依頼主は――地霊殿をただの掃除屋として、使っているのではない。私たちを、もっと大きな、悪意の片棒を、担がせようとしている。そういう心の臭いが、するの」

 

「悪意の、片棒……?」

 

さとりはお燐の眼を見つめた。

 

「お燐。あなたは、感じなかった?あの文に、込められた、ねばつくような、暗いもの。誰かを徹底的に追い詰めて、なぶろうとする嗜虐の心。私には、それが塗りつぶされた向こうから、わずかに滲み出ているのが、わかった。この依頼主は――ただ魔理沙を確保したいのではない。あの子を、追い詰めて、苦しめることを、楽しんでいる」

 

お燐の顔がわずかにこわばった。

 

「そんな、依頼主だったんですか……」

 

さとりはきっぱりと言った。

 

「ええ。だから断るの。私たちは、死を扱う。秘密を扱う。それは確かに汚れた仕事よ。でも私たちは、誰かの、嗜虐の道具にはならない。掃除屋には、掃除屋の、矜持があるの」

 

さとりは立ち上がった。その胸の第三の眼が、薄暗い部屋の中で、わずかに光った。

 

さとりの声には静かな、しかし確固たる意志が、こもっていた。

 

「地霊殿は、中立よ。誰の味方もしないし、誰の敵にもならない。死と、秘密を、淡々と片付けるだけ。でもそれは――誰かの、悪意の道具になる、という意味ではない。私は、この依頼主の、駒にはならない。たとえ、報酬が、どれほど、積まれようとも」

 

お燐は深く頷いた。先ほどまで報酬に未練を見せていた顔は、もう消えていた。主の決意を聞いて、お燐もまた、腹を決めたようだった。

 

「……わかりました、さとり様。あたしも、そんな奴の、言いなりには、なりたくないです。あの黒い影は、人を、脅すための、道具じゃない。あたしの、誇りです」

 

妖夢はその姿を見つめた。

 

心を読む妖怪。地の底の、掃除屋の主。恐れられ、遠ざけられてきた存在。だがその心の奥には、確かな矜持があった。中立を、商売にしながらも、悪意の道具にだけはならない。それは白玉楼の流儀とも、どこか通じるものだった。幽々子もまた、誰の味方もせずただ筋を通すことだけを、貫いている。立場は違えど、地の底にも冥界にも、譲れぬ一線を持つ者がいる。妖夢はそれを、心強く思った。

 

妖夢は言った。

 

「さとりさん。一つお願いがあります」

 

さとりは微笑んだ。

 

「ええ。わかっています。あなたの心に、もう書いてありますもの。――その依頼主の、次の動きを、掴んだら、白玉楼にも、知らせてほしい。そう思っているのでしょう」

 

「……はい」

 

さとりは頷いた。

 

「いいでしょう。私も、この依頼主の正体が、知りたい。地霊殿を、悪意の道具にしようとした者。その正体を暴くためなら――白玉楼と手を組むのも、悪くありません」

 

妖夢の胸に、かすかな希望の光が差した。

 

白玉楼。紅魔館の咲夜。そして地霊殿のさとり。立場も思惑も異なる者たちが、一人の魔法使いを巡り、その背後の見えざる悪意を巡って、少しずつ繋がり始めていた。

 

---

 

地霊殿を辞す前、妖夢はさとりに、最後の問いを、投げかけた。

 

「さとりさん。あなたは、この一件の、黒幕が、誰なのか――心当たりは、ないのですか。心を読むあなたなら何か、感じるものが、あるのでは」

 

さとりはしばらく沈黙した。その第三の眼が遠くを、見つめるように、揺れた。

 

さとりは慎重に答えた。

 

「心当たり、というほどではありません。ただ――一つ気になることがあります。この依頼主の、心の塗りつぶし方。あれはただの隠蔽ではありません。心を読まれることを、知っている者の、やり方です」

 

「読まれることを、知っている?」

 

さとりは言った。

 

「ええ。私のような心を読む者がいることを知っていて、それに備えている。つまりこの依頼主は――地霊殿のことを、よく、知っている。私の力のことも。だからこそこれほど、巧妙に、心を覆い隠せる。普通の者にはできないことです」

 

妖夢は息を呑んだ。

 

地霊殿のことを、よく知る者。さとりの力を知り、それに備える者。それは幻想郷の裏の事情に、深く通じた、誰かだということだ。守矢でも紅魔館でも八雲でもない、もっと別の――いやと妖夢は思い直した。あるいはそれらの勢力の、誰かなのかもしれない。表向きは、魔理沙を探す側に立ちながら、その裏で、この一件のすべてを操っている誰か。

 

妖夢は問うた。

 

「さとりさん。もう一つだけ教えてください。その依頼主の心からは――ほんのわずかでも何か、読み取れたものは、ないのですか。塗りつぶされた、その隙間から」

 

さとりはしばらく考え込んだ。

 

やがてさとりはためらいがちに言った。

 

「……一つだけ。ほんの一瞬塗りつぶしの、綻びのようなものがありました。そこから、漏れ出ていたのは――深い深い執着でした。魔理沙という存在への、異常なまでの、執着。それは憎しみとも、欲望とも違う。もっと捻れた、複雑な感情でした。まるで――自分のものにならないならいっそ壊してしまいたい。そういう歪んだ独占欲のような」

 

妖夢の背筋を、寒気が走った。

 

魔理沙への、歪んだ執着。それはただ秘密を消したいという、打算ではない。もっと個人的で、もっと暗い何かだった。この黒幕は、魔理沙に対して、何か、深い因縁を、抱えている。それが何なのかはわからない。だがその執着の深さこそが、この一件を、これほど複雑で危険なものにしている。

 

さとりは首を振った。

 

「これ以上は、わかりません。でも一つだけ言えることがあります。その者は――とても近くに、いるのかもしれません。あなたが、すでに出会った者の中に。あるいはあなたが、味方だと、思っている者の中に」

 

その言葉は不穏な余韻を残して、地の底の空気に、溶けていった。

 

妖夢は刀を握り直した。

 

味方だと思っている者の中に、黒幕がいるかもしれない。それは咲夜のことだろうか。あの、忠義に厚いメイドが、実はすべてを欺いているのか。それとも、八雲か、守矢の誰かか。あるいは――妖夢はその先を、考えることを、ためらった。まさかと思いながらも、その「まさか」を完全には否定できない自分が、いた。

 

いやと妖夢は首を振った。咲夜の心は見た。あの、主への忠義は、本物だった。さとり自身が、咲夜を疑ってはいない様子だった。だとすれば、黒幕は、もっと別の――まだ姿を見せていない、誰かだ。妖夢は自分にそう言い聞かせた。だがさとりの言葉は、棘のように、胸に刺さったまま、抜けなかった。

 

妖夢は深く、頭を下げた。

 

「ありがとうございました、さとりさん。あなたの言葉、忘れません」

 

さとりは見送りながら言った。

 

「お気をつけて、魂魄さん。地上は――地の底よりも、ずっと暗い場所かもしれませんよ。なにしろ誰も、心を見せてくれないのですから」

 

その言葉には皮肉ではなく、むしろいたわりのような響きがあった。心を読むさとりにとって、地上とは、嘘と隠し事に満ちた、見通しの利かぬ世界なのだろう。妖夢のような心を読めぬ者は、その闇の中を手探りで進まねばならない。さとりはそれを、案じてくれていた。

 

妖夢はふと足を止めて、振り返った。

 

「さとりさん。もしいつか――この一件が、終わったら。そのときは、また、ここへ、来てもいいでしょうか。あなたと、話しに」

 

さとりの眼がわずかに見開かれた。それから、その顔に、これまでで一番柔らかな笑みが浮かんだ。

 

さとりは静かに言った。

 

「……ええ。いつでもどうぞ。あなたのような、心を隠さない人は、珍しい。話していて、楽でした。地の底は、いつでもあなたを、歓迎します」

 

その言葉に、妖夢は深く頷いた。すべての心を読み、誰からも遠ざけられてきたこの妖怪に、ほんの少しでも心を許せる相手が、できたなら。それは悪くないことだと、妖夢は思った。

 

妖夢は地霊殿を後にし、再び縦穴を、上へと登り始めた。

 

地の底の闇が、徐々に、遠ざかっていく。だがその心の中には、さとりの最後の言葉が、重く、沈んでいた。

 

味方だと思っている者の中に、黒幕がいるかもしれない。

 

そして魔理沙への、歪んだ執着を抱えた、誰か。心を塗りつぶす術を知り、地霊殿の力すら、知り尽くした、誰か。その姿は依然として、深い闇の中だった。だがその闇の輪郭が、少しずつ見え始めているような気が、妖夢にはしていた。

 

登るにつれ、地上の光が、見え始めた。

 

縦穴を抜け、妖夢は久しぶりの、地上の空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。地の底の、よどんだ空気の後ではそれはひどく、清々しく感じられた。だが――さとりの言う通りだった。この、明るく見える地上こそが、本当の闇なのだ。誰もが、心を隠し、笑顔の裏で何かを企む。心を読めぬ妖夢はその闇の中を、進んでいかねばならない。

 

妖夢は冥界へと、白玉楼へと、歩き出した。

 

主に、報告せねばならない。地霊殿のこと。心を塗りつぶす、黒幕のこと。そして――その黒幕が、魔理沙に抱く、歪んだ執着のことを。

 

歩きながら、妖夢は刀の柄に、そっと手を添えた。楼観剣と白楼剣。この刃が、いつか、その黒幕に、向けられる日が、来るのだろうか。

 

刀がどこを斬るかは、そのとき刀自身が、いちばんよく知っているものよ――幽々子の言葉が、また胸によみがえった。

 

その日は、もうそう遠くないのかもしれない。妖夢はそんな予感を、胸に抱きながら、地上の道を、歩いていった。日は、まだ高かった。だが妖夢の行く手には、地の底よりも深い闇が、待っているように思えてならなかった。

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