BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

1 / 4
BWっていいよねから始まりました。
つたないところもありますがよろしくお願いしますm(__)m



第1話 カノコタウンの四人目

朝のカノコタウンは、まだ半分だけ眠っていた。

 

窓を開けたとき、最初に入ってきたのは湿った草の匂いだった。夜の名残をわずかに残した風が、部屋の中へ細く流れこんでくる。遠くで鳥ポケモンが鳴いて、その声に応えるみたいに、どこかの庭先から別の鳴き声が返った。

 

今日から旅に出る。

 

その事実は、目を覚ました瞬間から頭の中にあった。寝ぼける暇もなく、起きたときにはもう、胸の奥にそれが座っていた。なのに、シンは思っていたほど落ち着きを失っていなかった。手が震えるわけでもない。息が浅くなるわけでもない。

 

ただ、変に静かだった。

 

自分でも、その静けさが少し不思議だった。

 

「……ほんとに今日か」

 

誰に聞かせるでもなく呟く。

 

部屋の隅に置いてあった鞄は、昨夜のうちにもう詰めてある。着替え、タオル、小さなノート、筆記具、傷薬、母親に持たされた包み。忘れ物がないかどうかは、寝る前に二回確認した。なのに、いざ朝になると、まだ何か足りない気がする。

 

旅立つ前って、こんなものなのかもしれない。

 

足りないものが本当にあるんじゃなくて、自分の中の何かがまだ追いついていないだけだ。

 

階下から、食器の触れ合う音がした。

 

「シン、起きてる?」 「うん」

 

母の声は、いつもと変わらない。変わらないのに、その変わらなさが少しだけありがたかった。

 

階段を降りると、食卓には簡単な朝食が並んでいた。温かいスープ、パン、卵料理。旅立ちの日だからといって、急に特別豪華になるわけでもない。そういうところがカノコタウンらしいと、シンは思った。

 

「ちゃんと食べていきなさいよ」

「わかってる」

「わかってるって言う子ほど、外では適当になるんだから」

「なら言わないほうがよかった?」

「もっとだめ」

 

母は笑いながら言ったが、その笑い方の端に、ほんの少しだけ心配が混じっているのをシンは感じた。

 

たぶん、見送りたくないわけじゃない。嬉しくないわけでもない。けれど、自分の手の届く範囲から子どもが出ていくというのは、それだけで落ち着かないものなのだろう。

 

それはシンにも少しわかった。

 

旅に出たい。外を見たい。知らない場所へ行きたい。その気持ちは本物だ。

 

でも、いまこうして家の中で食器の音を聞いていると、ここを出ていくことが急に現実味を持つ。今まで当たり前にあったものが、今日からは“戻る場所”になるのだと思うと、胸の中に妙な空白ができた。

 

「研究所でしょ?」

「うん」

「トウヤくんたちももう行ってるかもね」

「かも」

 

パンを口に運びながら、シンは窓の外をちらりと見た。

 

空はよく晴れていた。雲が高くて、風はやわらかい。旅立ちの日としては出来すぎなくらいだ。こういう日に雨が降ってくれたら、少しは気持ちの整理もつきやすいのに、と一瞬だけ思って、自分でも変なことを考えたなと苦笑した。

 

母は席を立つと、台所の引き出しから小さな布袋を出してきた。

 

「これ」

「何」

「細かいもの入れ。こまごましたの、鞄の中で散るでしょ」

「用意よすぎるだろ」

「母親なめないで」

 

受け取ると、布袋は思ったよりしっかりした手触りだった。新品ではない。たぶん家にあったものをそのまま持たせたのだろう。そういうところも、いかにも母らしかった。

 

「ありがと」

「うん」

 

短く言うと、母はそれ以上何も言わなかった。

 

“気をつけて”とか、“無茶しないで”とか、そういう言葉はもちろん嬉しい。でも、こういう何でもないやり取りのほうが、あとで長く残るのかもしれないと、シンはふと思った。

 

食事を終えて、玄関で靴を履く。

 

扉を開けた瞬間、朝の空気がひときわ明るく感じられた。庭先の草はまだ少し濡れていて、土は夜の冷たさを残している。見慣れた景色のはずなのに、今日はどこか輪郭がくっきりしていた。

 

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

それだけで十分だった。

 

振り返らずに歩き出したあとで、背中に視線を感じた。きっと母は、姿が見えなくなるところまで見送っているのだろう。シンはわざと足を速めなかった。変に急ぐと、余計に旅立ちを意識してしまいそうだったからだ。

 

カノコタウンの道は短い。

 

家々のあいだを抜ければ、すぐに研究所の白い建物が見えてくる。小さな町だから、どこへ行くにもそれほど時間はかからない。なのに今日は、その短さが妙に惜しかった。まだ旅立つ前でいたいような、でも早く始まってほしいような、落ち着かない気分が足もとにまとわりつく。

 

研究所の前には、もう三人集まっていた。

 

最初に気づいたのはベルだった。シンの姿を見つけた途端、ぱっと肩を上げる。

 

「あ、シン! やっと来た!」

「別に遅れてないだろ」

「でも最後じゃん」

「最後だと何かあるのか?」

「なんか……最後ってだけでちょっとずるい感じがする」

 

よくわからない理屈だった。

 

ベルはいつも、言葉の前に気持ちが出る。考えていないわけじゃない。たぶん考えるより先に、感情のほうが表へ出てしまうのだろう。その危なっかしさが、時々子どもっぽく見える。

 

チェレンはそんなベルを横目で見ながら、ため息をひとつついた。

 

「まだ始まってもいないのに騒ぎすぎだよ」

「だって今日だよ!?」

「だからこそ落ち着いたほうがいい」

「チェレンは落ち着きすぎ!」

「君が落ち着かなすぎるんだ」

 

ぽんぽんと言い合う二人の少し後ろで、トウヤが笑っている。

 

「まあまあ。まだポケモンももらってないのに、ここで消耗してどうするんだよ」

「トウヤは人のこと言えないだろ」

 

シンが言うと、トウヤは肩をすくめた。

 

「俺は楽しんでるだけ」

「同じだよ!」

 

ベルが言い返し、結局その場に小さな笑いが広がる。

 

三人とも、いつも通りだった。

 

それが少しだけ意外で、少しだけ安心した。

 

旅立ちの日だからといって、急に全員が特別な顔をするわけじゃない。ベルは朝からうるさいし、チェレンは理屈っぽいし、トウヤは余裕ぶってる。シン自身だって、たぶんいつもより少し黙っているだけだ。

 

それでいいのかもしれない、とシンは思った。

 

研究所の扉が開いて、アララギ博士が顔を出す。

 

「あら、全員そろったわね」

 

白衣の裾を揺らしながら、博士は四人を順に見回した。研究者らしい鋭さと、大人らしいやわらかさが同時にある人だと、シンは前から思っていた。何かを見抜く目をしているのに、子どもを萎縮させる感じはない。

 

「入りなさい。せっかくだし、ちゃんと説明してからにしましょう」

 

研究所の中は明るかった。

 

窓から入る光が床へ広がり、機械のランプが静かに点いている。いつ来ても少しだけ薬品と紙の匂いがする場所だ。けれど今日は、その空気さえも少し特別に感じられた。

 

机の上には三つのモンスターボールが並んでいた。

 

ベルが息をのむ。

 

「……ほんとに三つある」

「当たり前だろ」

 

チェレンが言う。

 

「前からそう聞いてたんだから」

「いや、でも実物で見ると違うじゃん!」

「まあ、それはわかる」

 

トウヤがそう言ったのを聞いてシンも内心で同意した。

 

話では知っていた。

今日、ここでポケモンを受け取ることも。

旅に出ることも。

そのはずなのに、こうして机の上にボールが並んでいるのを見ると、急に現実味が増す。今までは“旅に出る予定”だったものが、“旅が始まる瞬間”へ変わる。

 

アララギ博士は四人の反応を見て、小さく笑った。

 

「……と言いたいところなんだけど」

「え?」

 

ベルが目をぱちくりさせる。

 

博士は机の端へ手を伸ばし、そこに置かれていたもう一つのボールを持ち上げた。

 

「本当は三匹だけの予定だったの。でも今回は少し事情があって、保護していた子を一匹、追加で預かっているのよ」

「追加?」

 

チェレンが眉を上げる。

 

「どういうことですか」

「この子、少し前に怪我をして保護されたの。今はもう元気だけど、研究所でずっと預かるより、ちゃんと一緒に歩いてくれるトレーナーのところへ行ったほうがいいと思ってね」

 

博士がそう言った瞬間、手の中のボールが、こつんと小さく跳ねた。

 

シンはそれを見逃さなかった。

 

中のポケモンが、聞いている。しかも、ただ大人しく待っている感じではない。存在を主張している気配がある。

 

「元気そうだな」  トウヤが笑う。 「少し、どころじゃないかも」  博士も苦笑した。

 

ベルがボールへ顔を寄せかけて、はっと引く。

 

「怒られたりしない?」

「たぶん大丈夫よ」

「たぶん!?」

「気は強いけど、悪い子じゃないわ」

 

研究所の空気が少しだけゆるむ。

 

けれど、シンの胸の奥には別の感覚が生まれていた。

 

保護されていた追加の一匹。

 

それが何なのか、妙に気になった。

 

四人で顔を見合わせる。

 

本来は三匹のはずだった旅立ちのポケモンが、今日は四匹いる。それだけで、最初から少し予定がずれている。原作通りでも、教科書通りでもない。自分たちの旅は最初から少しだけ横へずれて始まるらしい。

 

それが、なぜか悪くない気がした。

 

「順番はどうする?」

博士が訊く。

 

ベルがすぐに手を挙げかけて、途中で止まった。

 

「……えっと」

「言い出したのに迷うのか」

 

チェレンが呆れたように言う。

 

「だって、ほんとに選ぶってなったら急に怖いし……」

「なら俺から行く?」

 

トウヤが軽く言う。

 

その言葉に、シンは机の上のボールへもう一度視線を落とした。

 

三つの通常の旅立ちのポケモン。

 そして、追加の一匹。

 

頭より先に、気になるほうへ意識が向いた。

 

「……いや、俺が先でいい?」

三人がそろってシンを見た。

 

「へえ」  

トウヤが少し笑う。

 

「珍しいな。先に出るじゃん」

「別に」

「でも、そういうとこあるよね」  

ベルが言う。

「静かなのに、急に先に行くときある」

「褒めてる?」

「半分くらい」

 

チェレンは何も言わなかったが、反対もしなかった。

 

シンは机へ歩み寄る。

 

並んだボールの前で足を止めたとき、胸の奥にいた静けさが、少しだけ熱へ変わった。どれを選んでも旅は始まる。けれど、自分が最初に手を伸ばしたい相手はもう決まっていた。

 

シンは追加で置かれていたボールへ手を伸ばした。

 

「この子」

「やっぱりね」 

アララギ博士が小さく笑う。

 

「そう言うと思った」

 

ボールを持ち上げた瞬間、中でまた小さく気配が動く。

 

シンはゆっくりとそれを開いた。

 

白い光が弾ける。

 

床に現れたのは、ミジュマルだった。

 

青い顔をきりっと上げ、貝剣を腹に抱えたその姿は、見た目だけならよく知っているポケモンのはずだった。けれど、実際に目の前へ飛び出してくると、思っていたよりずっと生きた圧がある。

 

ミジュマルは着地した途端、まっすぐシンのほうへ歩いてきた。

 

迷わない。

 

警戒も、ためらいもほとんどない。

 

ただ、前へ出てくる。

 

その足取りに、シンは思わず少しだけ息を止めた。

 

「……はや」

 

自分でも変な感想だと思った。けれど、それが一番近かった。

 

博士が言っていた“気が強い”というのは、たぶんこういうことだ。落ち着いているわけではない。むしろかなり前のめりだ。けれど怯えてはいない。知らない相手に対しても、まず引くより先に詰めてくる。

 

ミジュマルはシンの足もとで止まり、じっと顔を見上げた。

 

挑むみたいな目だった。

 

お前はどうなんだ、と問いかけてくるような。

 

シンの胸の奥が少しだけ熱くなる。

 

こういう目は嫌いじゃない。

 

「おもしろい子選んだね」

トウヤが言う。

「最初から懐いてるっていうか、試してるっていうか」

「たぶん両方」  

博士が答えた。

 

「シンくん、気に入られてるわよ」

「それ、いい意味ですか?」

「少なくとも悪くはないわね」

 

ミジュマルはそんな会話など聞いていないみたいに、すでに研究所の中を見回している。落ち着かないというより、じっとしていられないのだろう。動きたい。確かめたい。前に出たい。そういう気配が全身から出ていた。

 

シンはしゃがみ込み、ミジュマルと目線を合わせる。

 

「よろしく」

ミジュマルは一瞬だけ目を細め、それから満足したように小さく鳴いた。

 

たぶん、これで決まりだった。

 

トウヤはその流れを見て、迷わずツタージャを選んだ。

 

ボールから現れたツタージャは、細い体をしなやかに揺らしながら周囲をひと巡りして、最後にトウヤの肩へするりと目を向けた。すぐになつくという感じではないが、落ち着いている。相手を観察して、自分の位置を決めるタイプだ。

 

「お、かっこいい」  

トウヤが笑う。

 

「俺より賢そう」

「それはそうかも」  

チェレンが真顔で言う。

 

「ひどくない?」

「事実なら仕方ないだろ」

 

そのあとチェレンはポカブを選んだ。

 

火を持つポケモンらしい温かさと、ぽてっとした体つきの可愛さがある。だが、チェレンがボールを開いたときのポカブは、見た目よりずっと落ち着いていた。すぐに暴れる感じではない。周りを見て、飼い主を見て、それから静かに鼻を鳴らす。

 

「君とはちゃんとやれそうだ」

チェレンが言うと、ポカブは小さく鳴いた。

 

最後に残ったベルは、机の上に残る三つ目のボール

 

さっきまでの勢いはどこかへ消えて、今は本気で迷っている顔をしている。

 

「どうしよう……」

「好きに決めればいいだろ」  

シンが言う。

 

「それが一番むずかしいの!」

「さっきまであんなにうるさかったのに」

「うるさいって言わないで!」

 

ベルは口をとがらせたあと、深呼吸した。

 

それから、博士が預けていた最後のボールへ手を伸ばす。

 

「……わたし、この子にしてみる」    

アララギ博士が目を細める。

 

「だめでした?」

「ううん。むしろ、合ってるかもしれない」

 

ベルがボールを開く。

 

飛び出したのは、もう一匹のミジュマルだった。

 

だが、シンの相棒とは空気が違う。

 

着地した瞬間から胸の張り方が違った。あたりを見回す目つきが、妙に堂々としている。警戒していないわけではない。たぶんちゃんと周囲を測っている。なのに、それを少しも不安そうに見せない。

 

むしろ、「まあ、このくらい当然でしょ」とでも言いたげな顔だった。

 

ベルが目を丸くする。

「……なんか、すごい」    

ミジュマルはその言葉を褒め言葉として受け取ったらしく、さらに胸を張った。

 

「自信たっぷりだな」  

トウヤが吹き出す。

 

「ベルと並ぶと面白いかも」

「どういう意味!?」

「いや、ベルってちょっとおろおろするじゃん」

「するけど!」

「でもこの子はたぶん、おろおろしない」

「……たしかに」  

チェレンが珍しくすぐに同意した。

 

ベルのミジュマルは、研究所の床を小さく一周してから、最後にベルの前へ戻ってきた。見定めるみたいな動きだった。けれど、そのあとすっと顎を上げる。

 

認めてやる、というより、最初から自分のほうが頼られるつもりでいるような顔だ。

 

「わ、わたしがトレーナーなんだけど……」  

ベルが戸惑いながら言うと、ミジュマルは「わかってるけど?」という顔で鳴いた。

 

研究所の空気が一気ににぎやかになった。

 

シンのミジュマルは前へ出たがる。

 ベルのミジュマルは妙に堂々としていて、見栄っ張りそうだ。

 どちらも同じ種族のはずなのに、並べてみるとまるで違う。

 

二匹は自然と互いを意識したらしい。少し離れた位置で、ちらりと目が合う。

 

次の瞬間、どちらも先に視線を外した。

 

それが偶然なのか、負けず嫌いなのかはわからない。けれど、すでに少しだけ張り合っているのは伝わってきた。

 

「なんかもう大変そう……」  

ベルが弱々しく言う。

 

「君が選んだんだろ」

「そうだけど!」

「でも、いいじゃん」  

トウヤが笑う。

「最初からにぎやかで」

「他人事だと思って」

「実際、半分は他人事だし」

「ひどい!」

 

アララギ博士は四人と四匹を見渡し、満足そうにうなずいた。

 

「うん。思っていた以上に、いい組み合わせかもしれないわ」

 

それから博士は旅に出るための簡単な説明をした。ポケモン図鑑のこと、ポケモンセンターのこと、道中で気をつけること。話の内容は前から知っていることも多かったが、今日のシンには、それらが全部“これから自分が使うもの”として聞こえた。

 

聞いているうちに、胸の奥の静けさが少しずつほどけていく。

 

旅に出るのだ。

 

まだ町の外にも出ていないのに、その実感だけはどんどん大きくなっていく。

 

説明のあと、博士がふと思い出したように言った。

 

「せっかくだし、少しだけ慣らしてみる?」

「慣らすって?」  

ベルが訊く。

 

「簡単な勝負よ。いきなり外へ出るより、お互いの動きを少し知っておいたほうがいいでしょう?」

 

その提案に、一番最初に反応したのはミジュマルたちだった。

 

シンのミジュマルはすぐ前へ出た。

 ベルのミジュマルも、当然のような顔で立つ。

 ツタージャは静かに身を低くし、ポカブは小さく鼻を鳴らす。

 

ポケモンたちのほうが、もう始める気らしい。

 

「え、ここで!?」  

ベルが慌てる。

 

「いいじゃん」  

トウヤが楽しそうに言う。

「旅の最初っぽいし」

「っぽいで決めないでよ!」

「でもやるんだろ?」  

チェレンが言う。

「……やるけど」

 

最初の小さな勝負は、勝敗を決めるためというより、相手の動きを知るためのものになった。

 

シンのミジュマルはとにかく前へ出る。

 

様子を見るより先に距離を詰める。体を動かすこと自体が楽しいのかもしれない。相手へ向かっていくのに迷いがない。そのせいで、少し危なっかしくもある。

 

「うわ、はや……」  

シンは思わず声を漏らした。

 

指示を出すより先に飛び出された感じだった。だが、それを止めようとしても、たぶん今はうまくいかない。ならせめて、動きに合わせるしかない。

 

「右!」

 

声を飛ばすと、ミジュマルはぎりぎりで進路を変える。ほんの少しだけ、こちらの声が届いた気がした。

 

一方、ベルのミジュマルは違った。

 

前へ出ること自体は嫌いじゃなさそうなのに、最初の一歩をやけに“できる子”っぽく踏み出す。すごくうまくやっているように見せたがるのだ。そのくせ、相手の動きが変わると、ほんの一瞬だけ反応が遅れる。その遅れを悟られまいとして、余計に胸を張る。

 

「この子、見栄っ張りかも……」  

ベルが呟く。

 

「いま気づいたの?」  

チェレンが返した。

 

ツタージャは冷静だった。ポカブも、見た目より落ち着いていた。四匹とも、最初の時点でちゃんと違う。それが妙におもしろくて、シンはいつの間にか笑っていた。

 

旅って、こういう感じで始まるのかもしれない。

 

もっと劇的で、もっと特別な瞬間を想像していた気もする。けれど実際は、研究所の床の上で、少し騒がしくて、少し不格好で、それでも妙に心が浮くような始まりだ。

 

それが、思った以上によかった。

 

小さな慣らしが終わるころには、ベルは少し疲れた顔をしていたし、チェレンは早くも改善点を口にしていた。トウヤは最初から最後まで楽しそうだった。シンのミジュマルはまだ動き足りない顔をしているし、ベルのミジュマルは「まあこんなものよね」と言いたげに澄ましている。

 

うるさい。

 

まとまっているようで、全然まとまっていない。

 

でも、そこが少しだけ心地よかった。

 

研究所を出る前、シンは窓の外に広がる町を見た。

 

カノコタウン。小さくて、静かで、知っているものばかりがある場所。

 

ここから今日、自分たちは出ていく。

 

少し寂しい。少し怖い。けれど、それより強く、先を知りたい気持ちがあった。

 

ベルが扉の前で深呼吸する。

「……じゃあ、ほんとに行くんだね」

「いまさら?」  

チェレンが言う。

「いまさらだよ!」

「でも」  

トウヤが笑う。

「やっとって感じもするな」

 

シンは三人の横顔を順に見た。

 

ベル。チェレン。トウヤ。

 そして、自分。

 

同じ町から出る四人だ。けれど、たぶん同じものを追っているわけじゃない。これから先、きっと歩く速さも、立ち止まる理由も、それぞれ違ってくる。

 

それでも、いまだけはまだ同じ出発点に立っている。

 

そのことが、少しだけ嬉しかった。

 

「行こう」    

シンが言うと、ミジュマルが真っ先に扉のほうへ駆けた。

 

「おい、早いって」  

思わず声をかける。

 

けれど、その前のめりな背中を見た瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。

 

そうだ。

 止まっていても始まらない。

 

ベルが笑い、トウヤが肩をすくめ、チェレンが小さくため息をつく。その全部を背中に感じながら、シンは研究所の外へ踏み出した。

 

朝の光が、今度はもう“いつもの朝”には見えなかった。

 

カノコタウンの道の先には、まだ何も見えていない。

 それでも、たしかに続いている。

 

四人と四匹の旅は、そうして静かに、でも確かに始まった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。