つたないところもありますがよろしくお願いしますm(__)m
朝のカノコタウンは、まだ半分だけ眠っていた。
窓を開けたとき、最初に入ってきたのは湿った草の匂いだった。夜の名残をわずかに残した風が、部屋の中へ細く流れこんでくる。遠くで鳥ポケモンが鳴いて、その声に応えるみたいに、どこかの庭先から別の鳴き声が返った。
今日から旅に出る。
その事実は、目を覚ました瞬間から頭の中にあった。寝ぼける暇もなく、起きたときにはもう、胸の奥にそれが座っていた。なのに、シンは思っていたほど落ち着きを失っていなかった。手が震えるわけでもない。息が浅くなるわけでもない。
ただ、変に静かだった。
自分でも、その静けさが少し不思議だった。
「……ほんとに今日か」
誰に聞かせるでもなく呟く。
部屋の隅に置いてあった鞄は、昨夜のうちにもう詰めてある。着替え、タオル、小さなノート、筆記具、傷薬、母親に持たされた包み。忘れ物がないかどうかは、寝る前に二回確認した。なのに、いざ朝になると、まだ何か足りない気がする。
旅立つ前って、こんなものなのかもしれない。
足りないものが本当にあるんじゃなくて、自分の中の何かがまだ追いついていないだけだ。
階下から、食器の触れ合う音がした。
「シン、起きてる?」 「うん」
母の声は、いつもと変わらない。変わらないのに、その変わらなさが少しだけありがたかった。
階段を降りると、食卓には簡単な朝食が並んでいた。温かいスープ、パン、卵料理。旅立ちの日だからといって、急に特別豪華になるわけでもない。そういうところがカノコタウンらしいと、シンは思った。
「ちゃんと食べていきなさいよ」
「わかってる」
「わかってるって言う子ほど、外では適当になるんだから」
「なら言わないほうがよかった?」
「もっとだめ」
母は笑いながら言ったが、その笑い方の端に、ほんの少しだけ心配が混じっているのをシンは感じた。
たぶん、見送りたくないわけじゃない。嬉しくないわけでもない。けれど、自分の手の届く範囲から子どもが出ていくというのは、それだけで落ち着かないものなのだろう。
それはシンにも少しわかった。
旅に出たい。外を見たい。知らない場所へ行きたい。その気持ちは本物だ。
でも、いまこうして家の中で食器の音を聞いていると、ここを出ていくことが急に現実味を持つ。今まで当たり前にあったものが、今日からは“戻る場所”になるのだと思うと、胸の中に妙な空白ができた。
「研究所でしょ?」
「うん」
「トウヤくんたちももう行ってるかもね」
「かも」
パンを口に運びながら、シンは窓の外をちらりと見た。
空はよく晴れていた。雲が高くて、風はやわらかい。旅立ちの日としては出来すぎなくらいだ。こういう日に雨が降ってくれたら、少しは気持ちの整理もつきやすいのに、と一瞬だけ思って、自分でも変なことを考えたなと苦笑した。
母は席を立つと、台所の引き出しから小さな布袋を出してきた。
「これ」
「何」
「細かいもの入れ。こまごましたの、鞄の中で散るでしょ」
「用意よすぎるだろ」
「母親なめないで」
受け取ると、布袋は思ったよりしっかりした手触りだった。新品ではない。たぶん家にあったものをそのまま持たせたのだろう。そういうところも、いかにも母らしかった。
「ありがと」
「うん」
短く言うと、母はそれ以上何も言わなかった。
“気をつけて”とか、“無茶しないで”とか、そういう言葉はもちろん嬉しい。でも、こういう何でもないやり取りのほうが、あとで長く残るのかもしれないと、シンはふと思った。
食事を終えて、玄関で靴を履く。
扉を開けた瞬間、朝の空気がひときわ明るく感じられた。庭先の草はまだ少し濡れていて、土は夜の冷たさを残している。見慣れた景色のはずなのに、今日はどこか輪郭がくっきりしていた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
それだけで十分だった。
振り返らずに歩き出したあとで、背中に視線を感じた。きっと母は、姿が見えなくなるところまで見送っているのだろう。シンはわざと足を速めなかった。変に急ぐと、余計に旅立ちを意識してしまいそうだったからだ。
カノコタウンの道は短い。
家々のあいだを抜ければ、すぐに研究所の白い建物が見えてくる。小さな町だから、どこへ行くにもそれほど時間はかからない。なのに今日は、その短さが妙に惜しかった。まだ旅立つ前でいたいような、でも早く始まってほしいような、落ち着かない気分が足もとにまとわりつく。
研究所の前には、もう三人集まっていた。
最初に気づいたのはベルだった。シンの姿を見つけた途端、ぱっと肩を上げる。
「あ、シン! やっと来た!」
「別に遅れてないだろ」
「でも最後じゃん」
「最後だと何かあるのか?」
「なんか……最後ってだけでちょっとずるい感じがする」
よくわからない理屈だった。
ベルはいつも、言葉の前に気持ちが出る。考えていないわけじゃない。たぶん考えるより先に、感情のほうが表へ出てしまうのだろう。その危なっかしさが、時々子どもっぽく見える。
チェレンはそんなベルを横目で見ながら、ため息をひとつついた。
「まだ始まってもいないのに騒ぎすぎだよ」
「だって今日だよ!?」
「だからこそ落ち着いたほうがいい」
「チェレンは落ち着きすぎ!」
「君が落ち着かなすぎるんだ」
ぽんぽんと言い合う二人の少し後ろで、トウヤが笑っている。
「まあまあ。まだポケモンももらってないのに、ここで消耗してどうするんだよ」
「トウヤは人のこと言えないだろ」
シンが言うと、トウヤは肩をすくめた。
「俺は楽しんでるだけ」
「同じだよ!」
ベルが言い返し、結局その場に小さな笑いが広がる。
三人とも、いつも通りだった。
それが少しだけ意外で、少しだけ安心した。
旅立ちの日だからといって、急に全員が特別な顔をするわけじゃない。ベルは朝からうるさいし、チェレンは理屈っぽいし、トウヤは余裕ぶってる。シン自身だって、たぶんいつもより少し黙っているだけだ。
それでいいのかもしれない、とシンは思った。
研究所の扉が開いて、アララギ博士が顔を出す。
「あら、全員そろったわね」
白衣の裾を揺らしながら、博士は四人を順に見回した。研究者らしい鋭さと、大人らしいやわらかさが同時にある人だと、シンは前から思っていた。何かを見抜く目をしているのに、子どもを萎縮させる感じはない。
「入りなさい。せっかくだし、ちゃんと説明してからにしましょう」
研究所の中は明るかった。
窓から入る光が床へ広がり、機械のランプが静かに点いている。いつ来ても少しだけ薬品と紙の匂いがする場所だ。けれど今日は、その空気さえも少し特別に感じられた。
机の上には三つのモンスターボールが並んでいた。
ベルが息をのむ。
「……ほんとに三つある」
「当たり前だろ」
チェレンが言う。
「前からそう聞いてたんだから」
「いや、でも実物で見ると違うじゃん!」
「まあ、それはわかる」
トウヤがそう言ったのを聞いてシンも内心で同意した。
話では知っていた。
今日、ここでポケモンを受け取ることも。
旅に出ることも。
そのはずなのに、こうして机の上にボールが並んでいるのを見ると、急に現実味が増す。今までは“旅に出る予定”だったものが、“旅が始まる瞬間”へ変わる。
アララギ博士は四人の反応を見て、小さく笑った。
「……と言いたいところなんだけど」
「え?」
ベルが目をぱちくりさせる。
博士は机の端へ手を伸ばし、そこに置かれていたもう一つのボールを持ち上げた。
「本当は三匹だけの予定だったの。でも今回は少し事情があって、保護していた子を一匹、追加で預かっているのよ」
「追加?」
チェレンが眉を上げる。
「どういうことですか」
「この子、少し前に怪我をして保護されたの。今はもう元気だけど、研究所でずっと預かるより、ちゃんと一緒に歩いてくれるトレーナーのところへ行ったほうがいいと思ってね」
博士がそう言った瞬間、手の中のボールが、こつんと小さく跳ねた。
シンはそれを見逃さなかった。
中のポケモンが、聞いている。しかも、ただ大人しく待っている感じではない。存在を主張している気配がある。
「元気そうだな」 トウヤが笑う。 「少し、どころじゃないかも」 博士も苦笑した。
ベルがボールへ顔を寄せかけて、はっと引く。
「怒られたりしない?」
「たぶん大丈夫よ」
「たぶん!?」
「気は強いけど、悪い子じゃないわ」
研究所の空気が少しだけゆるむ。
けれど、シンの胸の奥には別の感覚が生まれていた。
保護されていた追加の一匹。
それが何なのか、妙に気になった。
四人で顔を見合わせる。
本来は三匹のはずだった旅立ちのポケモンが、今日は四匹いる。それだけで、最初から少し予定がずれている。原作通りでも、教科書通りでもない。自分たちの旅は最初から少しだけ横へずれて始まるらしい。
それが、なぜか悪くない気がした。
「順番はどうする?」
博士が訊く。
ベルがすぐに手を挙げかけて、途中で止まった。
「……えっと」
「言い出したのに迷うのか」
チェレンが呆れたように言う。
「だって、ほんとに選ぶってなったら急に怖いし……」
「なら俺から行く?」
トウヤが軽く言う。
その言葉に、シンは机の上のボールへもう一度視線を落とした。
三つの通常の旅立ちのポケモン。
そして、追加の一匹。
頭より先に、気になるほうへ意識が向いた。
「……いや、俺が先でいい?」
三人がそろってシンを見た。
「へえ」
トウヤが少し笑う。
「珍しいな。先に出るじゃん」
「別に」
「でも、そういうとこあるよね」
ベルが言う。
「静かなのに、急に先に行くときある」
「褒めてる?」
「半分くらい」
チェレンは何も言わなかったが、反対もしなかった。
シンは机へ歩み寄る。
並んだボールの前で足を止めたとき、胸の奥にいた静けさが、少しだけ熱へ変わった。どれを選んでも旅は始まる。けれど、自分が最初に手を伸ばしたい相手はもう決まっていた。
シンは追加で置かれていたボールへ手を伸ばした。
「この子」
「やっぱりね」
アララギ博士が小さく笑う。
「そう言うと思った」
ボールを持ち上げた瞬間、中でまた小さく気配が動く。
シンはゆっくりとそれを開いた。
白い光が弾ける。
床に現れたのは、ミジュマルだった。
青い顔をきりっと上げ、貝剣を腹に抱えたその姿は、見た目だけならよく知っているポケモンのはずだった。けれど、実際に目の前へ飛び出してくると、思っていたよりずっと生きた圧がある。
ミジュマルは着地した途端、まっすぐシンのほうへ歩いてきた。
迷わない。
警戒も、ためらいもほとんどない。
ただ、前へ出てくる。
その足取りに、シンは思わず少しだけ息を止めた。
「……はや」
自分でも変な感想だと思った。けれど、それが一番近かった。
博士が言っていた“気が強い”というのは、たぶんこういうことだ。落ち着いているわけではない。むしろかなり前のめりだ。けれど怯えてはいない。知らない相手に対しても、まず引くより先に詰めてくる。
ミジュマルはシンの足もとで止まり、じっと顔を見上げた。
挑むみたいな目だった。
お前はどうなんだ、と問いかけてくるような。
シンの胸の奥が少しだけ熱くなる。
こういう目は嫌いじゃない。
「おもしろい子選んだね」
トウヤが言う。
「最初から懐いてるっていうか、試してるっていうか」
「たぶん両方」
博士が答えた。
「シンくん、気に入られてるわよ」
「それ、いい意味ですか?」
「少なくとも悪くはないわね」
ミジュマルはそんな会話など聞いていないみたいに、すでに研究所の中を見回している。落ち着かないというより、じっとしていられないのだろう。動きたい。確かめたい。前に出たい。そういう気配が全身から出ていた。
シンはしゃがみ込み、ミジュマルと目線を合わせる。
「よろしく」
ミジュマルは一瞬だけ目を細め、それから満足したように小さく鳴いた。
たぶん、これで決まりだった。
トウヤはその流れを見て、迷わずツタージャを選んだ。
ボールから現れたツタージャは、細い体をしなやかに揺らしながら周囲をひと巡りして、最後にトウヤの肩へするりと目を向けた。すぐになつくという感じではないが、落ち着いている。相手を観察して、自分の位置を決めるタイプだ。
「お、かっこいい」
トウヤが笑う。
「俺より賢そう」
「それはそうかも」
チェレンが真顔で言う。
「ひどくない?」
「事実なら仕方ないだろ」
そのあとチェレンはポカブを選んだ。
火を持つポケモンらしい温かさと、ぽてっとした体つきの可愛さがある。だが、チェレンがボールを開いたときのポカブは、見た目よりずっと落ち着いていた。すぐに暴れる感じではない。周りを見て、飼い主を見て、それから静かに鼻を鳴らす。
「君とはちゃんとやれそうだ」
チェレンが言うと、ポカブは小さく鳴いた。
最後に残ったベルは、机の上に残る三つ目のボール
さっきまでの勢いはどこかへ消えて、今は本気で迷っている顔をしている。
「どうしよう……」
「好きに決めればいいだろ」
シンが言う。
「それが一番むずかしいの!」
「さっきまであんなにうるさかったのに」
「うるさいって言わないで!」
ベルは口をとがらせたあと、深呼吸した。
それから、博士が預けていた最後のボールへ手を伸ばす。
「……わたし、この子にしてみる」
アララギ博士が目を細める。
「だめでした?」
「ううん。むしろ、合ってるかもしれない」
ベルがボールを開く。
飛び出したのは、もう一匹のミジュマルだった。
だが、シンの相棒とは空気が違う。
着地した瞬間から胸の張り方が違った。あたりを見回す目つきが、妙に堂々としている。警戒していないわけではない。たぶんちゃんと周囲を測っている。なのに、それを少しも不安そうに見せない。
むしろ、「まあ、このくらい当然でしょ」とでも言いたげな顔だった。
ベルが目を丸くする。
「……なんか、すごい」
ミジュマルはその言葉を褒め言葉として受け取ったらしく、さらに胸を張った。
「自信たっぷりだな」
トウヤが吹き出す。
「ベルと並ぶと面白いかも」
「どういう意味!?」
「いや、ベルってちょっとおろおろするじゃん」
「するけど!」
「でもこの子はたぶん、おろおろしない」
「……たしかに」
チェレンが珍しくすぐに同意した。
ベルのミジュマルは、研究所の床を小さく一周してから、最後にベルの前へ戻ってきた。見定めるみたいな動きだった。けれど、そのあとすっと顎を上げる。
認めてやる、というより、最初から自分のほうが頼られるつもりでいるような顔だ。
「わ、わたしがトレーナーなんだけど……」
ベルが戸惑いながら言うと、ミジュマルは「わかってるけど?」という顔で鳴いた。
研究所の空気が一気ににぎやかになった。
シンのミジュマルは前へ出たがる。
ベルのミジュマルは妙に堂々としていて、見栄っ張りそうだ。
どちらも同じ種族のはずなのに、並べてみるとまるで違う。
二匹は自然と互いを意識したらしい。少し離れた位置で、ちらりと目が合う。
次の瞬間、どちらも先に視線を外した。
それが偶然なのか、負けず嫌いなのかはわからない。けれど、すでに少しだけ張り合っているのは伝わってきた。
「なんかもう大変そう……」
ベルが弱々しく言う。
「君が選んだんだろ」
「そうだけど!」
「でも、いいじゃん」
トウヤが笑う。
「最初からにぎやかで」
「他人事だと思って」
「実際、半分は他人事だし」
「ひどい!」
アララギ博士は四人と四匹を見渡し、満足そうにうなずいた。
「うん。思っていた以上に、いい組み合わせかもしれないわ」
それから博士は旅に出るための簡単な説明をした。ポケモン図鑑のこと、ポケモンセンターのこと、道中で気をつけること。話の内容は前から知っていることも多かったが、今日のシンには、それらが全部“これから自分が使うもの”として聞こえた。
聞いているうちに、胸の奥の静けさが少しずつほどけていく。
旅に出るのだ。
まだ町の外にも出ていないのに、その実感だけはどんどん大きくなっていく。
説明のあと、博士がふと思い出したように言った。
「せっかくだし、少しだけ慣らしてみる?」
「慣らすって?」
ベルが訊く。
「簡単な勝負よ。いきなり外へ出るより、お互いの動きを少し知っておいたほうがいいでしょう?」
その提案に、一番最初に反応したのはミジュマルたちだった。
シンのミジュマルはすぐ前へ出た。
ベルのミジュマルも、当然のような顔で立つ。
ツタージャは静かに身を低くし、ポカブは小さく鼻を鳴らす。
ポケモンたちのほうが、もう始める気らしい。
「え、ここで!?」
ベルが慌てる。
「いいじゃん」
トウヤが楽しそうに言う。
「旅の最初っぽいし」
「っぽいで決めないでよ!」
「でもやるんだろ?」
チェレンが言う。
「……やるけど」
最初の小さな勝負は、勝敗を決めるためというより、相手の動きを知るためのものになった。
シンのミジュマルはとにかく前へ出る。
様子を見るより先に距離を詰める。体を動かすこと自体が楽しいのかもしれない。相手へ向かっていくのに迷いがない。そのせいで、少し危なっかしくもある。
「うわ、はや……」
シンは思わず声を漏らした。
指示を出すより先に飛び出された感じだった。だが、それを止めようとしても、たぶん今はうまくいかない。ならせめて、動きに合わせるしかない。
「右!」
声を飛ばすと、ミジュマルはぎりぎりで進路を変える。ほんの少しだけ、こちらの声が届いた気がした。
一方、ベルのミジュマルは違った。
前へ出ること自体は嫌いじゃなさそうなのに、最初の一歩をやけに“できる子”っぽく踏み出す。すごくうまくやっているように見せたがるのだ。そのくせ、相手の動きが変わると、ほんの一瞬だけ反応が遅れる。その遅れを悟られまいとして、余計に胸を張る。
「この子、見栄っ張りかも……」
ベルが呟く。
「いま気づいたの?」
チェレンが返した。
ツタージャは冷静だった。ポカブも、見た目より落ち着いていた。四匹とも、最初の時点でちゃんと違う。それが妙におもしろくて、シンはいつの間にか笑っていた。
旅って、こういう感じで始まるのかもしれない。
もっと劇的で、もっと特別な瞬間を想像していた気もする。けれど実際は、研究所の床の上で、少し騒がしくて、少し不格好で、それでも妙に心が浮くような始まりだ。
それが、思った以上によかった。
小さな慣らしが終わるころには、ベルは少し疲れた顔をしていたし、チェレンは早くも改善点を口にしていた。トウヤは最初から最後まで楽しそうだった。シンのミジュマルはまだ動き足りない顔をしているし、ベルのミジュマルは「まあこんなものよね」と言いたげに澄ましている。
うるさい。
まとまっているようで、全然まとまっていない。
でも、そこが少しだけ心地よかった。
研究所を出る前、シンは窓の外に広がる町を見た。
カノコタウン。小さくて、静かで、知っているものばかりがある場所。
ここから今日、自分たちは出ていく。
少し寂しい。少し怖い。けれど、それより強く、先を知りたい気持ちがあった。
ベルが扉の前で深呼吸する。
「……じゃあ、ほんとに行くんだね」
「いまさら?」
チェレンが言う。
「いまさらだよ!」
「でも」
トウヤが笑う。
「やっとって感じもするな」
シンは三人の横顔を順に見た。
ベル。チェレン。トウヤ。
そして、自分。
同じ町から出る四人だ。けれど、たぶん同じものを追っているわけじゃない。これから先、きっと歩く速さも、立ち止まる理由も、それぞれ違ってくる。
それでも、いまだけはまだ同じ出発点に立っている。
そのことが、少しだけ嬉しかった。
「行こう」
シンが言うと、ミジュマルが真っ先に扉のほうへ駆けた。
「おい、早いって」
思わず声をかける。
けれど、その前のめりな背中を見た瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
そうだ。
止まっていても始まらない。
ベルが笑い、トウヤが肩をすくめ、チェレンが小さくため息をつく。その全部を背中に感じながら、シンは研究所の外へ踏み出した。
朝の光が、今度はもう“いつもの朝”には見えなかった。
カノコタウンの道の先には、まだ何も見えていない。
それでも、たしかに続いている。
四人と四匹の旅は、そうして静かに、でも確かに始まった。