BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第13話 熱のほうから、答えに触れてくる

「じゃあ、最後は俺かな」

 

トウヤが対戦位置へ向かう背中は、ベルともチェレンとも違って見えた。

 

肩に力が入っていない。

 

勝つつもりがないわけではないのに、勝負の場へ向かう人間特有の硬さが薄い。

 

むしろ、今から何が見られるのかを少し楽しみにしているようにさえ見える。

 

「緊張しないのかな、あれ……」

 

ベルがぼそりと言う。

 

ミジュマルを抱いた腕はまだ少し強ばっていたが、さっきまでみたいな沈み方ではなかった。

 

負けた悔しさは残っている。

 

でも、その悔しさの横で、ちゃんと次の勝負を見ようとしている。

 

シンは壁際にもたれたまま、トウヤの後ろ姿を見た。

 

「してないわけじゃねえだろ」

 

「そう見える?」

 

「見えねえな」

 

「どっちなの」

 

ベルが小さくむくれる。

 

チェレンがその横で、短く息を吐いた。

 

「緊張していても、出し方が違うんだよ」

 

「チェレンは分かるの?」

 

「分かるよ」

 

答えは簡潔だった。

 

けれど、その声にはさっきまでの敗北の熱がまだ少し残っている。

 

チェレンは自分が届かなかった位置を、もう頭の中で何度もなぞり始めているのだろう。

 

そのうえで、次に立つトウヤがどこへ届くのかを見ようとしている。

 

ポッドが対戦位置へ進み、楽しそうに肩を鳴らした。

 

「いいねえ。君はなんだか、燃えやすそうだ」

 

「そう見える?」

 

トウヤが笑う。

 

「見えるよ。軽く立ってるのに、芯は前にある」

 

「へえ」

 

「褒めてる」

 

「じゃあ、ありがたく受け取っとく」

 

その気楽な応酬に、ベルが少しだけ目を丸くした。

 

「すごい……普通に喋ってる」

 

「君だって喋ってたでしょ」

 

チェレンが言う。

 

「わたしはもっと、こう、変だったもん」

 

「それは否定しない」

 

「チェレン!」

 

場の端でそんなやり取りが起きるあいだにも、中央の空気は少しずつ熱を帯びていた。

 

ポッドの笑顔は明るい。

 

けれど、その明るさは戦いを甘く見る種類のものじゃない。

 

火を扱う側の、自分の強みを疑っていない顔だ。

 

「君の相棒はツタージャかな」

 

「うん」

 

トウヤがボールを軽く持ち直す。

 

「だから、相手はバオップ?」

 

「その通り」

 

ポッドがにっと笑う。

 

「分かりやすいだろ?」

 

「分かりやすいね」

 

「嫌いじゃないんだよ、そういうの」

 

その返しを聞いて、シンはほんの少しだけ目を細めた。

 

普通なら、不利な相手が分かりやすいことは面倒だ。

 

でもトウヤは、そういう“見えてる不利”を嫌がる顔をしない。

 

嫌がる前に、じゃあどうするか、へ自然と頭が向いている。

 

それがこいつの厄介なところだった。

 

「では、始めましょう」

 

デントの声に合わせ、二つのボールが放られる。

 

ツタージャが滑るように場へ出た。

 

細い身体をしならせ、目だけが真っ直ぐ前を捉える。

 

気位の高そうな顔だった。

 

対するバオップは、現れた瞬間から元気よく地面を蹴る。

 

炎みたいな毛を揺らし、最初から勢いを見せつけるような立ち方だった。

 

「相性はこっちが上だよ」

 

ポッドが言う。

 

「でも、それで終わるならつまらない」

 

トウヤは肩をすくめる。

 

「じゃあ、つまらなくならないようにしようか」

 

開始の合図と同時に、ポッドが先に動いた。

 

「バオップ、やきつくす!」

 

火が前へ走る。

 

ただのひのこより広い。

 

面で押す火だ。

 

ツタージャは横へ滑るように身をずらし、火の端をぎりぎりでかわした。

 

「速いね」

 

ポッドが笑う。

 

「そっちも」

 

トウヤはもう次を見ていた。

 

「ツタージャ、つるのムチ!」

 

緑の鞭がしなる。

 

バオップは真正面から受けない。

 

前へ飛び、蔓の軌道の内側へ潜りこんだ。

 

「そのまま、ひっかく!」

 

「おっと」

 

トウヤの声は軽い。

 

でもツタージャの反応は早かった。

 

爪が届く寸前で身体をひねり、まともに受けずに流す。

 

浅く掠るだけで済んだ。

 

シンはそこで少しだけ息をつく。

 

反応だけなら、やっぱりいい。

 

ツタージャ自身の素質も高いし、それをトウヤが迷いなく引き出している。

 

「真正面でやり合わないんだ」

 

ベルが呟く。

 

「最初からそうだろうね」

 

チェレンが答えた。

 

「トウヤは相性不利の押し合いを、まともに受ける気がない」

 

実際、その通りだった。

 

トウヤは最初から“勝てる力比べ”を探していない。

 

代わりに、“勝てる流れ”のほうを探している。

 

「ツタージャ、下がらなくていい。近いまま左」

 

指示が細かすぎない。

 

それでいて、曖昧でもない。

 

ツタージャは小さく半円を描く。

 

バオップが追う。

 

「やきつくす!」

 

再び火。

 

けれど今回はさっきより狭い。

 

近い距離で撃つため、熱が密だ。

 

ツタージャの頬がわずかに炙られる。

 

ベルが息を呑んだ。

 

「だ、大丈夫かな」

 

「大丈夫じゃないだろ」

 

シンが言う。

 

「でも、あいつはたぶん、そこ込みで見てる」

 

トウヤの顔には焦りがない。

 

むしろ、いまの火の広がり方をちゃんと見ていた顔だった。

 

「ツタージャ、もう一回つるのムチ」

 

蔓が伸びる。

 

今度は牽制じゃない。

 

バオップの前足を狙って低く走る。

 

「飛び越えろ!」

 

ポッドの声で、バオップが跳んだ。

 

その瞬間、トウヤが言う。

 

「そこ」

 

たったそれだけだった。

 

ツタージャが蔓を引いた。

 

跳んだバオップの身体が、空中で一瞬だけ傾く。

 

完全に捕まえたわけじゃない。

 

けれど、軸がほんの少しずれた。

 

着地が甘くなる。

 

「体当たり」

 

短い指示。

 

ツタージャが滑りこむようにぶつかった。

 

バオップがよろめく。

 

大きくは飛ばない。

 

でも、きれいに触れた。

 

「へえ」

 

ポッドの目が少しだけ細くなる。

 

「見てるね」

 

「見てるよ」

 

トウヤは笑った。

 

「そっちもね」

 

二人とも、言葉の熱量は高くない。

 

そのぶん、場の中身だけが濃くなっていく。

 

「バオップ、距離を切るよ!」

 

火の猿が後ろへ跳び、間を空ける。

 

「やきつくす!」

 

今度の火は広かった。

 

正面だけじゃない。

 

逃げ道ごと炙るような広がり方だ。

 

ツタージャが横へ抜ける。

 

だが、完全には外しきれない。

 

火が尾の先を掠め、ツタージャが低く鳴いた。

 

「ツタージャ!」

 

ベルが思わず声を出す。

 

トウヤはまだ動じない。

 

むしろ、掠めたあとにツタージャがどれくらい踏ん張れるかを、その一瞬で測っているように見えた。

 

「まだ大丈夫?」

 

ツタージャが短く鳴く。

 

強がるような、高い声だった。

 

シンは口元を少しだけ動かす。

 

ああいうところも、主に似るのかもしれないと思った。

 

「よし」

 

トウヤは頷く。

 

「じゃあ、少し速くいこうか」

 

その言い方と同時に、流れが変わった。

 

ツタージャが自分から距離を詰める。

 

バオップが迎え撃つ。

 

「ひっかく!」

 

「右」

 

ツタージャが半歩だけずれる。

 

爪が空を裂く。

 

「つるのムチ」

 

今度の蔓はバオップ本体ではなく、床を打った。

 

乾いた音。

 

バオップの視線が一瞬だけそちらへ引かれる。

 

「たいあたり」

 

その隙にツタージャが身体を押しこむ。

 

連撃ではない。

 

大きな一手でもない。

 

なのに、少しずつバオップの気持ちよく動ける間合いを奪っていく。

 

チェレンがそこで、小さく息を吐いた。

 

「……そこか」

 

「何が?」

 

ベルが聞く。

 

「トウヤは、相手の強い場所から戦わない」

 

チェレンの目は場から離れない。

 

「自分が有利な盤面を作るまでの感覚が早い」

 

それは、さっきチェレン自身に足りなかったものでもあった。

 

押し切る一歩。

 

形を通しきる一歩。

 

トウヤはそれを、理屈を積み上げて見つける前に、先に触ってしまう。

 

「バオップ、前へ!」

 

ポッドも当然、やられっぱなしではない。

 

バオップが勢いよく踏み込む。

 

直線的だが速い。

 

「ひっかくから、やきつくす!」

 

爪で止めて火で押す。

 

綺麗な組み立てだった。

 

ツタージャが爪をかわしきれず、肩を浅く切られる。

 

そこへ火。

 

熱が近い。

 

今度は避けるスペースも薄い。

 

ベルが身体を強張らせる。

 

「危な――」

 

「しゃがんで」

 

トウヤの声と同時に、ツタージャが信じられないほど低く身体を沈めた。

 

火が頭上を掠める。

 

完全には抜けきれない。

 

でも、致命的な角度は外れた。

 

そのままツタージャが床すれすれに滑りこみ、バオップの懐へ入る。

 

「今!」

 

蔓が至近距離で巻く。

 

今度は一本だけだった。

 

バオップの腕へ絡み、動きを一瞬止める。

 

「体当たり!」

 

真正面からじゃない。

 

絡め取った側へ、ねじ込むような当たり方だった。

 

バオップが大きく体勢を崩し、膝をつく。

 

ポッドの笑みが少しだけ鋭くなる。

 

「やるなあ」

 

「でしょ」

 

トウヤはいつも通りの調子で返す。

 

けれど、その軽さの裏で、もう次の形を組んでいるのが分かった。

 

ここで終わらない。

 

終わらせにいく。

 

「ツタージャ、離れないで」

 

シンはその指示に、思わず目を細めた。

 

普通なら火を使う相手から距離を取らせたくなる。

 

でもトウヤは逆だ。

 

離れたほうが、バオップの火は広く活きる。

 

だから近いまま、技の芯を潰す。

 

「バオップ、振りほどいてやきつくす!」

 

ポッドもそれを読んでいる。

 

絡まった蔓を無理やり引き剥がしながら、至近距離で火を吐こうとする。

 

間に合えば、ツタージャにはきつい。

 

だが、トウヤのほうが半歩早かった。

 

「顔を上げさせないで」

 

言葉は曖昧なのに、ツタージャは迷わなかった。

 

蔓が今度はバオップの顎下を叩く。

 

ほんの一瞬だけ、火の吐き出す角度がぶれた。

 

やきつくすが上へ逸れる。

 

熱だけが空間を撫で、まともな火線にならない。

 

「いける!」

 

ベルが思わず声を上げた。

 

「決めよう、ツタージャ」

 

トウヤの声は、ここに来ても変に強くならない。

 

静かで、軽くて、でも不思議なくらい迷いがない。

 

「そのまま、もう一回」

 

体当たり。

 

これまででいちばん深く入った。

 

バオップが後ろへ弾かれる。

 

まだ倒れない。

 

でも、足が揺れた。

 

そこへ追うように蔓が伸びる。

 

「つるのムチ!」

 

正面から叩くのではない。

 

着地する足もとを払う。

 

バオップが耐えきれず、とうとう床へ手をついた。

 

数秒の沈黙。

 

立ち上がろうと身体に力を入れる。

 

けれど、脚が思うように戻らない。

 

ポッドはその様子を見て、それから明るく息を吐いた。

 

「……そこまで!」

 

デントの宣言より、ほんの少し早かった。

 

負けを認める声だった。

 

場の空気がほどける。

 

ベルが一番に声を上げる。

 

「勝った……!」

 

トウヤは対戦位置のまま、小さく笑った。

 

「うん、勝った」

 

そのあっさりした言い方に、シンは思わず鼻で笑いそうになる。

 

こっちはこっちで、本当にらしい。

 

ツタージャは涼しい顔をしようとしていたが、肩で少し息をしていた。

 

無傷じゃない。

 

楽勝でもない。

 

それでも、勝ち筋へ触れたあと迷わなかったのは、やはりトウヤだった。

 

ポッドがバオップをボールへ戻す。

 

悔しそうではある。

 

だが、その悔しさすらどこか明るい。

 

「いやー、負けた負けた」

 

「そんな軽く言う?」

 

トウヤが笑う。

 

「負けたら悔しいよ。でも、いい勝負だったろ?」

 

「それはまあ」

 

「だったら、ちゃんと悔しがって、ちゃんと認める」

 

ポッドは肩を回す。

 

「炎はそういうもんだよ」

 

その言い方に、チェレンが少しだけ目を伏せた。

 

たぶん、さっき自分が届かなかった位置のことを、まだ考えている。

 

でも、それを顔へ貼りつけたままにしないのもまたチェレンだった。

 

デントが前へ出る。

 

「見事でした」

 

コーンも頷いた。

 

「不利な相性を受け流すだけじゃなくて、最初から別の土俵へ持っていったね」

 

トウヤは少し考えるみたいに首を傾げた。

 

「別の土俵、か」

 

「違う?」

 

「いや、たぶんそう」

 

それからツタージャを見下ろす。

 

「こいつ、正面から力比べするの好きじゃないし」

 

ツタージャがすました顔で鳴いた。

 

ベルが思わず吹き出す。

 

「なんか、ほんとにそうなんだろうなって顔してる」

 

「してるね」

 

トウヤが笑う。

 

「プライド高いから」

 

「お前が言うな」

 

シンが口を挟むと、トウヤは「ひどいなあ」と言いながらも否定しなかった。

 

そのやり取りの軽さが、さっきまでの戦いの熱を少しずつ解いていく。

 

ポッドがポケットからケースを取り出した。

 

中には、シンが受け取ったものと同じトライバッジがある。

 

「はい、君にも」

 

トウヤが受け取る。

 

その瞬間だけ、さすがに少しだけ目の色が変わった。

 

明るいままの顔なのに、手元へ落ちる視線にだけ、はっきり重みがある。

 

「……ありがと」

 

短い礼だった。

 

でも、それで十分だった。

 

最初のバッジだ。

 

どんな取り方をしても、軽いはずがない。

 

ベルが小さく言う。

 

「いいなあ……」

 

その声には悔しさが混じっていた。

 

でも、ただ羨むだけの薄さじゃない。

 

自分もあそこへ行きたいという意思が、ちゃんと残っている。

 

シンはそれを横目で見て、少しだけ肩の力を抜いた。

 

完全に折れていないなら、まだ大丈夫だ。

 

デントが四人を見回す。

 

「これで、今日の挑戦はひと区切りですね」

 

「ひと区切り、ってことは」

 

ベルがすぐに顔を上げる。

 

「また来てもいいんですか」

 

「もちろんです」

 

デントは穏やかに頷いた。

 

「ジムは、バッジを配るだけの場所ではありません。越えられなかった壁と、どう向き合うかを確かめる場所でもあります」

 

コーンが続ける。

 

「負けたこと自体は、恥じゃないよ」

 

ポッドはにっと笑った。

 

「恥なのは、負けたあとに何も持って帰らないことかな」

 

ベルはその言葉を、まっすぐ受け止めるように黙った。

 

チェレンもまた、静かに聞いていた。

 

シンは自分のバッジを指先で軽く撫でる。

 

持って帰るもの。

 

勝った自分にも、負けた二人にも、それぞれ違う形であるのだろう。

 

ジムの奥を出て、最初のホールへ戻るころには、店の匂いがまた少し近くなっていた。

 

戦っていたさっきまでより、同じ匂いがずっと柔らかく感じる。

 

「……疲れた」

 

ベルが最初に言った。

 

「君は見てただけじゃない?」

 

チェレンが返す。

 

「見てるのも疲れるの!」

 

「それは分かるかも」

 

トウヤが笑う。

 

「応援する側って、案外手持ち無沙汰だし」

 

「君は勝った側でしょ」

 

「勝ったからって疲れないわけじゃないよ」

 

トウヤはそう言って、ケースの中のトライバッジをもう一度見た。

 

「でも、やっぱり嬉しい」

 

その言い方が妙に素直で、ベルはほんの少しだけ口を尖らせたあと、でもすぐに笑った。

 

「……悔しいけど、おめでとう」

 

「ありがと」

 

トウヤは気負わず受け取る。

 

その自然さがこいつの強さなのだと、シンは改めて思った。

 

勝つことも、喜ばれることも、変に避けない。

 

だからこそ、周りから見れば軽やかに映る。

 

「シン」

 

不意にチェレンが声をかける。

 

「何だよ」

 

「トウヤと君、やっぱり少し似てるね」

 

その言葉に、トウヤが「え、そう?」と笑う。

 

シンは眉をひそめた。

 

「どこが」

 

「勝つところまで行く感覚がある」

 

チェレンは淡々と言った。

 

「でも、行き方が違う」

 

ベルが興味深そうに顔を上げる。

 

「どう違うの?」

 

チェレンは少しだけ考えた。

 

それから、言葉を選ぶように続ける。

 

「シンは、戦いながら噛み合う場所を削って探す」

 

「……削るって何だよ」

 

「言葉の問題だよ」

 

チェレンは気にせず続けた。

 

「トウヤは、もっと早い。見つけるというより、先に触ってしまう感じだ」

 

トウヤが小さく瞬きをする。

 

「なんか、言われてることは分かるけど、ちょっとずるいな」

 

「褒めてるよ」

 

「ならいいや」

 

その返事に、ベルが吹き出す。

 

「トウヤってそういうとこあるよね」

 

「どこ?」

 

「褒められたらとりあえず受け取るとこ」

 

「だって、わざわざくれるならもらっといたほうが得じゃない?」

 

「その考え方がもう強いんだよな……」

 

ベルが肩を落とす。

 

シンはその会話を聞きながら、ふとトライバッジをしまい直した。

 

チェレンの言うことは、たぶん当たっている。

 

自分は噛み合う場所を探す。

 

トウヤは、そこへ先に触る。

 

似ているようで、違う。

 

そして、チェレンはその少し下から正確に積み上げる。

 

ベルはまだそこへ届かない。

 

でも、届かないことを知った目になった。

 

四人の差が、少しだけはっきりした気がした。

 

それは悪いことではない。

 

むしろ、旅を続けるなら必要なことだった。

 

ジムを出ると、サンヨウシティの空は夕方へ近づいていた。

 

通りに落ちる光が長くなり、建物の影も伸びている。

 

町の空気は変わらないのに、自分たちのほうだけが少し変わったように思えた。

 

ベルが空を見て言う。

 

「次、絶対勝つ」

 

その声は、さっきよりずっとはっきりしていた。

 

チェレンも静かに頷く。

 

「僕も」

 

「じゃあ、またしばらくここにいる?」

 

トウヤが聞く。

 

「それとも、先に別の場所を見てから戻る?」

 

その問いに、四人は少しだけ立ち止まった。

 

先へ進むか。

 

ここで足りないものを埋めるか。

 

旅に出てから、何度も道はあった。

 

でも、今回は昨日までの選び方とは少し違う。

 

勝った者と、負けた者がいる。

 

そのうえで、四人でどう動くかを決めなければならない。

 

シンはジムの扉を一度だけ振り返った。

 

あの中で取った最初のバッジ。

 

あの中で届かなかった二人の悔しさ。

 

そして、同じ不利を違う形で越えたトウヤの軽さ。

 

全部が、次の一歩に繋がっている気がする。

 

ミジュマルが足もとで鳴いた。

 

せっつくようでもあり、確かめるようでもある声だった。

 

シンは小さく息を吐く。

 

「……まだ、決めなくていいだろ」

 

ベルが見る。

 

チェレンも、トウヤも、黙って続きを待った。

 

「とりあえず今日は、ちゃんと整理する」

 

シンはそう言った。

 

「勝ったやつも、負けたやつも、そのまま次に行くのは違う気がする」

 

トウヤが少しだけ笑う。

 

「珍しく、いいこと言う」

 

「うるせえ」

 

でも、誰も反対はしなかった。

 

夕方のサンヨウシティに、四人の足音がまた並ぶ。

 

同じ町にいても、昨日までとは少し違う歩き方だった。

 

最初の壁を越えた者と、まだ越えていない者。

 

その差は確かにある。

 

けれど、差があることと、一緒に進めないことは同じじゃない。

 

むしろ今は、その差を持ったまま並ぶことのほうが、旅らしいのかもしれなかった。

 

サンヨウジムの扉は背後で静かに閉じる。

 

けれど、あの中で始まったものは、まだ誰の中でも終わっていなかった。

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